ぞくり、と悪寒が背筋を一気に駆け抜けてきて私は無意識に身震いをした。瞼の裏に貼りついた光が痛いほど目に沁みる。目を閉じているのに、どうしてこんなに眩しいのか。耐えきれなくなって重い瞼を押し上げてみたけれど、こうこうと輝く光に包まれていたのはこの部屋全体で、結局変わらなかった眩しさに思わず顔をしかめた。
それにしても寒い。下半身と同じ温もりを求めて、身体全体を覆うように炬燵にさらに潜り込んだ。・・・ん?炬燵?ちょっと待て、私の家に炬燵はない。身体に伝わる心地よい温もりに反して冴えていく脳内。そして聞こえた「ぐあ」というなんとも間の抜けた声。ずっと左側を向いて突っ伏していた顔を恐る恐る上げる。目の前には動物の毛を連想させるもじゃもじゃ頭。携帯の時刻を確認する。何度瞬きしても変わらないAM5:15の文字。2時なんて中途半端な時間まで仮眠を取ろうとしたのがいけなかった。



「太刀川、起きてよ」
「・・・ああ?」
「レポート、やらなきゃ」
「・・・・・そうだった!!!!やべえ!!!」



太刀川にとって呪いの呪文をかけてやると、太刀川は飛び起きてノートパソコンを起動させた。そして慌てて炬燵周りに散乱している参考文献やら授業プリントを必死にかき集め手に取っては「どれ見ればいいんだっけ・・・」と顔面蒼白でぼやいている。思わずため息を吐かずにはいられない。この男にも、彼女でもないのにこの男の世話を焼いてしまう私にも。






太刀川から携帯にメッセージがきたのは昨日午後11時を回った頃だった。「助けて」とたった一言だけで翌日締切の冬休み前最終レポートに終われている姿が容易に想像できるくらいの仲になってしまっていた。私は昨日の内にレポートは提出済みだ。だから今日は早く寝られると思っていたのに。何て返信しようか、いっそ無視してやろうかと迷っていると、「なんで返事ないんだよ」「おい」「見てんだろ」と次々とメッセージが送られてきた。大きなため息とともに「分かった」ととだけ返信して、コートとマフラーと手袋を順に身につける。太刀川のアパートまで自転車で5分とはいえ、12月のこんな時間に外へ出るのだ。風邪はひきたくない。というか助けて欲しいならお前が来い。なんで私がわざわざ出向いてやらないといけないんだ、と「分かった」と返信する前に言ってやるべきだった。まあ、言ったところで結局私はこの男の世話を焼くことには変わりなかったんだろうけど。
太刀川は相変わらず忙しなくタイピングを繰り返している。カタカタという音が少しうるさいけれど、炬燵の心地よさの前では全く気にならない。この季節に太刀川の家に来てよかったと思う点をあえてあげるとするならば、やっぱり炬燵だろうか。温かい炬燵に入って焼きたての餅を食べるのはなかなかオツだ。



「おい寝るな」



せっかく人がいい気持ちに浸っていたのに、どん、と炬燵の中で足を蹴られて現実に引き戻された。くそ、私も蹴って起こしてやればよかった。批難をこめて睨もうとすると、太刀川も私を睨んでいて思わずその迫力に怯んだ。目が若干充血している。どうやら懸命に睡魔と格闘しているらしい。



「お前が寝たら俺も死ぬ」



そういえば私がここに来たときもそうだった。てっきりレポートを手伝わされるか、夜食でも作ってくれと言われると思っていたのに「俺が寝ないように見張ってくれ」の一言だけ。それだけ?と思って尋ねると、「餅は焼いてやる」となぜか上から目線でそう言われ炬燵に入るように促された。どうやら本当に太刀川は自分がレポートを完成させるまでの見張りをさせるためだけに私を呼びつけたらしい。しかも私にやらせるわけでもなく、自分で餅を焼いた。こんな時間に呼び出されたこと以外は、炬燵に入って餅を堪能して・・・と普通にもてなされている。餅が白い糸のように私の口から伸びたのを見て、太刀川は笑っていた。結局役目は果たせていないし、本当に私は何もしていない。



