※組織潜入時代~沖矢昴変装前まで
※前半名前変換なし、固定名のモブキャラが出演
※任務云々等は適当。とにかく捏造の嵐。さらっと流し読んで下さい
名前も性別も定かではない。sheでもheでもなく、theyと表記される者。仮名として、Xとする。もちろんXとは未知という意味で用いている。そのXとは、黒の組織に潜入しているFBI捜査官赤井秀一を裏でサポートする人物だ。不測の事態にも機転を利かせられる作戦指示、迅速な情報収集能力と分析力、豊富な専門的知識に赤井は密かに感服していた。これ程の人物だ、些か興味や好奇心を抱いた時期もあったが、余計な私情を挟まない為Xのプライベートを詮索する事は許されなかった。だからいまだに赤井とXを繋いでいるのは電子機器のみだ。必要に応じて電話もするが、音声は変えられている。ここまで徹底されると、もしやXはロボットではないかと疑ってしまうのも無理はないだろう。だってXの姿形すら見た事がないのだから。しかしもちろんXはロボットではない。その証拠にXは一度ミスを犯した。Xにしては珍しいので赤井はよく覚えている。内容はこうだ。Xは敵ビルのfirst floorの暗証コードについての資料を送ってきてくれた。そこの暗証コードは一度でも間違えると敵に通知が送信される上、新しい暗証コードに変わるシステムだ。新しい暗証コードを知る為には組織の専用電話を使って直接問い合わせるしかない。
「エラーだ」
監視カメラはXがハッキング済、ロックが掛かっているドアの前の見張りも赤井が速やかに寝かせた。だが肝心の暗証コードが違う。エラーが出たら10分以内に専用の電話でコールしなければ、敵がアジトに向かってくる事になっている。事態は逼迫しているというのに、当の赤井は落ち着いていた。なぜなら――
『問題ありません。起こりうるケース、最悪のケース全てを常に予期して動いています。2分お待ち下さい。』
――Xならばそう返答してくると思ったからだ。数々の仕事を共にこなしていた赤井とXの間には、お互いに対する信頼が積もりに積もっていた。
『……確認ですが、現在あなたが居る階は1階でしょうか。』
「そうだ」
『わかりました。申し訳ありません、もう1分お時間を頂きます。』
ほんの少しだけXの声に感情のブレがあったような気がしたが、今それを口にするのは非常にナンセンスである。自分はただXの指示を待ちつつ、周囲の気配に注意するだけだ。
『ロック解除完了。先程と同じ暗証コードを入力して下さい。突入後、最奥のデスクトップを起動。起動を確認したら、1分半以内に脱出をお願いします。窓からの狙撃にはご注意を。』
「了解」
いつも通りの的確な指示と、冷静かつ無機質な声色だった。
多少のトラブルはあったが、難なく切り抜けて任務を終えた赤井は、ハイウェイをかっ飛ばしながら煙草をふかしていた。助手席に転がっていた携帯が着信を告げる。片耳にイヤホンを突っ込んで応答した。Xから電話だ。いつもの男か女かわからない機械音声が流れる。
『本日は大変申し訳ありませんでした。』
「……お前は随分馬鹿正直だな。黙っていれば俺は何も言わなかった」
『その場凌ぎの誤魔化しは、今後の信用に大きく響きます。』
暗証コードエラーの原因はXにあった。今回の任務でXが作成した資料に記載されていたfirst floorは、アメリカでは1階だが、イギリスでは2階を指している。つまり、赤井はXが入手した2階の暗証コードを1階で入力した為に、エラーになってしまったのだ。だからあの時Xは階を確認した。そして敵が動く10分以内に赤井がビルでの作業を終わらせられるよう、無理くり暗証コードを変更するのにもう1分時間を延ばしたのである。本来ならばもう少々赤井にしてもらいたい作業があったのだが、いつ敵がやってくるかもわからない状態で自分が犯したミスを拭ってもらう訳にはいかなかった。だからXは赤井を逃がした後、鬼の様なスピードで敵の情報を入手し、且つ二度とデータを復元出来ないようにウイルスをばら撒いておいた。
「1つだけ質問がある」
『仕事に関する質問であれば何なりと。』
「ああ、重要な質問だ……お前はイギリス出身か?」
