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作品ID:189
こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約13248文字 読了時間約7分 原稿用紙約17枚
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ごさいのわたしと、さいごのわたし
作品紹介
器と中身に関する、右脳的な妄察です^^
いろんな伝わり方があると思うので、何がどのように伝わったかを知りたいと思います。
同じくらいの長さの(13枚ずつくらい?)、みっつの部分からできている物語です。レトリックとか、ほとんど使ってなくて、文章自体は読みやすいかと思うのですが、いかがでしょうか。
よろしくお願いいたします。
?管理人遠藤より補足?
同時期に投稿された作品のうちの一つです。メタ視点で関連している二つの作品ですが、片方のみの掲載のため、「執筆の狙い」を編集させて頂いております。
いろんな伝わり方があると思うので、何がどのように伝わったかを知りたいと思います。
同じくらいの長さの(13枚ずつくらい?)、みっつの部分からできている物語です。レトリックとか、ほとんど使ってなくて、文章自体は読みやすいかと思うのですが、いかがでしょうか。
よろしくお願いいたします。
?管理人遠藤より補足?
同時期に投稿された作品のうちの一つです。メタ視点で関連している二つの作品ですが、片方のみの掲載のため、「執筆の狙い」を編集させて頂いております。
【ごさいのわたし】
こうえんの、はっぱのかたちをしたおすなばで、ぬいぐるみのガーコちゃんとあそんでる。
「どうぞ、めしあがれ」
わたしはガーコちゃんにプリンをあげた。プリンのいれものに、おすなをいれて、さかさまにするとプリンができるんだ。
〈いいわねー、あたし、プリンにはめがないのよ〉
ってガーコちゃんはいった。
くりくりしためを、うれしそうにかがやかせて、ガーコちゃんはプリンをたべました。めをくりくりさせてるのに、めがないなんてへんなの、ってわたしはおもった。ガーコちゃんは、まださんさいなんだけど、けっこうおとなのことばをしっているのです。おりこうなアヒルなんだ。
〈ちょっとあんたー〉とガーコちゃんはいいました。〈あたし、コーヒーものみたいわー〉
コーヒーは、わたしものんだことがない。ママやパパはのみます。わたしものみたい。
「コーヒーはおとなのひとがのむものですよ」ってガーコちゃんにいった。
ガーコちゃんは、オレンジの、ぷっくらしたくちばしをちょっとまげて、おこったみたいにいいかえした。〈あんたー、あたしをかわいがりなー〉
「だめです、ききわけのないアヒルですね」ってわたしはママみたいにいった。「いうことききなさい」
〈ききたくなんかないわー〉ってガーコちゃんはごんたをおこした。〈あたし、コーヒーにあこがれてるのよー〉
わたしだって、あこがれてるよ。
だから、わたしにはガーコちゃんのきもちがとてもよくわかりました。
〈パパやママはずるいわよー。おとなだけでおいしいものをのむなんてさー〉
そうだそうだとおもいました。
「きょうは、とくべつだよ」っていって、わたしは、バケツでおみずをくみに、すいどうのとこにいって、あかいバケツにみずをいれて、それでおすなばにかえってきて、いいこでまってたガーコちゃんのために、おすなをみずにいれて、いっしょうけんめいコーヒーをつくりました。
どろんこみずにみえるけれど、これはほんとはコーヒーなんだ。
「めしあがれ」
コップがないので、そのまんまバケツからだけど、ガーコちゃんはおいしそうにコーヒーをのみました。
〈いけるわよ〉ってガーコちゃんは、ピンクのあしをバタバタさせてよろこんで、だからあたしも、ズックをバタバタさせて、よろこんだ。
「コーヒーって、どんなあじ?」
〈すっごくステキよ〉
「おいしいのね?」
〈べらぼうに、あまいわ!〉
べらぼう!
〈あんたも、いかが?〉ってガーコちゃんがいったので、あたしは、ちょっとこまったけど、でもコーヒーはあこがれだから、わたしもすこしもらっちゃおうかな。
〈あたしなんか、さんさいなのに、のんだんだから〉ってガーコちゃんは、はねみたいなてをぶんぶんさせた。〈あんた、もうごさいなんだから、のむしかく、あるわよ〉
しかくっていうのは、いいよってことなんです。まるじゃないけど、しかくは、ばつじゃないってことなのです。
わたしは、コーヒーをのんじゃった。とってもおいしかった。
よのなかに、こんなにおいしいのみものがあるだなんて、しらなかったよ。おとなはずるいなあ。
そしたら、うしろのほうから、ママがやってきて。
「カオリ、もうおうちにかえりなさい」
「あとでー」ってわたしはいいました。
「だめよ、もう、おひさまがしたのほうだから、もうカラスがなくよ」
わたしはガーコちゃんにいいました。「もうかえりなさいってママが」
〈いやよ、まだあそぶ〉って、ガーコちゃんは、ぷいってしました。
「ガーコがまだいたいって」と、だからわたしはママにおしえてあげた。
「だめです、かえるわよ、バケツのどろみず、すてなさい」
ガーコちゃんが、びっくりしてるのがわかった。だって、コーヒーはあこがれだから。
「まだ、もうすこし、のんでから」ってママにいった。
「のむっていったの?」ってママがおこりんぼなこえでいいました。「だれがのんだの、そのどろみず」
「どろみずみたいだけど、これはほんとはコーヒーなんだよ、ガーコちゃんはあこがれてたんだよ、ずっとだよ、わたしが、だからガーコちゃんにつくってあげたの」
「ガーコがのんだのね、じゃ、いいわ」ってママ。「カオリがのんだのかとおもってママ、しんぱいになったの」
カラスが、かあかあなきました。
わたしは、したをむいていたけど、でも、うそつきはどろぼうのはじまりなので、やっぱり、ごめんなさいをいいました。
「ママ、ごめんなさい」
「どうしたの?」
「わたしも、ちょっとだけ、もらったの」
「なにを?」
「ガーコちゃんのコーヒー」
「なんですって!」とママは、かみなりみたいになった。
わたしのてと、バケツをつかんでママはいった。「どれくらい、のんだの?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとって、どのくらいなの?」
「ひとくち」
「グビグビってのんだの?」
「グビって、そんくらい」
「はきだしなさい」ってママはわたしのかおを、グッとみた。「にがかったでしょ?」
ううん、とわたしはくびをふった。にがくなんてなかった。
「すごおく、あまかった」
「あまかった?」と、ママは、はんぶんくらいわらって、はてなのくびをしました。「カオリ、あんた、ほんとにどろみず、のんだの?」
「コーヒーだよ」
ママはたちあがっていった。「のむまねだけしたのね?」
そりゃそうだよ、ってわたしはおもった。おうちのあさごはんのときには、ガーコちゃんがたべおわっても、あさごはんのかたちはあるから、それはわたしがたべる。でも、このコーヒーは、ほんとうはコーヒーだけど、かたちは、おすなのみずだから、それはたべられないから、コーヒーだけのむんだよ、っておもってガーコちゃんをみた。
ガーコちゃんもコックリした。
「まあいいわ、じゃ、おうちにかえろう」ってママはいった。
でも。
わたしはガーコちゃんをみた。
「ガーコちゃんは、まだあそびたいってさ」
「あのね、カオリ」ってママはまたしゃがんで、わたしのかたにてをおいて、わたしのかおをみた。あんまりこわくないかおでみた。
「あなたは、かえりたいの、かえりたくないの?」
かえりたくなんかない。
「ガーコがかえりたくないって」と、わたしはいった。
「そうじゃなくって」とママはへんなかおをした。「ガーコのきもちは、カオリのきもちでしょ?」
え?
「ガーコはカオリがてにもって、ぷいっとやったり、コックリしたりしてるんでしょ?」
そうだけど、それはガーコがやってるんだよ。
「ガーコはね」と、なんだかおひさまみたいにママはいいました。「カオリのこころをうつすかがみなんだよ?」
かがみ?