「なんで一心同体みたいな言い方なの」
「俺とお前の仲だろ」



太刀川と私の仲。なんなんだろう。主人と家政婦?むしろ私は便利屋?私が太刀川の世話を焼いていると知った友達は「お母さんじゃないんだから」と咎めるように言った。ああそうだ。ダメ息子と苦労人の母親が一番しっくりくる。太刀川と出会ったのは大学に入学した頃。同じ学部で同じ授業を受けることも多く、最初の授業で近くに座ったのがきっかけだ。そのときは背が高くて大人っぽい雰囲気がある人だったなあ、という印象だった。その雰囲気にあてられたのが敗因だと思っている。ボーダーで隊長をやってると知って、忙しい彼のために何か手伝えないか、と思ったのがきっかけだった。今思えば、下心のようなものもなかったわけじゃない。だけど彼の本性を知るのに3か月もかからなかった。けれど、そのときは既に遅かった。彼を見捨てることができないくらいには私はお人よしだったらしい。男を見た目と肩書で判断してはいけないとあの日から私は肝に命じている。正直、本当にボーダー隊員なのか疑ったくらいだった。しかしボーダーの広報サイトに太刀川慶の名前はちゃんと載っていたし、高校生の部下が3人もいるらしい。太刀川のような大人にならないことを願うばかりだ。そして部下の彼らに同情した。こんな男が上司なんて。そう、だから、私が太刀川の世話を焼くのは彼らのためだ。息子がいつも迷惑かけてすみません、っていう母親に私はなっているのだ。太刀川だって、助けを求めれば小言を言いながらもなんだかんだ面倒を見てくれる母親みたいな女だと思っているんだろう。



「あんたみたいな息子の母親には絶対なりたくないけどね」



できる限りの皮肉をこめて言ってやると、太刀川はパソコンの画面から視線を外して怪訝そうに顔を歪めた。



「なんでお前が俺の母ちゃんになんだよ」
「なんでって・・・例えばの話でしょ」
「照れてんのか?」
「意味わかんないんだけど。あんたがダメ息子で私が母親みたいだって話。あんただってそう思ってんでしょ?」
「えっ、お前俺のこと好きなんじゃなかったの?」
「えっ」
「えっ」



太刀川の驚きの声を最後に部屋に沈黙が訪れた。二人して目を丸くして見つめ合う。ていうかなんで太刀川まで驚いてるんだ。やっぱりこの男のことはよく分からない。



「だってお前、俺と会った頃はなんかこう、ソンケーの眼差しみたいな感じだったじゃん」
「・・・・気のせいじゃない?」
「いや絶対そうだった。あ、コイツ俺に気があるなって思ったもん」



恥ずかしげもなく自信たっぷりに言い放つこの男の伸びきった鼻を今すぐへし折ってやりたい。あの頃のことはわりとタイムマシンでなかったことにしたいと本気で思ってる。



「だから俺も調子に乗って色々無茶言ったりして愛想尽かされるかなって思ってたのに、なんだかんだ助けてくれんじゃん。やっぱコイツ俺のこと好きじゃね?って思うだろ、男なら」
「・・・・で、あんたは私のことを都合のいい女だと思って今回も呼びつけたわけ?」



こんなことを聞いて私は一体どうしたいんだろう。答えはもう分かっているのに。母親も都合のいい女もこの関係を表すのに差異はないだろう。結局どちらもその後にくっついてくるのは「恋人でもないのに」なんだから。「まあ確かにそう思わないでもなかったけど、」ぱたん、と太刀川がパソコンの画面を閉じた。



「ただの母親だったり都合のいい女だったら目の前にいるだけでレポートできないだろ」
「え」
「で、お前は?」



「はぐらかした気でいるなよ」という太刀川の言葉が脳内に木霊する。はぐらかしてるのはそっちじゃないか。何してやったり顔してるんだ、腹立つな。そう言ってやりたいのに言葉が出ない。いつのまにか太刀川の呪いは解けていたらしい。しかし今度は、私が呪いにかかったようだ。一体この呪いを解く鍵はなんなのか。何を言っても呪いを解くどころかこの男から一生逃れられない気がする。ただ、それが母親なのか都合のいい女としてなのか、それとも違う何かとしてなのかは自分次第だということは分かっていた。



「餅でも食うか」



時刻を確認する。午前6時。確かに小腹が空いてきた。昨日も思ったけど、餅を前にした太刀川はレポートに向き合っていたときの顔が嘘のように晴れ晴れとしている。「やっぱ一人より誰かと食うとうまいなあ」と太刀川が言った誰かは、母親でも都合のいい女でもなかったというのか。
私の言葉を待たずに立ち上がった太刀川を見送って数分後にやってくる光景が約6時間前の昨日と同じようで違うものであることを想像しては、私の顔は炬燵にも焼きたての餅にも負けないくらい熱くなるのだった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



15.12.12
title by 国境の南