『私自身に関する質問にはお答え出来ません。』
「いや、仕事の話だ。言い方を変えるぞ。お前は、クイーンズ・イングリッシュを使うのか?」
気にはなってはいたのだ。何度かapartmentをflat、gas stationをpetrol stationと言いかけている点、どこかの訛りが混じっている気もするが、割と母音が綺麗に発音されている点。はじめは赤井が英国出身であるから気を遣ってくれたのかとも思ったが、今日の出来事から推測するに、どうやら素だったらしい。
『……いいえ。今後このような事が起らぬよう対策をまとめて「そんなものはいらん。過失の割合は50:50だ。確認しなかった俺も悪い。これで話は終いだ」
Xの反論を聞く前に赤井はぶつりと通話を切り、再びタバコに火をつけた。
名前も性別も年齢もいまだに一切不明で、ロボット疑惑まで浮上していたXであるが、今回のミスでXはこの世に人間として存在している確証を得られた気がした。そればかりか、赤井同様イギリス出身である可能性が高いという情報まで得られた。同郷という共通点だけでXとの距離が縮まった気がして、なぜだかいつもよりもタバコが美味しく感じるのであった。
任務中、今度はミスというよりも、またもXの情報を得る出来事が起こった。
組織の命令通り潜入して目的を果たしたのはいいが、組織が掴んだ情報が古かったのか、記憶していた建物の構造と食い違いがあり、道に迷ってしまった。潜入されている事になど気づかずに、のうのうと廊下を歩いている間抜けな三下から情報を奪おうにも、どいつもこいつも訛りの強いスペイン語で話をしており、残念ながら赤井のスペイン語の実力では理解出来なかった。
「至急頼めるか」
『問題ありません。』
クソの役にも立たない情報を持ってくる組織よりも、Xと連携した方が早いと踏んだ赤井は迷わず連絡した。その判断に間違いはない。案の定1回目のコール音の途中で電話に出たXは、赤井の一言で状況を把握した。
「脱出経路を確認したい」
『では、このまま口頭で誘導します。万一通信が途切れた場合に備え、最新の地図を送っておきます。念の為、大まかな構造を確認して下さい。今から1分後、作戦を開始します。』
「了解。それと、訛りの強いスペイン語はわかるか?」
『はい、そちらも問題ありません。あなたは可及的速やかに脱出する事だけに注力して下さい。』
Xは露程の動揺もないまま、1分経過後、現刻をもって作戦を開始すると赤井に告げた。もちろん任務はあっさりと終わった。恐らく今回赤井に誤情報を渡したのは作為的なものだろう。組織が赤井の実力を試したと考えるのが妥当である。そして見事任務完了させた赤井の株は上昇し、また一歩組織の中枢へ近づけた。
「なんだ?」
黒の領域から外れた所でXから着信だ。
『今よろしいでしょうか。』
「問題ない」
Xはよく問題ありませんというワードを使う。だから赤井にはとても機械的なワードに聞こえる。たとえ自分の肉声に乗せても、ドライで素っ気無いワードに変わりなかった。
『あなたに私の言語能力について伝え忘れていました。』
Xは天才的なハッカーのうえ、痕跡を残さない。赤井の携帯もXに半分掌握されており、Xからの着信やメール、終わった任務の資料は一切残されずに消去される。赤井の携帯に残されているのはXの電話番号とメールアドレスだけであった。故に、こうしてXは口頭で赤井に情報を伝える事がままあった。
『今後の任務にお役立て下さい。』
それから聞かされたXの言語能力の高さには、流石のFBIのエースも舌を巻いた。即座にXが対応できるものを列挙するだけで、いくつもの言語が出てきたのだ。スムーズに会話や読み書きも出来る言語は母国語の英語はもちろん、日本語、ロシア語。読み書きは時間が掛かるが、スムーズに会話が可能なのはスペイン語やフランス語、アフガン方言でのペルシア語やパシュトー語。日常会話であればイタリア語やウルドゥー語なんかも話せるらしい。また1つ、赤井のXファイルが増えた。確かにこれだけ脳内に言語の引き出しがあれば、first floorも間違える訳だと腑に落ちたのだった。
「これは驚いたな」
『こちらとしては、常に冷静沈着な赤井捜査官が驚く事に驚きです。』
