蜜雨

※ほぼリザとの友情?夢
※リザの士官学校時代捏造
※イシュヴァール戦前






 この時間は誰もいないはずなのに、射撃訓練場には乾いた音が響いていた。その音の出所は、深い青の軍服を身に纏った白雪の錬金術師と呼ばれるだ。彼女はその二つ名の通り、雪のように白い肌を持った可憐な、まさしく童話に出てくる白雪姫のような見た目をしていた。しかし彼女は特別講師として私の通う士官学校に来校した、れっきとした軍人であり、士官学校生の時から戦果を挙げている優秀な狙撃手だ。その名誉は紛れもなく人を殺し続けてきたという意味であった。狙撃手が賞賛されるたびに人が死んでいるという事実は、私でも知っている現実だ。

「君は……」

 物騒な武器など似合わない顔で、身体に染み込んでいるのか、完璧な構えで黙々と的を撃っていた先生が私に気づいた。

「リザ・ホークアイです。訓練の邪魔をしてしまい、大変失礼しました」
「ああ、いや……切り上げるタイミングを失っていたから丁度良かったよ」

 先生は手早く銃を片付けてしまうと、私にせっかくだから少し座って話さないかと提案してくれた。断る理由もない私は先生と共に訓練場に備え付けてある簡素なベンチに腰を下ろす。同性の私ですら隣に並ぶと先生の小ささが際立つ。

「リザは射撃の的が人型である理由を考えた事があるか?」

 美しい曲線が組み合わさった横顔に思わず目を奪われていると、先生が沈黙を破った。顔に似合わずさっぱりとした口調と落ち着いた声色である。
 私は視線を先生から先生の見つめる先へと移動させた。数十メートル離れた場所に人間を模した的が何体も並ぶ様は、自分にとっては見慣れた光景であったが、その感覚自体が異常である事に気づくのには少し時間を要した。

「人間の急所を的確に狙うため……ですか?」
「そうだな、それも正解だ。だが、もっと根源的な答えがある。同種殺しへの抵抗感をなくすためだ」

 ある准将が接近戦を体験した兵士に、いつ、何を撃ったのかと尋ね回った。すると、わざと当て損なったり、敵のいない方角に撃ったりした兵士が大勢いたのだ。姿の見える敵に発砲していた兵士はほんの僅か。人間の良心が耐え切れなかったのだ。それが人間の本能。多くの人間は人を殺せるように生まれついてはいないし、幼い頃から命を奪うのは恐ろしい事だと教わって育つ。だから殺される恐怖より、むしろ殺す事への抵抗感が先立つのだ。殺せば、その者の人生と重い体験を引きずって生きていかねばならない。でも殺さなければその者が仲間を殺し、部隊を滅ぼすかもしれない。自分が殺しても殺さなくても、どちらにせよいつかどこかで誰かが死ぬ事になる。そうやって兵士はジレンマを抱えるのだ。
 この発砲率の低さによって訓練は見直される事となった。従来の丸形の的から人型のリアルな的に換え、意識的な思考を伴わずに撃てるようになるまで何度も繰り返す。結果として発砲率は上昇した。

「狙撃手はいいだろう?」

 銃は人の死に行く感触が手に残らない。そして狙撃手は敵に姿を見られる事もない。まるで天上から見下ろす神にでもなったかのように、自由に命を奪えるのだ。

「だが、忘れるな。狙撃手の引鉄がいつなん時も死に直結している事を」

 引鉄を引いて弾丸を撃ち込めば当たり前に敵は死ぬ。しかし、外せば敵に自分の位置を教える事になる。それは自分の死はもちろん、味方の死にも繋がるのだ。

「戦場ではどれだけ早く決断できるかで生死が決まる。だから迷うな。その瞬間死ぬぞ」

 学生時代先生が北へ実地訓練に行った時、上官の判断ミスにより目の前で仲間が死んだ。その仲間とは先生と同期の衛生兵。何か手立てを考えなければ、次は自分や他の仲間が死ぬかもしれない状況に追い込まれてしまった。そこで先生は命令を待たずに、錬金術を使って敵を全滅させた。そのやり方は下手すれば自分の隊も全滅する恐れがあった。結果仲間は生き残ったが、隊の規律を乱した点では軍人として失格だと上官と諍いが勃発。しかし先生にしてみれば、そんなものはクソくらえだという。本当に顔に似合わず口調が勇ましい。

「私は錬金術は人に夢や希望を与えるものだと信じています。それを戦争に……ましてや国民を殺すのに使うだなんて……」

 今年卒業を控えた私達士官学校生は、いよいよ実地訓練として戦場に出される日が刻一刻と迫っていた。東部に位置する士官学校の大半の生徒は、いまだ内乱が続いているイシュヴァールへ行かされる事が多い。そのイシュヴァールの内乱に最近動きがあった。大総統が国家錬金術師を投入して、本格的なイシュヴァール殲滅戦を始動する方針を固めたのだ。そのためには兵力の増強が必要不可欠であった。だから学生であろうと、優秀な人財ならば積極的に前線まで引っ張っていくつもりらしい。今回のこの特別講義が開催された目的だって、要は私達学生の下見である。彼ら軍人は、ただただ戦争の準備をしているだけなのだ。

