蜜雨

地中海の真ん中に位置するシチリア島。港を出て、フランチェスコ大通りを横切ると首都パレルモの市街地に入る。そこの奥には一軒の寂れたカフェがあった。あまり目立つ所で食事をしたくなかった二人は、店内へと足を踏み入れた。そこはその寂れ具合に全くそぐわない、騒がしいまでの陽気で情熱的なイタリアの民俗音楽が流れていて、随分とちぐはぐな雰囲気になっていた。どちらかというとこのカフェは、ピークは過ぎ去り流行には乗り遅れ、いかにも燃え尽きた、という感じであった。 そんなカフェに黒スーツの男女が一組だけテラスの方にいたのでは、これまた良くも悪くも浮いてしまっていた。
男は帽子を深く被っていて、顔はよく見えない。ふてぶてしいまでのアタッシェケースをチェアの横に置き、その長く伸びた脚を惜しげもなく折りたたんで足を組み、どかりと実に偉そうに座った。 背の低い女はパニーノとアランチーネ、ドルチェにカンノール、それと二人分のエスプレッソが乗ったお盆をテーブルに置いた。あまり綺麗とは言えないチェアを、ハンカチーフで拭いてからスッと座る。
テラスにはいくつかの白塗りのテーブルとチェアがあり、中には鳥の糞が落とされているテーブルがあって、は顔を顰めた。だが神経が図太かったのか、すぐに目の前の料理にかぶりついた。男はエスプレッソをちびちび飲みながら煙草を吸っていた。

食べていたパニーノのハムがなかなか噛み切れず、は仕方なくそれを引っ張り出して食べている途中にふと気づいた。「リボーンさん、昼食がコーヒーと煙草だけってのはいかがなものかと思いますが…」ガムみたいに口の中に残る元はかぴかぴになるまで焼かれて乾燥していたハムは、乾燥ワカメを水で戻したのと同じ要領で、唾液でふにゃふにゃになっていた。それをごくんと一気に飲み込んだ。
リボーンと呼ばれた男は組んでいた足を崩し、完全にイスに靠れていた身体を起こした。半分以上燃えて灰になって短くなった煙草を地面に落とし、帽子を取ってテーブルに置いた。ふたりの座っているテーブルにもイスにももちろん糞は無い。リボーンはテーブルに肘をついてニヤリと口角をあげて「じゃあたくさんエサを食ってよく肥えた後の仔豚を食うとするか」と言った。


「…それって私のことですか」
「さぁな」
「…はあ、きちんと栄養摂取しないと今に倒れますよ」
「倒れねーよ、オレは一流だからな」


呆れた。何という物言いだ。
何度か仕事でリボーンと行動を共にしていたは、彼が規則正しく食事を取らないことを知っていた。普通の人間ならば朝昼晩と大抵決まった時刻に食事をとるのだが、彼は気分で食事を取らなかったり吃驚するような時間に空腹を告げたりするのだ。この間結構大きなマフィアの縺れ合いを鎮静する仕事をしに行った時に、気性の荒いファミリー同士と交戦中に突然「後は、お前一人で出来るよな?」「ちょ、リボーンさんどこに!?」「飯だ」挑発するかのような視線を(これくらいお前一人でできなくて何がオレの部下だ、と)投げかけてその場から消えたのだ。は数少ない女の戦闘員だったが、ボンゴレに所属している以上は一流の仕事を求められる。そうしなければこの世界ではこんな小娘の首なんてすぐに飛ぶ。そしてその上リボーンは上司だ、しかも尊敬する。上司の顔に泥を塗ることなどのプライドが許さない。それが自分の失態の所為だったならば、はきっと自決するだろう。



とりあえずの感覚でこのカフェを選んで入ったら、やはり予想以上にコーヒーはまったく香りを殺す淹れ方をしており、料理はまったく食材を生かされていない物ばかりであった。


「うっわ最悪!このアランチーニ、グリンピース入ってるやつじゃない!」
「好き嫌いしてると胸育たねーぞ」
「セクハラです、リボーンさん。」


東洋人のは、やはりこちらの人間と比べ小柄で細く、胸も小さかった。真っ黒な髪と瞳に低い鼻小さい胸、は日本からイタリアへ渡った時にカルチャーショックというかなんというか、多少なりともそういう類のショックを受けたものだ。

