蜜雨

※コナンとの出会い
※ただヒロインの設定を深堀するだけの話
※映画「ベイカー街の亡霊」ネタ流入






「ねえ、ボク……工藤新一って知ってる?」

 黒いキャップを深く被り、黒いサングラスを掛けた彼女の口元は緩やかに弧を描いていた。全身黒ずくめの彼女は太陽の下で見るにはあまりにも異様で、不自然である。少年探偵団(灰原を除く)と一緒に公園でサッカーをしていたコナンはあらゆる疑惑の目を瞑り、にこっと無邪気に笑った。

「知ってるよ! 有名な高校生探偵でしょ? ボク新聞で見た事あるんだ~」

 嘘は真実を織り交ぜるとより鮮明な真実の嘘になる。
 彼女はやはり子供に尋ねても情報は得られないと思ったのか、コナンの言葉に淡い声色で「ありがとう」と言ってコナンの頭を撫でると、公園の出口に向かっていった。

「お姉ちゃん!」

 公園を出てすぐにコナンが彼女の服の裾を引っ張った。

「人を探す時は交番に行くといいよ!」
「……ええ、そうするわ」

 黒に覆い尽くされる中、唯一見える彼女の口元は相変わらず緩やかに弧を描いていた。



 冷たい闇を思い出させる黒に、わざわざ工藤新一の名を出し、明らかにコナンに質問を投げかけている時点で彼女は自分に無関係の人間ではないと思った。敵意は感じられなかったが、むしろそれが怪しさを増長させている。
 少年探偵団を適当に誤魔化し、コナンは咄嗟に付けた発信機で彼女を追跡する。さほど時間が経過していなかったから、彼女の凛とした黒い背中はすぐに見つかった。丁度彼女が角を曲がったのでコナンも警戒しながら角まで歩みを進め、じりじりと顔を出していく。だが、その景色の先にある筈の彼女の姿が忽然と消えていた。狼狽するコナンがもう一度発信機の場所を確認しようとすれば、頭上に涼やかな声が刺さる。

「ボクも誰かを探しているの?」

 思わずその声から逃げる様に距離を取ると視界が広がり、ブロック塀に優雅に鎮座する彼女が目に映った。

「それとも、忘れ物?」
「っ?!」

 訂正しよう。口元以外は黒に覆われていると言ったが、彼女の白々しい手もまた外界に晒されていた。もっとも、苦しいくらい心臓が脈打つコナンにとってはそんな些末な事よりも、彼女の掌に収まっている発信機の方が重要である。けれども、彼女に悟られてはいけない。素知らぬ振りをするのだ。

「ボクはお姉さんを探してたんだよ! 交番までの道わかるかなあって思って、急いで追い掛けてたんだ!」
「ご親切にどうもありがとう。実は交番の住所は調べてあるんだ。米花町二丁目二十一番地……よかったら案内してくれない?」

 彼女の確信を帯びた口角の上げ方や、握り潰されて粉々になった発信機に、段々と逃げ場を失っていく恐怖を覚えた。冷えていく身体に反して熱い血流が巡る不可解な感覚に思考回路が融解される。唇が渇いていくコナンに対して彼女は「おりこうさん過ぎるのも考え物だね」と気の抜けた溜息を吐いた。物事は元来もっと単純であるのに、知能がある故に人間が勝手に複雑に考えてしまいがちなのである。だから彼女が敷いた罠に自ら飛び込み、正体を露呈する事になったのだ。

「まあ、いくら名探偵でも、まさか逆探知したくてわざと発信機をつけられに行く奴の事なんて推理できないか」
「っアンタ、一体何者なんだ?!」

 名探偵に含みを持たせた言い回しに、工藤新一として苛立ちをぶつける。

「……電話、鳴ってるよ。出なくていいの?」

 工藤新一の質問には答えず、彼女はブロック塀から軽やかに降りた。

「オレの質問にお前が答えたらな……!」
「その電話の相手が答えを知っていると言ったら?」

 またも彼女の策略にハマっている気がしなくもないが、そう言われてしまったら電話に出ざるを得ない。笑みを崩さない彼女から視線を逸らさず、半信半疑で通話に応じる。

『新ちゃんったらいつまで待たせるのよーっ!!!』

 キーン。なかなかの大音量である。

「そっその声は母さん?!」
『はーい! 貴方の可愛い可愛いママですよー!!』
「なんでこのタイミングで電話なんか……どうなってやがんだ!?」

 もちろん有希子の茶番に付き合う余裕なんて微塵も残されていないコナンは早々に真相を求める。そんなコナンに電話口でぶーぶー文句を垂れる有希子の声が遠ざかり、落ち着いた渋い男の声に変わった。

