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作品ID:293

こちらの作品は、「感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。

文字数約11154文字 読了時間約6分 原稿用紙約14枚


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小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし /

Tell the King

作品紹介

夢、戦闘機、過去、偽り、真実、生への絶望、朝陽に消える煙。 原曲・LIBERTINES




 もしかしたら永遠に続くかもしれない、もう二度と醒めることの無いような、そんな微睡の中、俺は飛行機に乗っていた。

 多くの人が見慣れている、空港に太々しく停まる図体のでかい旅客機ではなくて、もっとコンパクトでシャープなデザインの戦闘機に、だ。しかも、俺はパイロット。

 それだけで腹の底から笑える夢。

 しかし、機体を包む浮遊感は本物だった。俺はその現実離れした感触を知っている。

 アフターバーナーの爆音を轟かせ、音速を突破。弾丸のようにこの国の空を横切る。手元の操縦桿とペダルは生身の脚よりも素直だ。どこにでも俺を連れて行ってくれる。

 試しにクルクルと風車のようにロールしてから旋回に入れる。二枚の主翼の先端から水蒸気の線が軌跡を描いていた。

 辺りを睨み回したが、敵機はどこにも見えない。それ以前に自分の乗っている機体にはミサイルも機銃も搭載されておらず、まるでテストフライトの状態。味方機の姿も無く、空には俺一機だ。おかしいな、とは思わなかった。そんな違和感が入り込む余地の無いほど、俺の精神は安定していた。あるいは狂っていたというべきか。

 ただ、随分懐かしい光景だ、と強く感じた。

 狭いコクピットに収まった飛行服の身体。酸素マスク。ヘルメットにバイザー。皮手袋。計器メーターとパネル。ディスプレイ。索敵レーダー。水晶の如く磨かれたキャノピー。頭上の太陽。眼下の雲海。突き抜けていくような蒼。ぞっとするほど優しい冷気。耳を澄ますと聞こえる己の生命のサウンド。

 その夢の中で、俺は敵無しだった。

 誰も俺には敵わない。誰も俺に近づけない。誰も俺の後ろにつくことはできない。だから、俺は独りだったのだろうと思う。

 サバンナのライオンがそうであるように、俺も蒼穹の大空の中で独り戯れるように舞った。こんなに愉快な事が他にあるだろうか。大気を突き破って、さらに果てしなく広がっていく青の景色に、俺は歓声を上げて大笑いした。

 でも。

 夢の中というのは大抵、自分が想像し得る最悪のパターンが映し出されるものだ。高いところにいれば、いつかは地面に向かって落ちる。例え、どんなに楽しい夢の中でも、自分が人間であるという事はちゃんと頭にインプットされている。

 だから、落ちる。

 人間だから。

 それは人間に、否、生物に約束された拘束。不自由の象徴。

 だって、鳥すらがそうなのだから。

 強い衝撃が身体を揺さぶる。

 後方の、双発エンジンの辺りが突然出火した。

 がくん、と揺れる機体。

 頭上にあった宇宙が横に倒れる。また、クルクルと回る。

 そうして地上に向かって落ちていく。

 不快な黒い煙を上げながら。

 警告する電子音。

 不思議と緊張はなかった。不安すらも。喧しいのは周囲だけで、身体の内側はひどく静かなものだった。

 ただ、誰に撃墜されたのか、それだけ知りたかった。レーダーに敵機の表示はなかったが、不思議と攻撃されたのだとわかっていた。

 しかし、もう空の方へは機首を上げられない。そちらへは二度と顔を上げることができない。だから、俺は最後まで俺を墜とした機影を捕捉できなかった。

 なんて重たげに落ちていくのだろう。

 隕石になった気分だ。

 ふとキャノピー越しに横の、主翼の向こう側の空を見た。

 暮れていく真っ赤な太陽を背に、もう一機、戦闘機が煙を上げて墜ちていた。コクピットの人影は逆光と煙に邪魔されてよく見えない。

 味方、それも僚機だ。なぜかそう直感した。いつから付いていたのだろう。俺と同じように撃墜されたようだ。無線を使って話す気にもなれなかった。向こうからも受信はない。

 落ちる時は誰だってこんな気分だ。

 きっと、死ぬ時くらいは独りでいたいだろう。

 俺は夢の中で、そのまま死んでもよいのだと感じていた。ようやくそうなることが許されたのだと信じていた。

 いったい、誰に?

