![]() 高校野球といえば、甲子園だが、そのスタンドでの応援と言われると思い浮かぶのは吹奏楽部の存在だろう。 私が今、部活で一生懸命練習しているのも、今度野球部の応援で吹く為の数曲だった。入るときは深く考えていなかったのだが、うちの学校の野球部はいわゆる名門、強豪といわれる学校で、その応援に吹奏楽部が駆り出されないわけがなかったのだ。中学まで部活動なんて一切興味がなかったから、入部時はそんなところまで気が回らなかったのは当たり前だろう。 「え、ブラバン入んの」 親同士が仲がいいので田島家と家では月一回くらいのペースで夕食会が開かれる。四月は田島家でお好み焼きだったのだが、その時、広げたお好み焼きのたねの世話をしながら交わした会話の中で部活動の話になり、吹奏楽部に入ることを悠一郎に話した。そのときの悠一郎のきらきらした顔と嬉しそうに大きくなった声は今でもありありと思い出せる。悠一郎は私が進学した高校が野球の強豪校だとわかっていたから、その応援に来るはずの吹奏楽部を思い浮かべての反応だったのだろう。あのときの悠一郎のことを思い出すと、今でも、悠一郎を応援したかったなあとしみじみ思う。西浦には吹奏楽部がないので、西浦に入ったところでブラバンとして応援には行けなかっただろうけど。 吹奏楽部は文化部というよりむしろ運動部のような部だ。練習は長く、先輩後輩間の上下関係も厳しい。演奏する肺活量を鍛えるためのランニングなんかもあるので、ほぼ運動部だ。今日も部活が終わったのは夜八時になったところだった。同じ電車通学の子と一緒に駅まで向かって、方向の違う電車にそれぞれ乗って帰る。駅から家まで自転車で帰る途中に、西浦高校がある。それとそのお隣の悠一郎の家も。 「じゃん」 声をかけられてびっくりして自転車を止めたら、カゴの中の鞄ががしゃっと音を立てた。道の向こうの西浦高校の前にいたのは件の幼馴染だ。それと、野球部員らしい数名の高校生。 「びっ、くりした。急に大きい声出さないでよ」 二車線分の道路を挟んでるけど、悠一郎の声はよく届く。たぶん四車線あっても届いたと思う。 悠一郎以外の人たちがみんな口を噤んでこちらをじっと見ている。おおよそ、誰だ? とか思われてるんだと思う。居心地が悪くて、それじゃあとそのままペダルに乗せた足に力を入れようとしたら、「じゃあまた明日な」と悠一郎が私に向かって、ではなく、その野球部の人たちに向かって大声で手を振って、てててっとこちらに駆け寄ってきた。悠一郎の押しているチャリがカラカラカラと音を立てる。 「部活帰りかっ」 「うん、野球部の人たち良かったの」 「別に! 帰るとこだったしな」 野球部の人たちとは随分と仲が良いみたいで、帰りがけにコンビニやら何やらに寄っていることも聞いたことがあったから、良かったのかなと思ったけれど、道の向こうの彼らは一様に帰っていくところだった。あんまり目で追っていると、何人かと視線がかち合いそうだったので、すぐ目の前の幼馴染に目線を戻す。近くの畑の葉っぱたちを揺らす風が、悠一郎からふわっと制汗剤の匂いを運んできた、 「ブラバンの練習、どう?」 「超大変。走り込みとかやるんだよ? 運動部並みじゃない?」 「やべーな、むきむきになんの?」 「や、筋トレはさすがにそこまでは」 話しながら悠一郎が自転車を押して歩き始めたので私も自転車から降りる。ついでにさっき少し浮いてしまったカゴの中の鞄の位置を調整した。 「悠一郎はどうなの? むきむきになりそう?」 「おーたぶん三倍くらいにはなるな!」 あんまりにも家が近いので、こんなちょっとだけの会話でもう田島家の前までたどり着いたけど、それじゃあ、と手は振られずにそのまま並んで歩いている。送ってくれんの? と訊いてみたら、おー、と肯定のお返事が返ってきた。ので、もう少し会話を続けることにする。 「夏大、西浦も出るんでしょ?」 「来週抽選会だなー、んとこもだろ?」 「当たり前じゃんよ」 何しろうちは強豪校だ。今年もシードが決まっている。順調に勝ち進んでいく可能性が高いから、吹奏楽部の出番もその分増えるだろう。