蜜雨

週に何回か黒のBMに乗って煙草とミネラルウォーターを買っていく女性を、カイジは密かに楽しみしていた。
面倒だがギャンブルには金が必要だ。そして素寒貧になっても金は必要だ。働きたくない一心のカイジではあるが、生きるために最低限必要な金をしがないコンビニのバイトで稼いでいた。そんなカイジの日々の潤いといえば、来店すれば真っ直ぐに飲み物コーナーへ向かい、ミネラルウォーターを二本手にして煙草を買って行く女性のレジをすることだった。
肩甲骨あたりまで伸ばされた艶のある髪を靡かせ、すらりとした細身の体に上品で高そうな漆黒のスーツに真っ白なシャツを纏い、ピンヒールの黒いパンプスでコツコツと地を蹴って歩く姿はデキる女そのものだった。
こんな美人を拝めるなんてこのコンビニも捨てたもんじゃない。初めて見た時には思わず見蕩れてしまい、店長に注意されたのは記憶に新しい。
そんな名前も知らない彼女が煙草を吸うと知った時は驚いた。 しかもその時々で銘柄が違うのだ。マイセンや赤マル、ケントマイルド、ハイライトとその日の気分で変えるのか、実にいろんな種類の煙草を買っていた。

今日も今日とてミネラルウォーターを二本レジに差し出し、マイルドセブンと甘やかだが凛としている声で注文をした。
カイジは今日一番のしあわせをひっそりとひとりで勝手に噛み締めて煙草を棚から取ろうとすれば、なんとマイセンだけごっそり抜けていた。 間の悪いことに先ほどマイセンを棚にあるだけ買い占めた奴がいて、補充することを忘れていたのだ。

「す、すいません…!棚に補充し忘れてて…裏から持ってきます…っ!」
「お手数おかけします。そんなに急がなくて大丈夫ですよ」

申し訳ないのはこっちなのに、彼女は嫌な顔一つせずむしろこちらを気遣う言葉を掛けてくれる。
女神だ、女神がいる、とカイジは感激したのかなんなのか何故か目に涙を浮かべながら小走りで物品庫へと走った。

「お待たせしました…っ!マイルドセブンですね…!」
「わざわざありがとうございます」
「あ、いえ…その、煙草お好きなんですね…いつもいろんな銘柄を買って…」

にっこりとした笑顔につられて、つい口が緩んで余計なことを口走ってしまった。
これじゃ彼女に興味がありますいつもあなたを見ていますと伝えているようなものだ。

「私は一切吸わないんですよ。ただ周りの人達が愛煙家ばかりで、私は専ら買いに行くだけです。おかげで吸わないのに銘柄だけ詳しくなっちゃって…」
「えっ?!あ、そうなんですか…!」

煙草を買いに来るってだけで吸うと決めつけてしまって、もしかしたら失言だったのかもしれない。
だが毎回煙草も一緒に買ってたら勘違いもするだろ…っ!という心境であった。幸い彼女は気にした様子もなく、財布からお金を出しつつ朗らかに喋ってくれた。

「伊藤さんも吸うんですか?」
「へ?あ、そ、そうです、ね…嗜むくらいは……って名前…!!?」
「大抵伊藤さんがレジしてくれるので覚えちゃいました」

確かにカイジの胸元のネームプレートには簡素に伊藤とだけ印刷されている。しかしまさか彼女が自分の名前を覚えてくれていて、尚且つ伊藤開司という存在を認識していたなんて夢にも思わなかった。ただどこにでもいる不特定多数の店員ではなく、一人の人間として彼女に知られているという現実がこんなにもカイジを高揚させた。

「では、お仕事頑張ってくださいね、伊藤さん」

その笑顔は極上の輝きを放っていて、カイジは天にも昇る気持ちで彼女の華奢な背中を見送るのだった。



コンビニのチープなレジ袋が似合わない黒いBMに乗り込むと、煙草を口にして窓の外を見ていた銀二がに目線を移す。

「なんだ、いつもより時間掛かったんじゃないのか」
「銀二さんのマイセンが丁度切れてて、店員さんに持ってきてもらってたから」

はい、と袋からマイセンを取り出して銀二に渡した。ミネラルウォーターはドリンクホルダーに入れ、一本は蓋を開けておいて銀二が運転中飲みやすいようにしておく。
相変わらず口にはいつもの煙草が銜えられ、銀二は車を発進させた。もちろんに煙が行かないよう窓を開けている所がなんとも銀二らしく実に紳士的だ。

「店員っていつもお前が話すあの頬に傷があって耳に縫った痕があるって奴か」
「頬はともかく、耳は明らかに切断した感じよ。常に軍手をしているのも何か理由があるはず。一般人には見せられない何かが……」
「ほう……」
「それで興味本位で調べてみたら、どうやら帝愛と因縁があるみたい」

ピクリとハンドルを握る指先が動いた。今まで軽い流れで話をしていた銀二の雰囲気が変わった。
巨悪を征するのはそれより大きな巨悪と豪語する銀二が長年目をつけている帝愛グループ。あの帝愛の重要な情報をあんなコンビニ店員が知っている訳がないが、可能性は決してゼロとは言えない。

「どう?興味沸いたでしょう?」
「お前も相当良い趣味してるな」
「ふふ……それほどでも」

重厚なシートに身を任せ、腹の辺りで手を組んで目を細めて笑みをこぼす。その笑みは先ほどカイジに向けた人好きのする笑顔とは違い、裏社会において銀王と呼ばれる男の助手として生きる冷酷非情な女の顔だった。







最果てが見たい






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