 誰に許されたと言うのだろうか……。

 俺は誰かに許しをもらって生まれてきたのか?

 落下傘にまでは気が回らなかった。飛ぶ時はいつでもあるはずだが、しかし、夢の中だから使っても機能しなかったに違いない。どちらにしたって落ちるのに変わりはないだろう。できればこの中に留まっていたい。

 警告音がうるさくて、主電源を切った。

 そんなふうに命も切ることができれば、と思った。

 コクピットから電光が消える。

 戦闘機は鉄塊となった。あとは、本当にもう、落下していくだけ。



 俺の身体から意識が抜けて。

 魂は空中を漂う。

 高度は三千フィートほど。

 俺の抜殻を乗せた機体を、そこからいつまでも眺めていた。

 機体はクルクルと回ったまま。

 やがて紅い、美しい、炎を上げて。

 あっという間に俺の機影は小さくなる。

 もうあんなところにまで。雲よりも下まで。

 空中に描かれた黒煙の螺旋。

 太陽が地球の陰に沈みかけている。

 俺の視界も暗くなっていく。

 でも、遥か遠く、眼下の機体だけは美しく輝いている。

 銀のナイフのように鋭く。

 鋼鉄の翼を煌めかせ。

 地面へ向いて。

 そして……、小さな火柱を上げた。

 それを見届けた途端、俺の視界は完全に暗転する。

 ゆっくり。

 暮れた陽光と共に。

 完全な暗闇。

 一センチ先も見えない。

 焦りはなく、むしろ安息の空間。

 そして、再び目を開けた時、その夢は終わっていた。





 眩しい朝陽が俺の眼を刺す。大気の質は空と違って匂いがある。早朝の街の匂い。騒々しい雑踏が砂漠に吹き荒れる砂塵のようだった。

 俺はバッキンガム宮殿の門にもたれかかって座っていた。手には琥珀色の中身が少し余ったウィスキーの瓶。思い出して、その中身を飲み干した。冷え切った液体が俺の喉を焼いていく。

 泥酔して眠ってしまっていたのだろうか。ぼうっと考える。立ち上がろうとしたが、頭と身体が重くて上手くいかなかった。隕石とはまた違う重みだ。よろめき、壁に寄りかかって支える。

 家へ帰ろう……。眩暈に近い疲労の中で俺は決めた。

 壁に手をついたまま歩きだす。衛兵に見つからなかったのはラッキーだった。きっと、守る価値の無い壁だったのだろう。

 腕時計を覗くと、まだ午前七時にもなっていない。昨夜は何時まで飲んでいたのか、全く覚えていなかった。思い出そうと努力するが、不明瞭な映像の断片だけが続いたのですぐに諦めた。

 広場を歩く市民達が怪訝な顔つきで俺を眺めていた。しかし、眺めながらも、すれ違った後は何事もなかったように歩き去っていくという親切さがこの国にはあった。

 危うげに道路を渡り、少し歩いて路地裏に入ったところで、煙草を取り出して火をつけた。

 ふぅ、と煙を吐く。意思を持つ生命体のようにそれは歪んで広がる。まるでメディアが伝える真実のように。でも奴らのように厭味ったらしくは無く、むしろ優しく俺を包む慈悲深い煙だった。

 そう、彼女とは違って。

 彼女とは違って、煙草の煙は優しく俺を癒す。

 すぐに吸い終えて、また歩き出す。歩く、という感覚に違和感を感じるのは骨折した時か、アルコールが入った時くらいだ。

 見慣れたアパートに着いて、古びて錆びついた階段をゆっくり昇る。体重を乗せる度に危うい悲鳴を上げるが、いつものことだ。この階段と一緒に地面に激突するのも悪くはない。刃向うかのような軋んだ音を聞くと毎度そんな愛着がわく。