ようやくデザートも食べ終わって空腹を満たしたは、ズボンのポケットから何やら取り出した。この間仕事で行ったモーディカで買った、辛子入りチョコレートである。最近は眠気覚ましによくこれを食べていた。あまり甘くもなくバターを使用していないため口もまったりし過ぎず、何より食べた後の咽喉の奥のピリピリ感で目が冴えてくるのだ。睡魔に対抗するいい武器である。
ぽきりと一欠片折ったら、まるで骨を折るみたいな感触が残った。その両方とも、折ることに、慣れているはずなの、に。もにゃもにゃしながらはそのチョコレートを口の中に放り投げた。いつもなら、いつまでも溶けないチョコレートがうれしいはずなのに、今はすぐに溶けてくれないチョコレートが憎憎しかった。右往左往させ歯にかちりかちりと当てつつ、少しずつ少しずつ溶かす。口内に集中をしていただが、欠伸をするリボーンが視界に入り問うた。「…眠いんですか?」「いや、人間の否定しようも無い生理的欲求が訪れただけだ」「それは眠いととってしまってもいいんですよね?」リボーンのどうも回りくどく素直じゃない、物事を決してストレートに言おうとしない言い方を、は好きになれなかった。人間誰しも付け入る隙は必ず出来てしまうものなのだが、リボーンの場合はその常識には当てはまらない。何もかもが雲隠れしていて、リボーンの本心は翳るばかりだった。まあ、それがきっと一流というものなのだが。しかしにとっては気味が悪くてしょうがなかったし、自分ばかりが不利に思えて悔しくて気に喰わない部分も無くはなかった。しかしそれが自分の尊敬するリボーンなのである。それを認めてはじめて自分はリボーンの下につくことが出来るのだ。


「チョコ、食べます?」
「いや、いい」


それきり音信が途絶えたみたいに会話が無くなった。リボーンは大分無くなったエスプレッソのカップを置き、先程購買したラ・レプッブリカを懐から取り出し読みはじめた。ガスが2.8%以上値上がりし、1年当たり22ユーロ程、イタリア人のポケットに打撃を与える。ロンバルディア州のTarの新しい発表によると、(以下略)という記事がたまたまの目に入った。リボーンは毎日何冊かの新聞に目を通しているらしいが、正直は政治や経済、宗教にも関心が無い為さっぱり読まなかった。何が面白いのかもわからないし、文字ばかりで堅めの論調な所もにとってはとてもつまらないものだった。せっかく話がしたいのに、リボーンが新聞を読み始めたのでは話しかけようにも話しかけられない。リボーンと共有する話題なんてコーサ・ノストラのことでしかないが。「ガキ」


「え…った!」


リボーンは新聞の端を破って作った紙屑を、の額にヒットさせた。「それが鉛玉だったら今頃死んでたぞ、お前」いつの間に。


「だからお前は一人前になれねーんだ」
「…すみません」
「もう少し自分を偽れ。正直者はこの世界じゃ生きていけねーぞ」


少しでも長生きしたけりゃ嘘を吐くことを覚えろ、とリボーンは続けた。



新聞を静かに読み続けるリボーンの横ではぼんやりと考え事をしていた。先程のリボーンの言葉は正論だ。彼はいつだって冷静かつ残酷だ。道徳や人道がマフィアにとってどれほど邪魔なものか、それをきちんと弁えている。引金を躊躇する種は根絶やしにしなければこちらが殺られるのだ。は経験を積んでそれを理解していたはずなのに、リボーンのようには振る舞えなかった。
リボーンの言葉を反芻させため息を吐くと、リボーンが新聞を見ていないことに気がついた。視線を追うと、若い母親と幼い子供が黒スーツを着た大柄な男共に絡まれているところだった。リボーンの方を向けば素知らぬ顔をして既に新聞読みを再開していた。「リボーンさん、助けないんですか?!」「オレは自分の不利益になる事には一切関与しない」「でも見ましたよね、あれは横暴なみかじめ料を巻き上げているカポナータファミリーの…「、冷静さを欠いた奴が先に死ぬと教えた筈だ」新聞に視線を向けたまま一定のトーンで言うリボーンの表情は新聞で隠れていて読めない。

