※マスタング中佐時代捏造
「すみません、ハボック准尉。こちらの方をマスタング中佐の所へお連れ願いますか」
丁度外の仕事を終えて帰ってきたタイミングで受付に呼び止められた。俺もこれから中佐の所へ報告しに行く予定だったから特に断る理由もなく、中佐に渡したい書類があるという女性を連れて執務室へと向かった。
「お手間を取らせてしまってすみません」
中佐と旧友だという女性は、可愛らしい顔面とフュリーよりも小柄な身長をお持ちで、いかにも"思わず守りたくなるお姫様"といった風貌だった。おまけに身長分の栄養が胸にいったのか、魅力的なボインである。
旧友までもこんな可愛い子だなんて、羨ましすぎる。俺なんてこの間もふられたばかりだというのに。そうだ、これも中佐がくれたチャンスって事で、いっそこのかわいこちゃんとお近づきになればいいんじゃねぇか。
「マスタング中佐と――」
「はっはい!」
俺の邪な思考が読まれたかのようなタイミングで中佐の名前を出され、思わず背筋が伸びる。
「一緒に働くのは大変じゃないですか? 人使い荒いでしょう?」
「あー……まぁ、そうっスけど……」
笑顔で無茶苦茶な命令してくるし、今日だって早朝任務でくたくただ。おかげでデートの一つもまともにできやしない。仕事と私どっちが大事なのって何度言われたことか。自分の容量の悪さに腹が立つ。中佐なんて俺よりも多忙なくせして、ちゃっかり仕事と女を両立させてやがる。俺にないモンを全部持っている中佐が憎たらしい。だが、悔しいことにそれ以上に中佐は尊敬する人間で、俺はこの人についていきたいと思っていた。
「中佐は俺のなけなしの長所を最大限に活かせる場で仕事させてくれますし、正当な評価だってくれる。上司に恵まれずにくすぶっている同期よか、ずっと楽しく仕事させてもらってますよ」
「そうか……ハボック准尉は上司想いの良い部下だな」
「へ?」
今なんか口調が――
「少佐! 今日お帰りになる日では……あら、ハボック准尉とご一緒でしたか」
ホークアイ少尉の声だ。つか、少佐ってもしかして……
「ああ、リザ。今朝遅刻しそうになって家を慌てて出たら、ロイの書類と私の書類が混ざってしまってね。汽車を遅らせてここまで来たんだ。そしたら丁度ハボック准尉と受付で会ってな。私は見ての通り私服で、とても軍人には見えないし、北の人間が東方司令部を一人で歩くのも忍びないから、彼に付添いを頼んだんだ」
まるで軍人のような話し方であったが、にっこりと笑った顔は愛くるしく、とびきり可愛い。けれども俺は変な汗がさっきから止まらなかった。
朝、遅刻しそうになって、書類がごっちゃになる――それは朝までロイという人間と一緒にいたという事だ。あー、朝遅刻しそうになるくらい一体何をしていたんでしょうねぇー。想像もしたくねぇー。
ちなみに俺の上司の名前もロイ・マスタングってんだけど。
「大変失礼しました!!」
廊下で固まったままでは迷惑だとホークアイ少尉が溜息を吐きながら中佐の部屋まで俺を連れてくると、目を覚ませと言わんばかりに少尉の強烈なビンタが飛んできた。ようやく正気に戻った俺は、急いで少佐に勢いよく頭を下げる。
「こちらこそ騙すような真似をしてすまない。こんな格好で軍の人間だと言っても信じてもらえた試しがなかったから、つい一般人を装ってしまったんだ」
確かにこんな見た目で軍人――しかも俺や少尉よりもずっと上の階級の少佐だなんて、何の冗談だと笑い飛ばしちまう案件だ。騙されない方が難しい。
「いい加減顔を上げてくれ、ハボック准尉」
「いや、上げるな馬鹿者」
少佐の言葉に従ってゆるゆると頭を持ち上げようとすれば、それを阻むようにばさりと書類を頭に乗せられた。もちろん犯人は中佐だ。
「まったく、私の部下ともあろう者がを知らぬなんて……」
「無茶言わないの。そもそもロイがずっとハボック准尉を外にやっていたから、会う機会がなかったんでしょう」
「……極力会わせたくなかったんだよ」
「なんで?」
「こいつボインが好きだからな。絶対をイヤらしい目で見るはずだ――いや、もう見たな?!」
「最低最悪」
その少佐の言葉は俺にも突き刺さる。男の、半ば本能みたいなエロい心理を口に出す中佐も中佐だが、正直当たっているので本当の意味で顔を上げられなくなってしまった。
「ハボック准尉」
俺の頭に書類を乗せていた中佐を押しやったらしい少佐は、俺の名を呼んで肩を叩く。思わず顔を上げると、申し訳なさそうに眉を寄せて苦笑いしていた。
「散々な顔合わせになってしまったな。また改めて合同訓練の時に挨拶させてくれ」
「その挨拶とは、ハボックを完膚なきまでに叩き潰すという意味だろうな?!」
俺の肩に触れていた少佐の手ごと掻っ攫うように中佐が抱き締めると、少佐は至極迷惑そうに(実際迷惑だと思うが)顔を顰めて、中佐の体を押しのけようとしていた。しかし中佐とは二十センチ以上身長差がありそうな少佐は、すっぽりと見事に中佐の胸に収まっている。
「ロイ、あつい」
「これから寒い所に行ってしまうんだから、今のうちにあたためておいた方がいいだろう?」
「部下の前で頭沸いた発言は止めて」
