箱学チャリ部と女帝
※弱ペダ熱が最高潮の時に書いたシリーズ(完全に若気の至り)
※逆ハーと思いきや、ただわちゃわちゃしているだけ。
※うっすらヒロイン設定(千葉出身で、親の仕事の都合で神奈川に引っ越してきた。ロードはエンジョイ勢。寒咲兄妹といとこ。今泉とは昔馴染み。声フェチの気がある。誰に対しても物怖じしない性格が災いして、いつしか女帝と呼ばれるように)
そのいち / そのに / そのさん
そのいち
校舎裏の方から騒がしい声が聞こえた。なにか一方的に怒鳴りつけるような、野太い汚らしい男の声が嫌でも耳に入ってくる。ぎゃんぎゃんと負け犬みたいに、弱い自分を強さという防具で飾り立てて反吐が出る。一体どこのどいつだと物陰から覗くと、ガタイの良い男2人の間から華奢な女子が見えた。どんな状況だよ、と心の中でツッコミを入れていたら1人の男が女の胸倉を掴む。おいおい、さすがに女に手ェ上げンなよと思わず止めに入ろうとすると、胸倉を掴んでいた男の丸太のような腕を掴んで、あろうことか一本背負いを豪快に決めた。一連の動作が流れるようで、とても一朝一夕で身につけた技には見えない。呆気に取られていると、またもや男の野太い咆哮が木霊した。耳を塞ぎたくなるようなけたたましさだ。近所迷惑だろーが。
「うおおおおお!!!さんの一本背負いがこの体に刻まれるなんて感無量っス!!!一生ついていきます!!!」
「や、一生ついてこられると大迷惑です。先輩これを機に諦めて下さい、いやほんとに」
「さん!オレにも是非一本背負いをお願いします!!コイツにだけずるいですよ!!!」
「きもちわるいのでこれっきりにして下さいね。これ以上付き纏われるとか勘弁して下さい」
「我々の業界ではご褒美ですさんンンンンン」
気色悪い男2人とまともな女子ってスゲー絵ヅラだなオイ。もう1人の男がそれはもういい顔をしてまたも豪快に投げられていたが、大丈夫だろうか――アレは確実に昇天していた顔だ。このまま見なかったことにして立ち去って、一生かかわり合わないのが賢明であると考えたオレはそっとその場を後にした。
そう思っていたのに、オレが入った部活にコイツ――はマネージャーとして所属していた。全国区の部活ともなれば、当然マネージャーといえど仕事量は半端ない。たまにが瞬間移動や影分身を駆使して仕事をしているのではないかと疑ってしまう程の仕事量だった。その上休みもなく、毎日遅くまで残って仕事、仕事、仕事だ。オレたちの汗まみれのくっせぇ洗濯物や何十本ものボトル洗いと何十キロものドリンク作り、おまけにおにぎりまで握って部員の体調管理にも気を配り、物品の注文、事務処理やスケジュール調整、大会の申し込み、コースや敵校の視察や研究エトセトラエトセトラ。よく漫画で見るような可愛いマネージャーが笑顔でドリンクとタオルを渡すだけの仕事なんざ夢のまた夢だ。俺が部活に入る前は1年の女子マネージャーが何人かいたみたいだが、軒並み漫画のようなマネージャー業に憧れていたようで、イメージと違うと言って以外残らなかった。かと言って先輩のマネージャーがいるかと思いきや、去年卒業した三年のマネージャーの陰湿なイジメによって後輩は皆辞め、女子マネージャーは箱学チャリ部から絶滅してしまった。そんなチャリ部に入部したはたった数カ月で、部内の悪しき制度を最低限の人員で合理的に効率良く雑用が出来るよう、1年生ながら主将や顧問に進言して納得させた。おかげで新入部員の練習時間が増え、部全体の実力を底上げすることに貢献したのだが、のスゴさはそれだけに留まらなかった。加えて学年2位の頭脳とロードバイクに関する知識、テーピングやアイシングなどの怪我に対する処置――どれをとっても強豪校のマネージャーとして必要な要素を兼ね備えていた。顔も可愛いし、これでもう少し胸囲があればそれなんてギャルゲー?という状態になる程のステータスは飽和していると一部部員で盛り上がっていたらしい。
オレが入部した事で部内の雰囲気が――ニオイが変わった。オレはいわゆる腫れ物扱いを受けていた。誰もオレに直接話しかけることはないが、影で何を言われているかは大体想像がつく。早く辞めろ、あんな奴すぐに辞める、不良なんて箱学チャリ部に必要ない――だが福富だけは、福ちゃんだけはオレを信じ、強くなれと、必死でしがみついて思い切り踏んで踏んでペダルを回せと言った。オレにはそれだけで十分だった。そういう純粋な気持ち、忘れていた熱さに、きっとチャリは、ロードは応えてくれる。そう福ちゃんが教えてくれた。
正式にチャリ部に入部したオレの練習は今日も今日とて変わらない。ローラーをひたすら回す――ただそれだけだった。誰もオレの隣に来ない。正直人付き合いも馴れ合うのも鬱陶しいから好都合だった。
インターバルに入ると、すっとボトルとタオルが差し出される。睨みつけるように顔を上げればがいた。まともに接するのは初めてだった。メンドクセェと舌打ちしながら奪うように乱暴にボトルとタオルを受け取っても、物怖じせずににっこりと笑う。だがその手にはハサミが握られていた。あァ?ハサミ?
