蜜雨

 折れた逆刃刀の代わりを見つけたら京都警察署に来るよう剣心と約束し、は剣心と操と別れた。新月村での事後処理を終えた斎藤とも又、故郷に別れを告げた栄次を連れて京都へと向かう。

「栄次の事は任せろと言っていたが、当てはあるのか」
「ええ、私の故郷において頂こうかと思っています。あそこなら新月村と似たような農村ですし、私の目の届く範囲なので今回のような事にはならないでしょう」

 突然家族を失い、故郷から投げ出された栄次の不安は測り知れない。少しでも彼が幸福になれる様に祈るばかりだ。は栄次の頭を優しく撫で、微笑んだ。

「ッ子供扱いすんなよ……!」

 栄次が照れたようにから距離を取った。母親にもこんな風に頭を撫でてもらった覚えがない栄次は、とどう接していいかわからなかったのだ。剣心の世話をずっとしてきたにしてみれば、久しぶりに年の離れた弟が出来た気分である。師匠には当たりが強かったが、存外には素直であった剣心とは又違う反応を示す栄次がは可愛くて仕方がない様だ。

「あら、もし私に子供がいたらあなた位の年齢でもおかしくはないのですよ?」
「……お前一体何歳だよ」
「っは!」

 はしまったと口元に手を当てていた。いつもの様に年齢不詳でいこうと思っていたのに、とんだ失態だ。

「ええと……二十です」
「三十路越えの女がやめろみっともない」
「ああッ! なんで早々にばらしてしまうのですかっ酷いです斎藤さん!」
「俺は幼気なガキを騙す女の方ががよっぽど酷いと思うがな」

 のまったりとした口調で怒られても、恐ろしくもなんともない。まったく迫力のない怒りをぶつけるに対して、斎藤は知らん顔をして燐寸で煙草に火をつける。一方栄次はの実年齢が思ったよりも上で、言葉にならない程驚愕していた。まさにが望んだ通りの反応をしていたのだが、もはや斎藤に詰め寄るはそれどころではない。

「っ!?」

 木々がざわめく気配を先に察知したのはであった。

「斎藤さん、栄次を頼みます」

 の顔が引き締まったものになると、栄次はその温度差にぞくりと寒気を催した。斎藤は慣れているのか、返事の代わりに吐き出した紫煙と共にの背中を見送る。訳が分からずに狼狽える栄次に斎藤が親切にこの状況を説明する筈もなく、只無言で煙草を吸って煙を吐くという動作を繰り返していた。そうしてそれ程時間も経たないうちに、男女入り混じった悲鳴が聞こえると、栄次は反射的に走り出していた。斎藤が「おい」と制止の意味を含めた声を上げたが、栄次の耳には届いていなかった。

「っう゛?!」
「! 栄次!」

 声を頼りに栄次が道を進んでいくと、いくつかの骸が横たわっている中、が刀を片手に佇んでいる。夥しい血の量と無残に斬り刻まれた人間を目撃してしまった栄次は込み上げてくる感覚に抑えがきかず、胃の中のものを戻してしまった。栄次の呻き声を聞いたはすぐに駆け寄って背中をさすってやる。

「勝手な行動をした挙句この様か」

 遅れてやってきた斎藤はやれやれと深い溜息を吐いた。
 バラバラに刻まれた男女一組と、真っ二つに斬られた野盗らしき男が一人。きっとが助けようとした時には、既に彼らは野盗に殺されていたのだろう。はこれ以上犠牲者を出さないよう、彼らの敵討ちも兼ねて一思いに野盗を両断した。斎藤は死体の様子を見ただけで大体の流れを推測する。そして殺しに躊躇しないを見てしまった栄次の心境も、斎藤には手に取るようにわかった。
 男女の荷物の多さや身なりから察するに、夜逃げか駆け落ちか。何にせよ、もう関係のない事だ。二人でいればきっとどこに行っても幸福になれると信じてここまで来たのに、そんな男女に待ち受けていたのは残酷な運命であった。唯一の救いは男女が手を離さぬまま死を遂げた事だろうか。腕を斬り刻まれても尚固く結ばれたままの男女の手が斎藤の目に留まる。

「この近くに沢があった筈です。栄次を其処へ連れて行ってあげて下さい。私はこの方達を弔ってから向かいます」

 胃液まで吐ききってもまだ吐き気が収まらず、俯いて呼吸を整えていた栄次は、が今どんな表情をしているのかわからない。が常に浮かべているやわらかい笑顔も、先刻の惨状と両親の酸鼻な死に様が綯い交ぜになって思い出せないでいた。






「アイツを聖人か何かかと思っていたのか? それならとんだ勘違いしてるぜ。アイツも俺や抜刀斎と同じ幕末を生き、人を斬ってきた――人殺しなんだよ」

 斎藤は沢で顔や口を洗う栄次に向かって冷たく呟いた。
 確かにには女子供の前ではなるべく殺しを見せない様気を遣う甘さや優しさはある。人を守る為に人を斬っている罪悪感も持ち合わせているし、人を生かす為に人を殺している自覚もあった。金や名誉や権力の為に人を殺すでも、誰彼構わず人を殺めるでもないが、結局のところ人殺しには違いない。剣は凶器、剣術は殺人術という真実と向き合いながら、は今も昔も時代時代の苦難から弱き人々を守る為に刀を振るっていた。たとえ、人を殺して得られる幸せが嘘偽りであったとしても、救える命があるのならばそれだけでよかったのだ。

「……栄次、私がこわいですか?」

 亡骸を供養し終えてきたは、栄次の隣で泥だらけになった手を濯ぐ。どうしても沢に流れていく泥が血に見えて仕方がない。は穏やかな表情こそしていたが、もう栄次にはどれが本当のなのかわからないでいた。

「恐怖を知る事はとても大切です。恐怖とは即ち、死にたくないという感情……裏を返せば生きたいという強い本能の表れです」

 栄次の兄である栄一郎はよく弟の話をしてくれた。も弟弟子である剣心がいたから、二人で大いに弟の話で盛り上がったのをよく覚えている。残念ながら栄一郎を助ける事は出来なかったが、彼の忘れ形見は今度こそ護ってみせる。

「決してその恐怖を忘れないで下さい。そして、生きなさい。あなたはご両親と、お兄さんの分まで幸福にならなければいけないのですから」

 栄次に目線を合わせ、震える彼の小さな手をは両手で握り締めた。もうの手は血に染まってはおらず、とても白く栄次の目に映った。






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