『全て私と有希子が考えたシナリオ通りに彼女に動いてもらったのさ』
「父さん!!?」
「反対したんですよ? 私の第一印象が不穏になるから普通に接触しましょうって。でもそれじゃあドラマ性がないってんで、優作さんと有希子さんが……」
『だあって新ちゃんを驚かせたかったんだもーん!』

 驚くどころか肝が冷えた、なんて言ったら喜ぶだけだ。
 しかしこれで彼女は黒の組織の一員でない事ははっきりしたが、工藤夫妻も絡んでいる彼女の正体は依然として靄掛かっている。

「今度こそ交番に案内してくれるよね? 工藤新一君」

 相も変わらず口元の笑みからは何も読み取れない程完璧なカーブを描いていた。



 米花町二丁目二十一番地はもちろん交番などではなく、工藤邸の住所である。彼女は予め預かっていた鍵で重厚な造りの扉を開け、コナンと共に足を踏み入れた。これで一切の他人の目は遮断される。彼女は自身を解放するように帽子とサングラスを取った。有希子はさっきの電話で彼女の素顔を見ても好きになっちゃダメよ、とコナンに釘を刺していたが、その意味がわかった。その時は何を馬鹿なと笑ったが、艶のあるサラサラの黒髪とスッと通った鼻筋、切れ長の透き通るようなブルーの瞳は彼女にオリエンタルで神秘的な美しさを齎していた。

「私は。よろしくね、新一君」

 が瞬きを繰り返す度に、サファイアには真っ新な輝きが生まれ、コナンの鼓動を速める。有希子があんな事を言い出すから余計に意識してしまう。

「ところで、コーヒーは好き?」

 しかしどれだけコナンが頬を染めて挙動不審になろうが、の反応は意外とあっけらかんとしていた。ただ単に鈍いだけなのか、それとも気づいていながらも気づかない振りをしているのか。まだ数十分程度の付き合いでは判断が出来ない。そんな息子の懊悩を見越して忠告していたとすれば、やはり自分の母だなと痛感する。

 工藤夫妻から家の物を好きに使って構わないと許可を得ていたは、お湯を沸かしてコーヒーを淹れた。彼はアイスコーヒーが好きと聞いていたので、濃い目に抽出して氷を入れて急速に冷やす。注文せずともアイスコーヒーが準備されている事に、コナンは一瞬何か言いたげな視線を寄越したが、すぐに無駄だと諦めた。そうして出来上がったアイスコーヒーを美しい装飾が施された趣味の良いローテーブルに置き、座り心地の良いソファに身を沈める。コーヒーに口をつけるを確認し、コナンも香ばしい匂いを漂わせるコーヒーを口にすれば、乱れた思考が少しだけ冷静さを取り戻してゆく。

「実はこのコーヒー、有希子さんが新一君が好きだからって渡してくれたお土産なんだ」
「母さんが……?」

 どこか照れくさそうにコナンは暗いコーヒーの海に視線を落とすと、は優しく目を細めた。

「ふふ、いいお母さんだね」
「ああ……って絆されねーよ?!」
「あはは、やっぱり?」

 危うくに流されて世間話を始める所であったが、本来の目的は全然果たされていない。自分の詳細は知られているというのに、まだ彼女は名前しか判明していないのだ。コナンの惜しげもない不満顔に、は苦笑を漏らしながら、水滴が流れるコップをコースターの上に置いた。透き通ったガラスのコップと中の氷がぶつかり合って、からんと空虚な音をたてる。