「荒北くん、速くなりたいんならその髪切ろうか」
まずはその風の抵抗がすごい穂先から、としゃきんしゃきんハサミの刃を動かす。穂先とはこの頭部から飛び出ている部分のことを指しているのだろうが、そんな所から切られた日には髪型が確実に残念なことになるどころか登校拒否すんぞ。
「大丈夫、痛くはないから」
痛い痛くないの問題ではない。男として――人として終わるか終わらないかの問題だ。
山から降りてきたクライマー勢が部室に入り、があらかじめ用意していたドリンクとタオルを手に取って休憩に入っているのが横目に入った。ハサミを手にオレにジリジリと近寄るとオレのただならぬ攻防戦に、カチューシャをしたでこっぱちがぎょっとする。
「な、何をしているのかねさん」
「東堂くん、荒北くんをおさえててくれない?じゃないと手元が狂って耳削ぎ落としちゃうから」
こえェよこの女!!!なんてこと口走ってンだ!!!
東堂と呼ばれた奴はオレの顔を見て顔を顰める。コイツも他の部員と変わらない――オレを厄介者と思っているクチだ。だが今だけはではなくオレの味方になったようだ。
「それはならん、ならんよさん!髪は女の命というが、男も同じでな。荒北の醜い顔が髪型の所為で更に酷くなってしまうではないか!それでは本当に見るに耐えなく「っせーよ!でこ助がァ!!」
「むっ!人がせっかく擁護しているというのに…まさか荒北…っ!オレの美しさに嫉妬して…!!!」
「っは!随分とめでてェーアタマしてんなァ?」
「ハサミじゃ不服?じゃあバリカンに…」
オレと東堂の言い争いを歯牙にもかけず、はどこからともなくバリカンを用意し始めた。しかもそれ五厘用の刃じゃねェかフザケンナ。
「、テメェに言いたいことがあんだけどォ」
「なぁに?その話は荒北くんの空気抵抗減らしてからじゃ遅い?」
「この間校舎裏で男2人に絡まれてたろォ」
「え、荒北くんどっから見て…?」
「綺麗な一本背負い決めんのはいいけどよ…見えんぞ、パンツ」
しかもネコチャンの、と付け加えたらカッと顔を赤らめる。オレの声が聞こえなかったのか、東堂は不思議そうな顔でさんどうしたんだと首を傾げていた。の強行を止めることに成功したオレは、の肩に置いていた手を下ろした。俯いたまま何も喋らなくなったに、さすがのオレも罪悪感が生まれる。そうだよなあ、一歩間違えばセクハラだ。がやろうとしていたことを考えれば、オレにもそれくらい言っていい権利があるはずだが、言って良いことと悪いことがある。東堂には聞こえないように言ったつもりだが、それでもパンツのことは墓まで持っていくべきだったか。、と声をかけて一言謝ろうとすると、があの時の野郎どもと同じようにオレの胸倉を掴んできた。
「よろしい、ならば戦争だ」
ちなみにネコじゃなくてキティちゃんだよ、といらん事を付け足して足を踏み込んだところで、の細い肩に福ちゃんがぽんと優しく手を置いた。福ちゃんの後ろにはパワーバーをのんきに食べている奴がいる。
「、荒北はメニューが終わったら髪を切りに行く予定だ。心配することはない」
きちんと練習をこなしてから行くつもりだったのだと福ちゃんが言うと、は少しだけ目を見開いて福富くんにそこまで言われたらとオレからスッと手を引く。既に髪を切る切らないの問題ではなくなっていたのだが、福ちゃんの空気を読まない発言に毒気を抜かれたのか、困ったように眉をハの字にしては福ちゃんと新開にボトルとタオルを渡していた。
福ちゃんから課せられたキッツイ練習は、やろうと思えば部活が終わる時間よりも早くに終わらせられる。だがそれはよっぽど頑張ればの話だ。福ちゃんはメニューを予定時間より早くこなして髪を切りに行けというオーダーをオレにした。形振り構っている時間はねェ。これは男のメンツ、というか人間の尊厳を賭けた戦いだ。