 自室の薄っぺらい扉を開けて入ると、すぐにリビングに置いた灰色の柔らかいソファーに倒れこんだ。俺の数少ないお気に入りの内の一品で、ベッドの代わりだ。

 鉛のように身体が重い。酔っ払って鉄くずでも食ったのだろうか。頭もずん、ずん、と謎の耳鳴りを聞いている。

 しばらくそうして顔を埋めていたら、別室の戸が開く音が聞こえた。うつ伏せに寝たまま、ゆっくりとそちらに顔を向ける。

 彼女が立っていた。ほっそりした身体の腰に手を当てて、俺を睨んでいる。

「朝帰りの言い訳を聞きにきたんだけど」 彼女の第一声はそれだった。

 俺は、一言喋る事すらも億劫だったが、なんとか堪えて仰向けになった。そのささやかな運動で大幅に体力を消耗した気分だった。

「酒を飲んで、外で寝てました」 俺は答える。 「悪いけど、言い訳なんて考え付かないね」

「独りで飲んでたの? どこかの女と飲んでたんじゃなくて?」 彼女の声はどこまでも真面目。

 俺はその言葉に短く笑ってしまった。

「なぁ、恋人ごっこはやめろよ」

 彼女の表情は動かない。ずっと無表情だ。少し怒っているように見えないこともないが、でもそれが彼女の元々のステータスなので判断は難しい。いずれにしても、彼女の機嫌が俺に影響を及ぼすことは滅多にない。少なくとも、これまでには一度も無かった。

「ままごとなんてする歳じゃないだろ?」

「本当に、お酒を飲んでただけ?」 彼女は俺の言葉を無視して訊いた。

「独りでな」 俺は頷いて、彼女に背を向けた。このソファーのクッションのほうがずっと愛しい存在だった。

「ねぇ」 彼女の声がずっと近くなる。すぐ後ろにまで接近したのだ。気配を感じない足運びだった。

 もしかしたら、夢の中で俺を墜としたのは彼女だったのかもしれない。だとしたら、あの夢は本当に笑える内容の夢だろう。まだ夢が続いていることを密かに願った。

「昨日は、一緒に食事をする約束だったんじゃないの?」

 約束……。

 あぁ、確かにしたかもしれない。よく憶えていないが……、食事というと、夕食だろうか。生憎、日暮れの時刻から街のバーで飲んでいた気がする。

「憶えてないね、男を間違えたんじゃないのか?」 仕方なく、また仰向けになって答えた。

 やはり、彼女の顔はすぐ近くにあった。無表情な小顔。透き通るように白い肌にブロンドの艶やかな髪。長い睫毛の間に覗くサファイアのような瞳が俺の目に向いている。額縁の中から出てきたような、現実離れした美貌。

 俺のジョークが聞こえなかったように、彼女は腕を広げ、長い脚を開き、ソファーに沈む俺の身体を覆った。四つん這いの姿勢で俺を見下ろしている。

 交わされる言葉はなかった。

 彼女は俺の閉じた片方の瞼にそっとキスをする。

 彼女の香りの良い長髪が俺の顔にかかった。

 俺の腕も、彼女のうなじを掴んだ。そのままへし折ってやればどれだけ楽になれるだろうか、と考えながら優しく引き寄せる。唇を重ねた。

 さぁ、狂った時間の始まり。

 空戦のような、永遠のような一瞬の始まり。

 憎悪と慈しみ。

 水と油のように分離したものでも、そこでは混ざり合う。

 地上ではあまりお目に掛かれないが、そんな奇跡が確かに存在する。

 俺は唇を離した。

 彼女の瞳は俺を捉えている。

 綺麗なスクリーン。

 そこに誰が映っている?

