蜜雨

ここに来たのは2回目だった。 いつ来てもここは遺志の海だ。

「また付き添ってもらっちゃってごめんね。練習とか大丈夫だったの?」
「構わないよ、お盆の3日間はオフだからね」
「家でゆっくりしててもよかったんだよ?今はもう電車もバスも乗れるんだし…」
「俺が来たかったから、じゃ駄目なの?」
「う…駄目じゃないです、むしろついてきてくれて心強いです赤司様様です」
「素直なのは悪い事じゃないよ」

出掛ける時は決まってと手をつなぐのがお決まりとなっていた。 常にと行動する時には俺が手を繋いでいたからこうなったというのもあるのだろう。 今ではどちらからともなく手を繋いでいることが多い。

「あいかわらず何もないね。都会的なものも、日を遮るものも、余計なものも」
「ああ」

石畳と潮の香り、小高い丘。それがのご両親が眠っているお墓の場所だった。
の手にはたくさんの色とりどりのフリージアがあった。お母さんが好きだった花らしい。 お盆に定番の菊ではなくお母さんの好きな花を持っていくあたりがなんともらしい。 服装だってバスケばかりでジャージ姿が多いのために生前母親が買ってきてくれたという白いワンピースだった。 その長い髪だってせめて髪だけでも伸ばして女の子らしくなさいと言われたために切らずにいるのだ。 の中に母親は今もなお生きていた。

「じいちゃんも来れればよかったんだけど、やっぱり年寄りにこの坂はきついね」
「年寄り扱いするとすぐに怒るけどね」
「ね」

確かにこの急勾配な道を最近身体に無理が利かなくなってきてるのおじいさんに登らせるのは苦だろう。 ただでさえあの年齢で働きづめなのだから。そのおかげと言っては聞こえが悪いが、おかげでとこうやって一緒に出かけられるのだけど。 本当にあのじいさんはを溺愛している。
今日だって俺に6時まで孫を傷一つつけずに送り届ける命が下っているのだ。 この俺に命令をして、そしてその命令にこの俺が従うのなんて全部のためなのだから、俺もあのじいさんのことが言えないのかもしれない。




初めてここにと来た時、はっきりと俺はこの子が愛おしいと思った。

当時まだ日本に馴染めていないは、バスと電車の乗り方も分からなかった。 だが、そのどちらも使って行きたい場所があるようだった。それがのご両親のお墓だった。 の教育係を任されることになる前に、だいたいのの家の事情はうちのおじいさんから聞いていた。
のお兄さんのデビュー戦を観戦するために、飛行機で移動している最中にの両親は墜落事故に遭った。 は先にお兄さんと試合会場へいたから、その事故には巻き込まれなかった。 その事故のことを知らされたのは、お兄さんのデビュー戦が終わった後だった。はショックで一時的に声が出なくなったと聞いた。 そんなをあそこまで立ち直らせたのは2人のバスケ友だちらしいが、言葉を濁したおじいさんに問い詰めればその友だち2人は男だと言う。 アメリカに行く機会があったら是非とも切り刻みた…その2人の野郎のおかげでは元のに戻って、中学に上がるのをきっかけに両親の住んでいた日本に住みたいという願いをのおじいさんは快諾したらしい。

「お空のきれいなところでお父さんとお母さんが笑っていればいいなあっていつも思ってる」
「でも本当は今、わたしの前で、笑っていてほしい」
「抱きしめて、頭撫でてもらって、お母さんにお兄とバスケしすぎて女の子らしくなさいって耳にタコできるくらいに言われて、お父さんがお母さんをなだめてるの」

その日は風が強かった。
お母さんが大好きだったというフリージアの花びらが何枚か散って、海の方へと飛ばされていった。 まるでのお父さんとお母さんの魂のように、海に飛ばされてやがて沈むのだろう。 の真白なワンピースがはためいて、髪の毛もぼさぼさになっていた。 叶うことなどありはしないただの希望をつらつらと語るはとても弱い存在で、まるで愚かだった。 けれど俺はを捨てることはできなかった。悲しそうに笑うも、透明な涙を流すも、俺が守りたいと思ってしまった。 俺の絶対的な存在でなければお前を支えることが出来ない。そうだろう、

線香をあげてしゃがんで手を合わせると、もそれに倣って手を合わせて目をつむった。 その横顔が今まで見せてきたどの表情よりも真摯でうつくしい曲線を描いていたものだから、少しだけ長く見つめてしまっていた。 そして目を開けた時のははっきりとした眼差しをしていた。 は人の目をしっかりと見て会話することが普通だった。 その眼差しが今は目の前の両親のお墓に向けられている。 きっとたくさんたくさん、話をしているのだろう。

「やっとゆっくり会えた。征くん、ここに連れてきてくれてありがとう」


満足したのかその場から立ち上がったのすべてを遮断するように抱きしめた。 アメリカ育ちのにとってハグは手っ取り早いスキンシップだ。 たいして慌てることもなく、しばらくはなれそうにない俺の背中に腕をまわしてきた。

「…征くん、本当にありがとう…」


<<