「ちがうよ、かがみじゃないよ」ってわたしはいった。「アヒルだよ」
「アヒルのぬいぐるみでしょ?」
「そうだよ」
「いきてないでしょ?」
え?
「いきてるよ!」
「だって、おしゃべりしたり、あるいたり、しないでしょ?」
「するよ!」
わたしのてを、ガーコちゃんはうごかした。ガーコちゃんは、からだをくいくいってやって、ママにいった。〈しつれいねー、あたしをなんだとおもってんのさー〉
そういってガーコちゃんは、ママのかおのよこを、いったりきたり、あるいてみせた。みぎにいってクルッとして、ひだりにいってまたクルッとして。
「へんなことばづかいは、やめなさい」ってママは、わたしにいった。
え?
「ガーコはずっと、こういうしゃべりかたじゃん!」
「だからカオリ、それはあんたがやってるんでしょう?」
え?
「ガーコはね」と、ママは、なんでだかちょっとこまったみたいな、やさしいみたいなふしぎなかおして、わたしにいった。「あなたのなかにいるのよ?」
ええ?
「ガーコは、あなたが、あやつっているのよ?」
え?
「そのしょうこに、ガーコはあなたに、いやですっていったりしないでしょう?」
わたしはかんがえた。ガーコちゃんはおりこうだけど、ちょっとわがままなアヒルだ。だから、よくわたしのかんがえにはんたいする。
「よくいうよ、いやですっていうし、そしたらときどきけんかになるよ」
ママは、ふうっとためいきをついた。おとなってよくやるんだよ、ふうって。こんどわたしもまねしてみよう。
「それはね」って、それからママはいいました。「そうしたほうがおもしろいって、あんたがおもってるからよ」
おもしろい?
「ガーコが、いやいやってしたほうがたのしいから、いやいやってさせてるんでしょう?」
ん?
「ガーコちゃんがいるよって、そういうフリをして、あなたは、あなたひとりであそんでいるんでしょ?」
「え?」
「もう、ごさいなんだから、そろそろ、ほんとうと、ごっこのくべつをつけなさい」
ごっこ?
なんだかすごく、とっても、べらぼうに、かなしかった。
「ガーコはいないの?」と、わたしは、はんなきできいた。
ママはだまってわたしをみた。そしてモジモジして、いろんなことをかんがえてるみたいだった。なんだか、かみさまみたいにひかってみえた。
「いるわよ」って、とうとうママは、ちいさなこえでいった。「でもね、それはそとからはみえないの」
そと?
「それはね、カオリのこころのなかの、おはなしなのよ?」
おはなし?
よくわからなかった。でも、わたしはおもった。なんだか、とってもさびしいことをママはいったんだ。
きゅうにおうちにかえりたくなった。
「こんやはシチューよ」ってママがいったら、わたしはうれしくなりました。
どこかでねこさんの、ニャーとなくこえがした。
わたしは、マフラーのなかに、ぎゅっとガーコちゃんをいれて、ママとてをつないでおうちにかえった。
たいようがやまのむこうにしずんでいくのをわたしはみた。
私の話をいたしましょう。岡野カオリの物語。
私は今年で、三十五歳になりました。毎日パンを焼いています。私はひとりで、パン屋さんをやっているのでした。『カオパン』。
『カオパン』っていうのは、『カオリのパン』を縮めた言い方です。うちの店は『カオリのパン』っていう看板を出しているのでした。
看板は私が作りました。天然木を買ってきて、表面を削って、『カオリのパン』って手書きしました。そしたら『パ』に比べて『ン』がすごく下の方になっちゃって、バランスが悪くなってしまったので、『パ』のとなり、『ン』の上あたりに、丸パンの絵をみっつ描きました。それでまあまあの看板ができあがったのでした。
看板を掲げてから一ヶ月の間、お客様はひとりもいらっしゃいませんでした。占いの先生にみていただくまでもなく、原因はわかりました。店の場所に問題がありました。路地の奥にあるのでした。でも、しかたありません。店は、おばあちゃんが譲ってくれた古い二階建てのビルを改装したもので、実家も売ってしまったので、私はそこの二階に暮らしてパンを焼き、一階でパンを売る、ってそれしかないのでした。
お父さんとお母さんは私が高校生のときに他界しました。双方ともに癌の家系で、お父さんが亡くなった翌年の同じ月に、お母さんが同じ病気で亡くなったのでした。若いから進行もはやいのだ、とお医者さんは言いました。
私は泣いたけれど、泣いていても仕方がありません。
だから、頑張って生きていかなきゃいけなかったんだけど、お母さんが他界して半年で今度は私が病気になってしまいました。癌ではありません。心の病気です。ノイローゼみたいになって、学校にも行けなくなって、東京の下町に住むおばあちゃんのところに身をよせて、ひっそりとひきこもるようになりました。
兄弟はいなかったし、親戚で付き合いがあるのは、おばあちゃんだけでした。
そのおばあちゃんも、もう死んでしまったのだけれど。
休学中に私は、おばあちゃんから、パン焼きを教わったのでした。
「いいかい、カオちゃん、パンっていうのはね、カオちゃんの心を映す鏡なんだよ」
おばあちゃんは、そんなふうに言いました。
「健康でいて、明るく楽しい心で焼けば、パンはぷっくら膨らむよ、カオちゃんのほっぺみたいにね?」
私は私のハムスターみたいなほっぺがそんなに好きじゃなかったので、それを聞いてますますハムスターみたいにほっぺを膨らませたもんだから、おばあちゃんは愉快そうに笑ってたっけ。
ひとしきり笑ったあと、おばあちゃんはまたこんなふうにも言ったのでした。
「でもね、作り手の心が曇っていたり、よく眠れなくて体調が悪かったり、暗く悲しいことばかり考えてたりするとね、パンは膨らまないこともあるんだよ」
その言葉は本当でした。私は今ではすっかり元気になって、毎日楽しくパンを焼いているけれど、それでもときには、よくないことを考えてしまったり、体調がすぐれなくて落ち込んでしまったりするときがあって、そんなときはパンもやっぱり元気がないのです。
だから私は、私のパンを食べてくださるお客様のためにも、毎朝ちゃんと起きて、きちんとご飯を食べて、前向きに働いて、一日の終わりにはお客様と神様に感謝して、決まった時間に布団に入るようにしています。そうすることで私のパンは元気に焼きあがるのでした。
うちのパンは天然酵母のパンです。野菜や果物の繊維に糖分を加えて自然に発酵させます。パンができるのにだいたい一週間くらいかかります。ひとりでやっているので、数は頑張っても限界があるけれど、でもどのパンも私の分身みたいに、大切に育てています。
「食はね、つまり命だから」
おばあちゃんは、生前よくそんなふうにも言ってました。
「カオちゃんの食べるものの、そのひとくちひとくちがね、カオちゃんの命を作っているんだよ」
そうなのでした。ご飯を食べなかったら、猫も魚も死んでしまいます。食べ物は神様からの贈り物なんだと、私はそんなふうに思いました。
各地の生産者の皆様が、心を込めて作ってくださった食材の、美味しさを損ねることなく、なるべく上手に引き出して、お客様にお届けすること、それが私の役目です。私の心模様がパンに反映されてしまうのですから、しっかりやらなくてはなりません。私は私の命を健康に保たなくてはいけません。
パンを美味しく焼くために、健康でいなきゃいけない。そしてまた逆に、健康でいるために、もしかしたら私はパンを焼き続けるのかもしれない。
おばあちゃんは言いました。
「パンを焼き続けること、それが生きる、ってことだよ。上手にパンが焼けてるうちは、カオちゃん、あなたも上手に生きている、ってそういうことだよ」
私はパンを焼き、そしたら面白くなって、毎日パンを焼くようになりました。おばあちゃんは、美味しい美味しいと言って毎日食べてくれました。