「ホー……お前は俺をロボットか何かだと思っていたのか?」
それこそ50:50だ。赤井もXをロボットだとほんの僅かでも疑っていたのだから。そんなXにわざわざロボットなどというワードを無意識に持ち出すなんて、我ながら趣味が悪い。
『申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました。以上で報告は終了です。……良い休日を』
人間だろうがロボットだろうが、ガス抜きは必要だ。Xとの電話が終わった直後、日付が変わった。仕事から休日へ――こんな所まで機械染みている。いや、もうこの話は止そう。既に休日だ。久しぶりの休日の予定は決まっていない。だが、今すべき事は決まった。思いっきりタバコを吸う。死ぬ程うまいに決まっている。
それから赤井は黒の組織からライというコードネームを与えられ、やっと組織の中心幹部であるジンとの仕事に漕ぎ着けた。そのジンとの待ち合わせの際、捕獲作戦を決行しようとしたが、残念ながら失敗に終わった。そればかりか組織にNOCと勘づかれてしまい、赤井は組織を脱退せざるを得なくなった。赤井の潜入捜査終了は、即ちXとの奇妙な関係の終わりを意味する。元からXとは黒の組織に潜入している間のみの、期限付きの関係であったのだ。任務が終わった時点で、Xに関する情報は跡形もなく抹消。きっとXにとって、最も簡単な仕事だっただろう。ただ赤井の携帯から自分の連絡先を消すだけでいいのだから。当然別れの言葉はなかった。余りにも呆気なさ過ぎて、本当にXは存在していたのかと疑うくらいだ。もしかしたらXは自分の幻想なのかもしれないと錯覚するくらい、Xが存在していた証拠は塵一つ残されていない。これこそがXの狙いだとすれば、その作戦は成功だ。流石X、抜け目ない。しかしその完璧な思惑こそ、Xが存在していた確たる証拠となる。まんまとXの術中に嵌った赤井自身が、Xが存在していた唯一の証拠なのだ。
黒の組織の潜入任務が終わった赤井はしばしの休暇を与えられた後、米国の職場へと戻った。また黒の組織の捜査をしつつも、七面倒臭い雑務をこなす日々だ。黒の組織に潜入していた時は事務作業をXが担っていて、自分はXに報告をするだけでよかった。常に敵の中に身を置く重圧や緊張は負担にはなっていただろうが、膨大な事務作業量を考えると、今の方がよっぽど心身にストレスを掛けているかもしれない。黒の組織にいた頃、自分がどれだけXにサポートされていたかを痛感する。赤井は紫煙と共に溜息も吐き出し、増えていくタバコの吸い殻をいつ捨てに行こうか思案するのだった。
潜入捜査直後は時折思い出していたXの存在が薄れてきた頃、赤井は新人捜査官とサイバー対策部隊から派遣された女とスリーマンセルを組む事となった。新人捜査官のコナー・デッカートは、短髪のプラチナブロンドを携えた堀の深い顔立ちをしており、なかなかのハンサムで評判の男だ。決して悪い奴ではないが、自信家で少々傲慢な性格なのが玉に瑕である。素行こそ難はあったが、アカデミーでは優秀な成績で卒業した完璧な実力主義者で、籍を置く部署内でも赤井を含めた数人の捜査官にしか素直に命令を聞き入れない時があった。その為新人教育も兼ねて、必然的に赤井と組むことは多かった。一方派遣されてきた・はどこかエキゾチックな顔立ちに、艶のあるサラサラの黒髪と碧眼が特徴の女だ。詳細な経歴は不明だが、どうやら高いハッキング能力と言語能力を買われて今回の任務に抜擢されたらしい。へたに優秀なのが裏目に出て自身の精神的未熟さに気づいていない新人捜査官と、初対面で実力もよくわからない得体の知れない女――完全にお守り役だ。タバコだけは切らさないように新品を持っていこうと赤井が決意した瞬間であった。
「君は助手席に乗ってくれ」
赤井は現場まで向かう車の後部座席に乗り込もうとするを呼び止め、助手席へと促した。特に断る理由もなかったはそのまま助手席へと身を収める。運転手のコナーは、こんなティーンみたいな可愛らしい子を隣に乗せてたら逮捕されるんじゃないかと軽口を叩いていた。そのジョークに(困り果てて)笑っていたのはだけだったのは言うまでもない。
