蜜雨

 だるい。真夏は通り過ぎたが、まだまだ暑さが残るこの季節にグラウンドでサッカーとか正気か。汗流すのは野球で間に合ってんだよ。
 体育の時間が近づくにつれて気が重くなってきた俺と同様に、やる気のないクラスの男子2人組が「だりぃ」とか「ねみぃ」とか言っている中、聞き捨てならない言葉が俺の耳に飛び込んできた。

「なあ、あれ弓道部の美人って噂の先輩じゃね?」

 それだけで絶対に先輩だと断定した俺は、クラスの男子の目線をすかさず追っていく。すると、案の定先輩がいた。ただそこにいるだけであんなに人の目を惹く存在はなかなかいないだろう。夏服がこれ以上ないくらい眩しい。おまけに髪を結んでいる途中らしく、腕を上げたことで先輩の白くて柔らかそうな二の腕が剥き出しになっており、ウエストの細さがより際立っていた。

「遠くてイマイチ顔がわかんねえけど、本当に美人なのか? スタイルは良さそうだけどよ」

 おいお前ら、あんまり先輩を邪な目で見るな。減る。確実に先輩の何かが減る。しかも先輩が美人かだと?ふざけんな。先輩はただ美人なだけじゃない。美しさと可愛さが同居している奇跡の存在だぞ?そう簡単にお前らが関われると思うなよ。俺だって最近先輩に認知されたんだから。

 先輩を眺めつつ、脳内でクラスの野郎に悪態を吐いていると、先輩と目が合った――気がした。いや、そんなまさか。自分の願望による幻だ。しかしそんな俺の煩悩を吹き飛ばすような笑顔で、先輩が俺の元に駆け寄ってきた。風で揺れるスカートから伸びる白い足とか、陽の光を浴びて艶めく髪の毛とか、先輩の全てが俺の視界を奪う。「御幸君! これから体育?」え、マジで?まやかし?

「あれ? 倉持君は?」

 先輩が倉持の名前を出すのは気に食わないが、俺の方が先に名前を呼ばれたから今回は俺の勝ちだ。

「倉持は体育委員なんで準備しに行ってます」

 俺が先輩と普通に(見えるようにイケ捕の顔を必死で作っている)会話しているのを見たクラスの男共から、嫉妬と羨望の眼差しが浴びせられる。その視線が色濃くなればなるほど、俺の卑しい優越感が強まっていった。
 野球部と弓道部なんて接点ないのに、なんでアイツが――そんな野郎共の思考は容易に想像がつく。お前らは知らないだろうが、先輩は野球部の哲さんと幼馴染だからか、やたらと野球部の知り合いが多いのだ。

「そっかあ……倉持君にも見せてあげたかったけど、今回は御幸君だけ特別ね!」

 俺だけ特別という言葉が甘美に響く。ここは余韻に浸りたいところだが、如何せん今はそんな状況ではない。手に持っていたスケッチブックを俺に見せようと距離を詰めてくる先輩の所為で、心臓が破裂しそうなのだ。下手すりゃ先輩の肩が俺の身体に触れてしまう。先輩は(悲しいかな)まったく俺を意識していないが、こっちはバリバリに好意を持っている。決して触れる事が許されない頬や二の腕、太腿はどのくらい柔らかいのだろうか――いつも真っ直ぐでサラサラの髪に指を通したら、俺死ぬのかな――先輩の匂いがするボディソープが売ってたら絶対買う――とか色々と妄想が捗ってしまうのも仕方ないだろう。男子高校生の暴走力なめんなよ。

「ね、見てよこの亮介画伯の傑作!」
「かわいい……」
「え? この絵がっ?!」

 妄想の中の俺だけの先輩をかわいいと言っていたら、実際に口に出してしまったみたいだ。笑顔でスケッチブックを見せていた現実世界の先輩が目を真ん丸にして驚いている。

「えっ?! いや、違っ……かわいいのはせんぱ、いの描く猫の方だなあって……!!」
「だよねっそうだよね!!」

 っぶねー!なんとか誤魔化せてよかった。いや、本当にかわいいのは先輩なんだけど。つか亮さんの猫怖っ!先輩のファンシーな猫に比べてホラーすぎるだろ。夢に出てきそうだ。せっかく先輩とこんだけ喋れて今夜はいい夢見れそうなのに。これも亮さんの陰謀か?

「早速亮介に言ってやろ! じゃあまたね、御幸君! 体育頑張って!」

 だがそれも燦然とした笑顔で走り去った先輩を見てしまったら、やはり今夜は夢見が良さそうだと思える。その前に今からこんな調子で俺今日寝れるか?いやいや仮に寝れなかったとしても、先輩が充電出来た俺はこれから1週間頑張れる。

「御幸……」

 記憶が薄れないうちに先輩との会話を反芻していたら、ポンと肩を両側から叩かれた。先輩が美人だなんだと騒いでいたクラスの男子2人だ。その後ろにはいつの間にか集まってきたクラスの他の男子もいる。なんだよ、俺今忙しいんだけど。

「俺今まで御幸の事誤解してたわ……」
「イケメンとか、天才キャッチャーとか雑誌で特集されてて正直ムカついてたけど……」
「お前、気の毒なくらい気持ち隠すの下手な……」
「しかもあの先輩が御幸の気持ちに全然気づいてねーのがこれまた残念で……」

 あれ、これってもしかして……

「ヒャハハ! 御幸お前同情されてやんの!」

 体育委員の仕事から戻ってきていた倉持が俺を指差して笑っている。相変わらず性格悪ぃ。この様子からして俺と先輩のやり取りを見ていたのだろう。
 倉持はもちろん前から知っていたが、今回の出来事でクラスの奴らにも俺が先輩に好意を持っているとバレた。こうなりゃヤケだ。

「ハッハッハ! お前ら同情するくらいなら先輩に近づくなよ。先輩の吐いた二酸化炭素吸うのも禁止な」
「あー……見ての通りコイツ根に持つタイプだし、ねちっこいから校舎裏に呼び出されねーよう気ぃつけろよー」

 そんな発想すんの元ヤンのお前だけだよ。あと倉持もお前らもわかりやすくドン引きすんな。






(猫のイメージは白澤様の描く猫好好。亮介の絵心は小林ゆう画伯と同等だと勝手に思っている)






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