ここシチリアはマフィアの巣窟である。親子がマフィアに追いかけられる、なんて日常茶飯事とまではいかないがそれなりにあることであった。みかじめ料や法外な高利貸しなどで巨額の収入を得ているファミリーは少なくなったとは言え、やはり存在しており一部の市民の生活を圧迫しているのだ。


「リボーンさん、やっぱり私にこの仕事は向いてないのかもしれません」


大人しく日本に帰ってお見合いでもしてあたたかな家庭を築く人生の方が向いているのかもしれない。そうは思っても、自分はもう表の世界には戻れないのだが。
は立ち上がってあの親子の所へと走った。リボーンは言葉通り、動かなかった。の行動に咎めはしなかったが、きっと甘い彼女のことだ、奴らを殺しはしないだろう。確信があった。リボーンは後の部下の尻拭いにため息を吐いた。いつだって汚れ役は上司の仕事だ。「Giu le armi!」(武器を捨てろ!)






*






数日前、はリボーンとの任務中にカフェで親子を助けた。なるべく穏便に済まそうとボンゴレの名を出し、相手を逃がそうとした。大抵の小物のファミリーはそれで退くのだが、ボンゴレの名の威力はが女だった為かあまり力をなさなかった。仕方なくは市民の手前発砲するわけにもいかず、体術で相手を捻じ伏せた。幸い相手は二人で、をバンビーナ呼ばわりするほど嘗めていて隙が多かったのだ。だが、が相手をし終えた時にはもう親子はどこかへと逃げていた。「ほらな」見下すような声の主はもちろん自分の上司で今回の仕事のパートナーであるリボーンだ。


「俺はお前の博愛主義な所が嫌いだ、そんな偽善反吐が出る。」
「【salvare il salvabile】(救えるものは全て救う)それが私の信条です、はじめにあなたと仕事をする時に言った筈です、リボーンさん。」
「いずれ、そんな甘いことは言えなくなるぞ。もっとも、お前の場合死んでから分かるのかもな」
「わかってます………わかってはいるんです、けれど私は最後まで人間を信じていたいんです。」
「信条を守るのも結構だが、善人ほど早死にする種類の人間はいない。」
「わかって…ます、よ…!そんなこと、最初から…っ!」
「いいや、お前はわかっていない。だからあの親子を助けたんだ」


カフェで生まれたのは恋でも愛でもなく、絶望だった。だが後悔や無常はの中にはなかった。



リボーンとの任務後三日ほどデスクワークをこなしていたは、鉄の様に重くなる一方の目蓋と必死に格闘していた。は元から外で自らの身体を動かし任務をこなすことを好むのだが、先日市民を助けるとはいえ服従の掟を破り上司のリボーンの言葉に従わなかった罰を受けていた。リボーンは特にの行動を咎める気がなかったのだが、自らがそうボスに告白したのだ。リボーンは逆に彼女の生真面目さにため息を吐いた。一体は何度自分にため息を吐かせるのか、数えるのも億劫になってきたリボーンである。


、仕事だ」
「ふぇ…っわ、リ、リボーンさん…っ!?」


いつの間にか口を開けて寝ていたの机から、一枚書きかけの報告書を抜き取った。「読めねえ……それに、このシミお前の涎か…?」ミミズがのたくった字とはこのことを言うのだろう、が睡魔と格闘した結果だ。おまけに口を開けていた所為で涎が垂れていたらしく、一際大きいシミの周りにぽつぽつと小さなシミをいくつか作っていた。リボーンの言葉には恥ずかしそうに慌ててリボーンの手から書類を奪い取る。尊敬する上司にこんな情けない醜態を晒すとは、穴があったら入りたい気分だ。女としても終わっている。「すっすみません…、今片付けますから!」「おいおい、お前の机が奇麗だろうが汚かろーがオレには関係ないだろ。部屋ならともかくな」「へ、部屋っ?!」「部屋は人の性格が顕著に出る。あんまり汚すぎるのも女としてどうかと思うぜ、セックスもやりにくい。というか萎えるな。…何なら今度抜き打ちでお前の家にでも「こ、来ないで下さいっ!!……あっ、すみませんまた不躾な言葉を…」「ック…オレもからかいすぎた、悪い。」

