「おかえり、精ちゃん」
オレを精ちゃんと呼ぶ女はこの世にたった一人しかいない。
淋しい熱帯魚
「、来てたのか」
。オレのいとこだ。しょっちゅうオレの家に来ては我が物顔で居座る女。今日もまた合鍵を使って部屋に入り、この家に置いたままになっている大きめなシルクのシャツだけを着てソファで寛いでいた。風呂に入ったのか、オレが使っているボディソープの香りがを中心に室内を漂っている。上質なシャツから覗く程よい肉感を纏った白い太腿が悩ましげにそして容易に雄を誘ってくるが、うまそうにアイスを頬張りながら能天気にファッション雑誌を読んでいるせいで全て台無しになっていた。
「花の女子大生を捕まえといて、こんな深夜にご帰宅ですか?」
「その花の女子大生がそんな格好してていいのか? ああ……せっかくだからアキラくんに見せてやったらどうだ、さぞ幻滅するだろうがな」
ニヤニヤと腹の立つ笑顔を浮かべるに、ため息と共に嫌味を吐き出してジャケットを脱ぎネクタイを緩めた。
「それはダメーっ!! アキラくんの前ではいつも清楚で美しいさんでなくちゃいけないんだから!」
オレの弟弟子であるアキラくんとは面識があった。
本人が言うように、現在は某有名音大に通うまさしく"花の"女子大生である。実家はその音大からは遠く離れており、の両親が過保護故に一人暮らしもさせてもらえないせいで、大学に近いオレの家が半ばセカンドハウスのように使われる羽目になったのだが、その話は置いておいて、だ。たまたまの出るコンサートにアキラくんを誘ったことがきっかけで、そこからいつの間にやら仲良くなり、今やコンサートのチケットはオレからではなく、から直接アキラくんに手渡すまでの関係となった。幼い頃から自分よりも遥か年上に囲まれて囲碁を打ってきたアキラくんは、どうも年上に好かれやすい。ももれなくアキラくんには甘く、酷く年上ぶるのだ。
「アキラくんの前でなくても清楚で美しくしておけよ」
「こんな私、精ちゃんの前だけだもん! 外見なんか取り繕わなくったって、精ちゃんは私を好きでいてくれるもの」
「……風呂入ってくるから大人しく待ってろ」
くしゃりとの髪を乱すように頭をひと撫でし、オレはバスルームへと消える。
まあ、つまり、オレとの関係は見たままだ。
の両親は大層教育熱心であった。幼い頃に様々な習い事をさせ、才能を開花させたピアノを極めんと両親が躍起になっている。そんな境遇でもはきちんとピアノを愛せたのだが、実家にいると親の期待や圧力が嫌になることが多々あった。ももう親の言いなりになるような子供ではない。はっきり自我も自立心も芽生えている。そんなと、自身の自己顕示欲を満たすためだけにを使いたい両親が衝突するのは火を見るよりも明らかであった。そうして喧嘩して家を出て行き、辿り着いた先がオレの家だった。それからオレからもの両親を説得し、学業の成績を落とさないという条件付きで、はオレの家を自由に出入りする権利を手に入れたのだ。昔からはオレによく懐いていたし、オレもそんなを憎からず思っていた。だからがオレの家に入り浸るようになり、二人で過ごす時間が長くなるにつれて男女の関係になっていったのは自然な流れであった。
風呂から上がると微かにピアノの音が聞こえた。
と付き合うにあたって、の両親にどのくらい真剣か誠意を見せろと言われ、癪に触ったオレがに贈ったのがグランドピアノと防音室であった。おかげでの両親を黙らせることに成功し、の練習時間も確保出来た。には「すーぐ熱くなるんだから、精ちゃんは」と嗜められたが、その表情は満更でもなかったので鼻で笑ってやったのを今でも覚えている。
「どこかで聴いた曲だな」
件の防音室のドアを開け、鑑賞用に置いたほぼオレ専用となっている椅子に座り、滑らかな指さばきから織りなす旋律に耳を傾ける。曲が終わるとオレは口を開いた。
「フォーレのシシリエンヌよ」
「クラシックは曲こそ知っているが、曲名を言われてもさっぱりピンと来ないな」
「私がたくさん弾いてあげてるのに、精ちゃんたら覚える気がまったくないんだもの」
「お前だってこのオレが直々に碁を教えてやったってのに、基本すらわかってないじゃないか」
お互いピアノと囲碁に注力しすぎて他が疎かになってしまっているのだが、いかんせん特段生活には困っていないので物事に対する姿勢が変わることはなかった。
「精ちゃんが教えてくれたえっちは優等生だからいーの!」
「……なんかお前その発言オヤジくさいぞ」
「それは絶対絶対精ちゃんのせい!」
「そのオヤジ好みに育てられて悦んでるのはどこのお嬢様だ?」
「それよそれ!」
誰がオヤジだ。
オレとはそれぞれ違う白黒の世界で生きている。自らの手を以っては鍵盤を、オレは碁石を操り、至上の喜びを得る。それが今、鍵盤も碁石も捨てて互いの指を絡め、互いを支配しあっている。この時ばかりはオレがを爪弾く奏者となるのだ。
「ッ、は、ぅんン!」
防音室の壁に手をつき、オレに尻を差し出して快感にしなる背中を見つめながら腰を揺らすと、泥濘の上壁が擦られて気持ちいいのか面白いくらいによく啼く。
「まっ、ぁ゛、く……ダメぇ! イッちゃう、イッちゃうイ゛ッ!?」
