「村上くんって寒がりなの?」 カサカサという音に紛れて右下から質問が浮き上がってくる。その声を辿るとの丸い瞳が視界に入って、足を止めないに合わせて俺も歩いたままを見下した。 「……誰かから聞いたのか?」 「ううん。登校してくる時いつもマフラーに顔埋めてるから」 ああそういうことか。てっきり穂刈とかカゲ……いや、カゲはないか。とにかく俺の話を聞いたのかと思った。疑ってしまった友人に心の中で謝りながら返事をするとは肩を揺らしながら「そっかあ」と呟いた。 「村上くん寒いとすぐ鼻の頭赤くなるよね」 「ああ。は寒いの平気なのか」 「うーん……暑いのよりは耐えられるかな」 暑いとすぐに元気なくなっちゃうの。はそう言うと肩を落として見せて笑った。確かに夏になってからのは毎日ぐったりしていた記憶がある。机の上に上半身を預けたり、手であおいだり、ワイシャツを摘んで風をシャツの中に送らせたり。……最後のはあまりやらないほうがいい気がするけど。が両手で持っている大きなビニール袋がカサカサと揺れてはくすぐったそうに笑う。 「袋、重くないか?もし大変なら俺が持つ」 「大丈夫!それより村上くん二つも持ってくれてて重いよね、ごめんね」 「気にするな」 言ってからがよくやるように笑って見せる。は少し安心したように頷いてから袋を持ち直した。午後の授業で用紙を多く使った時に「もしかして」とは思ったけど、まさかゴミ袋三つ分になるとは……。しかもゴミ捨ての当番が男子ならまだしも、一人なんて。俺が気づいたからまだよかったけど、声かけるまで一人で捨てにいく気だったよな。教室までゴミ捨て場まで少し歩かなきゃいけないのに。 「あ」 保健室の前を通った直後、何かを思い出したかのようにが声を上げる。彼女に合わせて今度は足も止めた。慌てて振り返ってから体の向きを変えてに走り寄る。 「どうした?」 「村上くん……」 「うん」 「寒いの苦手ならマフラーとか持ってきたほうがよかった……?」 「え」 この世の終わりみたいな顔をしているからどうしたのかと思ったら。出てきた言葉に拍子抜けして声を出して笑うと「何で笑うの」とは頬を膨らませた。 「悪い」 「寒くて困るの村上くんでしょ」 「ああ、そうだな」 「風邪ひいても知らないからね」 「それは怖い」 小さい子どもみたいにむっとしているを宥めながらゴミ捨て場に向かう足を進めるように促す。の膨らんだ頬が小さくなるにつれて、踏み出す足の歩幅が大きくなる。よかったとほっとしたのも束の間。校舎を出た途端、冷たい風が頬をチクチクと刺し始める。自然と返事が早口になっていくのをが気が付かないはずもなく、は俺の顔を覗き込んだ。 「村上くん、寒い?」 「…… そうだな」 「……村上くんってもしかして寒いと口数減るタイプ?」 「……そうかもしれない」 「そうなんだ」 じゃあ早く捨てちゃお。声がしてすぐ隣を歩いていた足の動きが少し速くなる。さっきまでずっと話していたのに急に会話がなくなってしまった。最近わかったけど、俺はこの状況がすごく苦手らしい。といるときだけ、だけど。何か話したいのに上手く話せない。から話しかけてくれたら話せるのに、俺から話そうとすると途端にできなくなってしまう。この感情が何なのか理解してから、ずっとそうだ。まだ壁は越えられていないのかもしれない。ゴミ捨て場のドアを開けるなりは自分が持っていた袋と俺が持っていた袋をぽんぽんと放り入れた。 「、あの」 「よしっ終わり!村上くん、校舎まで走ろ!」 「え」 何か話そうとやっと口を開いた瞬間にから一つの案を提出されて、思わず口を閉じてしまう。 「早く!」 が俺の手を掴んで走り出した。けどそれは一瞬で、すぐに手は離れて遠ざかっていく。、お前走るの速いよ。ずっと見てたのに。一緒に走ったの初めてだけどこんな速かったんだな。「」と反射的に声が出てが振り返る。