生きてることがつらかった私でしたが、パンを焼くことはどうやら好きになれそうでした。夢ができました。将来、自家製のパンを焼き、お客様にお届けできる、そんなパン屋さんになりたい。
そう言うと、おばあちゃんは涙を流して喜んでくれました。
「カオちゃんのパンを毎日食べてるから、あたしはずうっと元気で長生きするよ、そしたら、カオちゃんの子供に出会うこともできるかな」
ごめんなさい、おばあちゃん。私はおばあちゃんに孫を会わせてあげることができませんでした。私は、普通の人が普通にできることも、なかなかうまくできないのです。できるのはパンを焼くことだけです。だから、いつまでもいつまでもおばあちゃんに、パンを食べていてほしかった。
おばあちゃんは五年前に交通事故で他界しました。斎場から帰るとき、車のラジオからは『スカボロー・フェア』が流れていました。
ひとりぼっちになってしまいました。友達と呼べるような人もいなかったし、おばあちゃんに逝かれてしまうと、話し相手もおりませんでした。
なので、パンを焼きました。パンと語らうことが生きることでした。
気がついたら私は、お店を持っていました。店とは言っても、小さなものです。おばあちゃんが譲ってくれた、細長いビルの二階に住んで、そこでパンを作り、一階で売りました。最初は全然売れなかったのですよ。路地の奥にあったので、誰も気がつかなかったみたいなんです。
でも二か月くらいしたら、一日に十個くらいは売れるようになりました。近所でお店をやっていらっしゃる奥様や、会社のOLさんが、お昼ご飯用に買っていってくださるようになったのです。
三ヶ月目に入って奇跡がおこりました。完売したのです。次の日も、また次の日も完売しました。
大変なことになったと思ったけれど、『カオリのパン』は、すごい勢いで人気者になったみたいでした。お昼どきには、列ができるようになったのです。
人とうまく付き合うことが苦手なので、お手伝いの人は雇えないのでした。だから、作れるだけ作って、昼前に一階に並べて、三十分で完売する、というパターンができあがりました。
天然酵母のパンは皆さん大好きのようでした。パンの種類も少しずつ増やしました。信頼できるレーズンやナッツを取り寄せたりして、レーズンパンやナッツパンを作りました。チーズパンは、ポンデケージョみたいだと言われて大人気になりました。甘いのもほしいという声があったので、よい素材を入手して、アップルパンと、あまり甘くないカスタードクリームパンも作りました。でもうちの一等の人気商品はシチューパンです。パンのステキなところは、お皿がいらないところなんじゃないかな、って私は思っています。買ったらすぐに袋から出して、ちぎって食べることだってできます。シチューパンは、丸パンの真ん中をくり抜いて、中にシチューをよそったものです。パンはシチューの器だけど、器も中身なんです。器も中身も中身なのです。シチューパンは『カオパン』の代表作なのでした。
手書きのメニューを、ご近所のコンビニさんでコピーして、店頭におきました。手書きのメニューは、用意したぶんが、いつもあっという間になくなるのでした。
私のパンが、そんなに喜んでもらえるだなんて、たいへんな驚きでしたが、とてもありがたいことでした。なので、がんばりました。パンを包む紙袋には、ひとつひとつに、手製のハンコを押しました。『カオリのパン』という文字と丸パンみっつのハンコです。文字は青色で、丸パンは橙色なんです。小さい頃のお店屋さんごっこみたいで楽しい作業でした。でも睡眠時間が減って、私は倒れてしまいました。三日休んで、店は開けたのだけれど、元気をなくした私のパンは、やっぱり元気に膨らみませんでした。これではお客様に申し訳ありません。なので、個数の上限を決めました。布団に入る時間も決めました。そして規則正しくパンを作りました。売るときは、列ができているので、お客様とあまり会話をすることもできないのですが、人見知りな私にはそのほうがよかったのかもしれません。私の気持ちはパンが伝えてくれるから。パンを通して世界とつながってるみたいな、そんな気がしてました。
二階に暮らして、二階でパンを作って、一階でお客様にお届けする。それが私の暮らしだったわけです。
そんなふうに暮らしていると、あるとき友達ができました。それもなんとボーイフレンドなのでした。
その彼のことを、お話しいたしましょう。私の話をしようと思ったのだけれど、私の話をするためには、どうやらまずは、彼について話さなくてはならないみたいなんです。
彼について私は多くを知りません。広末晴樹という名前です。年齢は私と同じくらい、たぶん三十代だと思うけれど、よくわかりません。猫が好きみたいです。最初に会ったとき、路地で猫と遊んでいたから。
あの日、いつものようにパンは、お昼前には完売していました。電球を買いに、コンビニさんまで行く途中でした。午後二時のお日様が、天頂から世界を照らしていました。気持ちのよい春の日で、風がとてもやわらかかったのを覚えています。どこからともなく漂ってくる、花の匂いを感じて私は、うっとりと歩いていたのです。〈沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの くれなゐ蕾 匂ひこぼるる〉なんて若山牧水を口ずさみながら。
「ニャーオ」と声がしました。猫の鳴き声ではありません。人間が猫の真似をした声でした。
声の方を見ると、そこに彼がいました。ぺったりと地面に腰をつけて、猫と遊んでいるのでした。
猫は小さくて、そしてとても痩せていました。路地にはたくさんの野良猫が住んでいるのでしたが、そのチビさんを目にしたのは初めてでした。この春、生まれたばかりの命なのかもしれません。でも、痩せ過ぎているので気になりました。
彼は私のほうをチラリとも見ませんでした。かわりに小さな三毛猫の、真昼の路地の物陰の、まん丸な瞳が、私をじっと見つめているのでした。
コンビニで電球を買って、それから迷わずペットフードを買いました。缶切りなしで開けられる缶詰めです。野良猫に、簡単に餌をあげてはいけないことは知っています。でもチビちゃんはあまりに痩せていました。今日は特別にね、と私は思いました。
路地を引き返す途中で私は祈りました。彼が猫を置いて、もう立ち去っていますように。
でも、彼はまだそこにいました。
なので、子猫を横目で見ながら通り過ぎ、路地をクルリとまわって、それからまた猫のもとに戻りました。が、まだ彼がいました。ので、また通り過ぎて、一度お店に帰り、きれた電球を取り替えて、それから缶詰めの中身をお皿にいれて、ミルクも用意して、また子猫のところに戻りました。
でも、やっぱり広末晴樹氏はそこにいるのでした。
そうして私たちは知り合いになり、気がつくと彼は、私のたったひとりの友達になっていました。
【さいごのわたし】
彼の部屋にいる。高層マンションの最上階。大きな窓の向こうには青い空と、それから下界の街並みが広がっている。人はよくわからないくらいに小さい。
白いソファーにいる。向かいには白いコーヒーテーブルを挟んで彼がいる。テーブルには白いカップがふたつ。私たちは向かい合い、コーヒーを飲んでいた。
「うそみたい」と、コーヒーカップに向かって呟く。
「何が?」と、カップに代わって彼が訊ねた。
「ここにいることが。それから……」
「それから?」
「今日までのこととか、今あることとか」
「もう少し具体的に」
「えっと」と、私は顔を上げ、彼を見て、コーヒーを飲み込むような呼吸をひとつして、それから窓の向こうに目をやった。東京の街なみを見た。それから言った。「私のパンを、たくさんの人たちが買ってくれてることとか」
「たくさんの人たち?」
私は頷いた。
「具体的には、例えば誰が?」
誰が?
