蜜雨

 あなたの指先から放たれる矢に心蔵が何度も何度も突き刺さり、何度も何度も殺されそうになった。あなたの声が好きで、聞きたくて、ただの哲さんの後輩という立ち位置でしかない俺は、自分でその声を引き出すことができなかった。後ろ姿を眺めるだけでもよかった。むしろそのピンと張り詰めた背中を見つめるのが好きだった。

「お前それただの変態じゃね?」
「うるせーな、自覚してるわ」
「ヒャハハ! 毎日朝練終わって着替えもせず、いそいそと弓道場行くお前それなんて通い妻?」
「はっはっは、健気だろ?」
「開き直るなストーカー」

 俺の前の席をさも自分の席のように陣取っている倉持は完璧に面白がっていた。
 普段からよく飄々としてあまり感情を出さないと評価される俺が、こんなにも情けなくなっちまうのは先輩(実際に呼ぶ時は先輩)絡みだけだ。自分にこんな一面があるとは思わなくて、まだ上手くコントロールできていない。自分はもっとうまく恋愛をするものかと思っていた。もっとうまく立ち回れると思っていた。それなのに倉持に不器用と不名誉なことを言われる始末だ。

「こんな奴に好かれちまった先輩かあいそー」
「お前いつから先輩なんて呼んでんだ?」
「うっわ、器ちっせえ!」
「おい、茶化すな」
「顔近ぇよ! 気持ち悪ぃ!!」

 先輩とは1つ上の弓道部の主将で、哲さんの幼馴染のことだ。ちなみに哲さんとは家が隣同士で、窓からお互いの部屋に行き来ができるらしい。
 どんな少女漫画だ。純さんもびっくりだよ、近くにそんな設定抱えたふたりがいて。

「この間亮さんと先輩が話してるとこに丁度通りかかって、亮さんに挨拶したら先輩が「え、亮介って後輩から亮さんなんて親しげに呼ばれてるの? え、こんなに毒舌で性格悪いのに?」って言ってて、亮さんが「毒舌で性格悪くても人望があれば自ずと後輩はついてくるからね」っつって、俺がなんの話だ?って首かしげてたら亮さんが「ただでさえ遠巻きに見られてるのに、部長になったら更に悪化したみたいで、他の2年は後輩から名前で呼ばれてるのに自分だけ先輩って呼ばれてるの気にしてんの」て丁寧に説明してくれて、先輩は「私そんなに近寄りがたい?」ってほぼ初対面の俺に聞いてきて、さすがに話しか聞いたことない先輩に対してはいそうですねなんて言えねーから亮さんに助けを求めたら「じゃあ倉持呼んであげなよ、先輩って」って雑に俺に振ってきたんだよ。そんな馬鹿な話あるかって先輩見たら心なしかそわそわして期待した目でこっち見てくんだよ。なんだこの罰ゲーム超亮さんニヤニヤしてっしクソ、とか思いながら最後には先輩って呼んであげた俺はむしろ被害者だろ。ただひたすらに巻き込まれただけだったわ。それからこれからもそう呼んでねって言われたから先輩って呼んでんだよ」
「俺だって亮さんのこと亮さんて呼んでますけど?」
「いや、知ってますけど?! なんなのお前!!!」

 後日倉持は亮さんから先輩が名前で呼ばれない理由が、ひとりだけ実力がありすぎて後輩が恐れ多くて名前で呼べないということを聞いたらしい。確かに全校集会で何回も個人優勝で表彰されているのを見たことがある。朝練だって弓道部はないはずなのに、ほとんど毎日自主的にしている。そんな先輩は他の部員からすれば少し浮いているのかもしれない。だからと言って嫌われているとかそんなんではなく、クールビューティーな先輩を後輩達は崇めているようだった。後輩にとっては実力もあって落ち着いていて大人っぽくて憧れの先輩だが、同学年の亮さんから見れば、どんくさくて抜けていて危なっかしいという低評価っぷりだ。

「なんで先輩と話したの黙ってたんだよ」
「御幸がメンドクセーからだよ。つかお前先輩て対抗心剥き出しじゃねーか」
「倉持が先輩のこと狙ってるから」
「狙ってねーよ。狙うの得意なのはお前だろ」
「いや、今回は狙いうちされた方」
「いや、誰がうまいこと言えっつったよ」



狙いうち(弓をきりきり心臓めがけ)






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