蜜雨

タツヤとタイガがアレックスに弟子入りして、わたしたちの生活はだんだんと変わっていった。
まずアレックスがきちんと朝起きるようになった。 日曜日はわたしも学校がないからすこし寝坊気味だけれど、アレックスはいつでもねぼすけだった。 朝ご飯はもちろん食べないし、お昼頃に起きてきて私がご飯を準備していないと大好物のラムレーズンアイスで済ませようとするし、賭けバスケ場に行ったと思ったら夜遅くに帰ってきてロビンを抱き枕にして酒瓶片手に階段で寝る始末だ。 荒んだ生活をしていたアレックスはタツヤとタイガと一緒にバスケをするようになって、本当に楽しそうにバスケをするようになったし笑顔も増えてきて、昔のアレックスに戻りつつあった。 わたしはそんなアレックスを見て嬉しいと思う反面、羨ましかった。バスケを楽しめることも、おなかの底から笑うことも、昔の自分も、わたしは忘れてしまったから。

今日は午後から雨だというから、お昼はうちで食べて午後は勉強をやることになっていた。 アレックス曰く、バスケバカたちもたまには勉強しないと脳みそがバスケットボールになっちまうかららしい。 わたしも人のことが言えないくらいにバスケやってたし、アレックスだってお兄ちゃんだって絶対にタツヤとタイガのこと言えないと思う。

食事の下ごしらえも済んだので洗濯物を室内に干していたら、ロビンが吠える声がしたので3人がただいまと声をそろえて家に入ってくる前にタオルを持って玄関に向かうことができた。 外は午後からの予報だったが、すでに雨が降り出していた。雨と予報があってもバスケをしに行くのに傘なんて持ち歩くような人たちではないので濡れて帰ってくるのは予想通りだった。

「おい、お前ら風呂入るぞ風呂!」
「オレらと入るとかどう考えてもおかしいだろ!?」
「何だタイガ恥ずかしがってんのか?あ、それともと一緒に入りたいとか?このむっつりタイガーめ!」
「ふざけんな露出狂さっさと行け」

アレックスが濡れた服を脱ぎ散らかしながら風呂場に向かっていくと、タイガはその服を拾いながらまたアレックスを怒鳴りつけていて、なんだか本当の親子みたいだった。 アレックスのあのはしゃぎっぷりをいつも見ていたような気がしたのに、そういえばこの前までこんな顔はしていなかったことに気がついた。 前は広くて寒々しかったこの家も、今はなんだかあたたかいもので満ち満ちていて、前ほど家にいることが苦じゃなくなった。

「タイガはなんだかんだ言って面倒見いいからな」
【わたしもそう思ってた!】

いつのまにか身体を拭いて着替えまで済ましていたタツヤがわたしの隣に立っていて、2人の後ろ姿を見つめながら笑っていた。 そんなタツヤを見てわたしも思わず笑ってしまった。

「…やっぱりは笑った顔の方がかわいいよ」

ぽん、とわたしよりも全然大きな手を頭に置いてやさしい顔でそんなこと言うからなんだか照れてしまう。 聡いタツヤに気づかれないうちにロビンを連れて食事の準備をしようとキッチンへ向かった。

お昼ごはんに作ったパスタはあんなに大量にあったのにタイガが残さずぺろりと食べてしまって、タツヤも線が細いのにいつのまにか山盛りにあったパスタはなくなっていた。 食器の片付けはわたしとタツヤがやって、アレックスとタイガには洗濯物をたたんでもらった。 テレビのニュースは雨は依然強くなりこれから風も出てきて、真夜中から朝方にかけてピークを迎えると言っていた。 今日はお兄ちゃんが遠征から帰ってくる日だった。真夜中から朝方にピークと言っても今ですら外はこんな調子だし、お兄ちゃん大丈夫かな…。

「んじゃ、オレは昼寝してっからあとは頑張れよー。、このバカにしっかり教えてやんな」
「だれがバカだっ!」
「お前以外いねぇだろ!もタツヤも賢いからしっかり教えを請うんだな」

おやすみとひらひら手を振ってアレックスは部屋を出ていってしまった。 タイガはその後ろ姿を睨みつけて、荒々しく席に座ってワークと教科書を開いた。 わたしたちはそんな様子に顔を見合わせてくすりと笑ってペンを手に取った。