リボーンはいつものごついアタッシェケースから書類を一枚取り出しの前に差し出した。「オレと一緒に来てもらうぞ」その書類はリボーンとの仕事の詳細が書いてあるものだった。「…よく、私と一緒の仕事なんか受けましたね…あんな生意気な口利いてしまったのに…」この間みたいなの無茶振りは、一度や二度ではなかった。リボーンに火の粉が降りかかるまでの重大な失敗はないが、それは結果論だ。これからもそうであるとは限らないのである。


「一応、これでもオレはお前の腕を買っているつもりなんだが?」


それに、一流はパートナーが誰であろうと一流なんだよ、と続けた。なんとも高慢ちきな発言だが、彼にはその言葉を真実にする実力が伴っており、また自身も彼の実力は間違いなくこの世界で一流だと認めていた。自身の器を驕りもなく見定めることが出来るのは一流の証拠。そうは思っているのだ。それにリボーンは一人で仕事をすることを好み、パートナーをつけるのはごく稀なことをは知っていた。他人に足を引っ張られ、ペースを崩されるのが一番嫌いらしい。は、そんなリボーンの隣を許される数少ない人間であった。






*







仕事内容は、この間が親子を助ける為に相手をしたカポナータファミリーの殲滅だった。普段小物ファミリーを相手にすることはあまりないボンゴレだが、最近のカポナータファミリーの目に余る横暴な残虐行為に黙殺してはいられなくなったのだ。小物とは言えファミリーを一つ殲滅するのに二人というのは聊か心許ない人数だと誰しもが思うのだが、ことリボーンにおいてはそんな心配は無用である。カポナータなど一日、いや数時間もあれば彼には十分だろう。それくらいの腕を持たずして誰が彼を一流など崇めるのだろうか。そしてだが、彼女のサポートの能力もまたリボーンには及ばないが目を瞠るものがあった。相手を陰から支えることに長けているの情報収集力や順応力、非力なものの射的の腕前はリボーンのお墨付きだ。そして体術の鍛錬も怠らないという真面目さ。たまに後先考えずに突っ込むのはまだまだ経験不足だからだろう。時折見せる涙や笑顔はそこらにいる年頃の少女となんら変わりはなく、いつまでも冷酷に徹せられないのは若さ故なのだろう。それはの長所であり弱点でもあった。リボーン曰く、ガキ臭さが抜けない甘っちょろいおてんば娘。端的に言えば未熟者。確かにの言動には幼さが残り、公私混同してしまう所があった。それはが元から持っている優しさの所為である。は自覚していた、自分がマフィアに向かないことを。



カポナータのアジトは州都のパレルモから南に行った所に位置し、下っ端は廃教会で日夜安い酒を飲んでいるという情報もあった。マフィアらしからぬ大雑把な行動と情報管理で、相手の実力がおおよそ分かってしまうのも無理はない。格下だからと言って二人は容赦もしなければ油断もする気はなかった。格下だからこそ、という気持ちすらある。いつだって上の者は喰われる覚悟をしなければならないのだ。下の者は喰われる心配がない分より身軽に狡賢く自分を捨て、なけなしの命を張れるのだ。


「なあ、お前ピカソの本名知ってるか?」
「は?ピカソの本名、ですか?」


リボーンの発言は脈絡がない。大抵は下らないことが多く、突っ込んでいいのか真面目に答えた方がいいのか、存外にはわからなかった。


「ええと、パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード…でしたっけ?子どもの頃覚えた記憶がありますよ」
「暇人」
「(ええええええっ?!)」


カポナータの奴らよりずっとずっとリボーンは酷い、と思わざるを得ないだった。自分で質問しといてそれにきちんと答えた自分にそんな辛辣な言葉を吐くリボーンを忌々しく思うのは当然なのだが、それを具現し口にするほどは愚かしくなかったしリボーンに対してそんな態度は出来なかった。結局はリボーンを許してしまうのだ。
その後もアミン大統領は本当に人食いだったのか?庭で飼っていた鰐に人間を喰わせていたのではないか?という質問や(実際鶏肉しか口にしたことが無いとされているが)、人間が一生遊んで暮らすにはいくら必要か?という質問や(日本円で5億だそうだが実際はその人間にもよるだろう)、孔子の一番弟子は強盗に殺され最期は塩漬けにされて喰われたなど、人は命を失うと21グラム軽くなる、ドクターシャマルに聞いた欧米人と日本人の胃袋の大きさの話(欧米人の平均は1,2リットル、日本人は2リットルで実は日本人の方が大食い)「お前夏にジェラートの食い過ぎで腹壊したもんな、あれはすごい量だったぜ」「ドルチェは別腹ですっ!」など、カポナータのアジトへ向かう道のり、始終だらだらと話していた。彼にしては珍しいことだった。はこんなリボーンに対峙するのは初めてだった。一言二言くだらない話や質問をふと思いついたからし、がそれに応じれば「何真面目に答えてるんだ馬鹿かお前」と一蹴されて終わりなのだ。それなのに今のリボーンは絶えず口を動かし、会話を続けていた。相変わらず言葉は悪かったが。しかしこれはもう、奇跡としか言いようがない、とは失礼ながらも思ったのだった。


