蜜雨

絶望――その2文字が脳内をぐるぐると回る。
現在就職氷河期真っ只中で、は今日もリクルートスーツを着て飽きずに面接を受け、お祈りレターが届けられているであろう家に帰ろうとしていた。
今日の面接もボロボロだった。昔からあがり症ですぐに顔が赤くなり、本番では本当の力を発揮出来た試しがないにとって面接は大きな壁であった。この間だって面接中急に泣き出して迷惑を掛けてしまい、こんな自分が嫌で悩んだりもした。周りの友達は能力も実力もあるのだから頑張れと励ましてくれるが、そろそろ心が折れそうだ。
その上目の前にはいかにも柄の悪そうな男が2人、を睨みつけている。理由は簡単だ。慣れない土地をパンプスで歩いていたは自分の足に自分の足を引っ掛けてしまい、見事に素っ転んだのだった。ああ、今日受けた会社もこうやって滑ってしまうのだろうか――早速ズキズキと痛む膝から意識を逸らすようにそんなことを考えていた。自身が転んだだけならばよかったが、転んだ拍子に吹っ飛んだリクルートバッグが丁度2人組みの男の1人に当たってしまったのだ。

「おぅ、嬢ちゃん。いいカバンだなあ…おかげで足の骨折れちまったよ」
「あーあ、こりゃ治療費10万はくだらねえなあ」
「えっ?えっ?!」

わざとらしく足を引きずるように歩く男と、厭らしく笑みを浮かべる男がに詰め寄る。突然のことでまともに返事も出来ないは視線を右往左往するだけだ。まさしく絶望の淵に立たされていた。



公園のベンチで何もせずにぼうっと空を見上げて雲を追うなんて、元嶋野の狂犬が聞いて呆れる。
堂島の龍が堅気になり、真島自身も組を抜けて堅気となった。そして真島建設という会社を立ち上げて新しいスタートを切った真島は、現在神室町ヒルズという一大プロジェクトを手掛けていた。過去にはキャバレーの支配人として名を馳せ、傾いたキャバクラを見事蒼天堀一のキャバクラに返り咲かせたという確かな経営手腕を持っていたが、こと建設業に関しては素人同然。他の元組員たちも同じだ。ネットで調べてビルを建てろとは言ったものの、西田をはじめ、他の組員も正直何から始めればいいのか戸惑いを隠せないようだった。そこで、だ。既に社歌は作って毎朝歌っているが、求人票は出していなかった。まずは業界の人間をこちらに引っ張ってこなくてはならない。そうと決まれば楽しそうな職場をアピールした求人票の作成だとベンチから勢いよく立ち上がった。

「すみません10万なんて払えません!でもっカバンをぶつけたのは謝ります!」
「謝って済むなら警察はいらねえよ?お嬢さん」
「ん?よく見たらこいつこんな子供みたいな顔して胸でかいっすよ!」

妙案を思いついた真島が公園をスキップで飛び出すと、その先には何やら下世話な話をしている男2人に囲まれた女が腕を引っ張られていた。白昼堂々女を襲うとはやれやれとせっかく上がったテンションが冷えていく。

「そうだなあ…一晩俺らに付き合ってくれたらこの怪我ちゃらにしてやるぜ?どうだ悪い話じゃないだろ?」
「おら、大人しくついてこいよ!」

胸糞悪い。恐ろしいのか、声も出せず俯く女をそろそろ助けようと真島が拳を握ったところで、従順になったと思われた女は口を開いた。

「…いや…」
「あ?」
「いやあああああ!!!!!!」

突然叫び出した女は掴まれていない方の手で男の下顎部を下方から手根で打ち上げた。不意打ちを喰らった男は脳が揺さぶられたのかそのまま倒れ、まさか女が抵抗するとは思っていなかったもう一方の男も完全に油断し、無防備なこめかみに女の見事な上段回し蹴りが決まった。どおんと男が地に落ちる音がして静寂が広がった。微かな女の荒い息と嗚咽を漏らす声がやけにその場に響く。女は目に溜まった涙の粒を拭い、地に伏せた男たちを乗り越えてカバンから飛び出た書類やポーチを拾うためにしゃがんだ。

…ほぉ…東都大の建築科卒…一級建築士所持…」

聞き覚えのない声に自分の名を呼ばれ、いそいそとカバンに荷物を詰め込んでいた手をぴたりと止めた。

「…だっ誰ですか?いつの間に私の履歴書を…!!」
「なあちゃん、ワシの会社で働かへんか?」






アットホームで明るい職場です






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