「…なぁ、。この文章題って…」

タイガがおずおずとさんすうのワークの向きを正して、こちらに差し出してきた。 タイガがペンでこの問題と指し示すと、わたしは文章の要点に線を引っ張って、必要な数字に印をつけてあげると、タイガはそこをまた読みなおして顔をしかめながらペンを動かした。 その様子にホッとしてわたしも苦手な理科のワークに目を通し始めた。

「どうした?
【なんでココってこうなるの?】

隣をちらりと見たわたしに気づいたタツヤの前に、わからない所に線を引っ張った理科のワークを持ってくと、ああと頷いて丁寧に説明してくれた。 タツヤの説明はその性格通り懇切丁寧で、わかりやすくて、今まで曖昧だったことがより深く理解できるのでとても勉強になる。
その後もおやつをつまみながら勉強をしていると、タイガがあまりにも一気に何でもかんでも詰め込むから、【リスみたい】と理科のワークの隅っこにリスの絵とともに書いてタイガに見せたら、タイガはぶほっとふきだして早く口の中の食べ物をなくそうとミルクで流しこんでいた。

「おまっ、なんだよその絵っ!まさかそれリスじゃないだろうな?!」
【リ・ス・だ・よ!!!!!!!】
「おいタツヤみてみろよ、これがリスって言うんだぜは」
「…もしかして美術苦手?」
【…うん】

4時過ぎくらいに上から階段を下りる音がすると、寝起きのだらしない格好でアレックスと寝室について行ったロビンがリヴィングに入ってきた。

「お前ら勉強はかどってるかー?」

自分からわたしたちに声をかけたくせに、返事は聞いてないと言わんばかりに直行で冷凍庫からいつものアイスを手にしてソファに座って、少し遠くにあったリモコンのスイッチを足を伸ばして押した。 チャンネルはお昼のままで、今は夕方のニュースに番組が切り替わっていた。 とりあえずチャンネルを回そうとまた行儀悪く足でリモコンを引き寄せていたら、ニュース速報が画面の上に流れた。

「っっ?!」
「アレックス?」

アレックスの異変に気がついたのはタツヤだった。
アレックスが返事もせずに画面を凝視していたから、タツヤの声に顔をあげたわたしとタイガもつられるようにして液晶に流れるニュース速報を読む。 そこには信じられないことが書いてあった。嫌な汗がぶあっと全身を包んで、唇は震え、喉は冷たい空気を吸ってからからになっていた。 速報は、お兄ちゃんの乗っている飛行機が事故に遭って、乗客員の安否は不明で、飛行機との連絡は途絶えている状態が続いているという内容だった。

昨日テレビでお兄ちゃんの試合がライブ中継されていて、お兄ちゃんは自分よりも大きな選手に囲まれている中シュートを決めて、大きくチームの勝利に貢献していた。 今シーズンは自分でもノッていることを実感するくらいに調子が良いみたいで、これからももっともっと試合に勝って、活躍するって言ってたのに。 それなのに、それなのに事故だ、なんて。

アレックスは無言で立ち上がって、ジャケットを羽織って車のキーを持った。わたしは玄関に向かうアレックスの前に立ちふさがった。

【わたしも行く】
は家に電話が来るかもしれないからここで待ってろ。お前ら、を頼んだぞ」

タツヤとタイガが真剣な面持ちで頷いた。わたしは、何も言えなかった。誰もが不安だった。ロビンまでもこの空気を感じ取ったのか心配しそうにわたしの足にすり寄ってきた。

【…気をつけてね。ごはん、お兄の好きなの作って待ってるから】

わたしの文字にアレックスは泣きそうになるのを必死に我慢している顔を見られないようにぐしゃっとわたしの頭を撫でて、嵐の中に飛び込んだ。外は雷が轟いていた。
リヴィングに戻ってテレビを見ると、新しい情報はまだ入っていないみたいだった。 不安が募って落ち着かないわたしはロビンを抱きしめると、ロビンはゆっくりとしっぽを振って、それがなんだかわたしを慰めてくれているみたいだった。 外はさらに凄味を増して荒れていて、雷の音もこちらに迫っているようだった。

