蜜雨

「うわーん、寒い寒い!おやっさーん、月見そば一丁!」
さん、いきなりそりゃねェぜ・・・」
「あれ、総悟いたんだ。気づかなかった」

暖簾を上げてカラカラと乾いた音を鳴らし、雪と共に入って来たこの女。
名はと言って、昔攘夷戦争に参加していた奴だ。今では足を洗って流れ者ながらも情報屋をやっていた。
気が向いた時にこの蕎麦屋でそばを喰っていく。頭は切れるし刀も男に引けをとらない、おまけに美人で定評だ。
俺は惚れていた。この血生臭い女に。

はがたりと椅子を鳴らし、ごく自然に俺の隣に座った。血を薄める為の、白梅の香りが鼻をかすめた。

「総悟ー、もう大晦日だねえ。どう?熱燗いっとく?」
「未成年に酒を勧めねーでくだせェ。俺ァこれから仕事でしてね」
「えー、つれないなあもう。じゃあ、一人で飲むもん」

は拗ねたような表情をして熱燗を頼んだ。熱燗を待っている間、俺たちの周りは沈黙だった。
俺がそばをすする音をたてても、テレビの紅白の歌も、親父どもの濁声も、が纏う空気でぴんと張り詰めた気がする。
は雪のように、その音を吸収してしまったようだった。

さん、雪、ついてますぜ」
「いいよ、別に」
「まぁ、あんたにはお似合いでしょうねィ」
「そりゃどーも」

熱燗がきて、ほろ酔い頃になった。どうしてもこの容姿の所為か、は注目を浴びていた。
はそれをわかっていながらも放っておいた。男の色目も、口説き文句もの前じゃ形無しだった。
それでも男どもはだらしなく、下品に彼女に媚び得るのだ。

「おいねーちゃん、俺らと一緒に酒飲まねぇか?独りじゃさびしいだろぉ」
「生憎と、間に合ってますんで」
「つれねぇなあ、こっちにきたらかわいがってやるってぇ」
「頭の悪いケダモノにはお仕置きが必要かしら?」

団体で飲んでいた酔っ払い男Aがに近づいてきた。あーあ、こりゃ今年最後の出血大サービスの仕事をしなきゃなんねェや。
俺は横目でその様子をそばをすすりながら見遣った。おっと、仕事前に蕎麦湯飲んでおかねーと。
は肩に回そうとした腕を叩き落とし、目を細めて視線をきつくした。それすらも無意味なようで、逆にの態度はバカどもを煽っていた。

「ひゅー!お仕置きだってよ、野郎ども!一発ぶちかまそうぜ!」
「年末はバカが増えていけねェなあ・・・」
「おい!なんだとこの糞餓鬼!」
「もっとしっかり働きなさいよ総悟、こんなバカの相手なんてこれ以上してらんないわよ」
「っんだと!おい、今すぐ喰っちまおうぜこんなアマ!」
「そう言われましてもねィ、バカにつける薬はないんです、ぜッ!」
「酒がまずくなるじゃない、のっ!」

俺とは逆上した男どもに蹴りと手刀をぶちかました。
それを合図に次から次へと男どもが襲い掛かるが、それも数分もたてばしん、と塵の音をも許さぬ静寂の場と化した。


「ところで今年の紅白どっちが勝つと思う?」



俺は来年もこの女に振り回されそうでィ。






酒で夜を薄めた女は昼顔を見つめる(総悟)






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