教室を出ると、日向くんと相田さんが並んでちょうど教室の前を横切っていくところだった。相田さんが持っていたプリントを日向くんが覗き込みながら歩いて行く。日向くんが何か言ったのか相田さんが日向くんの背中を思いっきり叩いた。バシン、と廊下に響く大きな音に少しだけ驚く。いてっと呻く日向くんの声が聞こえたけど、その声に怒気なんて全く含まれていなくて、そのまま並んで遠ざかっていく二人の後ろ姿をわたしはただスクールバッグの取っ手をぎゅっと掴んで見つめることしかできなかった。
」と名前を呼ばれてはっとして振り返った。廊下にはわたしや日向くん、相田さん以外にもたくさんの生徒が教室から出てくるところだったから、わたしが二人を見ていたってわざわざ気に留める人なんていないだろう。でも、彼だけは違う。前を向けばまだ日向くんと相田さんは廊下を歩いている最中だろう。「俊くん」と幼なじみの名前を呼べば、彼は穏やかな顔をして口を開いた。



「今日オフだからさ。と帰ろうと思って」



そう言って笑う俊くんに、心の奥底で苛立ちを感じる。きっと俊くんも今の光景を見ただろうし、俊くんを前にしても立ち尽くすしかないわたしの気持ちも容易に想像できるだろう。それなのに、俊くんは踏み込んでこない。いや、優しい彼だからそうしようとしないのだろう。それが余計にわたしを苛立たせる。だからわたしは自分から切り出すのだ。優しい俊くんは、拒絶もしないから。



「今、日向くんと相田さんが一緒に歩いてるの見たよ」
「うん、俺も見たよ」



ああやっぱり。平然と言ってのけるのがムカつく。でも俊くんがわたしの気持ちを分かりきってると分かっているのに、何も言われないで見透かされたままでいるのは居心地が悪いからやっぱり口に出してしまう。わたしのダメなところを露呈しているに他ならないし、俊くんを傷つけているんだろうけど、俊くんが嫌そうな顔一つしないからしょうがないじゃないか。



「オフなんじゃないの?」
「今月合宿があるから、その関係じゃないかな。顧問の先生に許可もらったりしなきゃいけないんだってさ」



今更日向くんと相田さんの仲を羨んでも仕方がないけれど、それでもあんな光景を見てしまっては落ち込むしかほかない。結局俊くんと一緒に帰ってもあの光景が頭から離れなくて、わたしは進まない泣き言を彼に押しつけながらちんたらと歩いていた。次々と子どももお婆さんも誰もがわたしたちを追い抜かしていくような速度で歩いても、俊くんはわたしと完全に歩幅を合わせてくれるし、要領を得ない泣き言にも「うん、うん」と相槌を打ってくれる。


俊くんはわたしが何を言っても励ましてくれるしわたしを肯定してくれる。本当に泣き出しても慰めてくれるだろう。見捨てることもしない。俊くんは優しいのだ。それにわたしはこれでもかというくらい甘えていて、俊くんもわたしをこれでもかというほど甘やかしてしまう。



「タイプが違いすぎるよね、まず」
「それは、そうだな」
「ハキハキした子だもんね、相田さん。かっこいいタイプ。憧れるとかじゃないけど、ああいう子いいなって、思うよ、わたしだって」
にもいいところはたくさんあるよ」



ここでたとえばどこ?と聞いてしまったら確実に困らせるだろう。別に故意に俊くんを困らせたいわけではないから、ぐっと堪える。散々甘えてるくせに今更、という感じだけど、これはよくてあれは言うまいとする言葉は無意識に頭の中で分別していた。わたしは彼が優しい理由も懲りても疲れてもわたしを散々甘やかしてしまう理由も、全部知っていたから。



「でも日向くんがすきなのは相田さんみたいな人でしょ」



俊くんが顔をしかめる。やっぱり困らせた。少しくらいわたしが何か堪えたって、別のところで彼を困らせるようなことはたくさんしている。彼がわたしを拒絶しない限り、わたしの無駄な頑張りとそれによって結局彼を困らせてしまうという滑稽な図は永遠に続くんだろう。



「うん」



優しい俊くんは嘘をついてくれない。俊くんのそういうところ、好きだけど嫌にもなるよ。わたしなんかにいつまでも付き合ってくれて懲りないの、疲れないの、ってよく思うし実際口にしているけれど、聞いても優しい顔して首を横に振る、かわいそうな幼なじみ。