「あっお金!」
「…意地汚ねーぞ、お前」
「見て下さいリボーンさん、200リレですよー!」


道端に落ちているしょぼいコインを拾って喜ぶマフィアがどの世界にいる、とリボーンは心底呆れていた。無邪気にリボーンにコインを見せるの手を取り、コインを抜き取った。あ、とが声を上げたがリボーンは気にせずピーンとコインを上に弾いて手の甲に乗せた。「どっちだ?お前から選ばせてやる」


「え…あ、じゃあ表で…」


リボーンの突然の行動に困惑しつつは答えた。リボーンがニヤと不敵に笑んだのを見てしまったは背中がゾクリとした。「ハズレ」


「このコインはオレのものだ」
「なっ!さっき私のこと意地汚いとか言いながら自分だって…!」
「敗者は黙ってな」
「…っもう!ちょっと失礼させて頂きます!」
「どこに行くんだ?」
「っ花を摘みに!」


「花?」リボーンはしばし頭を巡らせ、そういえばトイレに行くときの隠語でそういう言葉があったことを思い出し、リボーンはクツクツと咽喉の奥で笑った。自分が野暮なことを聞いてしまった所為で彼女の羞恥心を煽ってしまったようだ。ムキになって顔を赤くさせて、足早に自分の前から姿を消したのはそういう理由でか。「全く、随分と可愛い部下だな」



イタリアにトイレは少ない。廃墟が続くこの周辺にトイレなどなさそうなものだが、は道路横にある獣道を行った奥にトイレがあることを知っていた。シチリアの地理は大体把握しているのだ。だけでなく、もちろんリボーンやその他のボンゴレの者もだ。まず自らの土地を知らなければ戦術も実力も意味をなさない。


「リボーンさんは、いっつも、いーっつも!、私のことからかって、上目線で、いや実際にあの人は何もかも私の上だけど……、時々サボっているのだって知ってるんですからね、でも仕事はちゃんとしてて、むしろ私よりも早い上に完璧にこなしてるし、誰が見ても一流で、私もその人の部下だっていうことに誇りを持っているし…ってなんで途中から褒めてんのよ私!ああもうっ!!」


目線を足元に固定してブツブツとまるで念仏を唱えるように呟いていたは視界に、鍛え上げられた男のごつい足が映った。「よう、また会ったなバンビーナ」ハッとなって顔を上げればつい先日手を下したカポナータファミリーの一人の、確か「ブルーノ・ラウロ・フランケッティ…」「おお、バンビーナのくせに俺の名前を知ってるたあ、ずいぶんといい子ちゃんじゃねーか」「ふん、もう一人の連れの男、レンツォ・アレッサンドロ・ボッタはどうしたんですか?あの男、お尻に痔を患っていたそうじゃないですか、おまけにホモですって?っは、笑っちゃいますね」カポナータファミリーの人間の経歴や性格、趣味や嗜好、家族や広い範囲の人間関係、果ては本人赤面必至の恥ずかしい情報まで調べ上げていたは、かっかしながら一気に捲し立てた。


「外見に似合わず口汚ねェな…」
「うるさいです。今ここで始末しますよ、ロリコンブルットちゃん?」
「なっなぜお前がその名を…?!」
「あら、ご近所では有名でしょう?ごついくせして公園で女の子たちがおままごとしてる姿をじーっと見つめてさ、なーんにも知らない純粋な幼女たちが思わず『おじちゃん、いっちょにあちょぶー?』なんて言われた日には、もう!私、思わずお腹を抱えて笑ってしまいましたよ」