「私は所属する組織の任務で、東都大学の院生として日本にやって来た」
「組織……? 任務って……?」
「need to know……今はまだ言えない。もっとも、新一君の推理力ならそのうちバレてしまいそうだけど……」

 その言葉にはこれ以上の追及は許さないが、調べるのはご自由にという意味が込められていた。即座にの意図を汲み取ったコナンは話題を変える事にする。

「じゃあその大学院生さんが、父さんと母さんを巻き込んでオレに近づいた目的はなんだ?」
「工藤夫妻に協力してもらったのは君の信用を得る為。本来の目的は、私の大事な友を救ってくれたお礼をしたかったんだ」
「大事な……友?」
「出番だ、N」

 すらりとしたパンツのポケットからスマホを取り出して呼び掛けると、明るくなった画面をコナンに見せた。

「やあ、工藤新一」

 白背景の中心にComic Sansの書体ででかでかとNとだけ記載されている。その子供っぽいフォントの割に、スピーカーから流れてくる声は大人びていて、なんともちぐはぐであった。

「な、んでオレの名前……」
「彼はヒロキ・サワダが生み出した人工知能、ノアズ・アーク。私の友で、今はパートナーでもある」

 コナンは驚愕に目を見開く。コナンと彼の父の優作が解決したあの事件が脳裏を過ったのだ。しかし事件解決後、確かにノアズ・アークは自ら命を絶った筈だ。かつてのヒロキ・サワダの様に。けれども、彼は死にきれなかったのである。企てた計画は実行され、仇も工藤優作がとってくれたが、まだもう一つ心残りがあった。天才と持て囃されたヒロキが唯一友と呼べる存在――だ。

はこう見えてすぐ無茶をするんだよ。だから彼女が生きているうちはゆっくりしていられなくてね、サポートする事にしたんだ」
「それでNのDNA探査プログラムで工藤新一と宮野志保の正体、延いては黒い組織との繋がりを知ったわけ」

 Nとの話にやっと合点がいったコナンに緊張が走る。なぜなら自分のみならず、宮野志保の正体もバレてしまっているからだ。はコナンの張りつめた表情を解す様にふわりと微笑んだ。

「安心して。この件に関しては完全に私の単独行動。君達の情報をどこかにリークするつもりもない。言っただろう? お礼がしたいと。だから私とNは協力者として君の前に現れた。もちろん宮野志保の身の安全にも尽力する」

 本来であればNは悪用されぬように消滅した方が世の為なのかもしれない。それでもNは自分にかけがえのないものをくれたを助けたかった。も今度こそヒロキとノアズ・アークを護り、共に在ることを望んだ。そして彼らを救ってくれたコナンが追っている組織がも追っている組織と知り、今度は自分が助ける番だとはNと共にまずは工藤夫妻とコンタクトを取った。そこで夫妻の意向や自分に課せられた日本での任務も相まって、彼らの息子の工藤新一を全面的にバックアップする運びとなったのだ。

「そうそう、彼の事は親しみを込めてNと呼んでくれると嬉しいな」

 彼のNという名前には三つの意味が込められている。Noah's Arkの頭文字と、Hirokiの頭文字(Hは崩すとNになる)。そしてもう一つはneutral(中立)。これはNという存在がノアズ・アークあり、ヒロキ自身でもある――neutral(中立)である事を意味している。また、このNという名前には、IT業界で名の知れている彼らの存在を悟らせない為の一種の防衛策でもあった。

「改めて……ノアズ・アークを、ヒロキを助けてくれてありがとう。探偵さん、これからよろしくね」

 はまるで服従するようにコナンの前で跪いた。見た目は小学生で、実年齢でも下である筈のコナン相手に、だ。きっと彼女にとって見た目や年齢など関係ないのだろう。その潔さに心臓が跳ね、真っ直ぐに見詰めてくる海の様に深い瞳に呑まれそうになる。母親の惚れちゃダメよ、という言葉が頭の中で反芻される度に、その瞳の色は反則だと言い訳を繰り返す。彼が海の底から這い上がってくる頃には、きっとアイスコーヒーの氷も全て溶けきってしまうだろう。






N/A
(デイジー・ベルでも歌おうか)






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