身体を包む道着の心地よい重さ、素足で畳を踏んだ時の感触、相手と正面に向き合った時の高揚感や緊張感、そして何より勝利を掴んだ時の喜び。それら全て置いてきた。日本一を決めたあの会場に。
もう柔道はしない。普通の女の子になるんだ。
そう、思っていたはず、なのに――
柔道から離れた生活をするために、推薦を全て蹴って柔道部の無いはばたき学園へと入学した。柔道に対して未練を断ち切るにはこうするしかなかったのだ。柔道を近づけさせない環境を無理矢理にでも作らないと決意がブレるし、期待してくれた周囲の人達にも迷惑が掛かる。思いつく限りの柔道へと戻れる道は断ち切った。
「明日から宜しくお願いします!」
自動ドアの前で一礼してお店から出て行く。
柔道漬けだった毎日から、一気に何もやることがなくなったわたしはバイトを始めることにした。師範に言われて以前から菊を育ててるのもあってか、お花屋さんでバイトはとっつき易かった。そんな軽い理由で早速面接に行ったのだけれど、なんとその場で合格をもらって気分はるんるんだ。これからの高校生活に張りが出るし、お小遣いも増えて一石二鳥である。せっかく女子高生になったのだから少しくらいおしゃれもしてみたい。今まで柔道一筋でそんなの気にも留めなかったし、そもそも興味すらなかった。でも学校の女友達はわたしを置いて、気がつけばどんどん綺麗になっていった。わたしも少しでもあのキラキラの世界に近づきたいなって思うのはやっぱり柔道やってても女子だからだと思う。
「引ったくりーっ!!誰かそいつ捕まえてえ!!」
家に向かって歩きながらぼやんと考え事をしていると、空気を切り裂くような女性の悲痛な叫び声が響き渡った。どけどけと通行人を掻き分けてサングラスとマスクで顔を隠した長身の男がこちらに一直線に走ってきている。向かってくる敵に思わず手に持っていた鞄を投げ捨てて構えを取ると、相手がこちらに来る勢いを利用して――
どぉん、と辺り一面に鈍い音が轟いた。その音を聞いた瞬間にしまったと我に返る。もう柔道は封印しようと思ったのに身体が勝手に動いてしまった。でも無意識ながらも怪我はさせないようにきちんと投げたはずだ。うん、大丈夫。周囲の人達が呆然としている今のうちに逃げてしまおうと、サッと鞄を持ってその場を立ち去る。
まさか周囲の人達に紛れてクラスメイトに見られてたなんてことは、その時のわたしは気がついていなかった。
「あの一本背負い…」
※YAWARAオマージュ
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