「――それで俺は言ってやったんだ、そんなモンはクソくらえだって! そしたらその鬼教官が、明日までにリーダーシップについてのスライドを作成してプレゼンしろなんて言いやがったんだ! ムカついたからお望み通りパーフェクトなプレゼンをしてやったら、最後に鬼教官はなんて言ったと思う?」
「うーん……なんて言われたんです?」
「よくやった、ってな。そこで俺はようやく気付いたんだ。その鬼教官はわざと俺が反発するような物言いをして、俺に身をもってわからせるようにしたんだって」
いい加減にしろ。ここは幼稚園じゃねえんだ。中身のない自慢大会はよそでしてくれ。
もちろん赤井がそんなことを口走った日には、士気は下がるし場が凍るしで良い事がないのは明白だ。仕方ないので大人しく今回の事件の資料を読み直す事にした赤井は、資料の入った封筒がどこにあるのかコナーに尋ねた。
「あれ? 後ろにありませんでした?」
「ないから聞いているんだ」
「では、宜しければこちらをご活用下さい」
はそう言って赤井に封筒を差し出した。封筒にはサイバー対策部隊と記載されている。
「これは君の部署の機密事項が含まれているのではないか?」
「問題ありません。これは念の為、共に任務にあたる捜査官用にまとめたものです」
「ヒュウ! そんなもの準備しとくなんて気が利くね!」
「私が思うリーダーシップとは、有能な人間を取り上げ、その方がベストを尽くせるように補佐する事です。だから起こりうるケース、最悪のケース全てを常に予期して動くようにしているんですよ」
問題ありません。起こりうるケース、最悪のケース全てを常に予期して動いています――久方ぶりに思い出した声は、やはり少しも色褪せない機械音で、赤井は反射的にを見詰めていた。は赤井の視線に気づいていないのか、また始まったコナーのくだらない話に延々と耳を傾けていた。無感動な声と一時は本当に人間かも怪しむ程あやふやな存在のXとは違い、感情の乗った鮮やかな声と表情では赤井の目の前に存在している。そうだ、全然違う。まったく別の生き物だ。どこか高揚する期待と、その期待を否定する気持ちが濁流し、赤井に暗示を掛けさせる。
「はベースボールは見るのか?」
「ベースボールも好きですが、どちらかというとフッ……サッカーの方がよく見ますね」
「気になってたんだけど、の生まれはイギリスかどこかか? 発音やアクセントがそっちっぽいというか……今だってフットボールと言いかけてたし」
「ええ、実はイギリス出身なんです。こっちにきてしばらく経つんですけど、なかなかイギリス英語が抜けないうえに、へんに訛りまで混ざってしまって……以前よりは減りましたが、いまだに資料を見直すとイギリス英語を使っている時があるんですよ」
の言葉だけはきちんと耳に入れながら資料に目を通していた赤井は『first floor,second floor,third floor』の記載を見つけた。この資料ではきちんとアメリカ英語のようだ。この資料といい、今のの話といい、やはり酷くXを彷彿とさせた。サイバー対策部隊から派遣された女、・――お前は一体誰なんだ。
今度はXがロボットか人間かではなく、がXかどうかの疑念が頭を擡げた。しかしその疑念もすぐに掻き消される。目的地に辿り着いたのだ。
今回の任務は、昨日制圧したロシアンマフィアのアジト内にあるPCから武器入手ルートを調べるという内容だ。捕らえた組員の話によれば、重要なファイルのパスコードは末端には教えられていないし、PCを移動させたり、無理に情報を抜き取ろうとすれば即座にデータが抹消されるシステムになっているらしい。しかもご丁寧にセキュリティプログラムはロシア語で書かれているときた。そこでハッキングとロシア語の能力を兼ね備えたに白羽の矢が立ったのだ。なぜだけで十分な任務であるのに、赤井達も一緒に連れてこられたかというと、コナーには知らされてはいないが、新人教育の一環であった。これから他部署との連携も多くなるので、他部署の人間がどのような仕事をしているのか見る機会を設けたのだ。だからこそ赤井もわざとをコナーの隣に座らせ、コミュニケーションを取ってもらった(単純にコナーの相手が面倒という理由も大いに含まれてはいるが)。が容姿の整った女性だった事もあって思いの外コナーは騒がしかったが、赤井自身収穫があったように思える。