 一体、誰が……。

 また口づけをした。今度は彼女から。

 亜音速のようにゆったりと。

 どうやら、ソニックブームは見れないようだ。

 いや……、酔っぱらっているな、どうも……。

 胸の中で独り嘲る。

 なんてつまらない妄想。

 そう、実につまらない妄想だ。

 自由に飛び回るなんて。

 子供が見る夢じゃないか。

 そう、所詮、夢。

 実際はただ墜ちるだけ。

 あの夢のように。

 そして、今のように。

 混ざっていく。

 混ざりながら、腐っていく。

 今、この瞬間のように、だ。

 そして、この二人のように……。





 彼女は服を着て、アパートの小さなバルコニーへと出た。そちらへ煙草を吸いに行く為だろう。

 俺は酔い気が少し醒めた頭で彼女の背中を見つめていた。彼女が吸い終わるまで大して時間はかからなかった。部屋の中に戻ってきて、後ろ手でガラス戸を閉める。その目は俺を見つめたまま。俺もその視線に応え続けていた。

「わかってるだろ?」 俺は静かに言い放つ。

 彼女は置物のように無反応だった。ただじっと俺を見つめて、テーブルの傍まで歩く。

 知らないとは言わせない。見ない振りはもう、うんざりするほどしてきた。

「俺が、君のことをどう思っているのか」

 彼女は一瞬だけ、その綺麗な目を伏せた。長い前髪の隙間にそれが見えた。

「ええ、わかってる」 抑制の効いた声。理知的な、彼女の本当の声だ。

「最初から、君の魂胆を知っていた。知ってる上で、君を受け入れたんだ」

 彼女はこくりと頷く。その動作がますます人形のようだった。

「でも、そうやっているのはもう終わりだ。本当のことを話せよ」 俺は声を荒げることも、畏縮させることもなく自然な声量でそう言った。それが一番冷徹な響きを持ってると思っているからだ。

 沈黙。

 射し込む朝陽が俺達の間を照らしている。光の輪郭は、まるで硝子の壁のようにくっきりしていた。

 伏せられていた彼女の瞳は、もう俺のほうへと向いている。その口が開くまで待った。いつまでも待つつもりだ。長い間ずっとそうしてきたから、これくらい耐えられる。

 しかし、彼女は俺から目線を逸らし、俺に背を向けるようにして椅子に座った。一言も無く、俺の存在がここから消え去ってしまったように。

 俺は、ソファーのカバーの下に隠していた拳銃を取り出した。錆びた回転式弾倉の拳銃。手入れもしていない。随分、昔から持っている銃だった。

 その変色した銃口を彼女の後頭部へ向ける。撃鉄を親指で引いた。カチリ、と乾いた音が立つ。その音で彼女は振り返った。それもゆっくり。銃口を認識しても彼女の表情は変わらなかったが、代わりに口が開いた。

「その銃で、彼も殺したの?」

 ぶるっと身震いした。

 恐ろしいほどに純粋な瞳。

 その中に映っているのは、明らかに俺ではない誰か。

「奴が、そう望んだんだ」 俺は首を振る。

 照準を彼女から外す。そして、今度は自分の頭部へ向けた。

 固い銃口の感触。

 こめかみに当てて……、ゆっくり深呼吸。

 彼女は止めない。ただじっと、綺麗な瞳で俺を見つめているだけ。

 少し可笑しかった。

 誰も動かない。

 何も動かない。

 空気ですら気を遣っているような。

 動くのは、俺の指だけ。

 引金を引く。

 また、乾いた音。

 残酷な音。

 弾丸なんて入っていない。

 空の薬莢が六発分、そのまま収納されているだけ。

 最後の一発は、随分昔に親友にくれてやったのだ。最後まで大事に取っておいたのに……。

「俺の分だったんだぜ、あの弾は」 今では玩具と変わらなくなった拳銃を床に放り投げる。 「あいつに譲ってやった」

「あなたは元々、有能なパイロットだった」 彼女が言った。

 俺はがっかりした気分で彼女を見つめた。

 また、だ。

 歪曲された真実。

 大衆紙に載っているお伽噺。

 有能なパイロット?

 いったい、誰が?

 いったい、何を見てそう言いだした?