「わたしみたいな人間は日向くんみたいな人間をすきなのに日向くんみたいな人間はわたしみたいな人間をすきじゃないってことは、わたしみたいな人間はもう終わりだよね」
「そこまで決めつけなくていいだろ、なにも」



そうだね。だって俊くん、君も同じだもんね。言いかけた一言を飲み込んだ。わたし、日向くん、相田さん、そして俊くん。「みたい」じゃなくて紛れもないこの四人の直列構図を頭に描く。



「あきらめないとって思ってるよ」
「・・・そっか」
「来年は絶対にクラスを分けてもらう」
「うん」
「ねえ、望みなんてないんだからさっさと諦めろろか言ってくれてもいいんだよ。何で言わないの?」



ぽろっと思ったことが溢れてしまう。あーあ、やってしまった、と思うのに、それに反して頭はすごく冷静だった。俊くんはわたしから目を逸らす。「言わないよ」どこか緊張した声が、わたしたちを追い抜かしていく小学生の笑い声にも負けずはっきりと耳に届く。
きっと俊くんならきっとそう言うだろうと無意識に安心してたから冷静だったんだろう。今の言葉は、無意識にわたしの脳内によって「これは大丈夫だろう」と判断された。言っても俊くんがわたしに優しくて甘い理由に向き合わなくても大丈夫だと。結局わたしは自分が安全圏でいることが大前提で、その大前提が覆されない範囲でしか行動できない。



「俺が口出す権利はないからさ」



廊下で感じた苛立ちが再び蘇る。小骨が喉に刺さったような違和感に似ている。徐々に不快になっていくようなあの感じ。本当に君はそれでいいのかと、喉まで出かかって飲み込んだ。わたしにそんなこと言う資格なんてないし、そもそも言うわけがない。
  


「そうか、俊くんにとっては大した話じゃなかったね。ごめんね」



それでも苛立ちは確実に言葉となって発せられた。お互いの家への別れ道だし、ちょうどいい。全然ごめんねと思っていないごめんねを残して俊くんに背を向けると、手首を掴まれて後ろに引っ張られるような形になった。



「それはないだろ」



肩越しに見える俊くんは口はわずかに笑ってるけど悲しそうだ。知ってたよ、そう言うしかなかったって。物分かりのいい男にしかなるしかないもんね、君は。そうさせているのはわたしだもんね。それすらも分かってて、苛々して、決して自分が傷つかない場所で、わたしは俊くんを傷つけている。困らせたくないのは、本当だ。困らせたいわけじゃない。でも君が、いつまでも物分かりのいいままでいるから、苛々もするし、酷いことも言ったりするよ。


そんな自分が、卑怯だと思う。クズだとも思う。哀れだとも思う。でも俊くん、君も大概だね。


そんな君が嫌にもなるし行く末が心配にもなるんだよ。いい加減、わたしみたいな人間はさっさと見限ってしまえばいいのに。自分のこともどうにかできないわたしが俊くんのことをどうにかしようという気は起きないけれど、見ていてかわいそうになるよ。そしてそれはそのまま自分に返ってくる。そんなことにももう、慣れてしまった。



「・・・・うん、ごめん」



形ばかりの謝罪を口にしたら、すんなりと手は離れた。「じゃあ、また明日」少しだけ名残惜しそうな素振りを見せて俊くんはわたしに背を向けた。俊くんの遠ざかる背中を見つめて、わたしも身を翻す。空を見上げたら夕陽が眩しくて、鬱陶しかった。


知ってるよ。「俊くんみたいな人間」が「わたしみたいな人間」を見限れないわけじゃないって。「わたし」が「日向くん」をすきで「日向くん」が「相田さん」をすきという一方通行が生じてるように、「俊くん」もそうなんだって。そんなことは、皮肉にも俊くんを見ていたら嫌でも分かる。ここにあるのは、もっと悲しくて、可笑しくて、美しい、ただの一方通行だ。滑稽で終わらせられたら、どれだけ救われるのだろう。そんなこと、わたしも俊くんも、分かっていたらこうなっていない。


俊くんのこと、すきになれたらいいのにね。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



15.12.03
title by 金星
こまよさん作伊月夢「ずるくうるわしいものですよ」をリメイクさせていただきました!楽しかった!ありがとうございました!