蜜雨

「はーい、れんしゅーしゅーりょー」

ぱんぱんと手をたたくと一気にだらける小学生連中にタオルとスポドリを渡すと、すごい速さで飲み始めた。元気だなあ。

「みんなこのあとかき氷食べようよ。もちろん自分で作ってもらうけど」
「えー、が作ってくれるんじゃねーのかよー!」
「準備だけしてあげるから、自分で作りなさい。あとじゃんけんで負けた人はわたしの分も追加ね」

この子たちに鬼と呼ばれようが悪魔と呼ばれようが練習メニューは決して緩めないし、かき氷も作ってあげない。 かき氷って意外と力使うから、いいトレーニングになるでしょう。というはのはもちろん建前だ。

じいちゃんの家の裏にはバスケットゴールがあって、アメリカにいた時に日本に遊びに来るといつもそこでお兄とバスケをしていた。 日本に住むようになってからもじいちゃんの手伝いの合間にバスケをしていたのを小学生に見られて週に何回か練習を見ることになった。

「みんな手洗った?わたし洗濯物取りこんでから食べるから、先作って食べてていいよ」

その場をみんなに任せて、縁側にあるサンダルをつっかけて洗濯物を取りこもうとすると、見知った顔がこちらに向かって歩いていた。 夏休みの間もずっと部活なのだろう。帰宅部であるわたしは休み中は学校に行く機会が極端に少なくなるからよくわからないけど。池ちゃんもお盆以外はほとんど部活だと言っていたし。

「くーろーこーくーん!!」
「! さん」
「お疲れー」

塀によじ登って黒子くんを呼ぶと、彼はすぐに気がついたみたいで、こちらに駆け寄ってきてくれた。 征くんが持っているのと同じ重そうなバッグがその度に揺れる。

「なんだか久しぶりですね」
「そだね。やっぱりバスケ部は毎日部活?」
「ええ」
「今日はこの後なんかある?」
「? いえ、特には…」
「じゃあうちでかき氷食べていかない?うるさい小学生もいるけど」
「は…い?」

塀を飛び越えて黒子くんの隣へ降り立つと、きょとんとする黒子くんの手を引っ張って玄関前まで連れてきた。 いまだにあまり状況がつかめていないのか、テーブルについた時にはっと我に返ったみたいだった。遅いよ、黒子くん。

「なんだお前、の彼氏か!」
「彼氏…」
「ええー、ねーちゃんはおれのおれの!!」
「ひろ、よっちゃん、みっちゃん。帝光中バスケ部の黒子くんだよ。挨拶は?」

あまり饒舌ではない黒子くんはこの子たちのマシンガントークにたじたじだ。
やんちゃ盛りのひろに無口で繊細なよっちゃん、甘えたがりなみっちゃんは同じミニバスの仲間で若きエースだ。 この子たちは性格もバスケに対する考え方も全く違うのだけれど、何故か仲良しだった。大抵わたしの所で練習する時は3人一緒に来ることが多い。

「そこの帝光中バスケ部って言ったら…お前レギュラーかよ!!」
「ひろ、先輩なんだからもうちょっと丁寧に話しなよ」
「…強いの?」
「もしかしてねーちゃんより強いってこと??」

残り少なくなったかき氷がどんどん液状化していってるのにあのトリオは気づいていないのだろうか。 まあ、ずっと憧れている帝光中バスケ部の先輩に会ったのだから興奮するのはしょうがないか。

「黒子くん、シロップカルプスでいい?」
「はい」
「なあなあ、どうなんだよー」
「ひろ、早く食べないと溶けてるよ。みんなも、黒子くんは部活で疲れてるんだからそんな質問攻めしないの」

ひろの肩を引っ掴んで無理矢理座らせてスプーンを持たせる。 よっちゃんみっちゃんにも睨みを利かせると、大人しく水と化した元かき氷を流し込むように食べた。 その後みんなは塾があるからと帰ってしまうと、途端に今まで騒がしかった茶の間は静かになった。 黒子くんもわたしも無言でしゃくしゃくと氷をシロップに浸して口に運ぶ動作を続けていた。 粗方食べ終えて、わたしは黒子くんを真っ直ぐと見た。

「余計な事だったらごめん。黒子くん、なんか悩んでる?」
「…いえ、特に「しかもバスケ関連で」
「……どうしてそう思うんですか?」
「…わたしのお兄ちゃんもそんな顔してたことあったから、かな」
「そう…ですか…」
「ちょっと待ってて」

かき氷の残りをかっ込んで頭にくるキーンとした痛みに耐えながら、自分の部屋へと向かって棚に収納されているDVDを引っ張り出す。 壁にはコルクボードが掛けてあって、その真ん中にはお兄ちゃんたちと一緒に撮った少し大きめな集合写真が貼ってある。 お兄ちゃんにアレックス、タイガとタツヤ元気かな。ほんの少し前のことなのにものすごく懐かしく感じる。

「お待たせー」
「いえ…あの、それは?」
「このDVD見て」

戸惑った表情をしている黒子くんをよそに、わたしはデッキにDVDをセットして再生ボタンを押して少し早送りする。 何回も見たから試合の流れはきちんと覚えている。東洋系の顔立ちをした細身の男がダンクを決めようとする所で早送りを止めて再生する。

「この、今ダンク決めた人、わたしのお兄ちゃん」
「…え?」
「日本人がNBAで活躍する確率なんてほんのわずか。何回も挫折してバスケをやめようとしていたけど、お兄ちゃんはこうやってNBAで活躍してる。どうしてだと思う?」
「……………」
「バスケが好きだから?才能が認められたから?諦めなかったから?」

意地悪な質問をした。答えなんて人それぞれで、その答えすらもあってないようなものだ。 お兄ちゃんが挫折して荒れている姿を何回も見てきた。
綺麗事ばかりではない。好きだからとか諦めなければとか、そんな気持ちをずっと持ち続けてバスケをする精神力なんて人間にはない。 死に物狂いで勝利にしがみついて、時には汚い事して仲間蹴落として、自分をアピールしなければならないのがプロだ。 そうやって日の目を見た人たちだけが、あの輝かしいコートでプレイをする。

「……僕の周りにはすごい才能を持った人たちがいて……」
「うん」
「でも、自分には何もなくて、ただ毎日が無意味に過ぎていく気がして…」
「うん」
「いくら練習をしてもどうせあの人たちの才能には勝てないんだと思ってくる自分も嫌で…」
「うん」
「放課後ずっと練習しているけれど、やっぱり結果は同じで…」
「…うん。黒子くんは頑張ってるよ。こんな遅くまで、きつい練習も頑張って…3軍にいても腐らずに…」

何度も目にした。努力が報われない人間を。頑張って頑張って結果が出ないと、こうも人は弱くなる。 俯いている黒子くんのつむじを撫でるとふわりと汗のにおいがした。 無責任だけれど、どうか黒子くんがバスケを続けてくれますようにと、そしてあわよくばあの輝かしいコートに立たせて下さいと泣きだした空に向けて願った。


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