「寿一、心配する必要はなかったな」
「うむ…」
オレが夢中になってペダルを漕いでいる背中を、福ちゃんと新開が満足そうに見ていた。どうやら福ちゃんは新開にオレが部員とうまく協調が取れるか心配だと零していたようだった。まずは社交性が高い新開を紹介するつもりだったらしいが、がうまくやってくれたと思ってるあたり、福ちゃんは福ちゃんである。オレがや東堂と接する姿を見て、自分たちが3年になった時どんなチームになるのか密かに福ちゃんが楽しみにしていたことをオレは知らない。
「あー…いちいちオーダーがキツいんだよ福チャン」
注文通り予定時間よりも早くメニューをこなしたオレはどかりと椅子に座り込んだ。タオルを頭に掛けて項垂れるような体勢で地面をぼおっと見つめていたら、頭上に影が差し込んで誰かの靴が目に入った。オレの目の前にわざわざ立つ奴なんてどこの誰か検討もつかない。ギッと目を細めて睨みつけるように顔を上げれば、先程と変わらず口にパワーバーを咥えている奴がよおと手を挙げた。
「さっきのさ、」
「あァ?」
なんだってんだコイツ。話しかけてくんじゃねェよオーラばしばし出てんの気づかねェのかヨ。
「さんのパンツについてオレにも教えてくれよ」
出来るだけ詳しくな。
ばきゅーんと手を拳銃に見立てるポーズの意味を知ったのはその3日後だった。
▲▲▲
そのに
本日最後の授業が終わりを告げ、部活が始まる。
部活前の時間さえも私にとったら貴重な時間だ。今日はどう動くか、何から作業すればいいかシュミレーションしておかなければ効率よく動けない。昼休みのうちに部誌を取りに行き、顧問と主将に練習メニューの相談しに行ったから、書き出しておいたメニュー表をホワイトボードに張り、着替えたら今日の当番に仕事を割り振って、と考えて廊下を歩いていたらヴヴヴと携帯が震えた。ディスプレイを見れば、珍しいことに従姉妹の幹からだった。どうしたのだろうか、何か急用がない限りこんな時間に掛けてこないのだけれど。通話ボタンを押して耳元に携帯を当てれば、第一声がなんで黙ってたのとすごい剣幕で怒られた。キンキン耳に響き過ぎて、もはや何が起こったかわからなかった。
「あのぉ…幹サン?」
「お兄ちゃんと…別れたって…」
「あー…幹もしかして泣いてる?」
ぐすぐすと鼻声だった。通司くんめ、隠しきれなかったな。幹の可愛さに負けて喋っちゃうなんて想像がつく。なんせ昔から幹に激甘だったからだ。通司くんの様子がおかしいことに目敏い幹が気づかないはずがない。いくらポーカーフェイスが上手くても兄妹なんて厄介なもんで、すぐに気づいてしまったのだろう。私のことで通司くんが少しでもいつもと違うところがあったのなら嬉しいなんて思うのは、性格が悪過ぎるのかもしれない。こんなにも通司くんがまだ好きなんだから、本当に救いようがない。今でもこの身に焼き付いている通司くんの顔、髪、におい、声――思い出すといまだに胸が痛む。忘れられるなら忘れたいでも忘れたくない。
「お兄ちゃんの…怪我が原因だって…」
通司くんが怪我をして、ロードに乗るのが絶望的になった。通司くんが弱いから、私が弱いから、辛いけど、いつか強くなる日まで、またお互い笑い合える日までお別れをした。通司くんは自分が弱いから、私のこと支えきれなくて八つ当たりばかりしてしまうと苦しそうな顔で吐き出した。そんな自分を責めて押しつぶされそうになって、私を傷つけてしまう前に自分を傷つける道を選んだのだ。私も私で通司くんの気持ちを尊重したいなんて大人ぶって、本当は別れたくなんかないのに、本音をぶつける勇気がなくて、それでも通司くんの前では絶対に泣かないと必死に歯を食いしばって別れを告げた。
