蜜雨

「ネットで検索してビルを建設…」

西田から嘘みたいな話を聞いては唖然としていた。どうやら真島建設はまだまだ駆け出しのようで、西田をはじめとした社員全員建設のノウハウも知らずにいきなり神室町ヒルズを建てることになったらしい。詳細はわからないが、業界の新参者が神室町ヒルズ建設なんてよくもこんな大きな仕事を貰えたものだ。感心すると同時に、入社してすぐにこんな大きな仕事に関われると思っていなかったは燃えていた。何せ真島から建設に関することは大体任せると言われたのだ。責任重大だが、は自分の力がどこまで通用するかうずうずしていた。

「西田さん!私にお任せ下さい!!きっと神室町ヒルズを建設してみせます!」

普段気弱でおどおどしているからは考えられないほど溌剌とした声に西田は戸惑いを隠せなかったが、やっとまともに仕事をしてくれる人材が入ってくれて心底救われていた。あの真島が連れてきた人間とあって不安だったが、どこから拾ってきたのか純粋無垢で真面目なカタギの少女であった。聞けば東都大学を卒業した秀才らしい。そんな子がこんなヤクザ(今現在はカタギ)の会社に就職だなんて真島はどんな手を使ったのだろうか。

「ところで西田さん…」

不安と疑惑が入り混じる思考に割って入ってきた声に西田は思わず構えた。やけに重たい声色のの顔は真剣そのものだ。

「他意はないのですが…一応把握しておこうと思いまして…」

やけに長い前置きだ。一体どうしたのだろう。

「社長の息子さんは西田さんと南さんの他あと何人いらっしゃるのですか…?」

あれえ?!もしかしてこの子なんにもわかってない!!?
自分たちが真島を親父と呼ぶ意味――たとえカタギであろうともきっとわかるはずだ。

「あーあ、こら水も滴るいい男やな」

の質問にどう答えるべきか苦悶していると、仮設事務所の薄っぺらいドアを開け放って現れたのは我らが社長の真島だった。どうやら突然の土砂降りで全身濡れてしまったようだ。真島を象徴するパイソン柄のジャケットから水滴が落ちる様子から、外の惨状が目に浮かぶ。真島は西田にタオルを持ってくるよう指示し、自分は濡れて張り付くジャケットを脱ぎ捨てる。すると普段は大半隠されている鮮やかな刺青が顕になる。は真島の艶やかな姿を目の当たりにして悲鳴を上げる。別室でタオルを探していた西田はその声に思わず走り出す。

「しゃっ社長…!」

明らかに真島の刺青に狼狽えている。無理もない。カタギの女の子が極道者の背中を見る機会なんて皆無に近い。せっかくまともに仕事が進められると思っていたのに、きっとはこんな会社辞めてしまうだろう。

「はっはやく服!服着てください!」
「んー?この真島吾朗の裸見られるなんて滅多にないで?」

いや、なんなら常に半裸だろう。
そんなツッコミを入れる勇気はなく、西田はいつが事務所を飛び出してしまわないか気が気でなかった。

「そっその姿で近づいてこないで下さい!」
「つれないこと言いなや。ただのスキンシップってやつやろ?」

ただのスキンシップに口元をいやらしく歪めて手をわきわきといやらしく動かす必要はあるのだろうか。またもツッコミを入れられない西田はもはや真島との付かず離れずの攻防戦の成り行きを見守るしかなかった。

「めっ目のやり場に困るんでせめて服を着て下さい!!」
「男の裸なんか見慣れとるやろ。随分とウブやな、ちゃん」

いつの間にかの肩に手を回し、ふぅと耳元に息を吹きかけると、またもは羞恥のせいか反射的に真島の頬を引っ叩こうと手を挙げるが、そこは東城会きっての武闘派と名高い真島組組長――その手を簡単に掴み取った。

「そっんな、男のひとの裸なんてお父さんのくらいしかまともに見たことありません…!」

処女か…と嬉しそうに真島が小さく呟いたのを西田は聞き逃さなかった。

「おっ親父ぃ!さんが怯えてます!!」
「男の裸が怖くて真島建設の社員が務まるかいな!」
「男の裸いうより親父の墨に怖がってるんじゃ…」
「墨…?刺青は男性の皆さんが入れてるんじゃ…?」

はて?と小首を傾げるは小動物を彷彿とさせ実に可愛らしいが、発言は頓珍漢だ。さすがの真島も呆けている。

「お父さんが男は皆背中に大切なもん背負ってるって…えっ?」
「なんや、ちゃんのおとんも筋者か」
「すじもん…?確かに父のことはいまだによくわかってないですが…」

幼い頃に亡くなった父のことを母はあまり語らない。だから父の事はたまに帰ってきては酒を片手に娘に武勇伝を話す姿しか思い出せないくらいだ。

「熊を倒したと言っていたので仕事はマタギか何かかと勝手に思っていました」
「熊を倒したって…」

の言葉に顔を引き攣らせている西田の横で真島は思案顔を浮かべている。

「もしかしてちゃんがそない強いんはおとんが手解きしたんか?」
「父は何かあった時に自分の身は自分で守れるようになれと言っていました。これから先何かあると予見していたんだと思います」

眉をハの字にして肩を竦めるとただでさえ小さいがより一層小さな存在に見えた。

「そやなあ…でも安心しい。うちの奴らはワシの子みたいなもんや。ちゃんのことも守ったるからな!」
「へっ?や、えっきゃあああ!!!」

掴んでいた手を自分の胸元へと引っ張り、ギュッと抱きしめると驚いたは脊髄反射よろしく空いていたもう片方の手で真島の頬を引っ叩く。オチがパターン化している…という西田の悲痛な呟きと、窓に打ち付ける雨音だけが事務所内に響き渡るのだった。






新入社員とコミュニケーションを取るのは難しいです






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