中佐の唇が少佐の唇に寄せられると、少佐の掌が中佐の口元にあてられ、一瞬光った。すると、いつの間にか中佐の口の中一杯に氷が詰められているではないか。こんな芸当ができる人間なんて――
「ハボック准尉。中佐の言い方はアレだけど、少佐は白雪の錬金術師と呼ばれる国家錬金術師で、狙撃手としてはもちろん、体術にも優れたお方……合同訓練は気を引き締めて臨まないと、本当に中佐の言葉通りになるわよ」
淡々と説明してくれたホークアイ少尉の言葉通りなのであれば、中佐の言葉は冗談でもなんでもなくて、本当に俺を完膚なきまでに叩き潰せる実力が少佐にはあるという事だ。
「あはは、優秀なリザに褒められるのは悪い気がしないなぁ」
「こう見えては幼い頃から猟師の父親に連れられて、銃を使って狩りをしていたんだぞ。母親からもシンの体術や錬丹術の手ほどき受けて「はいはい、もういいって。誰もそんな設定聞きたくないから。あ、ちなみに私の実家、北方司令部近くで食堂やってるんだけど、今度来たら是非うちの食堂へ寄ってってくださいね」
いくら可愛い笑顔でサービスしますよと言われても、俺はまだ食堂どころか、これから行かされるであろうブリッグズ要塞に足を踏み入れるのすら恐ろしいんですけど。
「ハボック准尉にはすっかり迷惑を掛けてしまったな」
「あ、いえ……中佐はいつもあんななので……あ」
少佐を受付まで送る途中(マスタング中佐が行くと駄々をこねていたがホークアイ少尉が止めた)、気が抜けていたのか本音が出てしまった。
「っく……ふふ、正直だな。ロイはいつもあんな調子で女性を口説いているんだろう?」
「いやー、あの……あんな熱烈ではないですよ?」
確信こそ得ているが、俺の口から直接真実を聞きたいといった声色と視線に耐え切れず、俺は精一杯足りない頭を振り絞ってなるべく波風を立てないような返答をした。こんな時ブレダの頭脳があったら、もっとうまく凌げたかもしれない。
「ははっ! ロイが女好きの遊び人に見えるのならば、グラマン中将殿のご指導の賜物だな」
俺の言葉に気を悪くするどころか、少佐は朗らかに笑った。
東方司令部司令官のグラマン中将は中佐同様――いや、もしかしたら中佐以上に女好きで怠け者の変人だ。俺だったら自分の恋人が中佐や中将のような人間だったらすぐに別れるぞ。いや、それとも中佐がそれだけの男じゃないからこそ、少佐はこんなにも余裕があるのだろうか。
「ああ見えてロイは私よりもずっと真面目だし、繊細で激情家な一面があるんだ」
顔は笑っているが、冗談を言っているような声色ではなかった。
次々と聞こえた少佐の言葉が、あまりにも中佐のイメージとかけ離れていたから、俺の出来の悪い脳の処理が追い付かない。いつもあんな感じな中佐を見ている俺にとって、にわかには信じ難かったのだ。
「だから時には自らの危険を顧みずに突っ走りもする。もし今後そんな事があれば、ロイを助けてやって欲しい」
中佐とは士官学校時代からの付き合いだという少佐には、俺の知らない中佐が見えているという事か。
「ロイは普段あんなだから部下は色々と苦労すると思うが、どうかロイの背中を頼む。ロイの隣は私と……もう一人、中央にいるマース・ヒューズという男が守るから」
目的地の受付まで到着すると、少佐は俺と向き合った。俺を見上げる姿は彼女の小ささをより強調するはずなのに、どうやら可憐な少女なのは見た目だけらしい。彼女の態度は酷く毅然としていて、実際の身長よりもずっと大きく感じるのだ。軍人として振舞う彼女と対峙してしまえば、たちまち得体の知れない絶対的な重圧が肌を刺してくる。
「先の大戦でロイだけではなく、私もマースも早々に出世してしまってな……なかなか傍にいれる立場でなくなった。しかし、考えようによっては北と中央にロイを支持する超優秀な同志がいるという事だ。最近では優秀過ぎて、早く出世しないと先に私が出世してしまうとプレッシャーを与えている」
怖っ!!
「まぁ、それもこれも……たとえロイと離れていていようとも私の力が及ぶように、私は私で力をつけようと思ってるからなんだが」
っとに女運悪ぃ。ほんの少しでも邪な気持ちを抱いてしまった相手が、よりにもよって自分の上司の恋人だなんて(しかも中佐超愛されてやがる)。でも許してほしい。こんないい女にクラっとこないなんて男じゃねぇ。外見はお姫様、生き様は自立しながらも好きな男に尽くすカッコイイ上官。勝手に憧れる位いいだろ。
「それじゃあ私は汽車の時間があるからもう行くよ。ロイの部下が君のような人間で安心した。だから……くれぐれも死んでくれるなよ、ハボック准尉」
少佐は敬礼をして、足早に去っていった。
死ぬな、だなんて随分と重い言葉を残していく。イシュヴァール殲滅戦を生き抜いた少佐が口にすると、シャレに聞こえない。
早朝任務に思わぬ上官との出会いで妙な疲労感を覚える俺はやれやれと後ろへ振り返ると、発火布を装着した中佐と目が合った。そこで初めて俺は少佐の言葉の真意を知ったのだった。
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