「なあ、200$でヤらないか?」
「マウスウォッシュなら200$で買えるわよ」
はウザったそうにそう言って、熊みたいに毛深い男に何枚か¥札を握らせた。
男はそれを見た途端にげらげらと下卑た笑い方で笑った。薄暗いバーの中でもはっきりとその表情が分かる。
「今¥がやっすいのなんざ、田舎モンの俺ですらわかるぜ、お嬢さんよ?」
は馬鹿にするような男の物言いにカッとなる。
ワンピースを着ていたは長い裾を捲り上げて、ガーターベルトに括り付けていたスタームルガー・ブラックホークを男に突き付けた。
その迅速かつ慣れた行動に、男はひゅっと声を引っ込めた。しかしその構えた手が震えていることに気付くと、男はまたいやらしく顔を歪めた。
「ッハ!それじゃ、いくら図体でかい俺でも当たんねーな」
「じゃあ、これならどう?」
は男の口に拳銃をブッ刺した。拳銃が前歯に当たったが、気にせず奥まで滑り込ませる。
まわりにいた客が、そそくさと席を離れた。近くにいたバーテンダーも、素知らぬふりしてグラスを拭き始める。
音楽は二人の時間を止めずに流れ続ける。グラマラスな女が歌う。《恋なんて何さ》
「フェラしてるみたいで気持ちいいかしら?」
は男の耳元で妖しく囁く。これがベッドの上だったならば、また違っただろう。男の毛穴からは脂汗しか出てこなかった。
拳銃を持つ手はもう震えてはいなかった。は怖くて震えていたのではなく、怒りで震えていたのだ。
爪を立てて男の頭を掴んで、カチリと引き金を引いた。弾は出ない。
男はから離れようとするが、生白い腕からは逃れられなかった。涎がだらしなく下の冷たい床に落ち、そろそろ水溜りを作りそうだ。
「あら、運よく弾が入ってなかったみたい。でも、お次はどうかしら?」
だんだんの声が艶を帯びてきている。興奮でもしているのだろうか、もしかしたらイク時よりもイイ顔をしているかもしれない。
彼女の瞳の奥に、ピンクの像でも住み着きでもしたのだろう。
男の意識が遠のいていく中、大きな音をたててドアが開かれた。一気にそちらへと複数の目が向けられるが、やがて興味を無くしたのか、各々また酒を咽喉に流し込んだ。
だがは、ドアに向けた目を逸らすことができなかった。アルフレッド。がこのコカインにまみれたロスに赴いたのも、無意識に彼に会えると思ったからだ。
アルフレッドはすぐにを見つけ、つかつかと歩み寄った。
「一体何をしてるんだい君は!」
「あ、え、…と、アルに、会いに…」
アルフレッドの激しい剣幕に尻込みするは、先程男に見せた顔ではなかった。
アルフレッドはさっさとの細っこい腕を掴んで、巻き戻しをするみたいにまったく同じ道をまったく同じく歩いた。
男は膝を折ってそのまま倒れた。誰も見向きはしない。汚らしい唾液の付いた拳銃は捨てた。
バーを出て階段を上るが、アルフレッドは始終無言だ。「怒ってる…?」アルフレッドの大きな背中を少し見上げるようにして、は聞いた。返事はない。少しだけ、アルフレッドの手が軋んだ気がしただけだった。
階段を上り終えると、路上にシボレーのモンテカルロが停まっている。アルフレッドの車ではなかった。車内は酷い煙草の臭いがした。またあのバーに入った感じだ。
「君の居場所が分かった時にちょうど車がなかったもんだから、親切な奴に車を借りたんだ」
「…そう…」
半分本当で、半分嘘だった。車がなかったのは本当。車は、勝手に借りた。親切な奴に。ああ、親切だったさ。弾が二・三発飛んできたりはしたけど。
アルフレッドはエンジンをかけた。排気ガスが噴出され、醜いエンジン音がした。しばらく車を走らせて、ハイウェイに入った。
ぐんとスピードが上がる。そこでやっとアルフレッドは重い口を開いた。
「君の国は俺が何とかする」
「…無理よ。あなたの国の暗黒の木曜日よりも酷いって言っていたわ」
「それでも俺は君を救いたいんだ」
「聖テレサはこう言ったわ。言葉が行いを導き、魂に落ち着きを与えて、心の安らぎを齎す」
「それは、俺を頼ってくれると受け取っていいのかい?」
は運転中のアルの横顔をじっと見てから首を横に振った。アルフレッドはそれを視界に入れる。
「言葉なんてみんな嘘よ。だから言葉の後の行いも落ち着きも、安らぎも嘘」
「何が言いたいんだい?」
「救わなくていいの。だから私が死んだとき、国の人たちに花を供えてあげて」
の国の株価が大暴落した。アルフレッドは最後までニュースを見ないまま、自分の家を飛び出していた。
の家は鍵が開いており、携帯は折れてゴミ箱に捨ててあった。置手紙はなく、パスポートと通帳とお気に入りのバッグだけが消えていた。
今着ているワンピースも、のお気に入りだった。
アルフレッドはロスへ向かった。はいつも、ロスは去るところに向いていると言っていた。
「悲しみと無とでは悲しみを選ぶ。」
「…フランシスのところの映画だったわよね。確かゴダール」
「たまたま見たんだ」
「なに、ポリスマンでも射殺したの?パリにでも逃げようって?」
「そんなことしてないし、思ってもいない。ただ、俺は山が嫌いだし海も嫌いだし都会も嫌いだ。だから、勝手にを救う」
「全然上手くないわよ」
「密告者は密告をし、強盗は強盗をし、人殺しは人を殺し、恋人は恋をする。ヒーローは、みんなを救うんだぞ」
空を見ろ、鳥だ、飛行機だ。いや、スーパーマンは横にいる。