私は考えた。そういえば、と思う。お客様のひとりひとりについて、ほとんど何も知らない。名前も知らない。年齢も知らない。お客様はお客様という、まとまった存在なんだ、私にとって。
ちょっとびっくりした。
でも、何人かは名前のわかる人もいる。例えば……
「コンビニでレジの仕事をしている朴さん」と、私は言った。胸のバッジに名前があった。毎日買いに来てくださるので名前を覚えた。
「それから、中里商事で総務のお仕事をしていらっしゃる、髪の長いアカネさんと、色の白いカニさん」
ふたりは、カニちゃん、アカネちゃんと呼び合っている。総務の仕事をしてるんだって、いつだったか教えてくれた。
「ねえ」と彼が言ったので、窓の外を見るのをやめて彼を見た。
「もっと近くにいて、例えば名前を、君をカオリと、そんなふうに呼んでくれる人は、誰?」
また考えた。岡野さんって、例えば業者の方とかは呼んでくださる。でも、カオリって呼んでくれたのは……
「おばあちゃん」
白い部屋に響いた。なんだか寂しくなる。
「どこにいる?」と声が静かに訊ねた。
わからない。黙って首を振ること、それしかできない。
「それから?」と声はまた訊ねた。
なので、また少し記憶を遡った。
「お母さん、それからお父さん」
「どこにいる?」
どこにもいない。首を振った。
突然はっきり、気がついた。私はひとりぼっちじゃなくなったように思ってたけれど、本当は、やっぱりずっとひとりぼっちだったんだ。
誰とも語り合っていない。用事は話すけれど、それだけだ。パンと語り合ってきた。ずっと、毎日毎日、パンと語り合ってきた、私の命と。
命、と思う。命は、おばあちゃんからお母さんに受け継がれて、それからお父さんに助けられて私に届いた。私からはどこにも流れていかない命。その命はパンにより支えられていて、そしてまた、パンになってお客様のもとに届く。
「パンは私の命かもしれない」
気がつくと、そう呟いていた。
窓の外を、羽田から飛んだのであろうか、ジャンボジェットが上昇している。飛行機雲を作るほどの、高度はまだない。
そのずっと手前の空を、黒いシルエットになって、渡り鳥だろうか、命の翼を持つ群れが、飛行していた。
「パンが君の命だとして」と彼は言った。「君は、なんだ?」
え?
この温度、この空気、これをいつだったか、感じたことがある。これはなんだっけ?
「君はなんだ?」と彼は重ねた。「どこにいる?」
考えた。私は、なんだろう?
私は命、じゃないのかな。命はパンだ。作られて配られるもの。
私はなんだ?
私はパンの作り手です。と思う。作り手。つまり、そうか、手だ、私は手なんだ。天然酵母を操る手。〈あやつる手〉。
「私は」と、口を衝いて出た。「あやつる手」
「そう」と声が応えた。「〈私〉はあやつる手だ」
声の主を見る。彼は笑っている。でも笑っているように見えない。カップの中のコーヒーが泥水みたいに見えてきた。
「例えば君は今」と彼は言う。地の底から響くようにその声は、赤黒く湿って聞こえた。「僕をあやつっている」
抑揚が単調すぎるせいか、音が意味をともなわない。
〈僕をあやつっている〉
意味もわからないままに、私は頷いている。どうやらわかっているのかもしれない。どこかでとっくにわかっているのかもしれない。
「例えばあの鳥」と彼は窓の外を見る。それを見て私も見る、窓の外を。
渡り鳥のシルエットが、都会の上空を旋回している。
「あれは君が飛ばしている」
え?
「その向こう、ほらまた一機、上昇してゆく、あれも」
ジェット機だった。
「君が飛ばしている」
「違うよ」と反射的に応える。言いながらデジャヴを感じる。この角度。この対話の角度を知っている、どこかで知っている。
漂いはじめた私の意識。錨を投げるように叫ぶ。「違う! 飛行機は機長さんが飛ばしているんだよ!」
「その機長をあやつっているのは、だけど、君じゃないか」
え?
「朴さんにパンを買ってほしいから、朴さんを列に並ばせたんだろう?」
え?
「カニさんやアカネさんの、知りたいプロフィールだけ、君は設定して、ふたりに語らせたんだろう?」
違う。「違うよ。渡り鳥は自然現象だし、朴さんやアカネさんには、朴さんやアカネさんの意思があるじゃん!」
「と、君がそう思っているだけだ」
え?
「だって違うよ、だって」と、また激しくデジャヴを感じながら、言う。「だって自由にならないじゃん、お客様は、パンを愛してくださったからこそ、並んでくれたんだし」
「そのパンは君が焼いた」
「そうだよ、でも、じゃあパン以外のこと、例えばお友達、お友達だって、私ちっともできないじゃん」
「君が望んでいないからだろう?」
え?
「いじめられたくて、いじめる相手を演じて、拒否されたくて、拒否する相手を演じる。右手のパペットが左手のパペットをいじめるみたいにさ」
演じる?
じわじわと迫ってくるような何かを感じて、後ずさりをするように、それでも私は言ってみる。「鳥やジェット機のことなんて、私、知らないよ」
「君の知ってる君だけが君じゃない」
またデジャヴ。
「世界は君の〈中〉にある。世界は内的な、お話だ」
お話?
「君は、みんながいる、ってそういうことにして、世界がある、ってそういうことにして、本当は独りで遊んでいたんだ」
本当は、独りで?
またデジャヴ。砂の香。器。形。カタチ?
「おばあちゃんは! お母さんは!」と叫んだ。
「〈カオリ〉にとっては、実在していた、肉にとっては、命にとっては、パンにとっては実在していた」と声は冷たく響いた。「でも〈君〉にとっては、ぬいぐるみと同じだろ?」
「〈君〉って誰よ、私は〈君〉なんかじゃないよ!」
「いや」と声は言った。「〈私〉は君だよ?」
なんだか、よくわからなかった。わからなかったけど、どこかでわかってるような気もした。秘密がバレちゃったみたいな、そんな匂いに似たものを感じた。風の中に浮かんでいるこの部屋。この白い部屋。いつからここにいたのか。風に吹かれて剥がれていった、何かが。
おばあちゃん、と思った。死んじゃったけど、ずっといっしょにいるみたいだったよ、ねえ、おばあちゃんってば。
壁の時計を見上げると、三時だった。
「ねえ」と今度は私が言った。「じゃあ、あなたも、目の前にいるあなたも、私があやつっている、ってそういうことになるの?」
「もちろん」と彼は笑って応えた。
彼を睨んだ。すると。
次の瞬間、静止していた。彼も世界も静止していた。
「ちょっと?」と声を掛ける。
でも、もうそこに命の気配はなかった。
〈外〉を見た。
声をたてずに絶叫した。
窓の外は、真っ白だった。奥行きの不明な白い空間。〈外〉にあるのはブランクだった。
これがホントウの、と思った。これがホントウの、ひとりぼっちということか!
右目の視界の片隅で、白いドアが開いた。彼が入ってきた。にこやかに笑っている。少しほっとする。助かった、とそう思ってしまう。
「世界から覚めたようだね」
と、そう言いながら彼はソファーに歩み寄り、彼の抜け殻みたいな彼に腰を下ろす。
彼は彼に重なってひとつになった。
「そんな目で見るなよ?」と彼は笑った。
だって。「不思議」と声になる。
「君の演出じゃないか?」とまた彼は笑う。
その言葉はとても寂しく響いた。とても寂しく。
デジャヴ。
途端に、窓の外いっぱいに、蜜柑色の夕景が現れた。沈んでゆく太陽。世界は黒いシルエット。どこかでカラスが鳴いている。
キッチンからはクリームシチューの匂いが漂ってきた。
すべてはここにあるのだった。
それはとても寂しいことだった。
〈君〉の演出。と私は思う。〈君〉とは私だ。〈私〉は君だ。
顔を上げるとそこには、岡野カオリがいた。彼は岡野カオリだったのだろうか。
「鏡だったのね」
私は私に向かって言った。
私は頷いた。
あなたも世界も、そして私も、私の鏡だったのね。
私は頷いた。
さて、と私を見ながら私は思った。私とは誰だ?