ばちん。

まっくらになった。

「あ?停電か…?、懐中電灯あるか?」

タイガの質問に返事が出来なかった。こんな時まで声が出ない自分を恨む。

、大丈夫だよ。Yesだったら床を1回叩いて、Noだったら2回叩いて?」

落ち着いた、タツヤの声が聞こえた。タツヤは姿が見えなくてもわたしを安心させてくれる。

【とん】
「おし!えっと…懐中電灯の場所わかるか?一人で取りに行けるか?」
【とん】

タイガに返事をして立ち上がると、ロビンもわたしのあとをくっついてきてくれた。 テレビ横にある物入れを開けて、懐中電灯を探すと、意外とすぐに見つかってよかった。 かちりとスイッチを押すと煌々とした一本の光がこのまっくらな部屋の中を照らした。

「おお!やっぱ懐中電灯あるとちげ―な!」
「そうだね。とりあえず電気が復旧するまでじっとしてるしかないけど…、懐中電灯はテーブルの上に置いてくれ」

頷いて、わたしはテーブルの上に置いて、さっきと同じようにソファに座った。 じっとしていると、絶望が重力に従ってわたしに圧し掛かってくる。 ロビンに顔を埋めて、そのあたたかさでなんとかそれをこらえる。 何か動くような気配がしたけれど、顔をあげたら絶対に涙が出てしまうから、構わずにロビンの身体に顔をうずめていた。 両サイドに体温を感じたと思ったら、ソファの人口密度が最大にまでなり、タツヤとタイガがわたしの両隣りに座ったんだと思った。 ふわりと頭に手を置かれて髪の流れに沿ってなでられ、逆サイドからは手を握られた。 こっちはタツヤで、そっちはタイガ。なんとなくそう思った。

「ぜったいにだいじょうぶ」
「ああ、なつる兄はぜったいにだいじょうぶだ」

だいじょうぶ。
なんでだろう。タツヤとタイガに言われると、信じたくなるのは。お兄ちゃんは生きてるってちょっとでも希望がわいてくるのは。ほんとうに、なんでだろう。 きっと、とてつもなくふたりはつよくつよく、そう思っているからだ。同じくらい不安を抱えているのに、だいじょうぶといえるのは、タツヤとタイガが、その不安と戦えるくらいにつよいこころを持っているからだ。
アレックス。わたしはアレックスが2人と出会って変わったと思っていたけれど、それはちがうんだね。 タツヤとタイガのまっすぐでひたむきなつよさを、かつてわたしたちももっていた。それを、アレックスは取り戻しただけなんだ。

…おい、?」
「…寝ちゃったみたいだな」
「…なあ、タツヤ。なつる兄だいじょうぶだよな…?」
「あんな言葉掛けといて俺たちが信じないでどうするんだよ」
「っ…わーってるよ!ただ、が寝たせいでちょっと気が抜けて…弱さが、……出ちまった」
「俺たちはよりもずっとずっと強い存在なくてはならないんだよ、タイガ」
「ああ、そうだな」

を、きみを護るために。




!タツヤ!タイガ!起きろっそんなとこで寝てると風邪ひくぞ」
「っ…アレ、ックス?!!」
「なつるさん…っ!」

目を開けるといっぱいに光が入って来て、目を細めた。

、心配かけてごめんな。不安な思いさせて、ごめんな」

たくさん、たくさん考えていたことがあったけど、今はもう何も考えられなかった。
必死に目の前のお兄ちゃんの存在を確かめるように腕に力を入れて、消えてしまわないようにがっちりと繋ぎとめて、とくんとくんとあったかい鼓動を耳に焼きつける。 わたしをすっぽりとつつんでしまう大きな身体も、てのひらも、ぜんぶ、ぜんぶお兄ちゃんそのものだった。

「ただいま、




(あの飛行機に乗ってなかった…?)
(ああ。試合に勝ってみんなして朝方まで酒飲んで、寝坊して、予定の便に間に合わなかったから一本遅らせたんだ)
(く、くだらねぇ…)
(あの事故も大したことなくて、通信機器の不具合があっただけだったみたいだ。 で、に電話しようと思ったんだが、つながらなくてな。それより家に帰った方が早いってんでかっ飛ばしてきたわけだ)
(なんだこのオチ…これでいいのか?こんなんでいいのか?)
(やまなしおちなしいみなし的な意味合いだったら万事OK!じゃないのか?)
(いいわけあるかあぁぁぁあぁああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!)
【あ、クロスアッパー…】


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