「寒いね村上くん」何も面白くなんかないのには心の底から楽しそうに笑った。俺は必死に小さな体を追いかける。ああもう、寒くてしょうがない。前を走るのスカートが大きく揺れてたまに太ももが顔を出す。、走るのはいいけどもう少し考えてくれ。 「はー、疲れたあ」 校舎に足を踏み入れてドアを閉じてすぐには大きく息を吐いた。急にどうして走るなんて、という質問は「村上くん、ちょっとは暖かくなった?」という言葉に上書きされる。 「……だいぶ」 「よかった!じゃあ教室戻ろ」 頷いての隣を歩く。階段を上がっている途中に数人の生徒が上から下りてきた。それを避けようとした時にほんの一瞬、さっき絡んだ指とカーディガンがもう一度触れて心臓が大きく鳴った。大きな笑い声は下にどんどん下りていく。掃除の時間はとうに終わったらしく校舎はさっきよりも静かになっている。自分の心臓の音がやけにうるさく聞こえる。きゅ、と上履きの底が擦れた音が階段を反響しては耳に響いた。……今の、謝ったほうがいいんだろうか。でも何て謝るんだ? 「村上くん」 肩がびくりと跳ねた。ばっとを見下ろすけどは前を向いたままだった。謝ったほうがいいのか考えてるタイミングで話しかけられると、どうしたらいいのかわからない。とりあえず返事をするとは俺をちらりと見上げてから「何でもない」と小さく口にした。 「どうかしたのか?」 「……ううん、大丈夫」 「……そうか」 「うん」 「……」 「うん」 言ってしまえば楽になるのかもしれないという考えが過ぎってしまった。廊下には誰もいない。階段を上がればすぐに教室だ。教室にはさすがにクラスメイトが残っているだろう。……それで、どうなる?仮にに伝えたとして、その後はどうなる?いくつかの着地点を想像して、息を吸ったところで結局思い留まった。それでも話しかけた手前何か言わなければと必死に考えを巡らせる。 「村上くん」 俺が話題を見つけようとしているうちにがまた口を開いた。返事をしてもまだ彼女の顔は上がらない。安心したような、その真逆の感情が入り乱れる。 「……ちょっとだけ変なこと言っていい?」 「……うん」 「さっき手ひっぱっちゃったの、嫌じゃなかった?」 「……え、」 手引っ張ったの、って。走った時のことか。さっきまで楽しそうに笑ってたの表情はまったく別の物に変わっている。言葉にはできないけど。緊張で身体が敏感になっているのかもしれない。が髪を耳にかける。それだけで心臓の音がどんどん大きくなる。の手がカーディガンの裾を掴んで、思考が止まらない。呼吸の仕方を忘れてしまったのか息が上手く吸えない。ゆっくりと進んでいたの足が階段の踊り場でとうとう止まった。正面に立っていても、が少しうつむきがちになっているせいで表情がちゃんと見えない。それでも、赤くなった頬とか湿った唇とか。視線だけ上に持ち上げる仕草とか。こんな表情するのか、って。馬鹿みたいな言葉しか浮かばない。とうとう限界を超えたのか一切の思考が止まったようだ。それなのに腕が勝手に動いて、ゆっくり伸ばす。 「嫌なら言ってくれ」 ぽつりと言うとは小さく頷いて俺の手を指先で受け入れた。 「……冷たいかと思った」 が消えそうな声で言ってから小さく笑う。よりは冷たいけど、と言ってみせるとは恥ずかしそうに笑って自分の手よりも大きな俺の右手を両手で握った。 「恥ずかしい」 「……ああ」 「死んじゃいそう」 「ああ」 「このまま死んじゃってもいいかも」 「それは困るな」 やっとが顔を上げる。がやるように笑ってみようと思ったのに上手く出来なかった。それを見たは今まで一番綺麗な顔をして笑った。本当に眩しくて、やっと壁を飛び越えられたのかもしれないと自惚れてしまった。そして、それはも同じだったのかもしれないとも。 「村上くん、わたしもっと村上くんのこと知りたいの」 ![]() |