思案しながら、〈外〉を見る。
窓の外、夕景をバックにママがいた。巨大なママはこの部屋を見下ろして、少し寂しそうに、でも優しく笑っていた。ママはお日様みたいに、神様みたいに光っていた。
ママは部屋に手をのばして、そして言った。
「もう帰りましょう?」
どこかで猫の、なく声がした。
うん。とわたしはうなづいた。
ガーコちゃんをぎゅっとマフラーにいれて、ママにてをのばした。こんやのメニューはシチューだよ。わたしは、それをしっている。
了
こうえんの、はっぱのかたちをしたおすなばで、ぬいぐるみのガーコちゃんとあそんでる。
「どうぞ、めしあがれ」
わたしはガーコちゃんにプリンをあげた。プリンのいれものに、おすなをいれて、さかさまにするとプリンができるんだ。
〈いいわねー、あたし、プリンにはめがないのよ〉
ってガーコちゃんはいった。
くりくりしためを、うれしそうにかがやかせて、ガーコちゃんはプリンをたべました。めをくりくりさせてるのに、めがないなんてへんなの、ってわたしはおもった。ガーコちゃんは、まださんさいなんだけど、けっこうおとなのことばをしっているのです。おりこうなアヒルなんだ。
〈ちょっとあんたー〉とガーコちゃんはいいました。〈あたし、コーヒーものみたいわー〉
コーヒーは、わたしものんだことがない。ママやパパはのみます。わたしものみたい。
「コーヒーはおとなのひとがのむものですよ」ってガーコちゃんにいった。
ガーコちゃんは、オレンジの、ぷっくらしたくちばしをちょっとまげて、おこったみたいにいいかえした。〈あんたー、あたしをかわいがりなー〉
「だめです、ききわけのないアヒルですね」ってわたしはママみたいにいった。「いうことききなさい」
〈ききたくなんかないわー〉ってガーコちゃんはごんたをおこした。〈あたし、コーヒーにあこがれてるのよー〉
わたしだって、あこがれてるよ。
だから、わたしにはガーコちゃんのきもちがとてもよくわかりました。
〈パパやママはずるいわよー。おとなだけでおいしいものをのむなんてさー〉
そうだそうだとおもいました。
「きょうは、とくべつだよ」っていって、わたしは、バケツでおみずをくみに、すいどうのとこにいって、あかいバケツにみずをいれて、それでおすなばにかえってきて、いいこでまってたガーコちゃんのために、おすなをみずにいれて、いっしょうけんめいコーヒーをつくりました。
どろんこみずにみえるけれど、これはほんとはコーヒーなんだ。
「めしあがれ」
コップがないので、そのまんまバケツからだけど、ガーコちゃんはおいしそうにコーヒーをのみました。
〈いけるわよ〉ってガーコちゃんは、ピンクのあしをバタバタさせてよろこんで、だからあたしも、ズックをバタバタさせて、よろこんだ。
「コーヒーって、どんなあじ?」
〈すっごくステキよ〉
「おいしいのね?」
〈べらぼうに、あまいわ!〉
べらぼう!
〈あんたも、いかが?〉ってガーコちゃんがいったので、あたしは、ちょっとこまったけど、でもコーヒーはあこがれだから、わたしもすこしもらっちゃおうかな。
〈あたしなんか、さんさいなのに、のんだんだから〉ってガーコちゃんは、はねみたいなてをぶんぶんさせた。〈あんた、もうごさいなんだから、のむしかく、あるわよ〉
しかくっていうのは、いいよってことなんです。まるじゃないけど、しかくは、ばつじゃないってことなのです。
わたしは、コーヒーをのんじゃった。とってもおいしかった。
よのなかに、こんなにおいしいのみものがあるだなんて、しらなかったよ。おとなはずるいなあ。
そしたら、うしろのほうから、ママがやってきて。
「カオリ、もうおうちにかえりなさい」
「あとでー」ってわたしはいいました。
「だめよ、もう、おひさまがしたのほうだから、もうカラスがなくよ」
わたしはガーコちゃんにいいました。「もうかえりなさいってママが」
〈いやよ、まだあそぶ〉って、ガーコちゃんは、ぷいってしました。
「ガーコがまだいたいって」と、だからわたしはママにおしえてあげた。
「だめです、かえるわよ、バケツのどろみず、すてなさい」
ガーコちゃんが、びっくりしてるのがわかった。だって、コーヒーはあこがれだから。
「まだ、もうすこし、のんでから」ってママにいった。
「のむっていったの?」ってママがおこりんぼなこえでいいました。「だれがのんだの、そのどろみず」
「どろみずみたいだけど、これはほんとはコーヒーなんだよ、ガーコちゃんはあこがれてたんだよ、ずっとだよ、わたしが、だからガーコちゃんにつくってあげたの」
「ガーコがのんだのね、じゃ、いいわ」ってママ。「カオリがのんだのかとおもってママ、しんぱいになったの」
カラスが、かあかあなきました。
わたしは、したをむいていたけど、でも、うそつきはどろぼうのはじまりなので、やっぱり、ごめんなさいをいいました。
「ママ、ごめんなさい」
「どうしたの?」
「わたしも、ちょっとだけ、もらったの」
「なにを?」
「ガーコちゃんのコーヒー」
「なんですって!」とママは、かみなりみたいになった。
わたしのてと、バケツをつかんでママはいった。「どれくらい、のんだの?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとって、どのくらいなの?」
「ひとくち」
「グビグビってのんだの?」
「グビって、そんくらい」
「はきだしなさい」ってママはわたしのかおを、グッとみた。「にがかったでしょ?」
ううん、とわたしはくびをふった。にがくなんてなかった。
「すごおく、あまかった」
「あまかった?」と、ママは、はんぶんくらいわらって、はてなのくびをしました。「カオリ、あんた、ほんとにどろみず、のんだの?」
「コーヒーだよ」
ママはたちあがっていった。「のむまねだけしたのね?」
そりゃそうだよ、ってわたしはおもった。おうちのあさごはんのときには、ガーコちゃんがたべおわっても、あさごはんのかたちはあるから、それはわたしがたべる。でも、このコーヒーは、ほんとうはコーヒーだけど、かたちは、おすなのみずだから、それはたべられないから、コーヒーだけのむんだよ、っておもってガーコちゃんをみた。
ガーコちゃんもコックリした。
「まあいいわ、じゃ、おうちにかえろう」ってママはいった。
でも。
わたしはガーコちゃんをみた。
「ガーコちゃんは、まだあそびたいってさ」
「あのね、カオリ」ってママはまたしゃがんで、わたしのかたにてをおいて、わたしのかおをみた。あんまりこわくないかおでみた。
「あなたは、かえりたいの、かえりたくないの?」
かえりたくなんかない。
「ガーコがかえりたくないって」と、わたしはいった。
「そうじゃなくって」とママはへんなかおをした。「ガーコのきもちは、カオリのきもちでしょ?」
え?
「ガーコはカオリがてにもって、ぷいっとやったり、コックリしたりしてるんでしょ?」
そうだけど、それはガーコがやってるんだよ。
「ガーコはね」と、なんだかおひさまみたいにママはいいました。「カオリのこころをうつすかがみなんだよ?」
かがみ?
「ちがうよ、かがみじゃないよ」ってわたしはいった。「アヒルだよ」
「アヒルのぬいぐるみでしょ?」
「そうだよ」
「いきてないでしょ?」
え?
「いきてるよ!」
「だって、おしゃべりしたり、あるいたり、しないでしょ?」
「するよ!」
わたしのてを、ガーコちゃんはうごかした。ガーコちゃんは、からだをくいくいってやって、ママにいった。〈しつれいねー、あたしをなんだとおもってんのさー〉
そういってガーコちゃんは、ママのかおのよこを、いったりきたり、あるいてみせた。みぎにいってクルッとして、ひだりにいってまたクルッとして。
「へんなことばづかいは、やめなさい」ってママは、わたしにいった。
え?
