蜜雨

妙な事になっちゃったなあ。
制服を着て派手な動きするんじゃなかった、なんて後悔しても時すでに遅し。ため息も吐きたくなる。それもこれもこんな記事が出回るからだ。

『パンチラ少女、一本背負いで引ったくり犯KO』

顔が写ってないだけマシだけど、はば学の学生っていうのは制服の所為でバレてしまっている。学校としてはちょっとエッチな記事が載っている三流新聞に載るのは頂けないけど、警察に表彰されるに値する善行をしたわけだから問題には取り上げないらしい。だから早く名乗りを上げろって事だと思うけど、誰が言うもんですか。ちっちゃな地方紙だけど、パンツがどーんと載ってるのに進んで手を挙げる奴がいたらわたしじゃなくてもいいから勝手に名乗り上げて勝手に表彰されてよ。

「こらーっ授業中に関係のない新聞読むなー!」

小さな影がわたしの目の前に落ちてくる。嫌な予感がしつつ顔を上げると、眉間に皺を寄せた大迫先生がそこに立っておりました、とさ。

「うちの学校の生徒だから興味持つのは分かるが、そういうのは休み時間にしろ!罰として教科書19ページの8行目から読め!」
「はあい…」

大迫先生の授業で助かった。氷室先生だったらもっと酷い目に遭っていた筈だ。わたしは諦めて、大人しく席を立って教科書を読み始める。これ以上どやされてたまるかと授業に集中し始めたわたしは、斜め前の席の不二山くんがその姿をじっと観察していたなんて気づきもしなかった。



長かった授業がやっと終わって、ついにお昼休み。あーあ、きっと噂に敏感なカレンとミヨのことだ、新聞記事の話に絶対なる。ボロを出さないようにしないと。わたしが柔道やってたなんてバレたら、根掘り葉掘り聞かれるに決まっている。
よし、と気合いを入れてお弁当を持っていつもの集合場所に向かおうと席を立つと、後ろからと声を掛けられた。

「ええっと…不二山くん?だよね?どしたの?」
「ちっと話、いいか?」

不二山くんがわたしに話なんて何だろう。検討もつかない。むしろ、まともに話すのすら初めてじゃないだろうか。
雰囲気的に教室ですぐ終わる話ではないっぽいし、有無を言わさない強い瞳の力に押されて仕方なくお昼一緒に食べられなくなったとカレンとミヨ宛にメッセージを送る。 すぐに了解と返事がきて、帰りの喫茶店には付き合ってもらうからねと追加メッセージを読んでわたしからも了解とスタンプを送った。



春の陽気が気持ちいい中庭のベンチは、絶好のランチ場所だった。本来なら屋上でカレンとミヨと食べるはずだったけど、あそこは人も多いしルカくんやコウくんもいたりしてまともに不二山くんの話が聞けないだろうからこの場所にしたのだ。
少し距離をあけて座ってお弁当を広げると、不二山くんもお弁当を取り出した。不二山くんのお弁当、量多いな。おっきいお弁当箱の他におにぎり二つと菓子パンが横に置いてあったことについては突っ込まないでおこう。

「で、話ってなに?」
「ん?ああ…この記事だろ?」

そう言って見せたのは、大迫先生の授業中に見てたあの記事だ。思わぬ話題に分かりやすいくらい動揺して、飲んでたお茶が気管に入ってむせた。流石のわたしの状態にギョッとした不二山くんは優しく声を掛けて背中をさすってくれた。

「お、おい大丈夫か」
「ごほっ…大丈夫…っ」
「で、これお前だろ?」

すかさず2度目の問い掛けがわたしを容赦無く襲う。先刻の言葉と同じ内容だ。さっきと違うのは疑問から確信に変わった声色をしていたところ。

「なんで?わたし柔道やったことないし…人違いでしょ?」
「俺、あの場に居たから見間違えねーよ。それに…」
「それに…?」

鼓動が速くなる。平静を保とうとするけど、きっとうまく取り繕えていないと思う。不二山くんが紡ぐ言葉ひとつひとつが耳に重く響いた。

「お前の名前と投げ方見てピンときた。去年の全中優勝者だろ、

一本背負いが決め技だった。一本を獲りにいく柔道をしなさいと教えられた。
不二山くんの言葉に二の句が継げなかった。

「う…」
「う?」
「うわああああ!!!」
「はっ?お、おい!!」

膝の上に置いていたお弁当箱を素早く横に置いて、とりあえずがむしゃらに走った。この場にいてはいけないと警報が鳴っているからだ。
叫び声をあげながら脱兎の如く逃げ出したわたしに怯んで、一瞬戸惑った不二山くんは遅れて動き出していた。

「なんで逃げるんだよ!!!」
「わかんないけど、不二山くん追いかけてこないでよ!!」
「逃げる奴がいたら追いかけるだろ!!」

そんな馬鹿な!!
わたしの所為なんだろうけど、突如として始まった鬼ごっこはもう後戻りが出来なかった。こちらとしては早々に諦めてあの大量のお弁当をゆっくり食べてて欲しいものなんだけど。
遅れてスタートしたが、リーチの差が響いたのかどんどん近づいてくる不二山くんに覚悟を決めて向き合うと、スピードを殺しきれなかった不二山くんがわたしに突っ込んできた。もう擦り切れるくらいに打ち込みした形に持っていき、相手の力を利用して――投げた。引ったくり犯を捕まえた時と一緒だ。得意の一本背負い。

「やっぱり…あの時の…」

投げられた時に呟いた不二山くんの言葉は、荒く呼吸を繰り返していたわたしの耳には届いていなかった。
不二山くんが零したあの時が指す意味をわたしはまだ知らない。






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