蜜雨

「随分早かったわね」


彼女はうすら笑う。この男の利用価値は確実に彼女の中で上がっていた。きんいろの髪は闇に負けてくすんでいた。「いきなり来いなんて言っておきながらよく言うなお前」はぁ、と心臓を落ち着かせ、らしくもない汗を拭う。女は狡賢く穢れていた。だから闇と同じく冷たく突き放されているようなきがした。じわりと滲む汗は冷や汗も含まれていた。まるで夢見がちな思考とともにでてくる情事後の汗ように。男には別の女の残り香がこびりついていた。彼女はそれをすぐに男のにおいとかぎ分けるとひとたび機嫌を悪くした。「ちょっと、」言おうとしたがやめた。口の中でカラコロ転がしてなんとも気分が悪い。彼女は決して我慢強い人間ではなかった。どちらかというと、我儘な部類に入る。「おい、」「なによ、」彼女の細い肩にかっちりとした上着が着せられる。ツンとしたこの男の自分のにおいでもないにおいが卑しく包み込む。彼女は、なんの真似?、と声色を変えてつぶやくと男は、ふつー夜冷えが酷いこの時期にそんな薄着で外出るかよ、とあきれた顔で言う。かァ、と彼女は浅はかで子供じみた行動に恥ずかしくなる。よりにもよってこの男に貸しをつくってしまうとは一生の不覚であったのだ。彼女にとって不名誉なことこの上ない。夜の歌舞伎町は目に痛かった。少しだけ紅潮した頬が誤魔化せたのはありがたいが、それでもそれは、頼っている、となんら変わりなかった。そして自分はいつでもこの男の背中によりかかっているのではないかとまた腹を立てた。実際、この男が行方を暗ましたときの不安と絶望がつくらせた嘘の闇に苛まれていた滑稽な自分がいた。そうとわかったとき自分は金時が好きだなんて自覚し始めたものだから余計に意地を張ってしまってやはりこどもだと自己嫌悪に陥る。それが何回も何度もサイクルしてループするものだから、泥沼に嵌まったも同然だった。ポケットから見慣れた箱を取り出す。そこから一本煙草を取り出して、慣れた手つきで非を先っぽにつけて口に含む。この男の半分のにおいはこのにおいがする。その半分はもちろん知らない女の嗅ぎ慣れないにおい。しゅるりと衣擦れの音を弄びながらネクタイの結び目に指を突っ込んで(まるでナカを掻き乱すように)一気に解いた。ワイシャツとネクタイの軋み合う音に耳を澄ませてゆっくりとひっぱって、そのまま地面にだらりと落とす。

「首絞められないだけマシだと思いなさいよ、金時」「はァ?マジお前意味わか「うそつき」・・ん、「ウソツキ」ねー「嘘つき」・・・」「嘘吐き」ぐしゃと、道路にヒールを押し付ける、まるで詰る様に。そして毒づいて吐き捨てて、去っていった。彼女の残り香は白々しい香りがして、胸糞が悪くなって、思わず舌打ちをした。また男も我慢強い方ではなかったので、そのまま踵を返した。ネクタイを置き去りにして。

「愛してるなんて嘘は積み上げてきたどの嘘よりも罪深きもの」






笑うよそゆき






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