蜜雨

良い拾い物をした。

真島は事務所の机で見たくもない書類を手に取りながらタバコをふかして思考を巡らせていた。灰皿にはタバコの端切れが幾重にも積み重なり、怠惰と時間の経過が表れている。この間にもきっとが諸々の手続や契約やアポなどで奔走しているだろう。組の連中は建設業はおろか、事務作業も碌に出来ない人間もいる。電話のビジネスマナーだって怪しい。そもそもそんな世間のルールに縛られたくない爪弾きのならず者ばかりが集まっているので当たり前だ。そんな彼らと共に仕事をしようと歩み寄るは、ただの阿呆なのかそれとも怖いもの知らずなのか。常に困ったような泣きそうな情けない顔をしているは一度仕事のスイッチが入ってしまうと、そんな顔は一切見せずにテキパキと嫌味なくそして卒なく指示を飛ばし、あの短絡的で何かと拳で片付けてしまう組員を適材適所に当てはめて上手く仕事を回していた。普段の鈍臭いを知っている者からすれば、本当に同一人物かと見間違えるくらいに有能であった。

ちゃーん」

社長室から出てきた真島はパソコンに向き合ってキーボードを絶え間なく叩くに声を掛けるも、余程集中しているのか前のめり気味に画面と顔を突き合わせ続けるだけだった。もちろんそんなを面白く思わない真島は静かに口角を上げ、黒の革手袋越しにの背筋をすうと撫で上げる。

「っひゃあ?!」

案の定素っ頓狂な声を出してデスクチェアから崩れ落ちたは冷たい床にお尻を打ちつけることになった。

「あ、あの、書類の件で何か不備でも…?」

床に尻餅ついたまま真島を見上げる瞳は、なぜ自分がこんな目に遭っているのかと困惑していた。

「いんや、飽きたからちゃんと遊ぼ思ってな」

計画や案を出すのはの仕事であるが、実行するかは社長の承認が必要だ。真島は事務仕事が増えるのを嫌がったが、最終的な決定権は社長にあるし業務を把握しておくのも仕事の一つ。社長の仕事が滞ればの仕事、ついては神室町ヒルズ建設計画もそれだけ遅れる。その説明をした上ではせめて今日中にデスクに乗せた書類の山を片付けてもらうよう頼んだ筈なのだが、思った以上に真島の集中力は保たなかったようだ。

「それと、パンツ見えてるで」
「や、あ、うそ!」

今日は白やんなあと真島がニヤニヤすると、断固として丈の長さを変更してくれなかった短いスカートをはおさえた。

「もっもう!社長!」
「ヒヒッ堪忍な。今日ちゃんの歓迎会しよ思ってついはしゃいでもーたわ」
「歓迎会…?」
「そや!韓来っちゅー行きつけの焼肉屋で盛大にパーっとやろや!」

キラキラと目を輝かせる真島につられても笑みを零した。その歓迎会があんな大惨事になるなんて今のには知る由もない。






乾杯を済ませると大量の肉が次々と焼かれていく。真島が愛煙家ということもあり、真島組は喫煙者が多い。貸切の韓来の店内はタバコと焼肉のせいで換気扇がフル稼働しても煙たかった。

「っにしてもまさかあのちゃんがザルとは驚いたでぇ?」
「私の父がお酒に強かったので…」

そうは言っても真島の隣でビールを飲み干したはアルコールの力なのか、いつもよりふにゃりと柔らかい表情で気分良く饒舌に話していた。しかし顔色は一切変わらず、意識もはっきりしているようだ。真島はの意外な一面が知れて満足げに新しいタバコに火をつけようとすると、先に横からライターが伸びてきた。南だ。真島は驚きもせず、その火を当然のように受け止めて紫煙を燻らす。

「親父!俺をこの女と勝負させて下さい!」
「みみみみみ南さん??!」
「ほぅ?」

南の突然の申し出にはあからさまに動揺の色を見せる。その反面真島は愉快そうに目を細めた。

「俺ぁまだこの女を認めちゃいないんす!親父の懐にいる覚悟と度胸があんのか見定めてぇ!!」

短時間で酒を入れすぎたのか既にあらかた出来上がっている南は目が据わっていてふらふらだ。西田がいつでも支えられるように近くに立っている。

「で?ちゃんと何するつもりや、南」
「これやあ!!!」

どん、と座敷の卓にショットグラスを並べた。中身は琥珀色の液体――テキーラだ。

「飲み比べっちゅうわけやな。どないする?ちゃん」
「…南さんが私を真島建設の一員と認めないのなら、他の方ももしかしたら私に不満を持っているかもしれません…」

しかしそれではこれからの仕事に影響が出る。南はこれでも真島組で上の立場だ。荒っぽいところもあるが舎弟思いの情の厚い人間で、真島もよく教育的指導(物理)をしているが、それは可愛がっている証拠でもある。少なくとも組の者はみな南のことを憎からず思っているのは、新参者であるでも感じ取れた。それ程までに南は組の中心的な存在でもあり、トラブルメーカーもといムードメーカーとして親しまれているのだ。

「もし、南さんに勝ったら私のことを認めて下さるんですね?」
「おん!漢に二言はあらへん!」
「ヒャハハハ!おう!西田、審判やれや!」
「へっへい!」

かくしてと南の飲み比べ対決が始まったのであった。



「南さん、もうやめた方が…」
「ひっ、く!ここまれきて、うぇっく!やめられるかいな!」

もう何杯目だろうか。流石のも酔いが回ってきたが、まだ正気だ。南の方は呂律が回らず、ショットグラスを持つ手も怪しい。ちゃぷちゃぷと絶妙な揺れでテキーラはグラスに留まっている。そのまま南は一気に酒を煽り、ついにふらりと倒れた。は南に駆け寄って体を支えようとするが、女性の中でも小柄に分類されるに南は重すぎたようで共に倒れ込んでしまった。

「えっ?!ひゃん!みっみな、南さん!やめっゃん!!」

悩まし気な声を上げたのは南の下敷きとなっただ。泥酔して朦朧とした意識の中で、南は手に触れたの体躯には似合わない豊満な胸をあろうことか揉みしだいていたのだ。

「ぐえっふ!!!」

もちろんそんなことを天下の真島が許すはずもなく、南は座敷の隅へと蹴り飛ばされた。カエルが潰されたような声はこの際聞かなかったことにしよう。皆の良心西田がそっと南を寝かせてくれたのはもはや言うまでもない。

ちゃん大丈夫かっ?!」
「はっはい…社長、ありがとうございます」

朱に染まった頬に潤んだ瞳での上目遣い、そして南に組み敷かれたせいで乱れた服と苦しそうな胸のボタン。据え膳食わぬは男のなんとやら。真島は生唾を飲み込んだ。

「っ…ちゃん、水飲んで落ち着こ、な?」
「あっありがとうございます」

暴れ出しそうになる理性をなんとか抑えて真島はテーブルに置いてあったお冷を手渡した。は有難く受け取ると一息に飲み干す。その勢いで口から溢れた水が胸元に染み込んだ図は、野獣だらけの真島組には毒でしかなかった。真島自身もますます落ち着かなくなる。

「しゃ、ちょ…これ…」

確かにお冷を飲んだは何某か呟いてコップを滑り落とし、再び座敷に倒れ込んだ。
そして暗転――






飲み二ケーションとパワハラは紙一重です






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