ご丁寧に声色を変えポーズまでして『おじちゃん、いっちょにあちょぶー?』と言ったに、怒りで震えているのかと思いきや「ふ、ふふ、ふ、お前のそれ、案外萌えたぜ」「…は?も、え?」はぁはぁと息が荒い。先程までと随分様子が違う男には訝しげに眉を顰めた。どうやらの幼女マネで眠っていたアッチの顔を目覚めさせてしまったらしい。


「お前の所為で、た、勃っちまったじゃねーか」
「は、ちょ、まっ!何こいつ気持ち悪い!気持ち悪い!」


身の危険を感じて素早くブルーノから離れようとした瞬間、リーチの差かブルーノがの腕をつかむ方が速かった。ブルーノの方へと引っ張られ、スプレーを吹きかけられた。しまった、と思った時には既に意識は混濁として目の前が翳っていった。毒や睡眠薬、自白剤類の耐性はある程度ついているだが、ブルーノが使用したものは即効性の強力な睡眠スプレーらしくはすぐに膝を折った。舌を噛むが効果は無かった。その血の味すら薄れていき、果ては何も感じなくなった。「こん、ちく、しょ…う!」は抗いながらも沈んでいった。そんなを恍惚とした表情で眺めるブルーノの息は相変わらず荒い。をいそいそと抱え、アジトに持って帰ろうとさあ踵を返せば「これじゃあオレはとんだヒーローだな」ブルーノの後ろに男が立っていた。もちろんの上司、リボーンだ。
ブルーノは驚きを隠せなかった。いくらに夢中になっていたからと言って、気付かない訳がない。そう、男には気配が全く無かったのだ、こんなに近くにいたのに、だ。
リボーンは多少なりともこのような展開になることをを読んでいたのだ。マフィアのアジト近辺にファミリーの人間がうろついているのは別に不自然なことではない。だからこそが余計な事を喋らないよう、自分は趣味でもない下らない話をしたのではないか。
そう、はリボーンのいつもより饒舌な理由がわからなかったのだが、きちんとした意図があったのだ。 いくらボンゴレの戦闘員とは言えの様なまだまだ半人前の、しかも女を一人にさせたリボーンが悪いのだ。わかっていたはずだ、ここが危険だということを。よりも、ずっと。案の定油断していたであろうは掴まった。リボーンにしては珍しい失態であった。

女性トイレに二人も大柄な男と一人の女というのは傍から見れば一大事だろうが、ここは人気のないトイレだ。普通イタリアでは滅多にそんな所に近づく奴はいない。ブルーノのような邪な輩がいるからだ。
そう、何故あの時タイミング良くブルーノがいたのかと言うと、全くの偶然であった。人気のないトイレに近づく女は滅多にいないのだが、ごく稀にいるのだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。ブルーノにとっては一種の占いの様なものだった。女がいればラッキー、いなければアンラッキー程度の軽い占い。それがブルーノの楽しみでもあったというわけである。もっとも、この獣道に誘われてやってくる幼女が主なターゲットだが。


「だ、誰だよっおまえ?!」
「お前に教える義理はない。」


ブルーノを見もせず「それに、…オレのに手を出したあんたの命はそう長くないぜ」に一瞥を投げる。
細見で一見優男な体格のリボーンに対し、ブルーノは筋肉バカと言っていい程ガタイが良く、そこでの明らかな違いがブルーノに自信を与えた。を抱えているとは言えブルーノの懐には拳銃が眠っている。無防備なリボーンにこれを一発ぶち込めば何事もなく済む。
ブルーノは安易に考えていた。懐に手を伸ばしたブルーノの悪口雑言を「覚悟しやがれっこのもやしやろ「口の利き方に気をつけろ、ロリコン野郎」遮ると、リボーンの手元が光った。気づいた時にはブルーノの手の甲にナイフがしっかりと刺さっており、貫通して胸にも少し刺さっていた。視覚でその様をとらえれば、ブルーノが痛みを感じるのにそれほど時間は要さなかった。