私がロードに乗るきっかけは、いとこの寒咲兄妹である。ロードの乗り方やメンテナンスの仕方、初歩の初歩から何もかも教わった。生憎通司くんの脚質はスプリンターで私はクライマーだったけど、お互い苦手な分野を補うように走るのは最高に気持ちが良かった。そうしていつの間にか通司くんと付き合うようになって、誰にも教えないと互いに約束したのに、通司くんは幹に隠しきれずにバレて、私も俊輔に問い詰められてバラしてしまった。でも通司くんと私のことを知っているのはそのふたりだけだ。
「俊輔は知ってるの?」
「…多分…、気づいてるんじゃないかな…」
「…そう」
あまり人が通らなそうな道を通ってあえて遠回りしても、部室に到着してしまう程には幹と話していたようだ。部室には入らず、少し離れた場所で電話を続ける。
「通司くん、元気?」
「うん…新入生が面白い人たちで指導しがいがあるって言ってた」
「指導…か」
本当は走りたくて堪らないくせに。
何よりもロードが好きで、一番で、そんな通司くんの真っ直ぐな眼差しが好きで目が離せなかった。通司くんの名前を口にするだけでじんと胸が熱くなるのだから、まだまだ私は未練がましくも通司くんのことが好きみたいだ。
「ちゃんの方はどう?今年の箱学もやっぱりスゴイ??」
「うん、やりがいがあるよ。こっちも面白い人たちばかりだから」
その面白い連中を思い浮かべるだけで笑顔になる。幹も私の笑顔なんか見えないはずなのに、声が弾んでいた。さっきまでのしんみりとした空気に花が飛ぶ。やっぱり辛気臭いのは性に合わない。幹もそうなのか、ぽんぽん明るい話題が出てくるが、そろそろ部活だから今度またゆっくり話そうと電話を切った。
「わっ!」
通話を切ったと思ったら、次は俊輔から電話がきた。俊輔から電話なんて半年にあるかないかなのに、今日は幹といいなんなんだ。まあ幹ほど長電話にならないだろう。俊輔は口数多くないし、どちらかというとメールで済ませるタイプである。そんな俊輔が電話をかけてくるなんてよっぽどだ――早く出よう。
「もしもし俊輔?」
「…電話、してたのか」
「へ?」
「さっきから何回かかけてるのに話中だったから」
「ああ、幹だよ。さっきまで幹と電話してたの」
「寒咲と…?」
俊輔がちょっと拗ねている声を出しているのに笑いそうになったが、ここは我慢しないと面倒なことになる。一度機嫌を損ねると俊輔は根に持つタイプだから、いつまでもグチグチ言われてしまう。
「それで、俊輔はなにか用事があって電話してきたんじゃないの?」
「さんが寒咲さんのことまだ好きでも、オレは諦めないスから」
「…ホアッ?!」
「追いかけられるより、追いかける方が燃える…それに、オレは静かなのが好きでね…」
だから絶対にアンタの1位をとらなきゃいけない――俊輔はそれだけ言ってプツッと電話を切ってしまった。
開いた口が塞がらない。なんだったんだ今の。理解して返事する前に電話切っちゃうとか自分勝手すぎる。
「はー…ほんっと男って訳わかんない…」
「それでさんはその男と交際しているのか?!!」
「うわっ?! 東堂くんびっくりさせないでよ!!」
部室の窓の前で背中を向けて電話していたのがまずかった。曇りガラスになっているとはいえ、声は筒抜けだ。いきなり窓がスパーン開いて東堂くんが身を乗り出して距離を詰めてきた。うん、近い。とにかく近い。私なんか昨日おでこにニキビ出来たんだからあまり近寄らないで欲しい。そのニキビとは無縁のムカつくくらいお綺麗な顔を私に見せないでくれないだろうか。
「いや、尽八…通司くんが元カレで、俊輔くんは片思い中なんじゃないか?」
「新開くんは的確過ぎて怖いわ」
パワーバーを片手に名推理を発揮した新開くんの趣味は推理小説を読むことだ。この間江戸川乱歩を借りた。
「…は、オレたちのマネージャーだ!!」
「う、うんソウダネ福富くん」
いや、そうだけどそうじゃない感が半端ないけど、福富くんはこれでいいのだ。天然万歳。
