「悠一、入るよ」
「おー」


 返事を確認して部屋に入ると、中は明かりがついておらず薄暗かった。ベッドで仰向けになっている悠一のシルエットがぼんやりと浮かび上がる。大量に積まれているぼんちあげの山を通り抜け、ベッドの空いているスペースに黙って腰掛けるとようやく悠一は私を見た。いつものように口元に薄い笑みを携えて、重い瞼を乗せた瞳がじっと私を見つめる。まるで私が何の為にやってきたのかとっくに知っている上で私が話を切り出すのを促しているかのようだった。いや、まるで、ではなく私がここに来るということも、その目的も、きっと視えていたんだろう。それなのに私から話すのを待っている。だから悠一はズルい。何もかもお見通しのくせに、まるで何も知らないように振舞う。



「どうした?」



 ほら、今もそう。何もかも見透かした瞳で、優しい声音で促してくる。



「風刃、何で手放したの」



 このまま黙っていても始まらない。思い切って切り出せば、悠一は僅かに目を細めて「んー・・・」と考え込むかのように唸った。



「可愛いウチの後輩の為かな」
「・・・・最近玉狛に入ったって子たち?」
「そそ。その中で一人近界民のヤツがいてさ、そいつを入隊させる為にはこれが一番丸く収まるやり方だったんだよ」



 悠一の部屋に向かう前に挨拶をと思い立ち寄った客間にいた、見慣れぬ少年少女を思い出す。栞ちゃんがその子たちを紹介しようとする素振りを見せたけど、悠一が部屋にいることを確認するなり後にしてしまった。きっとあの子たちが話に聞いていた悠一の後輩なのだろう。その後輩を入隊させる為に風迅を手放すことが最善の未来だったとしても、その選択に見合うほどの価値があの子らにあるのだろうか。そんな性格の悪い考えが頭を過ってしまう。



「いいんだよ。未来はもう、動き出してる」



 私の心の内を読み取ったかのように悠一が静かに呟く。頭の下で手を組んだまま、どこか遠くを視るかのように虚空を見つめている。 一体悠一にはどんな未来が視えているのだろう。私が悠一の視線を辿っても視界は薄暗いまま。その横顔を見ても、未来どころか恋人であるはずの男の考えさえ分からない。
 悠一は意味のないことはしない。きっと悠一が見た未来に彼らの存在が必要なんだろう。それでも、一人で遠い遠い未来を視て全て悟ったように呟くその顔が、どこか諦めを含んでいるような気がして。そして自分自身に言い聞かせているように見えた。言い知れぬ不穏な感情が、私の中で小さく蠢く。



「いつか悠一は、私のこともそうやって終わらせそうね」



 思わず呟かれたその言葉は、予想以上に震えていた。少しだけ眉を顰めて悠一が再び私に視線を向ける。たったそれだけの行為でも、彼の目に何が視えているのかという恐怖と不安に駆られて直視できない。
 もし、私と悠一の関係が終わる未来が視えていたら。彼はそれをあっさりと受け入れてしまうんじゃないだろうか。悠一を信じられないわけじゃない。それでも、静かな室内に響く時計の針のように一秒一秒を生きていくことしかできない私と未来が視える悠一では、文字通り「みえて」いるものが違うのだから。



にそんな顔させるほど不安にさせてたなんて、思ってなかったよ」



 ゆっくりと身体を起こしながら吐き出されたその言葉は、どこか自嘲を含んでいるように聞こえた。ギシリ、とベッドのスプリングが鳴り、悠一と顔を突き合わせる。いつも何を考えているか分からない顔は、少しだけ寂しさが滲み出ていた。今の私も同じような表情をしているのだろうか。薄暗い部屋の中では、自分の姿はただぼんやりとした影のようにしか悠一の瞳に映らない。



「確かにオレには未来が視えるけど、たとえどんな未来が視えようとオレはお前を手放す気はないよ」



 その一言は、ゆっくりとしかしはっきりとした強い語調で告げられたが、だからさ、、と続ける悠一の声は、いつも自信たっぷりな彼から想像もつかないほど弱々しかった。私を見つめるその表情は、唇は笑みの形を作ってはいるけれど、明らかに困惑を隠し切れていなかった。



「そんな泣きそうな顔、すんなよ」



 その一言で、今まで私の中で渦巻いていた感情が大きな波になってどっと押し寄せてきた。途端に目頭が熱くなり、視界が歪む。これ以上悠一の苦しそうな顔を見ていられなくて、でも私のせいで悠一をそんな顔にさせているのだと思うと自分の顔を見られたくなくて、唇を噛み締めて俯いた。涙が零れ落ちるのが視界に映ったその瞬間、ぐいっと腕を引っ張られたかと思うと悠一の腕の中に閉じ込められた。ベッドに落ちるはずだった涙が、みるみると悠一の肩に吸い込まれて染みを作っていく。



「悠一、肩濡れちゃう・・・」
「オレがお前を手放す気がないって分かるまで放してやんない」
「わ、分かった。分かったから!」



 窒息死するんじゃないかと思うくらい強く抱きしめられた。口調は幼い子供そのものなのに、やっていることは思わず命の危険を顧みるほどヒヤヒヤさせる。あっさりと降参すると、悠一もすぐに私の背中に回る腕の力を緩めた。文句の一つでも言ってやろうとまだ涙の残る瞳を悠一に向ければ、今度は唇に勢いよく何かを押し付けられた。それが悠一のものだと理解するのに時間は掛からなかったが、貪るように唇を重ねられどんどん深くなっていく強引なキスに身体が反応できない。腰が砕けそうになったとき、ようやくお互いの唇が離れた。いつの間にか悠一の腕が腰に回されていて、どこにも逃げ場がなかったことに気づく。



「いくら未来が視えるからって、大人しくそれに従うほどオレは素直じゃないよ」



 特に好きな女のことではな、と息を整える私を見てニヤリと笑う悠一はいつも自信たっぷりに実力派エリートを自称する迅悠一ではなく、強気で頑固でお調子者の、私がよく知る迅悠一だった。私は思っていた以上に厄介な男に捕まったのかもしれない。そう伝えれば、今更かよ、と呆れを含んだ声で笑う。私だって悠一の側を離れる気なんて毛頭ない。悠一がそのつもりならお互いさまだ。そう思って、悠一の両肩を掴んで飛びつくように今度は私から唇をぶつけた。やられっ放しは性に合わない。悠一は一瞬だけ驚いたように目を見開いただけで、さっきよりも甘くて優しいキスを私にくれる。やっぱりこの男には敵わないかもしれないと思いながら、それでもいいやといつの間にか主導権を握られていたキスに身を委ねていた。




掴んだら、放さない、離れない




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15.05.19