薄く白の混じった鈍色に、廃墟の隙間から流れる風に身を震わせ、意味もなくからだをさする。
これはきもちの問題で、要はその行動こそ無意味だが、そうすれば少しはあたたかくなるという人間の思い込みによる温いあたたかさだ。
いくらやっても白い息は変わらず、血の巡りすら悪くなってると感じたときにはもう心臓すら反射的に動かせないのではないかと思うほどであった。
雨に濡れて体温を奪われ、そして上乗せするかのごとく濡れた服と髪を身につけている所為で余計寒さが身に染みるようである。
その場に似つかわしくないきんいろの髪と、その薄闇に同化するような烏色の髪。対照的といえばそう形容しがたくも無い。
少し距離を置いて離れてそのきんいろの髪の持ち主の男と烏色の髪の女は座り込んでいた。その距離を和らげるように真ん中にライターが置いてあった。
廃墟内の湿った空気ではライターもつきが悪いのだ。女は男をボスと呼び、男は名前でと呼んでいた。
「ボス、申し訳ありません。これは私のミスです。」
「だから、気にしてないって。」
「ですが、私の見間違えでこうなってしまって・・・」
「だから、な・・、・・・。」
男は人当たりのよさそうな優しげな笑みを浮かべて女にそう言った。だが女は喰い下がる気配がなく自分の落ち度を攻め続ける。
そんな女に男は少しだけ焦る。男どうすればこの女に伝わるか言い難そうに、言葉に選びに渋る。
本当に自分は気にしてもいないし、ましてや女を責めることなど一寸も考えていないのだ。
これは女の頑固さによるもので、女は何事も完璧を求める種の人間だった。女は男の秘書という役職に就いていた。
男は女を恋仲という関係としてしか見ていないのだが。もちろん、秘書として申し分ない働きをする彼女を男は一目置いているのも確かだ。
だが、女を自分の傍に置いておく危険性に男は頭を悩ませているのだ。ましてや、明日だった筈の仕事を今日と間違えてしまった女に感謝してもいいくらいだった。
女には悪いが、今日の仕事はあまりにも女に見せるのはどうも思わしくない仕事内容だったのだ。
ファミリーのボスという仕事柄、やはりどんな下等な人間のいのちすら時として奪わなければならぬのだ。暗殺というかたちで。
今更腹を括るのではない。覚悟は当の昔に決めた。だが、女の前だと話はまた違えてくる。人を殺めたあとの彼女の目は死体の冷たさを思わせるものなのだ。
自分の思い違いかもしれないがやはり人間の思い込みはおそろしいもので、どうしてもそう見えてしまうのだ。いっそのこと殺してしまいたい、と悲願するほどその目はやはり冷めたものだった。
「。」
「はい?なんでしょうかボス。」
自分の問い掛けに早やかに女は答える。この感覚が嬉しくてたまらない。どんなに下らなかろうが愚痴だろうがなんだろうが、彼女は真剣に真面目に返答する。
まっすぐと、自分の目から逸らすこともせず、ただ主人に忠実な犬のように。本当に女は自分に尽くしてくれる。どんなにへなちょこだろうが恰好悪かろうが。
ピンの背筋を伸ばした姿とか、きゅっと唇を結んだいつも揺るがない顔とか。意志の強い瞳の中を探りたくなる。いやな男の性という好奇心が疼いてたまらない。
女はどうしてこうも男を煽るのだろうか。どうしようもなくやるせないきもちが男を途方に暮れさせる。女は色恋沙汰にまったくと言っていいほど興味を示さなかった。
男は少なからず女に好意をもっていた。むしろ、自分の手中におさめて安心したかった。そういうと聞こえが悪いが要は率直に言うとすればそうなる。
はじめは大して音もしなかった心が今じゃきしきし、ぎしぎしと煩く軋み、女に恋焦がれていた。
マリーアントワネットに恋したようだ。パンが無いならケーキを食べればいいと民衆に言った言葉がいま自分に深く刻まれるようだ。
パンをに例え、ケーキを他の女共に例えれば、ひとたび自分の脳天を突き刺す凶器となる。
「さっきくしゃみしてたろ。」
「?、ボス・・・どうして?私のことよりもまず自分のからだを大事にしなければ・・・っ!」
「俺はボス以前に男だからいいの。」
「そういう問題では・・・」
「だーかーらー、は女なんだから、からだ冷えたらいけねーだろ?」
「ですが・・・」
「は黙って今は俺に従えって。たまにはボスらしいことさせろよ。」
「・・・承知しました、ボス。」
「にとっては差し出がましいことかもしんねーけどな。」
「そんなことは・・、ないですよ。」
少しだけおおきいジャンパーは女のからだにはあきらかに合っていなかったがさして気にもとめなかった。
女は素直に男の行為に感謝していた。でもこの男の行為に少しだけ哀しくなる自分がどうしてもいたたまれなかった。
もう少しだけ、ひとさじの欲を言えば、ボスと秘書の関係だけではこの胸の衝動を抑えることができなかった。
この男のことだから、本当に部下のことを思ってやったわけだし、それはそれで嬉しいのだ。
だがしかし、女としてはやはり、希望を持たざるをえなかった。女は少なからずこの男の好意に気づいていたのだ。
ただこの感情をどうあらわせばいいのかわからなかったため、うやむやにしていたのだ。女はこの男の好意を受け取ることにどうしても一歩進めなかった。
どちらかというと、この男の好意が日に日に積み重なってゆくたびに、罪悪感も生まれ始めてきているのだ。
別にいますぐ恋仲になりたいとは言わない。ひとさじの欲を言えばそうなるが、ひとつまみの欲を言えば、この微妙な距離をどうにかしたかった。
ファミリーの中でもボスの見合い話を聞かされるたびに自分は厭な感情ばかり生まれる。ボスには自分がいる、なんてあつかましい事など言えるはずも無く。
ただ苦笑してその場の会話に言葉を失いつつも、しっかりとその嫉妬を陰に隠してきたのだ。自分のきもちは報われなくていい。
「、この間ジャッポーネ遠征の仕事があったろ。」
「ええ。確かたいして急ぎでもなかったので後回しにしましたけど・・・」
「そのジャッポーネにな、を紹介したい人がいるんだ。」
「・・・わかりました、すぐ手配しておきます。」
「おう。」
「あの・・まだなにか言いたいことが・・・?」
「ん・・・ああ、・・はすべてお見通しだな。」
「ボスの目を見てればわかりますよ。」
「・・・あの、な・・を俺の妻としてその人に紹介したいんだ。」