「、それスペイン語じゃないか?」
問題のPCが置いてある狭い部屋で画面と睨み合っているの背後からコナーが声を掛けた。
「問題ありません。ロシア語程速くはないですが、スペイン語の読み書きも出来るので」
「へえ……さすがの俺もさっぱりだ。スペシャリストってのは、の事を言うんだな」
「あははっありがとうございます。優秀とお噂のコナー捜査官に褒めて頂けるなんて嬉しいですね」
Xが電話を掛けてきたあの夜、最後の『良い休日を』という台詞がやけに赤井の耳に残っていた。声としてはただの単調な機械音だし、月並みな別れ文句であったが、どういう訳かいつも義務的なXの声が、疲労の溜まっていた赤井に優しく沁み込んだのだ。あの時のXも、今のと同じ様に穏やかな笑みを湛えながら柔らかな声を出していたのだろうか。今となっては確かめようもない。
「もう少し掛かるか」
「あと15分程お時間を要します。もしよろしければ、外で一服なさってきて下さい」
部屋の外で待機していた赤井が声を掛けると、はにこりと愛想良く微笑んだ。
「こそ休憩した方がいいんじゃないのか?」
「問題ありません。一気に集中して終わらせてから、ゆっくり休憩させて頂きますので」
問題ありません――か。
赤井はコナーを連れて部屋を離れた。外に向かって赤井とコナーが歩いていると、コナーが興奮気味に語り始めた。
「のようなスキルのスペシャリストも凄いですが、俺はやっぱり赤井さんのような今も最前線で活躍する狙撃のスペシャリストに憧れるんですよね!」
「……そうか」
「アカデミーでは銃の扱いはトップでしたし、将来的には赤井さんのポジション狙ってるんで、色々吸収させてもらいますよ!」
どちらかと言えば寡黙な方である赤井は、よくもまあべらべらと舌が回るものだと感心していた。ちなみに話は半分も聞いていないが、適当なタイミングで赤井が相槌を打っているからか、特段気にするでもなくコナーは喋り続けている。未開封のタバコを持ってきた甲斐があった。
コナーの話に付き合いながら何本目かのタバコが吸い終わり、そろそろ頃合いかとの元へ戻ろうとした時分に事件は起きた。敷地のどこかで爆発音が起こったのだ。もしかしたら残党の仕業かもしれない。すぐさまコナーは走り出した。その背中に赤井の制止の声は届かない。今コナーの鼓動は激しく脈を打ち、頭には燃え滾る熱い血が上っていた。拳銃を構えての居る部屋に近づきながら「!! 無事か?!」と強く声を響かせた。
「Get out!!!!」
の怒鳴り声にコナーが一瞬怯むと、彼の肩に衝撃が走った。撃たれたのだ。
「っう、あああああ゛あ゛!!!!」
コナーは酷く動揺した様子で雄叫びを開けながら、間髪入れずに弾が飛んできたであろう方向に向かって発砲した。何度も、何度も。コナーはトリガーハッピーに陥っていたのだ。やがて撃ち尽くすと、今度は敵がコナーに狙いを定めて殺す気で撃ってくる。
「Dammit!」
部屋から飛び出したはコナーの前に飛び出して鉛玉を受け止めると、血を噴き出した。その血の量を見て仕留めた気になった隙を突いて、は敵の肩を撃ち抜き、拳銃を拾わせないように威嚇射撃を行いながら逃げ惑う敵を確保して締め落とす。すると、すぐに赤井を含めた味方が駆けつけてくれた。その味方に敵を引き渡したがやれやれと立ち上がろうとすると、その動作の衝撃が肋骨に響いて、思わず小さく唸り声をあげて固まった。肋骨が何本かイッた感覚だ。いや、大丈夫だ、問題ない。ゆっくり動けば痛みは少ない。浅く呼吸を何回か繰り返して今度こそ立ち上がろうとすると、挙動がおかしいに目敏く気が付いた赤井が彼女の肩を掴んだ。
「っお前、血が……!?」
「あ、いえ、問題あ「問題ない訳ないだろ!!」
