「中尉!」
東方司令部の廊下で見慣れた後ろ姿を見つけて声を掛ける。
「エドワード君」
振り返ってオレの姿を認めた中尉はその場で立ち止まった。相変わらずきりりとした凛々しい眼差しではあったが、ある程度馴染みのあるオレだったからか、纏う雰囲気は幾分か柔らかい気がする。
「大佐いる? さっさと報告書提出したいんだけど」
「ええ、大佐なら執務室に……」
「ありがとう中尉!」
でも今は近づかない方が――そんな中尉の言葉を聞く前にオレは大佐の執務室へと向かった。
一応上官である大佐の部屋のドアをノックするが、応答はない。おかしい。中尉が席を外した隙にまたサボりか。
「大佐ー、いねぇのかー」
ガチャリとドアを開けたが、目の前に鎮座しているデスクとチェアに大佐の姿はない。
「ほら、誰か入ってきたから離れてよ」
「かまわん。いいからおまえは目の前の私に集中しろ」
「バカッ……んん?!」
奥の小部屋で何やらこそこそと大佐と女らしき声が聞こえるもんだから、誘われるように足を運べば、大佐と見覚えのない女の人がキ、キ、キスしてやがるー!!!!
「どわああああ!! こんな場所でなっなにやって……!!?」
「うるさいぞ、鋼の」
「ロイのせいで、しょっ!」
オレを睨みつけながらも、いまだに女の人の腰を抱いて密着状態でいる大佐の口元に女の人が手をあてる。すると、一瞬だけ錬成反応特有の光が走り、気づけば大佐の口の中に氷が突っ込まれていた。
「錬金術?!」
「白雪の錬金術師・だ。普段はブリッグズ要塞にいる。地位は中佐。よろしく、鋼の錬金術師殿」
まだ何かふがふが言っている大佐を押しのけて握手を求めてきた掌には、錬金術師を主張するかのような錬成陣が刻まれている。
「おや? 私とそう目線が変わらないと思ったが……おっきな手だね! こりゃきっと将来ぐっと身長が伸びて男前になるな!」
「マジで?!」
「マジマジ! 何人もの兄弟の成長を見届けてきた私が言うんだから間違いない!」
オレよりも小柄な中佐は、大佐の胡散臭い笑顔なんて目じゃない位可憐な笑顔を浮かべる。愛くるしい見た目に反して思った以上に小ざっぱりとした口調ではあったが、珍しく身長で前向きな事を言われたオレは思わず中佐のちっこい手を両手で握り込んだ。
「おい、調子に乗るなよ鋼の」
口の中の氷をどうにかしてきた大佐がオレと中佐の間を引き裂いた。別に他意はないのに大人げねぇ。
「よーう、ロイ! 愛しの白雪姫には逢えたかー!」
「マース、その呼び方はやめて」
ドアを勢いよく開けて突然現れたヒューズ中佐に関しては、もはや突っ込む人間はいなかった。それよりも気になる事がある。中佐が親し気にヒューズ中佐をファーストネームで呼び、ヒューズ中佐も親し気に中佐を白雪姫と呼んでいる点だ。しかも白雪姫呼びされた中佐は、露骨に嫌な顔をしている。
「ヒューズ中佐」
「おう、エドじゃねぇか」
「白雪姫って何?」
「いやなに、国家錬金術師試験の時に大総統がえらくを気に入ったみたいでな、"白雪"っつー二つ名を授けた上に、その名にちなんで白雪姫なんて呼び始めたんだ。そしたらあっという間に軍内でその呼び名が広まっちまった」
確かに中佐の見た目は童話の白雪姫そのものだ。雪のように白い肌、頬は薄氷に血を垂らしたような色に染められ、唇はリンゴのように赤く、髪や瞳は黒檀のように黒々としている。こんな厳つい軍服よりも、よっぽどドレスの方が似合うと思う。
「姫なんて柄じゃないからやめて欲しいのに、広めた相手が大総統閣下様だから抵抗できなかったんだよ……!!」
可愛らしい顔を遠慮なく崩して心底嫌そうに呻く中佐に、ヒューズ中佐は減給されたくねぇもんなとニヤニヤ笑みを浮かべていた。
「まあ俺はの反応が面白れぇから、こうやってからかい半分で呼んでんだ」
「くそっ、は私だけの姫だというのに!!」
きっと容姿も相まって声を掛けられることも多いのであろう中佐に、惜しみなく嫉妬の焔を滲ませる大佐ががばりと抱き着く。だが大佐に姫と言われた中佐の顔は決してときめいてなどいなかった。
「寒ッ! そんなジョークをブリッグズで披露した日には、少将にたたっ斬られるよ」
「おまえさっきから恋人に向かって冷たくないか?!」
「ロイがエドワード君の前でキスなんかするからでしょ」
大佐の減らず口を凍らせたように、中佐はこれまた冷めた表情で大佐をばっさり切り捨てた。天下の女たらしも、どうやら本命には頭が上がらないようだ。
よっしゃ大佐の弱味ゲット!あとでアルに教えてやろ!
「おまえ……いくらと遠距離で色々溜まってるからと言って人前ではやめろよ……」
「ヒューズこそ軍の回線を使って、いつも鬱陶しい位嫁と娘自慢してるではないか! たまには私だって見せつけたい!!」
「だからってエドワード君の前でしないでよ! みっともない!」
「はさっきからやけに鋼のの肩を持つな……まさか好「その先の言葉を口にする事は、最上級の侮辱と捉えるぞ?」
「おいおいおまえら、今更学生みてぇな喧嘩すんなよ」
いい大人達がぎゃんぎゃん喚く姿に呆れて物も言えない。そういやオレ報告書出しに来ただけなのに、なんでこんな痴話喧嘩に付き合ってんだろ。
「うるさくてごめんなさいね、エドワード君」
「あ、中尉」
いつの間にか帰ってきたホークアイ中尉がオレの隣に立っていた。この惨状を見ても通常運転の中尉は、きっとこの三人のくだらないやり取りには慣れているのだろう。
「あの三人仲良いね……」
「士官学校時代からの悪友だそうよ」
「ああ……どうりで……」
大佐達三人の空気感には既視感があった。そう、まるでオレとアルとウィンリィみたいなのだ。たとえいつも隣にいなくても、会ってしまえば久しぶりなんて感覚は薄れ、なんなら喧嘩が始まったりする。見えない絆で結ばれてるなんてクサい事絶対言えねぇけど、この三人を見ていたら、他人から見ればオレ達もこんな風に見えているのかもしれないと思ってしまった。
「さて、そろそろ潮時ね……」
オレの隣で溜息を吐いた中尉は腰から銃を引き抜き、ひゅっと息をのむ瞬間にでかい音が鳴り響いた。
「中佐、ご所望のケーキを買ってきました。ところで、東方司令部のはまずいからとご自分でお茶の準備をしていたはずでは?」
「可及的速やかに準備させて頂きます!!」
「大佐はエドワード君の報告書のチェックを」
「そっそうだな!」
「ヒューズ中佐はこちらにお座りになってください。只今お茶とケーキをご準備致します」
「おっおう! わわわわ悪ぃな!」
あれだけ騒いでいた上官三人が一気に静かになり、中尉の言う通りにだらだらと冷や汗を垂らして酷く震えながら体を動かしている。
オレももしかしたら中尉を怒らせたらこうなるのかと、この時ばかりは自分の身を案じるしかなかった。
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