「ガーコはずっと、こういうしゃべりかたじゃん!」
「だからカオリ、それはあんたがやってるんでしょう?」
え?
「ガーコはね」と、ママは、なんでだかちょっとこまったみたいな、やさしいみたいなふしぎなかおして、わたしにいった。「あなたのなかにいるのよ?」
ええ?
「ガーコは、あなたが、あやつっているのよ?」
え?
「そのしょうこに、ガーコはあなたに、いやですっていったりしないでしょう?」
わたしはかんがえた。ガーコちゃんはおりこうだけど、ちょっとわがままなアヒルだ。だから、よくわたしのかんがえにはんたいする。
「よくいうよ、いやですっていうし、そしたらときどきけんかになるよ」
ママは、ふうっとためいきをついた。おとなってよくやるんだよ、ふうって。こんどわたしもまねしてみよう。
「それはね」って、それからママはいいました。「そうしたほうがおもしろいって、あんたがおもってるからよ」
おもしろい?
「ガーコが、いやいやってしたほうがたのしいから、いやいやってさせてるんでしょう?」
ん?
「ガーコちゃんがいるよって、そういうフリをして、あなたは、あなたひとりであそんでいるんでしょ?」
「え?」
「もう、ごさいなんだから、そろそろ、ほんとうと、ごっこのくべつをつけなさい」
ごっこ?
なんだかすごく、とっても、べらぼうに、かなしかった。
「ガーコはいないの?」と、わたしは、はんなきできいた。
ママはだまってわたしをみた。そしてモジモジして、いろんなことをかんがえてるみたいだった。なんだか、かみさまみたいにひかってみえた。
「いるわよ」って、とうとうママは、ちいさなこえでいった。「でもね、それはそとからはみえないの」
そと?
「それはね、カオリのこころのなかの、おはなしなのよ?」
おはなし?
よくわからなかった。でも、わたしはおもった。なんだか、とってもさびしいことをママはいったんだ。
きゅうにおうちにかえりたくなった。
「こんやはシチューよ」ってママがいったら、わたしはうれしくなりました。
どこかでねこさんの、ニャーとなくこえがした。
わたしは、マフラーのなかに、ぎゅっとガーコちゃんをいれて、ママとてをつないでおうちにかえった。
たいようがやまのむこうにしずんでいくのをわたしはみた。
私の話をいたしましょう。岡野カオリの物語。
私は今年で、三十五歳になりました。毎日パンを焼いています。私はひとりで、パン屋さんをやっているのでした。『カオパン』。
『カオパン』っていうのは、『カオリのパン』を縮めた言い方です。うちの店は『カオリのパン』っていう看板を出しているのでした。
看板は私が作りました。天然木を買ってきて、表面を削って、『カオリのパン』って手書きしました。そしたら『パ』に比べて『ン』がすごく下の方になっちゃって、バランスが悪くなってしまったので、『パ』のとなり、『ン』の上あたりに、丸パンの絵をみっつ描きました。それでまあまあの看板ができあがったのでした。
看板を掲げてから一ヶ月の間、お客様はひとりもいらっしゃいませんでした。占いの先生にみていただくまでもなく、原因はわかりました。店の場所に問題がありました。路地の奥にあるのでした。でも、しかたありません。店は、おばあちゃんが譲ってくれた古い二階建てのビルを改装したもので、実家も売ってしまったので、私はそこの二階に暮らしてパンを焼き、一階でパンを売る、ってそれしかないのでした。
お父さんとお母さんは私が高校生のときに他界しました。双方ともに癌の家系で、お父さんが亡くなった翌年の同じ月に、お母さんが同じ病気で亡くなったのでした。若いから進行もはやいのだ、とお医者さんは言いました。
私は泣いたけれど、泣いていても仕方がありません。
だから、頑張って生きていかなきゃいけなかったんだけど、お母さんが他界して半年で今度は私が病気になってしまいました。癌ではありません。心の病気です。ノイローゼみたいになって、学校にも行けなくなって、東京の下町に住むおばあちゃんのところに身をよせて、ひっそりとひきこもるようになりました。
兄弟はいなかったし、親戚で付き合いがあるのは、おばあちゃんだけでした。
そのおばあちゃんも、もう死んでしまったのだけれど。
休学中に私は、おばあちゃんから、パン焼きを教わったのでした。
「いいかい、カオちゃん、パンっていうのはね、カオちゃんの心を映す鏡なんだよ」
おばあちゃんは、そんなふうに言いました。
「健康でいて、明るく楽しい心で焼けば、パンはぷっくら膨らむよ、カオちゃんのほっぺみたいにね?」
私は私のハムスターみたいなほっぺがそんなに好きじゃなかったので、それを聞いてますますハムスターみたいにほっぺを膨らませたもんだから、おばあちゃんは愉快そうに笑ってたっけ。
ひとしきり笑ったあと、おばあちゃんはまたこんなふうにも言ったのでした。
「でもね、作り手の心が曇っていたり、よく眠れなくて体調が悪かったり、暗く悲しいことばかり考えてたりするとね、パンは膨らまないこともあるんだよ」
その言葉は本当でした。私は今ではすっかり元気になって、毎日楽しくパンを焼いているけれど、それでもときには、よくないことを考えてしまったり、体調がすぐれなくて落ち込んでしまったりするときがあって、そんなときはパンもやっぱり元気がないのです。
だから私は、私のパンを食べてくださるお客様のためにも、毎朝ちゃんと起きて、きちんとご飯を食べて、前向きに働いて、一日の終わりにはお客様と神様に感謝して、決まった時間に布団に入るようにしています。そうすることで私のパンは元気に焼きあがるのでした。
うちのパンは天然酵母のパンです。野菜や果物の繊維に糖分を加えて自然に発酵させます。パンができるのにだいたい一週間くらいかかります。ひとりでやっているので、数は頑張っても限界があるけれど、でもどのパンも私の分身みたいに、大切に育てています。
「食はね、つまり命だから」
おばあちゃんは、生前よくそんなふうにも言ってました。
「カオちゃんの食べるものの、そのひとくちひとくちがね、カオちゃんの命を作っているんだよ」
そうなのでした。ご飯を食べなかったら、猫も魚も死んでしまいます。食べ物は神様からの贈り物なんだと、私はそんなふうに思いました。
各地の生産者の皆様が、心を込めて作ってくださった食材の、美味しさを損ねることなく、なるべく上手に引き出して、お客様にお届けすること、それが私の役目です。私の心模様がパンに反映されてしまうのですから、しっかりやらなくてはなりません。私は私の命を健康に保たなくてはいけません。
パンを美味しく焼くために、健康でいなきゃいけない。そしてまた逆に、健康でいるために、もしかしたら私はパンを焼き続けるのかもしれない。
おばあちゃんは言いました。
「パンを焼き続けること、それが生きる、ってことだよ。上手にパンが焼けてるうちは、カオちゃん、あなたも上手に生きている、ってそういうことだよ」
私はパンを焼き、そしたら面白くなって、毎日パンを焼くようになりました。おばあちゃんは、美味しい美味しいと言って毎日食べてくれました。
生きてることがつらかった私でしたが、パンを焼くことはどうやら好きになれそうでした。夢ができました。将来、自家製のパンを焼き、お客様にお届けできる、そんなパン屋さんになりたい。
そう言うと、おばあちゃんは涙を流して喜んでくれました。
「カオちゃんのパンを毎日食べてるから、あたしはずうっと元気で長生きするよ、そしたら、カオちゃんの子供に出会うこともできるかな」