のイイトコを抉りながら、すでに硬く勃起しているクリトリスを苛めてやると、ぼたぼたと涙を流しながらイヤイヤと頭を振り始めた。女のセックス中の「ダメ」と「イヤ」という言葉ほど信用できない言葉はない。構わずを追い詰めるように責め立てると、は足をがくがくと震わせてひゅっと息を呑んでイッた。そのまま床に崩れそうになるの汗ばんだ薄い腹に手を添え、二の腕を掴んで支えてやる。
「もぉ……精ちゃんしつこい……」
「嫌いじゃないクセに」
まだ憎まれ口を叩く余裕のあるの顎を掴み、よく回る舌を引っこ抜くようにわざと音を立てて吸う。
「ん、ふぁ、……は、っ」
湿気の籠った吐息が漏れ、快感を求めるようにオレに縋りつく姿はとてもアキラくんには見せられない。がネコを被った笑顔をアキラくんに向けるたびに、欲情に焦がれた顔を蹂躙できるのはこの世でオレただ一人なのだという事実が浮き彫りになる。オレはいつまでもその背徳と優越の狭間に浸っていたい。囲碁以外でオレがこんなにも自ら夢中で溺れようとのめり込むのは、後にも先にもだけだろう。
「精ちゃ、っ精ちゃぁん……あっあっ!」
防音室からベッドへと場所を変えると、はオレを仰向けに押し倒して馬乗りになった。そのまま腹に張りついていた屹立を、ぐっしょりと愛液に塗れた蜜壷の入り口に何度か擦りつけ、一気に挿入する。深くまで突き刺さったせいでのナカが悦びにきつくうねり、俺の射精感も急激に高まったが、余りにも強い快感に怖気づいたが一旦動きを止めたおかげで落ち着いた。それからはもっともっととねだるように絶頂を求めて腰を動かし始めた。これら全てオレがに教え込んだ。セックスのやり方も、気持ちよくなる方法も、男の誘惑の仕方も、全部だ。真っ新ながオレ好みに染まっていく様は酷く気分がいい。こんなことを口にしてしまえば、またにオヤジ扱いされるだろうから決して言わないが。
「はぁ、精ちゃ……す、き……すきぃ……」
とめどなく襲ってくる官能に腰を揺らしながら、熱く火照った身体をオレの胸板にくっつけて滑らせる。オレの浅黒い肌の上を白い乳房が好き勝手に泳ぎ回る。唇を寄せたはちゅっちゅ、とまるで少女のような幼いキスを何度か繰り返し、オレの薄く開いた口唇の隙間から舌を差し込んだ。交尾するみたいに熱情に熟れた赤い舌を深く絡ませる合間に、濡れた声でオレの名を呼び、小鳥のように愛を囁く。そればかりじゃ飽き足らず、一度オレのを抜くと、そのまま硬く尖った突起をオレの口元に持ってきた。お望み通り、期待に震えてつんと主張するの乳首を口に含んでやると、嬉しそうに表情を蕩けさせてオレの頭を抱え、髪に指を差し込んでぐしゃりと掴んだ。
「ンぁっ、あ゛、きもちっ、きもちぃ……!」
優しくけれども執拗にたっぷりとした唾液とともに乳首を舌で扱いてやると、は甘美な嬌声をあげた。気持ちいい時、素直に表現にすればもっと気持ちよくなれることをは知っている。オレがそう教えたからだ。快楽を貪る従順で厭らしい獣と成り下がったを愛していいのはオレだけである。
「お前が好きなのはコレじゃないのか?」
今度はオレがを押し倒し、足を広げて怒張を熱く滾る坩堝へと導く。ゆっくりと感触を楽しんだ後、奥の子宮口をガツンと穿つとが迫りくる快感から逃げようとするので、腰を引っ掴んで更に奥へ奥へと突き進めてやった。
「ひゃああん! ぃ、じわる、おやぢ……!」
「まだ言うか」
人が折角の我儘をきいてやっているというのに。
「っ、あぁ! は、ぅう、ん゛ぁ、っあ! やっ、精ちゃ、て、手……ッ!」
飛んでしまいそうな時、は助けを求めるようにオレの手を握ろうとする。普段その手は全て無機質な鍵盤に奪われているのだが、この時だけはオレのものとなる。もまた普段碁石ばかり触れているオレの手を独占したくて欲しがってくれているのだろうか。それならばオレのこのくだらない独占欲も少しは満たされるというものだ。
*
起きたらは隣にいなかった。まだ眠気と怠さが残るオレの耳に入ってきたのは、またもや微かなピアノの音。こんなセックス後の明け方でも関係なくピアノを弾く根性は流石である。オレもたとえ泥酔状態であろうが、saiと囲碁が打てるなら喜んで打つだろうから同類だ。
「今度は何の曲だ?」
やってきた防音室にはセックス特有の湿った空気はもう残っていなかった。それだけで、どれくらいの時間が経過したのか肌で感じ取れる。
「フォーレの夢のあとに、よ」
しかしにはまだ艶と微熱が残留しており、意味ありげな視線をオレに送ってきた。オレが眉を顰めると、は小さく笑いながら口を開いて曲の解説を始めた。
が弾いていた「夢のあとに」は歌曲だ。男は夢で出会った美しい女性と幸せなひと時を過ごすが、やがて夢から覚めた男は女の幻影を返しておくれと独り淋しく叫ぶ、という内容である。
「ねェ、精ちゃんも淋しかった?」
散々愛し合った後に、すっかり冷え切ったシーツの海にオレを取り残したのも、起き抜けにこんな切なくも苦しい曲を聴かせたのもワザとだ。幼少時代から親の歪んだ愛情しか向けてもらえなかったは澄ました顔こそしているが、その実極度の淋しがりである。だからこんな冗談みたいな言葉を投げかけてはオレの気持ちを引き出すのだ。
「ああ、淋しいからお前だけは夢にならないでくれよ、」
その度にオレは息を吹き込むようにキスを落としてやる。
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