蜜雨

「承太郎は瞳、ジョセフおじいさまは耳、仗助は…唇かしら」

ふふ、とさん特有のおっとりとした笑い方をしながら先ほど運ばれてきたばかりの紅茶に口を付けた。
この人はいつもいつも突拍子もないことを言う。
今だってこんなさびれた喫茶店でオレの試験勉強に付き合ってくれてるのに、全然関係ないことを考えてる。 それでも質問すればきちんと的確なヒントを与えてくれるのだから下手に文句は言えない。

「…何の話スか?」
「んー?チャームポイントの話」
「は」

今ので確実に公式一個飛んだわ。
さんはまた一口その小さな口に紅茶を含んで微笑んでいた。
オレのチャームポイントが唇ならば、さんはその笑顔がチャームポイントだ。 その顔をされたらあとはもうさんの思うままである。

「承太郎の瞳からは目が逸らせないし、耳はおじいさまの知性を表すように素敵な形をしているし…仗助の分厚い唇はとってもキュートなのよね」

さんはここに来る前までアメリカに住んでいたが、本人は思っくそ日本人だ。 そのくせたまにドキッとするようなアメリカンなことを言う。 真に恐ろしいのはそれが無自覚で無差別に行われていることだ。 美人の人妻が雄を挑発して煽ってくるなんて、しかもそれが身内だなんてたまったもんじゃない。

「仗助、ほら手を動かさないとまたお小遣いさっぴかれてしまうわよ」

かつかつとノートを磨き上げられた薄ピンク色の爪で叩かれた。 薬指にはシンプルなシルバーリングがはめられていて、照明の下で光の粒がいくつも生まれてまるでダイヤモンドみたいだった。

「仗助仗助」

にこにこしながら名前を2回呼ばれたら気をつけろ。
いつだったか承太郎さんに言われたことがふと頭をよぎった。

「目をつぶって」

でも承太郎さん、やっぱさんの無敵の笑顔には勝てねッスよ。
オレはペンを置いて緊張しながら目を閉じた。 視界が薄暗い中、ダイレクトに耳に入ってくるさんの絶対になにされても動かないでね発言に一体何をされるのかとビクビクしてれば、なんのその唇を何度かなぞられただけで終わった。

「はい、いいわよー」

目の前に座るさんがぼんやりと映り、何度か瞬きをすればはっきりとさんの笑顔が見えた。

「やっぱり仗助はとびっきりキュートね」

おっとりしたさんが口許をおさえて笑う姿は何度拝んでも女神のようだった。
オレが言うと果てしなくチープでクサいけれど、本当にそう見えて仕方がないのだ。



ルージュの真昼
(オレの唇にはさんのカップに残っている口紅と同じ色が残されていて、まるでキスをしたみたいだった。)






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