蜜雨

※犬とハサミは使いようにて中の人繋がりネタ



 犬になりました。

 いや、これでも俺正気だから。落ち着いているから。むしろ落ち着いているからこそ自分が犬になったことに気づけているんだけど。
 黒とこげ茶の体毛に、地面にお腹がつきそうなくらい短い手足、口を開けばわんという鳴き声――完璧なミニチュアダックスフントであった。それもこれも大暴投した沢村の球を頭に受けた所為だ。

「みみみみみ御幸一也が犬になったあああ!!!」

 目の前で自分の球に当たった先輩からボンと煙が湧きあがって、次に現れたのは小型犬だなんて騒がしい沢村でなくとも叫ぶだろう。周りで練習していた奴らも沢村の声につられて続々と俺を囲んできた。

「さ~わ~む~ら~!! 御幸が犬に変身するわきゃねえだろ!!」
「もっち先輩!! でも確かに俺のボールが頭に当たった瞬間……!!」

 沢村の言う通り本当に俺は犬になってしまったのだが、確かに急にそんなこと言われても普段のおバカ発言も相まって沢村こそ頭打ったのかと疑われるのも無理ない。

「もふもふ……」

 沢村の次に投げる予定だった降谷も俺が目の前で犬に変身しているのを見ていたはずなのだが、そんなの関係なしに俺の頭をキラキラとした瞳で撫でてきた。先輩が犬になってもそのマイペースさを崩さない姿勢はある意味尊敬に値する。

「(ああでも、せっかく犬になったんなら先輩に撫でられてえなあ……許されんなら抱っこされてえ……)」
「っっ!!? 今御幸の声しなかったか?!」
「はあ? だからもっち先輩、御幸一也は犬になったんですって!!」

 まさか――よく小説とかで犬になった主人公の思考がヒロインにだけ通じるという設定が、よりにもよって倉持に適用されているなんて――沢村を締め上げる倉持と目が合った。

「そのまさかだぜ……御幸」

 なんでお前がヒロインポジなんだよ!!!
 そこは先輩であって欲しかった。あわよくばふたりだけの秘密を共有して、力を合わせて元に戻る方法を見つけて様々な困難を乗り越えたふたりの間にはいつの間にか愛という絆が生まれて――なんて熱い展開にして欲しかったのに、まさかの倉持。がっかりを通り越してこれからの未来は絶望しかない。こんな身体じゃ野球も出来ねえし、生活だって――いや待てよ、先輩の飼い犬人生という手があるんじゃないか。動物大好きな先輩のことだ、迷い犬の俺のことを放っておくはずがない。なんならちょっと体を汚せば一緒にお風呂に入ってベッドで抱きしめられながら一緒に寝て、朝起きたらおはようのチュウなんかしてもらって……っは!

「普段から相当気持ち悪ぃ奴だと思ってたけど、想像以上にキショいな」

 俺のよからぬ妄想に倉持はしっかり軽蔑の眼差しを向けていた。

「あーっ!!」

 こ、この声はっ!!

先輩!」

 俺の声は「わふ!」としか出なかったが、沢村が代弁してくれた。倉持、キチィって表情はさすがの俺も傷つくぞ。

「わんこだ! どしたのこの子、野球部マスコット犬飼いだしたの?」

 どうやら先輩は純さんに漫画を返しに来たところに、何やらざわつく集団を見つけてこちらに足を運んでくれたらしかった。

先輩! そいつは御幸一也です!!」
「御幸君と同じ名前にしたの?」
「いやっ、そうじゃなくて!!」
「一也君、だっこ~!」

 ああ、犬、サイコー。倉持の顔が死んでいるのは無視だ、無視。
 数秒前まで人生に絶望していたのに、俺の名前を呼びながらやわらかい胸に包まれているだなんて阿弥陀仏もびっくりの極楽浄土っぷりである(自分でも何を言っているのか意味がわかっていない)。

「へえ……一也君って言うんだ、その犬」

 こ、この声はっっ!!

「亮介もだっこする?」
「うん、力加減できないかもだけど」

 あ、これがほんとの極楽浄土ってやつだわ。






犬とボールは使いよう
(その後亮さんの命令で沢村にボールをぶつけられた俺は元に戻ったのだった)






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