「があああああああっっ!!!」
「醜い鳴き方だな、見苦し過ぎて見るに堪えねーぞ」
「いてっ‥いてえよおぉおおぅ!!」


ブルーノは痛みでを抱えられなくなって放り出した。リボーンは先程のの様に膝を折って、自分の手を信じられないような目で見るブルーノを、まるでドブネズミを見るかのように見下ろしていた。「俺はお前に、断ることの出来ないオファーをするつもりだ」某映画で使われた台詞だ。アメリカでイタリア訛りでよく引用され、リボーンはほんの戯言のつもりで言ったつもりだが当然痛みを必死に堪えるブルーノにそんなことを理解する余裕は微塵もない。それを承知でリボーンは暴れていたブルーノの頭を引っ掴み、こちらに顔を向かせた。不気味な音がリボーンの手を伝わって響いた。すごい力だ。外見からはとてもではないが想像出来ない。
リボーンはブルーノの口臭に顔を顰め、床に掴んでいた頭をゴミを扱うのと同様に投げつけた。「お、お前もしかしてあの伝説、の、ころ、ころし、や、リボ、リボー、ン…?!」何か悟ったブルーノを見てリボーンは「のろま」とブルーノに囁き、まだナイフが刺さっていない片方の手にナイフを適当に落とした。を触った罪深き手に制裁を。リボーンは中途半端に刺さったナイフを、靴でより奥深く刺さる様に柄を上からぐりぐりと押して貫通させた。ブルーノがまた情けなく声を上げるのを、リボーンは冷めた表情でただ見ていた。何の感慨も生まれはしない。リボーンはこの男を既に人間としては見ていなかったからだ。

をトイレの個室へと運ぶ。救護班を呼べば後でにどやされるからだ。半人前のくせにプライドだけはやけに高い。のそんな所、リボーンは嫌いではなかった。まあ、これから単身で奴らの所に乗り込むというのだから、どちらにしろにどやされそうなのだが、リボーンはさして気にしていなかった。

ブルーノにファミリーについて洗い浚い吐き出させて、リボーンはブルーノの髪を先程の様に鷲掴みにしてずるずると引き摺って歩いていた。気絶している所為か、重い。だがリボーンは捨てることもせずに無言で足を進めていた。だらんと伸びた手足は、神経がきちんと通っているのかも判断しにくい。リボーンはすでに自分と同じ人間を引き摺っているのではなく、この家畜をこれからどう料理しようかという感覚でいた。さしずめ今目の前にあるカポナータの下っ端共が屯している廃教会は、家畜を売り込む肉屋だ。


「ここか」


所々に鉄筋や穴が見られ、中でどんちゃん騒ぎする男の濁声が筒抜けであった。 自分のファミリーの仲間が襲われているというのに、なんとのん気な奴らだ、とリボーンはあまりのこのファミリーの低脳さと矮小さに嫌悪した。
舌打ちをしてブルーノを放り投げ、もう片方の手で持っていたアタッシェケースを開け、手榴弾を取り出しピンを抜いてブルーノ同様廃教会へと放り投げた。刹那、爆撃音と同時にケダモノの様な耳を劈く声が聞こえ、その廃教会は阿鼻叫喚の巷と化した。もともと風化していて脆かった建物は、刺激を与えたおかげで天井や柱が崩れるのはもう時間の問題となっていた。リボーンは彼らの声に少しだけ苛苛を落ち着かせることができた。「神の前で人を殺めるのは少し気が引けるな…」言葉とは裏腹に嘲笑含みに歪められた表情は悪魔の申し子とでも形容するしかなかった。そう、リボーンは偶像崇拝など糞くらえぐらいにしか思っていないのだ。
蜘蛛の巣を散らすように出てきた奴らをリボーンは脳天を確実に狙って一発で仕留めていた。無駄弾など一切無い。「1・2、3…4・5・6、…」無感動に数字を言う。生死など確認せず、ただ弾の数だけを数えているという感じだ。「…21…2」撃った回数=死体の数。


