蜜雨

何故かわからないが真島に気に入られたは真島組と書かれた事務所の戸の前に立っていた。あの右ストレートの後、改めてお話しさせて下さいと頼んだのはの方であった。そんな面倒なもんはいらんと真島は一蹴したが、真面目なはきちんと段階を踏んで自分のことを知ってもらってから働きたいと譲らない。なんだか中坊の恋愛みたいやなとまたもニヤニヤし始めた真島は見なかったことにして、後日会社見学をさせてもらう約束を取り付けたであった。



「どっどうして公衆トイレが出入り口なの?!しかも男子トイレ!」

明らかな設計ミスではと建築家としては怒っていいのか笑って済ませていいのか、それとも泣いていいのかよくわからない複雑な感情を抱いていた。この場所以外の出入り口はないのかキョロキョロとあたりを見渡すが、男子トイレを通り抜ける以外道はなさそうだ。西公園の男子トイレが事務所に繋がると真島は言っていたが、は男子トイレ近くに入り口があると思ってその時は真島の言葉を気にも留めなかった。しかしそれが仇となり、が男子トイレの前であたふたしている姿を想像してきっと真島はほくそ笑んでいることだろう。いや、もしかしたら影から見ているかもしれない。

「ううっ泣くな…震えるな足!!」

極度のあがり症で緊張しいのはこうして何度も面接を失敗してきた。言いたいことも言えない、質問にはまともに答えられない、下ばかり向いている自分を何度も正そうとしたが、今日も今日とてこの性格は直りはしなかった。しかし、は真島が掛けてくれた言葉を反芻させて自分を奮い立たそうと努力していた。この会社に必要な最高の人材と言ってくれたのは真島が初めてだった。そんな彼の言葉に応えたい。

「…よしっ…!!」
「あのう…さん…でしょうか?」
「ひゃい!!!」

わかりやすいほどに体をびくつかせるに、声を掛けた西田も吃驚する。

「親父にさんを案内したれ言われたんですが…」

きっと男子トイレの前で立ち竦んでるだろうという真島の読みは見事的中していた。西田は二の句も告げないの横を通り過ぎ、申し訳なさそうに男子トイレの中に入っていって引き戸を開ける。どうぞと声を掛けられてはも無視する訳にはいかない。むしろ一緒についていってくれる西田に感謝だ。慌てて西田について行くと、そんなに急がなくても大丈夫ですと優しく声を掛けられ、はまたも泣きそうになる。彼は仏だろうか。じーんと西田の背に向かって合掌しつつ優しさを噛み締めていると、建設途中であろう広大な敷地の中にポツンと建っているプレハブに着いた。ドアの横にある木の板には真島組と彫られており、事務所に辿り着いたという現実がの心臓を徐々に追い込んでいった。

「さ、こちらです。狭い所ですがどうぞ」

の心臓の準備が出来ないまま西田は言葉と共にドアを開け放ち、そうして姿を現したのは上半身裸で膝を折り曲げてしゃがみ込み、背中を丸めて顔だけ後ろを振り返る男だった。彼の背中の蛇と炎が纏わり付いた髑髏がをじとりと見詰めていた。

「ひっ…!」
「み、南さん!さんが怯えてます!!」
「あーん?西田ぁ、最初にビシッと決めねーとこっから先舐められっぱなしや!!親父に一発入れたゴリラ女、俺ぁ認めへんでえ?!」

眉周りや口にも威圧的なピアスが並んでいた。細い目を更に細くさせ、射殺さんばかりにを睨みつける。そんな敵対心剥き出しな南大作を目に入れたはついに恐怖と緊張と不安でポロリと涙が零れた。一粒流れると、あとはもう止まることなく溢れ続ける。だめだ――せっかく真島が自分を必要としてくれて、そうして変わろうって、決意したのに。今度は悔しさで涙が出てきた。

「なぁんや…お前ら…俺のちゃん泣かしおって…」
「お、親父…っ!!」

泣いているの背後からぬらりと真島が現れると、さっきまでイキっていた南は腰を90度に折り曲げ、慌てていた西田はもっと慌てふためき謝り倒したが、真島の勢いは止まらず教育的指導(物理)が始まった。

「まっ、真島さん!暴力はやめて下さい!私が勝手に泣いてしまっただけなんです!」
「…社会に出たら理不尽に怒られることもあるんや。これは躾や」
「…っでも従業員を大切にしない会社に未来はありません!この会社を支えているのは何も社長さんだけではありません!ここにいる皆さん一人一人が働いて会社が成り立っているのです!真島さんが私を必要だって言って下さってとても嬉しかったです!うまく自分の意見が言えなくて、はっきりと意思表示も出来ない…そんな私ですが、この会社に入って皆さんのお役に立てるのであれば、私はこの会社の一員になりたい!です!!」

一気に話しすぎて息も絶え絶えなの話に耳を傾けていた真島たちの動きは止まっていた。しん、と静まり返る場に耐えきれず自分の足元を見つめる。やってしまった。これでまたお祈りレターが増えてしまうが、それでも初めて面接で言いたいことを言えた。今のにとったらそれで十分だった。この経験を次に活かそう。ありがとうございました、と礼をして踵を返そうとすると腕を掴まれた。

「待てや」

低くドスの効いた声に足を縫い付けられる。西田と南の緊張がにも伝わってくる。

「やっぱ最高やな、ちゃ~ん!!」
「へ」
「その仕事に対する姿勢、社長への忠誠心!シビれたわぁ!!」
「えっあのっ」
ちゃんの愛の言葉、しーっかり受け止めたでえ!そないにワシのところに永久就職したいやなんて吾朗感激!!」

そんなこと言っていないとの両肩を掴んで捲し立てる興奮状態の真島に言えるはずもなく、段々と逸れていく話についていけないのだった。






社長はいつも突っ走りがちです






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