蜜雨

 今日はツイてねえ。

 朝練に寝坊してずっと外周させられるわ、今日の日付が俺の出席番号だからって授業で3回も当てられるわ、狙っていた購買部の数量限定パンは俺の前の奴で売り切れるわ、散々だ。仕方なく別のパンを買って教室へと荒々しく足を運んでいると、朝から俺の不幸を笑う御幸のヤローがヘラヘラしたツラで近づいてきた。ぶん殴るぞ。そんなイライラを感じ取った御幸は、すぐに俺が目当てのパンを買えなかったことを察し、更に口角を上げた。

「今日みてーな日もあるって、諦めろ倉持」
「るせぇ、その顔ヤメロ腹立つ」
「はっはっは、人の不幸はなんとやらってな」

 気持ち悪ぃくらい満面の笑みを浮かべながら、御幸は自販機で買ってきた紙パックのウーロン茶にストローを差した。ムカついた俺はそのパックを横から奪い取り、一気に飲み干してやる。

「あ、てめっ!」
「ヒャハハ!」

 悔しそうに顔を顰める御幸を横目に空になったパックを握り潰すと、少しだけ気が晴れた。ざまーみやがれ。
 それから御幸の小言を聞き流しながら教室に向かっていると、家庭科室から出てきた先輩とバッタリ会った。どうやら片付けに手間取っていたようで、昼休みに食い込んでしまったらしい。俺らを見つけた先輩はクラスメイトに先へ行くよう伝え、駆け寄ってきてくれた。

「御幸君、倉持君! いいところに!」
先輩……!」

 背筋を伸ばして顔と声を先輩用に一瞬で仕立てた御幸に寒気が走るが、目の前の先輩に全力投球の御幸の目には当然入らない。声が上擦ったり、露骨にうれしがらないよう取り繕ってはいるが、見る奴が見たら一目瞭然なほど態度に出ている。いつもの人を喰ったような物言いはどこいきやがったんだ。それくらい御幸の豹変っぷりはわかりやすかった。普段からその可愛げをちょっとでも出してりゃ、もう少しチームメイトとうまくやれそうなモンだが、あの御幸がそんなことしたら槍が降るだろう。

「さっき家庭科の授業でクッキーとマフィン作ったの! よかったら食べない?」
「ぜひ頂き「あー先輩スンマセン、コイツ甘い物苦手なんスよ」
「なっくらも「えっごめん、そうだったんだ! じゃあ御幸君にマフィンは甘すぎるかあ……」
「俺もらっていいスか?」
「もちろん! メープルマフィンだからわりとしっとりしてるし、美味しく出来たと思うんだー!」

 俺の言葉を撤回しようと御幸が口を挟もうとするが、テンポよく進む俺と先輩の会話に入ってこれない。無邪気に笑う先輩を前に、しどろもどろしてる御幸はなかなか見物だ。

「御幸君、クッキーはあんまり甘くないと思うんだけど……どうかな? 食べ「食べます! ありがとうございます!!」

 先輩の申し出に食い気味に答える。必死か。先輩は少しびっくりしながらも小さく笑いながら、袋へ小分けにしたクッキーを御幸に渡した。っとに、マジでなんでこんな好きだっつー感情むき出しなのに先輩は気づかねーんだか。あ、対先輩だと大体御幸はこんなだから比較できねーか。普段の御幸を見たらどう思うんだろうな、先輩は。

「もしかしてお腹空いてた? ごめんね、ちょっとしかなくて……哲と亮介とクリスにあげる約束しちゃったからさ」
「いえ! そんなことないですありがとうございます!!」
「こちらこそ、甘いの好きじゃないのにもらってくれてありがとね! 倉持君もありがと!」

 今度感想教えてね、と言い残して先輩は去っていった。

「……おい、倉持……」

 先輩の姿が完全に見えなくなると、さっきとは打って変わって地を這うような低い声で俺の名を呼んだ。これから何を言われるか大方の予想はついている。

「そのマフィン寄越せよ」
「ヒャハ! 誰がやるか」

 やっぱりな。
 案の定の御幸のセリフに俺は用意していた言葉を返した。

「お前の所為でマフィンもらえなかったんだぞ俺は!」
「いいじゃねーか、先輩に嘘つかずに済んで。どうせ俺甘い物好きなんですとかなんとか言うつもりだったんだろ? 気色わりー」
「気色悪いは余計だ! あの会話の流れで甘いモン苦手とか言う奴がどこにいんだよ!」
「だから俺が代わりに言ってやったんだろーが。それによく考えてみろ御幸。これから先先輩と万が一にも付き合えたら、お前は一生その嘘を貫き通さなきゃなんねーんだぞ」
先輩に限って、先輩を傷つけないように吐いた嘘で俺のこと軽蔑するはず……え、というかお前今俺と先輩が付き合うとか、一生嘘貫き通すとか言った? それってもはやけっこ「うわ、きめぇ」

 俺の不幸は蜜の味――ただし、先輩手作りのメープルマフィンの味がする。






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