蜜雨

 トイレに行くと、なにかカードみたいなのが落ちているのに気がついた。好奇心で拾い上げてみると、新聞の切り抜きをラミネートしたものだった。
 なにこれ。弓道?青道高校?青道って一也の学校じゃん。なんでこんなもんが男子トイレなんかに落ちて……まさかこの人をオカズにここで抜いたとか?うへえ誰だよ、趣味悪。確かにまあキレイな顔してるのは認めるけどさあ……。
 ラミネートまでされた切り抜きを捨てるのもなんだかなあと思ってついついカード片手に男子トイレを出ると、前方から袋に包まれた何か長い棒みたいなのを持ち運ぶ女子が歩いていた。電車とかでも何回かあの長いの持ってる奴は見たことあるけど、女子だし多分弓道とか薙刀とかだよな。……あれ?

?」
「え?」

 やば。今まさしくラミネートまでされた人間がこんなタイミングで目の前に現れてつい名前を声に出してしまった。

「なんで私の名前……あれ? 稲実の成宮君?」
「俺のこと知ってんの?」
「あ、うん。野球好きだから」

 ふうん。弓道しててクールそうな見た目と違って野球好きなんだ。しかもカッコイイ奴にただキャーキャーするミーハーとも違う感じ。

「それにしても成宮君が私を知ってくれてるなんて……弓道好きなの?」
「知ってるっていうか、コレ」
「んん? あ、この間の大会の時のだ」
「トイレに落ちてた。ご丁寧にラミネートまでされて」
「………………」

 あ、ちょっとわかりやすく引いてる。なんで?って顔だ。そりゃそうか。俺だってトイレに自分の写真落ちてたら引くし。
 顔を引きつらせる(……さんってつけるべき?この人新聞によると俺の1個上みたいだし。ま、いっかあんま気にしなさそうだし)の後ろから、慌てた様子で野球のユニフォームに身を包んだ奴が走ってこっちへ来るのが見えた。ただのしょんべん漏らしそうな奴かと思ったら、特徴的なスポサンと焦げ茶色の外ハネの髪――一也だった。目はいい方だし、あんなわかりやすいやつ他にいないから間違いないだろう。あのいつもムカつくくらい冷静で余裕のある一也があんなに焦ってるなんて、腹でも下してんのか。

「一也!」

 目の前にいる俺が急にの背後に向かって大きな声を出したのにびっくりしたのか、思わず目線を後ろに向けたは、御幸君と呟いて目を見開いていた。同じ青道だし、野球が好きって言ってたから一也のことも知っているのだろうか。

「鳴! ……と先輩!! なっなんで鳴なんかと一緒にいるんスか!?」

 ッム。鳴なんかってなんだよ。しかも素早く俺との間に割り込んで、を背に隠すし。感じ悪っ!

「成宮君がトイレでたまたま私の写真拾ったところに、偶然私が通りかかってちょっと話してたんだ」
「……先輩の写真……ですか?」

 一也は不自然なくらいたっぷり間を空けてそう言った。から目線を外した一也の空気は心なしかざわついているのを肌に感じる。しかしそれも数秒のことで、すぐにいつもの胡散臭い笑顔を貼り付けた。
 なるほどね、オイラ大体わかっちゃったかも。

「そうそう。こーんな写真、男子トイレで見つかったら誰でも引くよねえ! ね、!」
「え、引く……ってコラ鳴! 先輩は俺らの1個上だぞ! 敬語使え! 呼び捨てすんな!」
「だ、大丈夫だよ御幸君。私あんまり気にしないから。ありがとね」

 ユニフォームの裾をきゅっと掴んで上目遣いで申し訳なさそうにお礼を言うをまともに直視出来なかったのか、一也は口元をおさえながらそっぽ向いてしまった。の無意識の仕草に一也はかなりグッときたみたいだけど、まさか自分のせいだとは思っていないは「具合悪いの? 大丈夫?」と見当違いな心配をしていた。いろんな意味で大丈夫じゃないよ。
 へぇ、一也って意外と色恋沙汰はわかりやすいんだ。もっとうまく流しながらするもんだと思ってた。俺的には面白いから全然いいんだけどね。むしろもっと一也がずぶずぶみっともなく恋愛にハマって抜け出せなくなってもがいてる姿が見たい。