あの赤井が声を荒げるなんて誰が信じよう。中途半端に立ち上がろうとした姿勢でしゃちこばるは、目を丸くして唖然としていた。赤井はそんななんか放って、素早く横抱きにしてから長い足を駆使してずんずん進んでいく。正直自分で歩くよりも振動が激しくて痛い。だからは自分のペースで動きたかったのだ。無論赤井が切羽詰まる理由もわかる。さっきの爆発音が原因なのか、建物内には成分不明の煙が蔓延し始めており、一刻も早くここを離れるべきなのだ。だが、明らかにを重症者扱いする赤井に弁解だけでもしようと口を開くと「あの、この血は私のではなくて「いいから少し黙ってろ!」一蹴されてしまった。なんなら舌打ち付きだ。さっきから碌に喋らせてもらえない。
ボディアーマーを着用していたは、肋骨数本の不全骨折で済んだ。赤井に抱えられた際にも言おうとしていたが、噴き出していた血はが予め仕込んでおいた血糊である。実際は内臓損傷や合併症もなかったので、入院はせずに胸部を固定されたのみだ。また、コナーはと違って傷自体は軽傷で済んだが、かなり取り乱していたので精神科を受診していた。新人捜査官だろうが、たとえベテラン捜査官であろうが、発砲されてパニックになるなんて、いつだって十分にあり得る事だ。赤井も、そしても、そんなトラウマを抱えて辞職していった者を何人も見てきた。しかし、あれだけ捜査官として希望に満ち溢れ、将来に強い想いを馳せていたコナーだ。なんとか立ち直ってくれる事を願うばかりである。
「すまなかった」
本部に向かって車を走らせている赤井は正面を向いたままに謝罪の言葉を呟いた。は視線のみを横に動かして赤井を見遣り、そしてまた正面を向けた。実にシンプルな赤井の謝罪にはあらゆる意味が込められているのを感じたは、それを念頭に置いて応えた。
「赤井捜査官が謝る必要はありません」
ロシアンマフィアが残したデータを読み解いていくうちに、もしかしたらこのアジトに襲撃してくる人物が現れるかもしれないと予見していた。
がセキュリティを解除して得たデータは、既にFBIが掴んでいた情報ばかりであった。本当にこの拠点は末端の末端らしい。ここが潰されても、きっと大元の組織は痛くも痒くもないだろう。真新しい情報といえば、コナーが画面を覗き込んできた時に見ていたスペイン語で書かれた研究資料のみだ。余程熱心に研究していたのかデータ量は膨大で、難解な専門用語も多く、いつもより読解に時間を要した。しかも内容を理解出来る人間が見たら、このデータがいかに貴重なデータであるかがわかる。生憎こんな末端組織では、その有用さはあまり理解されなかったみたいだが。しかし、もしこのデータを盗んだアジトがつい昨日制圧されたと知ったら、この研究者はどう思うだろうか。世に露見した日には、研究者として終焉を迎える事は必至。そうとわかれば早々に上司に報告しようとしたところに、襲撃事件が起こった。データの解析を終えたは、この騒ぎがマフィアの報復ではないと読んでいた。多分相手はどうにかして自分の研究データを取り戻したい研究者――素人だろう。人数までは憶測の域を出ないが、この戦い方では恐らく単独犯か、多くても4人くらいか。間違ってPCを壊さないようにスタングレネードやスモークグレネードを使いつつ、陽動や攪乱も狙うあたり、多少なりとも頭の回る少数精鋭での犯行と思われる。得物を捕らえて気を緩めているFBIを奇襲で翻弄したのだから、覚悟を決めた人間は実に恐ろしい。そう、戦場で最も計算出来ないものは戦意だ。どれだけ敵や味方が強大な戦意を内在していても、それがいつどうやってどんな方向に転ぶかは誰にもわからない。だからこそ敵の出方をある程度読んでいたは計算されたリスクを犯し、コナーを庇って動いた。その行動は向こう見ずであることとはまったく異なるのだ。
「お前は俺と組んでいた時も、敵の動きを予想して作戦を立てるのがうまかった。まさか実戦の方もここまでとは思わなかったがな……」
「私は赤井捜査官と組むのは初めてですが?」
「俺が以前潜入捜査をしていた時、バックアップしてくれた奴がいた」
「その方が何か……?」
「甚く優秀な奴でな……君が死んだら二度とソイツに会えなくなる気がして、つい余裕をなくして恫喝してしまった」
今度こそは視線だけでなく、顔を赤井に向けた。赤信号で車を停止させた赤井も顔を横に動かすと、視線がぶつかり合う。
「――お前なんだろ、・」
オリーブの瞳が真実に辿り着いた色に染まっていた。
