蜜雨

「すみません、道をお尋ねしたいのですが」

どう考えても尋ねる相手を間違っているだろう。そう思ったが明らかにオレたちに声の矛先が向けられていた。

「おねーさん、それオレたちに言ってんスか?」
「ええ、もちろんです」

おねーさんはにっこりと眩しいくらいの笑みを浮かべてはっきりとイエスと答えるもんだから思わず億康と顔を見合わせてしまった。こんな不良のレッテルを貼られたようなナリをしているオレたちに声をかける輩なんぞ、同じように柄の悪い奴らしかいないものだ。ただ単に天然なのか怖いもの知らずなのか…たぶん前者なのだろう。ふわふわとしたオーラを放つおねーさんは見るからに天然そうだ。

「えっと、杜王グランドホテルまでの道のりを教えて頂きたいのですが」
「あーっと、それならそこの信号渡って右にずっと真っ直ぐ行けばホテルが見えてくると思うんで、あとはわかると思いますよ」
「ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ、この虹村億康!美人の頼みは断らない主義ですからッ!!」

っけ、こんな時ばっかいいとこ取りしやがって。ぬわぁーにが美人の頼みは断らない主義だッッ!!
億康は気の抜けた顔で手を振ってその美人なおねーさんを見送っていた。信号を無事渡り終えて、聞いたそばから左に行こうとしたので億康はばかでかい声で右ですよーと叫んだ。少しだけ頬を赤くして苦笑いと共に頭を下げて今度こそ右に行こうとしたら、オレたちの方ばっか見てた所為でいかにもな不良集団のリーダーらしき野郎にぶつかった。すぐにでもおねーさんの元に駆け寄りたいのは山々だが、何せここの信号は待ち時間も長く車の交通量も多い場所だった。

「まあ、どうもすみません」

やきもきするオレたちをよそに、おねーさんはのんきに相手のぶつかった箇所の埃を落とすように丁寧にはたいていた。その細い手首を男の無骨な手が握り締めると、おねーさんは目を見開いて驚くだけで特に騒ぎもしなかった。

「あら、どうかされましたか?」
「オレにぶつかったんだ、少しつき合ってもらうぜ」
「申し訳ありませんが、早く帰ってサンジェルマンのフルーツサンドイッチを食べなければならないのです。これ、生物ですから」
「あ?何言ってんだこの女」
「だから、《離して下さい》」

男がすごんでも笑顔を崩さずにそう言い放つと、その言葉通り男の手からおねーさんの手は解放されていて、自分から離したくせして男は不思議そうに自分の手を見ていた。信じられないが、一瞬だけおねーさんの背後にスタンドらしき影が見えた気がした。気のせいかとも思ったが、さっきまで情けない顔をしていた億康の顔が険しくなっていた。新手の敵スタンド使いとしてオレたちに近づいてきたとなれば、戦わざるを得ない。あのおねーさんの動向とスタンド能力を見極めるためにオレたちはじっと目を凝らす。

「いいから早くこっち来いッ!!」
「いいえ、あなたは私に《触れることができない》だから《早く帰ってご両親の肩たたきしてあげなさい》」

あのおねーさんが言ったとおり男はおねーさんに触れるどころか困惑した表情で何処かへと走り去っていった。取り巻きも何がなんだかわからずにただその男について行くだけだった。それをおねーさんは笑顔で見送るとそのまま杜王グランドホテル方面へと歩き始めた。

間違いない。あのおねーさんはスタンド使いだ。

騒ぎが終わるとともに信号が青になって、あわてて億康と渡ってのんびりと歩くおねーさんに追いついた。

「あ、のッ!」
「はい?」
「スタンド使い、ですよね??」

クローズドクエッション。

おねーさんが答える前にケータイの着信音がこの何ともいえない空気を切り裂いた。もし勘違いだったらとんだ中二病野郎だ。

「ご、ごめんなさい…少し失礼しますね」

少し距離をとってこそこそと話している後ろ姿はどう見たってどこにでもいる華奢な女性であった。億康はオレの醜態を見てニヤニヤするし、とんでもタイミングで電話はかかってくるし。仕方ないではないか、回りくどい言い方をして相手にスタンド使いだと吐かせるほどのボキャブラリーなど持ち合わせてはいない。そんな器用なことができる人間は承太郎さんくらいなもんだ。