ごめんなさい、おばあちゃん。私はおばあちゃんに孫を会わせてあげることができませんでした。私は、普通の人が普通にできることも、なかなかうまくできないのです。できるのはパンを焼くことだけです。だから、いつまでもいつまでもおばあちゃんに、パンを食べていてほしかった。
おばあちゃんは五年前に交通事故で他界しました。斎場から帰るとき、車のラジオからは『スカボロー・フェア』が流れていました。
ひとりぼっちになってしまいました。友達と呼べるような人もいなかったし、おばあちゃんに逝かれてしまうと、話し相手もおりませんでした。
なので、パンを焼きました。パンと語らうことが生きることでした。
気がついたら私は、お店を持っていました。店とは言っても、小さなものです。おばあちゃんが譲ってくれた、細長いビルの二階に住んで、そこでパンを作り、一階で売りました。最初は全然売れなかったのですよ。路地の奥にあったので、誰も気がつかなかったみたいなんです。
でも二か月くらいしたら、一日に十個くらいは売れるようになりました。近所でお店をやっていらっしゃる奥様や、会社のOLさんが、お昼ご飯用に買っていってくださるようになったのです。
三ヶ月目に入って奇跡がおこりました。完売したのです。次の日も、また次の日も完売しました。
大変なことになったと思ったけれど、『カオリのパン』は、すごい勢いで人気者になったみたいでした。お昼どきには、列ができるようになったのです。
人とうまく付き合うことが苦手なので、お手伝いの人は雇えないのでした。だから、作れるだけ作って、昼前に一階に並べて、三十分で完売する、というパターンができあがりました。
天然酵母のパンは皆さん大好きのようでした。パンの種類も少しずつ増やしました。信頼できるレーズンやナッツを取り寄せたりして、レーズンパンやナッツパンを作りました。チーズパンは、ポンデケージョみたいだと言われて大人気になりました。甘いのもほしいという声があったので、よい素材を入手して、アップルパンと、あまり甘くないカスタードクリームパンも作りました。でもうちの一等の人気商品はシチューパンです。パンのステキなところは、お皿がいらないところなんじゃないかな、って私は思っています。買ったらすぐに袋から出して、ちぎって食べることだってできます。シチューパンは、丸パンの真ん中をくり抜いて、中にシチューをよそったものです。パンはシチューの器だけど、器も中身なんです。器も中身も中身なのです。シチューパンは『カオパン』の代表作なのでした。
手書きのメニューを、ご近所のコンビニさんでコピーして、店頭におきました。手書きのメニューは、用意したぶんが、いつもあっという間になくなるのでした。
私のパンが、そんなに喜んでもらえるだなんて、たいへんな驚きでしたが、とてもありがたいことでした。なので、がんばりました。パンを包む紙袋には、ひとつひとつに、手製のハンコを押しました。『カオリのパン』という文字と丸パンみっつのハンコです。文字は青色で、丸パンは橙色なんです。小さい頃のお店屋さんごっこみたいで楽しい作業でした。でも睡眠時間が減って、私は倒れてしまいました。三日休んで、店は開けたのだけれど、元気をなくした私のパンは、やっぱり元気に膨らみませんでした。これではお客様に申し訳ありません。なので、個数の上限を決めました。布団に入る時間も決めました。そして規則正しくパンを作りました。売るときは、列ができているので、お客様とあまり会話をすることもできないのですが、人見知りな私にはそのほうがよかったのかもしれません。私の気持ちはパンが伝えてくれるから。パンを通して世界とつながってるみたいな、そんな気がしてました。
二階に暮らして、二階でパンを作って、一階でお客様にお届けする。それが私の暮らしだったわけです。
そんなふうに暮らしていると、あるとき友達ができました。それもなんとボーイフレンドなのでした。
その彼のことを、お話しいたしましょう。私の話をしようと思ったのだけれど、私の話をするためには、どうやらまずは、彼について話さなくてはならないみたいなんです。
彼について私は多くを知りません。広末晴樹という名前です。年齢は私と同じくらい、たぶん三十代だと思うけれど、よくわかりません。猫が好きみたいです。最初に会ったとき、路地で猫と遊んでいたから。
あの日、いつものようにパンは、お昼前には完売していました。電球を買いに、コンビニさんまで行く途中でした。午後二時のお日様が、天頂から世界を照らしていました。気持ちのよい春の日で、風がとてもやわらかかったのを覚えています。どこからともなく漂ってくる、花の匂いを感じて私は、うっとりと歩いていたのです。〈沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの くれなゐ蕾 匂ひこぼるる〉なんて若山牧水を口ずさみながら。
「ニャーオ」と声がしました。猫の鳴き声ではありません。人間が猫の真似をした声でした。
声の方を見ると、そこに彼がいました。ぺったりと地面に腰をつけて、猫と遊んでいるのでした。
猫は小さくて、そしてとても痩せていました。路地にはたくさんの野良猫が住んでいるのでしたが、そのチビさんを目にしたのは初めてでした。この春、生まれたばかりの命なのかもしれません。でも、痩せ過ぎているので気になりました。
彼は私のほうをチラリとも見ませんでした。かわりに小さな三毛猫の、真昼の路地の物陰の、まん丸な瞳が、私をじっと見つめているのでした。
コンビニで電球を買って、それから迷わずペットフードを買いました。缶切りなしで開けられる缶詰めです。野良猫に、簡単に餌をあげてはいけないことは知っています。でもチビちゃんはあまりに痩せていました。今日は特別にね、と私は思いました。
路地を引き返す途中で私は祈りました。彼が猫を置いて、もう立ち去っていますように。
でも、彼はまだそこにいました。
なので、子猫を横目で見ながら通り過ぎ、路地をクルリとまわって、それからまた猫のもとに戻りました。が、まだ彼がいました。ので、また通り過ぎて、一度お店に帰り、きれた電球を取り替えて、それから缶詰めの中身をお皿にいれて、ミルクも用意して、また子猫のところに戻りました。
でも、やっぱり広末晴樹氏はそこにいるのでした。
そうして私たちは知り合いになり、気がつくと彼は、私のたったひとりの友達になっていました。
【さいごのわたし】
彼の部屋にいる。高層マンションの最上階。大きな窓の向こうには青い空と、それから下界の街並みが広がっている。人はよくわからないくらいに小さい。
白いソファーにいる。向かいには白いコーヒーテーブルを挟んで彼がいる。テーブルには白いカップがふたつ。私たちは向かい合い、コーヒーを飲んでいた。
「うそみたい」と、コーヒーカップに向かって呟く。
「何が?」と、カップに代わって彼が訊ねた。
「ここにいることが。それから……」
「それから?」
「今日までのこととか、今あることとか」
「もう少し具体的に」
「えっと」と、私は顔を上げ、彼を見て、コーヒーを飲み込むような呼吸をひとつして、それから窓の向こうに目をやった。東京の街なみを見た。それから言った。「私のパンを、たくさんの人たちが買ってくれてることとか」
「たくさんの人たち?」
私は頷いた。
「具体的には、例えば誰が?」
誰が?