「……いつからお気づきに?」
「最初から違和感はあったんだ。初対面の挨拶の時に、お前が求めてきた握手は左手だった。コイツも俺と同じレフティかと思ったが、コナーには右手を差し出していた」
「……それから?」
用意周到に準備された資料、問題ありませんという口癖やXに似た発言、イギリス出身とクイーンズ・イングリッシュ、高度なハッキング能力とロシア語やスペイン語などの言語能力、一度も喫煙姿を見せていないにもかかわらずタバコ休憩を促す態度――
「ここまで露骨にされたら猿でも気づくさ。お前の事だ、わざと俺にバレるように行動していたんだろ?」
「全くもって仰る通りです」
どこか嬉しそうには笑みを浮かべた。赤から青に信号が変わり、車が滑らかに動き出す。肋骨が折れているを気遣い、なるべく振動を与えないように運転してくれているのがわかる。
「あれだけひた隠しにしていた正体をどうして晒そうと思ったんだ?」
「……懺悔、したかったんです」
本来に今回の任務の予定はなかった。だが、昨日制圧されたロシアンマフィアの情報解析を出来る人材がたまたましかおらず、なんの因果かあの赤井秀一と共に任務にあたる事になってしまったのだ。そんな偶然が重なっていなかったら、従来通り赤井とは顔を合わさないまま長期任務に入る予定となっていた。もちろんこのまま密やかにXを永遠に消すことも出来た。しかしはこんな機会を与えてくれた神様に、全て吐き出してしまいたくなったのだ。
「守秘義務があります故、これから話す事は全部私の独り言です」
太腿に置かれた固く結んだ両手を見詰める瞳の色は何色だったろうか。パッと思い出せるほど赤井はを知らなかった。
「私は1人の男の人生を滅茶苦茶にしました」
――黒の組織の中枢を探る潜入捜査官に選ばれた男は、FBIきっての切れ者だった。私はその潜入捜査官のサポート役を上から言い渡された。まずは組織に近づく為、組織と繋がりがあると判明した宮野明美に取り入る作戦を立てた。彼には当時付き合っていた女がいたのは調査済であったが、組織に怪しまれずに近づく手段として、情が移りやすい女は手っ取り早かった。そうして彼は犠牲を払ってまで、宮野明美と付き合った。そこから彼は組織内でうまく立ち回り、めきめきと頭角を現してコードネームを貰うまでになった。だが、万事上手くいくかと思われた潜入捜査は失敗に終わった。組織に追われた彼は宮野明美と別れ、そして後に彼女は殺された。終わってみればその男には何も――
「安易に人を利用したのが、そもそもの過ちの始まりだったのです」
「……今更懺悔して、その男に赦しでも請うのか?」
冷たさも、あたたかさもない無情にも感じる声であった。「いいえ」駐車場に車を停止させると、いつの間にか空の大半が闇に喰われている。
「私に赦しなどいりません。ただ……これまでと、これからの行いに対して一切謝罪しないことを謝ります」
闇の勢いに負けない輝きを発するブルームーンが赤井を捕らえた。瞼を落とすと、満月から新月へと変わり、そしてまた満月に変わる。
「振り返りはしない。先に進む為に悔い改めて糧にする事はあっても、決して今までの行いに謝罪はしません。謝罪してしまえば、全て無になる。だから何もかも背負って生き抜いてやる。たとえあなたに殺したい程憎まれようとも」
誰かが言った。苦しみに耐えることは、死ぬよりも勇気がいる――と。
静かに車から降りていったの背中を、赤井は小さくなるまで見詰めていた。さっきまで目を奪われていたの存在を強く刻み込むように。
「ねぇ……ちょっと話しない?」
杯戸中央病院の屋上で佇んでいた赤井に声を掛けたのはコナンであった。どうやって黒の組織を迎え撃つか作戦会議に来たのだ。
「それと、ボク達に協力してくれるおねーさんがいるんだけど……」
雲に隠れていた月が再び顔を出し、彼女の瞳を照らす。その瞳の色はあの時と同じだった。
Can You Keep A Secret?
(私はあなたを生かす為にあなたを殺す……もう一度、あなたの人生を滅茶苦茶にします)
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