! この写真俺にちょーだいよ」
「え?! な、成宮君が気にしないならいいけど……」
「こんなん洗えば大丈夫っしょ。なんたってラミネート加工してあるし!」

 ちらっと一也を見れば、さすが俺が見込んだだけある持ち前の頭の回転の良さでこちらの思惑に気がついたのか、なにか言いたげに睨みつけている。
 一也が青道で人知れずこそこそと新聞を買って夜な夜なちまちま切り抜いて、ラミネート通してコレクションを増やしてると思うと笑いが止まらない。あの一也もさすがにこんなの何枚も持ち歩いている訳ではないだろうから、きっとこれは最近のお気に入りで、お守りがわりにでもしてるのだろう。肌身離さずいつも持ち歩いているからこそ、なくなったことにすぐ気づいたんだろうし。さしずめ自分だけの勝利の女神ってところか。弓道なんてさっぱりわかんないし、興味もないからよくわかんないけど、新聞に大会連覇って書いてあって強いみたいだし、ご利益は十分ありそうだ。試合前、一也はトイレに篭ってこの写真にちゅーでもしてんのかな。
 一也にこんな可愛げがあったなんて、あとで雅さんに教えてあげようっと。こんな話しても信じないかもしれないけど。なんたってあのポーカーフェイスで、いつも不敵に笑って人をイラつかせることが特技の御幸一也だ。そんな一也が1個上の先輩に首ったけなんて、誰が信じるだろうか。俺だって実際に見なきゃ信じなかった。けど、こんなベタ惚れしてる姿見たら信じるしかないっしょ。

「それに俺のこの横顔気に入っちゃった!」
「へ」

 呆然とすると一也に手を振ってその場から走り出す。ばいばーい。

「ってめ! 鳴! ……っいいですか!? 先輩はそこのベンチで座って待っててください! 俺ちょっと鳴と話さなきゃいけないことあるんで! 絶対迎えに来るんで待っててくださいね?!!」

 俺を追う前にきちんとに釘を刺しておく所がヤラシイよね。本当に用意周到な奴。

「う、うん。いってらっしゃい」
「っ……い! いってきます!」

 あの一也が!あの一也がいってらっしゃいって言われただけで照れてる!ぷぷぷぷ!絶対よからぬ妄想してるでしょ。
 適当な角で曲がって、すぐに追いついてくるだろう一也を待ち伏せると、予想より早く一也が来てますます笑いが止まらない。この写真がよほど大事な物らしい。というか自分の恥ずかしいコレクションが俺の手に渡るのが頂けないんだろうけど。

「鳴、気づいてんだろ。返せよ」
「えー? なんのことぉ? 俺はに興味あるから貰ったんだけど?」
「生半可な気持ちで下手なこと言うな」

 低い声だった。瞳は野球をしている時のようにギラついていた。静かに怒りの炎を燃やす。冷たくて、それでいて覚悟のある色をしていた。野球以外でそんな顔できるんだとなぜか安心した。一也はいつもどこか一歩引いた目で人も物事も見ている気がしていたからだ。野球をしている時だけは奥底に眠る本当の御幸一也が顔を出すから、俺は野球以外で一也と対話することができないと思っていた。けれどどうだろう――今は感情をむき出しにして、野球以外のことに心身を傾ける一也がそこに在る。ただの16、7の男子高校生だ。俺と同じ。

「一也も隅に置けないねえ」
「うるせーよ。わかったらもう先輩に気安く近づくな」
「男の嫉妬は醜いよ~? しつこい男は嫌われちゃうよ~?」
「なんとでも言え」
「よりにもよって一也に好かれるなんても大変だよねえ」
「だから呼び捨て!」



背番号1のすごい奴(逃がさない。パッと狙いうち。)






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