「っつーかよォ、そろそろ練習始まんだけど今日のメニューはァ?」
「あ、そうだった!急いでメニュー張るね!!」
慌てて部室に入ろうとしたら、荒北くんに腕を掴まれた。早く練習を始めたいのではなかったのか。私の訝しげな顔に気づいたのか荒北くんは舌打ちをしながらそっぽ向いて、あーとかうーとか言ってやっと口を開く。こんなにまごついている荒北くん珍しいなあとポカンとしていたら、荒北くんが眉間にシワを寄せて歯茎剥き出しでこっちを向いた。
「で、ホントのとこどーなのォ?誰かと付き合ってるわけェ?」
あ、そこ気になるんだ。
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そのさん
「新開くんの彼女はあたしよ!!!」
「え、あ、はい。」
いきなり新開の彼女宣言されてもはいとしか言いようがない。
名前も知らない派手めな女子グループに貴重な昼休みに呼び出され、人気のない場所へと連れて行かれたかと思えば、リーダー格っぽい彼女は目に角を立てて豪快に怒声を響かせた。素直に返事をしたらアンタなめてんの?!なんてヒステリーを起こして頬を叩かれた次第で――彼女は私になんと答えて欲しかったのだろうか。いまいちこの女子の納得のいく言葉が見つからないうちに、他の女子が援護射撃をしてきた。
「新開くんがアンタのこと彼女だって言ってんの聞いたんだからね」
私は聞いてない。一切。
新開の悪い所は何事も曖昧にすることだ。告白されて、付き合う気なんて微塵もないくせに相手を傷つけないように対応する所為で、こうした勘違い彼女が出来上がるのだ。彼に自転車以上に夢中になれるものなんてありはしないのに――そうして面倒になって困り果てたら私に解決させようと彼女に仕立て上げる。この子にも失礼だし、私も最低の気分だ。そうやってフラフラふよふよしてるからすぐにこんな女に捕まるんだよ。これで4回目――仏の顔も3度までと言ったはずである。この間説教した時だって、が本当の彼女になればいいだけの話なんだけど、と全く反省の色も見せずにバキュンポーズをぶちかましやがった。こんな面倒事ばかり持ってくる彼氏なんてお断りだ。だから、新開の甘い声が私好みだという事実は絶対に言ってやらない。
「部活で一緒にいるからって彼女気取りすんのマジでウザい」
いやいやいやいや。新開と特別多く接する機会なんてそう何度もないのだが、言っても聞き入れてくれそうにない。
ボトルやタオルを直接渡す暇があったら、パソコンとにらめっこしてライバル校のデータまとめや大会日程チェックしていた方が有益である。そりゃもちろん直接渡した方が良いのだろうが、効率を考えるとタオルやボトルを所定の場所に置いて各自で取ってもらった方が時間に縛られることもない。そもそもある程度脚質を見極めたら、それぞれのポジションでそれぞれ違う場所違うメニューをこなすのだから、そうでもしないと体がいくつあっても足りないのだ。
「いっそのことマネージャーも辞めてくんない?」
「じゃあこれ…」
私は常にポケットに入れている退部届見せ、女子Aに入部届を差し出した。退部届はあらかじめ私の名前が書いてあるものだ。
「この入部届に名前を書いて下さい。辞めろと言うからには、私の代わりにあなたが責任を持ってマネージャーをやるということですよね?マネ業についての詳細はマニュアルに書いてあるので…あ、マニュアルは部室の机の上にあります。赤いファイルにまとめてあるのでわかりやすいかと。あとこれから監督の所に行って大会日程とそのメンバーについて話そうかと思っていたのですが、新開の彼女がどうとかいう話を聞いていたら昼休みが終わりそうなので、部活前に行くようにして下さい。その前に部員について知っとかないと話せないですよね。