私は考えた。そういえば、と思う。お客様のひとりひとりについて、ほとんど何も知らない。名前も知らない。年齢も知らない。お客様はお客様という、まとまった存在なんだ、私にとって。
ちょっとびっくりした。
でも、何人かは名前のわかる人もいる。例えば……
「コンビニでレジの仕事をしている朴さん」と、私は言った。胸のバッジに名前があった。毎日買いに来てくださるので名前を覚えた。
「それから、中里商事で総務のお仕事をしていらっしゃる、髪の長いアカネさんと、色の白いカニさん」
ふたりは、カニちゃん、アカネちゃんと呼び合っている。総務の仕事をしてるんだって、いつだったか教えてくれた。
「ねえ」と彼が言ったので、窓の外を見るのをやめて彼を見た。
「もっと近くにいて、例えば名前を、君をカオリと、そんなふうに呼んでくれる人は、誰?」
また考えた。岡野さんって、例えば業者の方とかは呼んでくださる。でも、カオリって呼んでくれたのは……
「おばあちゃん」
白い部屋に響いた。なんだか寂しくなる。
「どこにいる?」と声が静かに訊ねた。
わからない。黙って首を振ること、それしかできない。
「それから?」と声はまた訊ねた。
なので、また少し記憶を遡った。
「お母さん、それからお父さん」
「どこにいる?」
どこにもいない。首を振った。
突然はっきり、気がついた。私はひとりぼっちじゃなくなったように思ってたけれど、本当は、やっぱりずっとひとりぼっちだったんだ。
誰とも語り合っていない。用事は話すけれど、それだけだ。パンと語り合ってきた。ずっと、毎日毎日、パンと語り合ってきた、私の命と。
命、と思う。命は、おばあちゃんからお母さんに受け継がれて、それからお父さんに助けられて私に届いた。私からはどこにも流れていかない命。その命はパンにより支えられていて、そしてまた、パンになってお客様のもとに届く。
「パンは私の命かもしれない」
気がつくと、そう呟いていた。
窓の外を、羽田から飛んだのであろうか、ジャンボジェットが上昇している。飛行機雲を作るほどの、高度はまだない。
そのずっと手前の空を、黒いシルエットになって、渡り鳥だろうか、命の翼を持つ群れが、飛行していた。
「パンが君の命だとして」と彼は言った。「君は、なんだ?」
え?
この温度、この空気、これをいつだったか、感じたことがある。これはなんだっけ?
「君はなんだ?」と彼は重ねた。「どこにいる?」
考えた。私は、なんだろう?
私は命、じゃないのかな。命はパンだ。作られて配られるもの。
私はなんだ?
私はパンの作り手です。と思う。作り手。つまり、そうか、手だ、私は手なんだ。天然酵母を操る手。〈あやつる手〉。
「私は」と、口を衝いて出た。「あやつる手」
「そう」と声が応えた。「〈私〉はあやつる手だ」
声の主を見る。彼は笑っている。でも笑っているように見えない。カップの中のコーヒーが泥水みたいに見えてきた。
「例えば君は今」と彼は言う。地の底から響くようにその声は、赤黒く湿って聞こえた。「僕をあやつっている」
抑揚が単調すぎるせいか、音が意味をともなわない。
〈僕をあやつっている〉
意味もわからないままに、私は頷いている。どうやらわかっているのかもしれない。どこかでとっくにわかっているのかもしれない。
「例えばあの鳥」と彼は窓の外を見る。それを見て私も見る、窓の外を。
渡り鳥のシルエットが、都会の上空を旋回している。
「あれは君が飛ばしている」
え?
「その向こう、ほらまた一機、上昇してゆく、あれも」
ジェット機だった。
「君が飛ばしている」
「違うよ」と反射的に応える。言いながらデジャヴを感じる。この角度。この対話の角度を知っている、どこかで知っている。
漂いはじめた私の意識。錨を投げるように叫ぶ。「違う! 飛行機は機長さんが飛ばしているんだよ!」
「その機長をあやつっているのは、だけど、君じゃないか」
え?
「朴さんにパンを買ってほしいから、朴さんを列に並ばせたんだろう?」
え?
「カニさんやアカネさんの、知りたいプロフィールだけ、君は設定して、ふたりに語らせたんだろう?」
違う。「違うよ。渡り鳥は自然現象だし、朴さんやアカネさんには、朴さんやアカネさんの意思があるじゃん!」
「と、君がそう思っているだけだ」
え?
「だって違うよ、だって」と、また激しくデジャヴを感じながら、言う。「だって自由にならないじゃん、お客様は、パンを愛してくださったからこそ、並んでくれたんだし」
「そのパンは君が焼いた」
「そうだよ、でも、じゃあパン以外のこと、例えばお友達、お友達だって、私ちっともできないじゃん」
「君が望んでいないからだろう?」
え?
「いじめられたくて、いじめる相手を演じて、拒否されたくて、拒否する相手を演じる。右手のパペットが左手のパペットをいじめるみたいにさ」
演じる?
じわじわと迫ってくるような何かを感じて、後ずさりをするように、それでも私は言ってみる。「鳥やジェット機のことなんて、私、知らないよ」
「君の知ってる君だけが君じゃない」
またデジャヴ。
「世界は君の〈中〉にある。世界は内的な、お話だ」
お話?
「君は、みんながいる、ってそういうことにして、世界がある、ってそういうことにして、本当は独りで遊んでいたんだ」
本当は、独りで?
またデジャヴ。砂の香。器。形。カタチ?
「おばあちゃんは! お母さんは!」と叫んだ。
「〈カオリ〉にとっては、実在していた、肉にとっては、命にとっては、パンにとっては実在していた」と声は冷たく響いた。「でも〈君〉にとっては、ぬいぐるみと同じだろ?」
「〈君〉って誰よ、私は〈君〉なんかじゃないよ!」
「いや」と声は言った。「〈私〉は君だよ?」
なんだか、よくわからなかった。わからなかったけど、どこかでわかってるような気もした。秘密がバレちゃったみたいな、そんな匂いに似たものを感じた。風の中に浮かんでいるこの部屋。この白い部屋。いつからここにいたのか。風に吹かれて剥がれていった、何かが。
おばあちゃん、と思った。死んじゃったけど、ずっといっしょにいるみたいだったよ、ねえ、おばあちゃんってば。
壁の時計を見上げると、三時だった。
「ねえ」と今度は私が言った。「じゃあ、あなたも、目の前にいるあなたも、私があやつっている、ってそういうことになるの?」
「もちろん」と彼は笑って応えた。
彼を睨んだ。すると。
次の瞬間、静止していた。彼も世界も静止していた。
「ちょっと?」と声を掛ける。
でも、もうそこに命の気配はなかった。
〈外〉を見た。
声をたてずに絶叫した。
窓の外は、真っ白だった。奥行きの不明な白い空間。〈外〉にあるのはブランクだった。
これがホントウの、と思った。これがホントウの、ひとりぼっちということか!
右目の視界の片隅で、白いドアが開いた。彼が入ってきた。にこやかに笑っている。少しほっとする。助かった、とそう思ってしまう。
「世界から覚めたようだね」
と、そう言いながら彼はソファーに歩み寄り、彼の抜け殻みたいな彼に腰を下ろす。
彼は彼に重なってひとつになった。
「そんな目で見るなよ?」と彼は笑った。
だって。「不思議」と声になる。
「君の演出じゃないか?」とまた彼は笑う。
その言葉はとても寂しく響いた。とても寂しく。
デジャヴ。
途端に、窓の外いっぱいに、蜜柑色の夕景が現れた。沈んでゆく太陽。世界は黒いシルエット。どこかでカラスが鳴いている。
キッチンからはクリームシチューの匂いが漂ってきた。
すべてはここにあるのだった。
それはとても寂しいことだった。
〈君〉の演出。と私は思う。〈君〉とは私だ。〈私〉は君だ。
顔を上げるとそこには、岡野カオリがいた。彼は岡野カオリだったのだろうか。
「鏡だったのね」
私は私に向かって言った。
私は頷いた。
あなたも世界も、そして私も、私の鏡だったのね。
私は頷いた。
さて、と私を見ながら私は思った。私とは誰だ?
思案しながら、〈外〉を見る。
窓の外、夕景をバックにママがいた。巨大なママはこの部屋を見下ろして、少し寂しそうに、でも優しく笑っていた。ママはお日様みたいに、神様みたいに光っていた。
ママは部屋に手をのばして、そして言った。
「もう帰りましょう?」
どこかで猫の、なく声がした。
うん。とわたしはうなづいた。
ガーコちゃんをぎゅっとマフラーにいれて、ママにてをのばした。こんやのメニューはシチューだよ。わたしは、それをしっている。
了
後書き
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