「承太郎ったら…ええ、ええ、大丈夫よう。親切な人に道も聞いたし、わざわざお迎えなんて…はい、それじゃあまたあとでね」

じょうたろう。
たしかにこのおねーさんは言った。赤の他人だろうか、それともあの承太郎さんのことなのだろうか。会話を聞く限り随分と仲が良さそうだったが。

「ごめんなさいね、長々と電話しちゃって…えっと、スタンド使いかといわれれば、はいそうです」

あいかわらずのほほんとした姿勢を崩さない。だが、その癒しオーラも今となっては底知れない恐怖だ。

「ッ…あんたはオレたちの敵なのか味方なのか、それだけははっきりとしときてェ」
「そっか、誰かに似ているかと思ったらあなた仗助君ね!そちらは億康君!」

そうでしょう、と無邪気に聞いてこられると今まで張りつめていた緊張感もなくなるってもんだが、これが相手の狙いなのだろうか。ますますこの目の前の人物がわからなくなる。

「承太郎から何も聞いてないのね?もう、あの人ったらどこか抜けてるんだから」

ふふっと笑う姿に完全に緊張が解けてしまった。何の確証も得ていないのにこの人は味方だと考えてしまうのは甘いのだろうか。

「私は空条。空条承太郎は私の旦那様。だから仗助君とは一応親戚ってことになります」
「じょ、承太郎さんの奥さん…ッスか?!」
「はいっ」

幸せをいっぱいに含ませて力強くうなずいた。億康は開いた口が塞がらないといった具合で、ずっと馬鹿面をさらしているが、オレも負けないぐらいのアホ面をしてるだろう。承太郎さんが既婚者ということは聞いていたがまさかこんなに美人でおっとりとした人だなんて夢にも思わなかった。

「おい」
「承太郎!迎えにきてくれたの?」
「サンジェルマンに買いに行くだけで日が暮れちまう女なんざお前ぐらいだ」
「ふふっ、そう言っていつも迎えにきてくれるんだから」

なんだろうか、この甘い雰囲気は。承太郎さんは照れ隠しなのか帽子を深くかぶりなおして顔を引き締め直しているし、さんはそれを見てさらに笑みを深くするし。億康も今度はまた別の意味で開いた口が塞がらないようだ。オレもどっと疲れが湧いてきた。

「お前ら、が迷惑かけたな」
「なんだかお騒がせしてしまったようでごめんなさい」

あ、承太郎さん今更凛々しい顔しても無駄ッスよ。もうオレらでばっちり奥さんにデレた顔見てんスから。

「紹介する。家内のだ」
「ふふっ、改めてよろしくね。空条、23歳」
「年齢を詐称するのはやめろと言ってるだろ。こいつ等信じてやがる」
「えっ23じゃないんスか?!」
「オレと同じ28だ」

今日何度目の驚きだろうか。さんにしろ承太郎さんにしろ何だってこんな若く見えるんだ。若作りにもほどがある。億康はさっきから口の開けすぎで、口ン中からっからなんじゃねーの。

「ふふっ、一応承太郎の助手をしつつ考古学の研究をしています。趣味は散歩とカフェ巡り。ちなみに犬派です」

承太郎さんに睨まれても知らんぷりで話し続けるあたり、やはり夫婦だなと思ってしまう。口許を押さえる手にはよく見るとシルバーリングがあって、この二人が夫婦だと実感した。

「こいつが散歩行くとまず三時間は帰ってこねェな」
「私見ての通り極度の方向音痴なのよ。だから今日みたいにしょっちゅう承太郎に迎えに来てもらってるの」
「こっちはいい迷惑だがな」
「ふふっ、ごめんなさーい」

あれ、これと似たやりとり五分前くらいにやらなかったっけ。
なんだろ、オレ、砂吐きそうな気分だ。



承太郎のカミさんは
「ふふっ、家内だって」「カミさんは嫌だって言ってただろう」「嫌というか、刑事コロンボみたいじゃない」「…やれやれだぜ」






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