部員についてまとめたファイルも部室の机の上にあるので、監督と話す前に目を通しておくことを強くオススメします。それから物品の注文も今日しようと思っていたので、そのメモ紙はホワイトボードに張ってあります。17時までに電話をしないとお店の人に迷惑がかかるので、なるべく早めにお願いしますね。マニュアルにお店の電話番号一覧も載せてありますから安心して下さい。あとはおにぎり用の炊飯器のタイマーは16時半にセットしてあるので、くれぐれも忘れないように。冷蔵庫におにぎりの具が入ってますので、消費期限が切れそうなものからお使い下さい。それから次の対戦校のデータまとめがまだ途中なので、以前私が作成したデータを参考に作ってもらっていいですか?あと…あ、すみません。今から退部する人間が出しゃばってしまって…それで?私はいつまでこうやって入部届を出していればいいんですか?」
女子Bは私の手から入部届を奪い取り、ビリビリに破いた。あーあ、また新しいの用意しないと。
「とにかくっ!新開くんと付き合ってんのはこの子なんだからね!!」
「だから、はいって言ってるでしょう」
「アンタほんとムカつく!!」
こちとらさっきからぶたれた頬がじんじん痛んでいるのにまだほざくのか。私が静かにキレそうになっていることに気づかない女子A女子B女子Cは、ちらりと後ろを向いて出てきなさいと壁に向かって叫んだ。一体何が出てくるのか。幽霊かはたまたゾンビか。ホラーもスプラッタ映画も大得意ですが。
「…なにしてんの…」
出てきたのは怨霊でも血みどろのゾンビでも地上最強の生物でもなく、荒北にパンツ見られた事件の元凶である2人の男である。顔を赤らめて指をもじもじさせて私の様子をチラチラ窺っている様ははっきり言って気色悪い。父の影響で中学まで柔道をしていた私は、神奈川に引っ越す前まで住んでいた千葉で変な固定ファンがつくくらいには名を馳せた柔道少女だった。この男たちはなにを血迷ったか私のファンらしい。箱学はスポーツに力を入れている学校で、自転車競技部だけでなく他にも数々の部活が全国区だった。柔道部もインターハイ優勝とまではいかないが、毎年インハイに出るくらいには強かった。その柔道部所属していて、ガタイはいいし鍛え抜かれた筋肉もついている。そこそこ強いと思うのだが、私の前では隙だらけ。かろうじて受身を取れるくらいのレベルにまで落ちるのだった。
「こっこの女子たちがさんを好きにしていいって…」
「へえ…そんな下手な口車に乗せられたんだ。ふうん、そう。そんなやっすい男が私とナニをするの?夜の寝技?」
「ひぇっ…!!よ、夜の寝技だなんてさんなんて破廉恥な言葉使うんですかっ!!ドキドキしちゃうじゃないですかあ!!!」
「腕挫十字固?三角締?それとも崩袈裟固をご所望かしら?どーてー野郎」
そんなの選べるわけないじゃないですかあああ!!!と叫んでいたので巴投げで黙らせた。
「し~ん~か~い~!!!」
「おお!がオレの教室まで来るなんて珍しいな。いつもは恥ずかしがって来ないのに、なあハニー」
「私言ったよね?!今度私を彼女にしたらおにぎりなしにするって!!」
「だって最近全然構ってくれねーんだもん」
「だもんじゃないわ!言っとくけど、これっぽっちもかわいくないからね!!」
「ごめんな、お詫びにオレのパワーバー食わせてやるよ」
「おもむろにズボン下ろそうとすんなっっ!!!」
「ヒュウ!ほんとは嬉しいくせに!」
「もうやだコイツ…」
ほんと、声だけはめちゃくちゃ好みだからついつい甘やかしてしまうなんて絶対言ってやんないんだから。
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(Glory Roadの「静かな情熱 誰にも見せずに」の歌い方がすごく好き)