これから三年間、夏の間は日焼けは必須なのだと思うと少し気分が下がった。だからと言って、負けろとまで思うほど意地は悪くないけれど。 「当たるといいな」 「クジが……?」 「おう、うちとんとこが」 当たるってどういう意味だろう。西浦も、うちも、いい高校と対戦できるといいねっていうことだろうか。隣で鼻歌でも歌い出しそうなくらい機嫌の良さそうな悠一郎を横目で見ながら、えーっととハテナマークを飛ばしながら口を開いてみる。 「えっと、西浦はどこと当たりたい?」 「は? だからんところだって」 「え? うち?」 悠一郎理論的には初戦から強豪校と当たっておく方がラッキーなのだろうか。ますますわけが分からなくて、首を傾げると、悠一郎は歯がゆそうに顔を顰めて「だからさー」と説明を加えた。 「は自分とこの試合に行くだろ?」 「そうだね、行かなきゃいけないし」 「てことは、俺の活躍を応援してもらうためにはんとことうちが対戦しなきゃじゃん」 「うん……?」 言っている意味が分かるようで分からない。だって私が、というか私たちが行くのは自分の学校の応援だ。西浦の応援ではない。私が目をぱちくりさせて困惑していると、私が困惑していることを察した悠一郎が、むむっと口を尖らせた。ごめんよ、いくら幼馴染でも悠一郎のことを百パー理解するのは難しいんだ。 「えと、うちのブラバンはうちを応援しに行くんだよ……?」 「そうかもしんないけど、おんなじ試合ならに俺の試合見てもらえるじゃん」 「あ、そうか」 やっと言いたいことが分かった。確かに対戦相手になれば、悠一郎が野球するところだって私は見ることができるのだ。私がようやく合点がいった声を出すと、悠一郎にもそれが伝わったようで、拗ねた顔をしていたのがぱっと笑顔に変わった。 「そうそう。だからは俺の為に吹いてくれよな」 悠一郎の言葉に異論は一切なかったので、そうしますと頷いた。でも、悠一郎ばっかり心の中で応援してたら、悠一郎の打席で演奏してしまいそうだなと思いながら。 「でもさ、初戦で当たらなくても勝ち進めばいつか当たるんじゃない?」 「そうだなー、最悪決勝で当たるな!」 ニッと大きな口から白い歯が覗く。決勝戦、西浦とうちの対戦になったら、私はいよいよどのタイミングで演奏すればいいのかわけが分からなくなるかもしれない。打席に立つ悠一郎を思い浮かべるだけで、目一杯そちらを応援したくなる。 「そんなことになったら、さすがに西浦側のスタンドに紛れ込もうかな……」 「えっ、まじで」 ちょーうれしー、と悠一郎は目をきらきらと輝かせているが正直現実的ではない。気持ちとしては悠一郎が出てるんならいつだって西浦のスタンドから応援したいんだけど、高校選びでそれぞれ別れてしまった今は、そうもいかないのもよく分かってる。 「まあ、どこで吹いてても、私は悠一郎を応援してるからね」 だから、これはただのフォローで出てきた言葉じゃなくて私の本心だった。さっきのきらきらの笑顔につられてこっちもちょっと笑うと、隣の悠一郎は何故かぴたっと足を止めてしまった。前方からやってきた車のヘッドライトがまぶしく彼の顔を照らす。 あれ? 外しただろうか。悠一郎相手だといつもこのくらいのテンションなんだけどな。私も立ち止まって、自転車の後輪ひとつ分後方になってしまった悠一郎を振り向くと、彼はその大きい目をぱかっと見開いていた。何を考えているのかよく分からない。その目と目を合わせて、ぱちぱちと二三まばたきをしてみれば、すぐに彼もいつものにっこりに戻る。いつもの笑顔より少しだけ目を細めて、ほんとうに、嬉しそうに。なんて、私の自意識過剰だろうか。 「俺も、どの打席もが見てくれてる気持ちで、打つ!」 何年幼馴染をやってたって、互いに互いが何を考えてるか百パー理解することなんてできない。できないから、私が今の言葉にどれだけすこーんと心臓を打ちのめされたか、悠一郎には分からないだろう。 (17/10/29) ♪KILL☆ER☆TUNE☆R / 777☆SISTERS title :エナメル sozai :はだし / シルエットAC |