「さあ、最後だぜ。起きろ、ロリコン野郎」


どかりと腹を蹴るとブルーノは低く呻いた。いくら奇襲をかけたとは言え、カポナータの奴らも曲がりなりにもマフィアの一端。しかも凶悪な。だがそんな片鱗を見せる前にリボーンに殺られた。リボーンに傷の一つ負わせることも出来ずに、殺された相手が誰かもわからずに死んでいったのだ。覚醒したブルーノは、周りに無造作に転がる奇麗に頭だけぶち抜かれた仲間の死体を見て恐れ戦いた。「ちくしょう‥ちくしょう…っ!ああ悪魔だ、お前は悪魔だ!イカれてる、狂ってるぜあんた!」喚き散らすがリボーンはブルーノに目も呉れず、銃を分解してアタッシェケースにきちんきちん仕舞っていた。それが余計にブルーノの癇癪を引き起こし、逆に勇気とやらが湧いて来たのだ。奴を殺したい一心で我が身を奮い立たせた。実力の差は歴然だということはいくら低脳でもわかる。何が彼をここまで奮い立たせるかって、それは人間としての本能である。半ば今のブルーノにはこの男を殺すという天命を授かっているようなものなのだ。自分の手からナイフを抜き、リボーンに襲いかかる。リボーンはポケットに手を突っ込みブルーノの顔面に何か投げた。太陽の光によって反射したそれは「裏か表か…どちらか選べ」が拾ったコインであった。思わず目の前のコインに視線を向けると徐々に焦点が合わさる。その先にはリボーンが「裏」銃を構えていて、そして弾を放った。ブルーノの目にはすべてがスローモーションに見えた。コインを貫いて自分の口に弾が勢いよく侵入し、後は血、血。

コインは弾に貫通しただけで弾かれることなくそのまま地面に落ちた。「残念。表だ。」少しも残念そうに見えない。それどころかどこか嬉しそうにも見える。


「お前の勝ちだな、ブルーノ」


所々が大きく欠けている聖母マリアの像の前には23の絶命が。


「神のみぞ知る、か?なあ、マリア様とやら」






*







「リボーンさん!あなたはもう、なんてことしてくれたんですか!」


リボーンは廃教会を潰した後、幸運にも爆発とリボーンから逃れた残党を殺し、そしてご丁寧に直接正面からカポナータの本拠地へと乗り込んで、指示された任務の内容通りカポナータを殲滅したのだ。
はやはりリボーンの予想通り、かなりご立腹している様子だ。自らの不覚とは言え一人トイレの個室に押し込められ、その後意識を取り戻しリボーンの元へと向かったが見たものは、的確に心臓や頭を打ち抜かれている死体の山だ。に気づいたリボーンは「飯」と一言呟いてそのままどこかへと去って行った。あまりにも自然と消えてったリボーンにはなにも反応することができず、一人で事後処理をするのだった。

翌日リボーンの顔を見たは真っ先に噛みつくように迫り「リボーンさん!あのあと私がどれだけ大変だったか分かっているんですか?!これからも昨日の事後処理に追われるんですよ!!」ときゃんきゃん喚いた。リボーンは煩わしそうにを一瞥した後に「そうは言うがな、お前オレに偉そうな口叩けるのか?」「っ!」「敵の弱みを完全に握ったくらいで調子に乗って軽々しく口を滑らせ、挙句眠らされ、オレが行かなかったらお前奴らにいいように肉便器として使われたあと拷問されてボンゴレの内部事情を漏らすとこだったんだぞ」「…っそれは本当に反省しています…!私が軽率でした…」悔しそうに唇を噛み、震える拳は爪が食いこんでいた。どこまでも真面目な彼女に自分も少し派手にやり過ぎたな、とリボーンは非を認めることにした。


「Ti do un’altra occasione.」(お前にもう一度チャンスを与えよう)
「えっ?」


弾けるように顔を上げたの背中に、ひやりとした冷たい物体が背筋をなぞった。コインだ。が昨日拾ったものではなく、リボーンの200リレのコインである。「ちょ、リボーンさんっ!これ、どういうつも―――っっ!!?」リボーンは反抗するの口を塞いで、咥内を舌でひと舐めして通り過ぎた。「それが取れたらオレんとこに来い。たっぷりそのキスの続きをやってやるからな、オレのかわいいかわいい部下よ」皮肉る様に言うリボーンは、とてもじゃないが愛を吐いているとは思えなかった。口を歪めて嗤う、まるで血に溺れた殺人鬼だ。いや、上司にそんな形容をしてはいけない。愛に溺れた、ただの男。とでも形容しておこう。尊敬する上司様。否。


「ひねくれ上司め…」


彼女は独りごちた。






悪い奴ほどよく眠る






BACK / TOP