「錬金術師よ、大衆のためにあれ……その気持ちは常に持っているつもりだよ」

 そもそも先生が錬金術に触れたきっかけは家族のためであった。北国の中でも特別雪深い地方で生まれ育った先生は、自分達の生活を苦しめる雪を何とかしたいと考えた。そこで母親から錬丹術を学び、近所で有名だった錬金術師シルバ・スタイナーが遺した書物を読み漁り、昔からの知り合いで兄のように慕っている国家錬金術師から教えを請いたのだ。その甲斐あって氷雪系に特化した錬金術を使いこなせるようになり、家族だけに留まらず町の人にまで奉仕するようになった。そうして白雪の錬金術師という名に恥じぬ国家錬金術師になったのである。

「私は国民の幸福を願い、皆が幸せに暮らせる未来を信じて士官学校に入学を決めました。先生もそうなのですか?」

 家族や町の人々に錬金術で幸福を齎す先生ならば、私の考えに頷いてくれると思った。だが、私のそんな甘い予想に反して、先生はばつが悪そうに視線を逸らす。

「学生の君にこんな事を言うのは先輩として失格だと思うが……私は別に国や国民のためなどという大義名分を掲げて軍に入った訳ではない。有り体に言ってしまえば、金が目的だ。私は私の家族を養うために軍に入った。所詮一人の人間が守れるものなんて、そんくらいだと思ってるから……」

「幻滅したかい?」という先生の問い掛けに、私は頭を振る。誰が先生の後ろ指を指せよう。自らの手を汚し、血を流すのは我々軍人だけがすればいいと豪語する先生は、綺麗な言葉で取り繕う人間よりも遥かに信用できる。

先生は家族を養うために軍に入ったと言えど、実際に家族や町の人に幸福を齎しています。口先だけの人間よりも、ずっと素晴らしいと私は思います。だから――」

 だから余計に思ってしまうのだ。先生のような人間が人殺しの道具にさせられる戦争なんてなくなってしまえばいいのに、と。

「そうだな……それでも、私は自ら軍の狗になった」

 私の言葉に先生は厳しい表情で呟いた。

「ひとつ……覚えておくと良い。好きか嫌いかまでは自分で決められる。だが、善悪は社会が決めるし、正しいか正しくないかはいつだって時代が決めるんだ」

 正しい戦争などあるものか。しかしそれは蚊帳の外で眺めている私の主観でしかない。

「もし本当に自分が正しかったのかを確かめたいのなら死ぬな。貪欲に生きて未来を見続けろ」

 その大きな瞳の輝きはいつか潰えてしまうのだろうか。できることならいつまでも見つめていたい。その光こそが私に希望を与えてくれるのだ。

「それでリザが望んだ"美しい未来"が見れたのなら、君の決断は正しかったのかもしれないな」

 先生は綺麗に微笑んでベンチから立ち上がった。

「人間は守るべきものがあると、強くなれるものだ。強くあれ、リザ・ホークアイ。君の名は覚えておくよ」

 次会う時が戦場じゃない事を願う――そう言い残して去っていった背中は軍人を語るにはとても小さかったが、私の瞳にはその存在が大きく鮮烈に刻まれた。

 そう遠くない未来、私と先生はイシュヴァールの荒野で生きて再会するのだった。






*







 まさかかつて私を先生と呼んでくれた彼女が、ロイの師匠のお嬢さんだったなんて思いもしなかった。

「もし私がマスタング少佐を撃つ事があれば、その後は少佐が私を殺してください」

 肉片ひとつ残さずに――そう言ったリザの瞳はロイの補佐官として覚悟を決めた色に染まっていた。私は鷹の目と呼ばれる彼女の強く鋭い眼差しをじっと見つめながら、焔の錬金術の秘伝が描かれた背中を焼くのに立ち会った際、ロイが口にした言葉を思い出していた。

「もし彼女がこの道を選んだら、私の補佐官に推薦しようと思っている」
「ロイが焼いた背中を持つリザならば、きっとロイの背中を守り、もしもの時は撃ってくれるだろう」


 そんな彼女が今度は私に最後は殺してくれと頼んできた。イシュヴァール戦以降、弱さや甘さを見せなくなった彼女の唯一の綻びを垣間見た気がする。

「それじゃあ私が最後まで生き残らなくちゃいけないじゃないか」

 私の言葉を了承ととったリザは静かに「それがマスタング少佐と私の願いです」とだけ呟いた。






(ロイに影響を与えたのがホークアイ師匠なら、リザに影響を与えたのはヒロインという構図にしたくて、あえてリザが原作で言っていた台詞に似た台詞をヒロインに言ってもらったという裏話)








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