開演までもう間もない。今日のチケットはソールドアウトだ。会場には熱を帯びたざわめきが波打って溢れ、楽屋にもその昂りが漂っている。彼女たちがセブンスシスターズとして、こんな大きな会場に立つのは初めてのことだった。
舞台袖からそろそろと客席を覗くと、めまいがしそうなほどの人の群れ。期待と予感が押し寄せるように伝わってくる。わたしは息が押し返されるような錯覚に襲われて、一歩後ろに足を引いた。
「あっれー?ちゃん、緊張してる?」
頼りないバランスでぐらぐらしていると、後ろから両の肩を誰かの手のひらが掴んで支えた。振り返ると透き通るような空の色。ここは暗い舞台袖だというのに。
「ニコル」
「はあい☆あなたのニコル参上だず!」
こんな暗がりでニコルの髪は突き抜けるように青かった。風が通るようだ。呼び掛けた声が存外揺れて、情けなさにうずくまってしまいたい気分だった。しかしわたしが怖じ気付いてどうする。ステージに立つのはニコルたちだ。セブンスシスターズ、なのだ。わたしたちは、彼女らを支えるためにいる。
「馬鹿言ってないで。準備出来てるの?」
「モチのロン!バッチリであります!」
「あっそ」
いつも通りの浮かれた声で敬礼して見せる。ほんの少しそれで震えが止まる。七咲ニコルは、いつだって、誰かを引っ張りながら走っている。他の5人のメンバーを。わたしたちナナスタのスタッフたちを。彼女らの歌に触れるファンのひとりひとりを。とても敵わない。わたしたちは、どうしようもなく強い力で、未来へ手を引かれている。
「だから大丈夫だって言ったでしょ?」
「え?」
「エッグホール、埋めて見せるって」
会場はエッグホール。七咲ニコルがそう指定したとき、わたしは考えるより先に「早すぎる」と口にしていた。日本でも人気のある海外アーティストが先日単独ライブを行ったホールだ。人気は急上昇しているとはいえ、駆け出しのアイドルの単独ライブに与えられるにしては、些か大きすぎる会場だった。反対したのはわたしだけではなかった。他のスタッフはもちろん、支配人も黙りこくっていた。
しかし七咲ニコルの声は低く、静かにわたしたちを飲み込んだ。
「埋めるよ」
「は?」
「私たち、エッグホールを満員に出来る」
確信に満ちた声だった。ニコルの眼は青く凪いで、ひどく冷静で、既に知っている未来の話をする色をしていた。そうして恐ろしいほど順調に、エッグホールでの単独ライブは決定した。
「………べつに、あんたたちを信じてないわけじゃない」
「やだなちゃんてば。分かってるよ」
結局ニコルの言った通りになっている。ニコルはからからと笑って目を細めた。口調は変わらないのに、ニコルはいつもこうだった。ライブの直前、仕草や表情のひとつひとつが研がれてすっと鋭くなる。ひとに当たったりするようなことは絶対にないけれど、心臓をなぞるような目の動き、時折すっと深くなる声、そのどれもがわたしに言葉を飲み込ませた。
「ちゃんはいつだって私たちを守ってくれるでしょ。でも」
唇は微笑んだまま瞬きが止む。僅かに仰ぐようにして反った首が、息を呑むほど白い。
「今度は私たちが連れて行ってあげる」
しんと耳鳴りが響いた。あちこちで関係者が慌ただしく準備をしている。見えているし聞こえている。それなのに、わたしの脳はニコルだけを認識して浮かび上がらせた。緊張していない訳がない。だけどこの騒音のような心臓の音は、それとは全く別の原因で鳴っている。
「まあ、そういうことだからさっ」
ぱっと両手をひろげて見せると、ニコルは力の抜けた笑みを浮かべた。いつものニコル。わたしは息をしようと唇をひらく。瞬間、すっと笑みが消えて元の眼の色に変わり、声を上げるより先に鼻先が触れた。やっと遅れて意味を成さない音が口からこぼれると、それを塞ぐようにニコルの唇が噛み付いた。
青い。青い、静かな眼。底で火がくらくらと揺れる。静か?違う。最初からずっと。だっていま、こんなにも、焼かれるように心臓が熱い。
「ちゃんとニコちゃんのこと見ててよ、ね?」
ニコルがすっと身体を引いて、気が付くと後ろでニコルを呼ぶ声が聞こえる。ルイの声だ。もう間もなく開演時刻だろう。呆けているわたしを通り越して、次々にメンバーがステージへ続く階段を上っていく。最後に段に足を掛けたニコルがふっとこちらを振り返ると、他の5人も揃ってわたしを見下ろした。まだステージの照明はついていないのにひどく眩しい。目が眩みそう。
「ちゃん」
はっとして目をしばたかせると、クルトが両手をいっぱいに振って見せた。それに呆れたようにメモルが眉を寄せる。ルイは片手を上げ、マナは首を傾げてゆったりと微笑む。ミトは腕を組んだままじっとこちらを見据え、ニコルは、歯を見せてにっと笑いながら、力いっぱい伸ばした手で、ピースサインを作った。
会場の照明がすっと落とされ、途端にわあっと熱が生まれ起こった。ニコルの指はピースサインから形を変え、人差し指だけを立てて、迷いなくわたしを指さした。まだわたしは息が出来ない。
「覚悟はいいかな?」
SEVENTH
HAVEN
HAVEN
(20170426)