「聞かせて。あの時の話を」 彼女は言う。 「あの時、何があったか」

「君は、どこの新聞社に所属している人間だい?」 質問で返す。

「新聞じゃないわ」

「じゃあ何だ?」

「諜報機関」

「あぁ、なるほど……」 俺は息を漏らして笑った。素敵なジョークだ。初めて彼女を可愛く思った。 「俺を殺しにきてくれたのかな?」

「いいえ。ボスは気づいていないわ。あくまで、わたしの個人的な興味であなたに近づいた」 彼女は真剣な表情だ。

 案外、嘘じゃないのかもしれないが、もうそんなこと、俺にはどっちだってよかった。

「なんでもいいから、君が持ってるピカピカの銃で俺を撃ってくれ」

「あなたが話してくれるんなら、望み通りに」 彼女はそう答える。

「話すことなんてない。君が知っている通りの物語だ。前も言ったろ」

「本当の事が言えないのは、彼と約束したから?」

 俺は息を呑んで黙る。彼女も真っ直ぐこちらを見つめたまま黙った。浮遊する埃が、二人の鼻先を光に照らされ過ぎていく。

 彼女は一体、どこまで知っているのだろうか。

 まさか、本当に諜報機関の人間か? そうでなければ知り得ない情報だ。

 俺には昔、親友と呼べる男がいた。後にも先にも、俺がそう断言できる人間は唯一その男だけだった。その男とは訓練生の頃に知り合った。あまり喋らず、いつもぼんやりと空を見上げていた男だった。

 しかし、彼はとても美しく飛んだ。地上に居る時の鈍さとはかけ離れた、鋭さの光る天才的な飛行技術だった。まるで自分の身体と一体化しているように機体を操るのだ。生身よりも自由な事だっただろう。俺はいつも、僚機としてそれを後方の位置から眺めていた。

 実戦になると、その美しさは強さへと変貌した。流線的に、そして複雑に描かれた彼の飛行ライン。今でも思い出せる。彼が撃った機銃の爆発光も鮮明だ。

 有能なパイロットとはつまり、彼のことを言うのだろう。

 俺は、じっと彼女を見つめる。

「君は誰だ?」 警戒を込めて、そう尋ねる。

「あなたの親友の婚約者だった女」 彼女は静かにそう言った。

 俺は息を止めた。無意識に目を見開く。

 婚約者?

 嘘だ。

 彼が、そんなものを作るはずがない。彼はそんな人種ではない。

「わたしの婚約者だった男はパイロットだった。あなたも知ってると思うけど」

「有能だった」

「ええ」 彼女は頷いた。綺麗なその目が僅かに細くなる。 「でも、死んでしまった」

 俺は隠された真実を見極めようと彼女を睨んだ。機銃の射程距離内だった。昔の俺だったら、迷わずに撃っている。今のこの逡巡こそが、俗に言う“優しさ”という代物なのだろう。そして、優しい奴はすべて、あの戦争で、あの空で、墜とされた。

「本当に……、君は、彼の?」

「ねぇ、話して」 彼女の懇願する口調。初めて聞くその響き。 「わたしはそれが知りたくて、軍部の裏側を探ってたのよ」

「そして俺に近づいた」

「ええ、そうよ」 彼女はこちらに近づいて、俺の首筋に細い腕を回した。抱きしめて、そして囁く。 「お願い……」

 俺は慎重に、壊してしまわないように、その腕を解いた。彼女を正面に見据える。彼女の手が、今度は俺の頬を撫でる。彼女の右手は冷たかった。

 俺はひどく狼狽していたが、結局、口を開いた。なぜ話そうとしたのか、その原因は後になってもわからなかった。

「奴は、天才だった」 俺は言う。

 彼女の顔が眼前にある。その両目がこちらをじっと見つめている。

「でも、その戦果と一緒に新聞に書かれ続けたのは、俺の名前だ」 俺は目線を逸らさずに言った。

 興奮してか、それとも後ろめたくてか、俺の身体は小刻みに震えだしていた。自由への期待だろうか、それとも恐れだろうか……。

 永きに亘って封印されてきた真実が、ようやく解き放たれる。

 それは、一つの約束に過ぎなかった。

 それだけは忘れなかった。

 死ぬまで守るつもりだった。

 しかし。

 彼女は、彼にとって、俺なんかよりもよっぽど価値のある人間だっただろう。見ていてわかる。

「俺は祭り上げられたんだ。あいつの代わりとして」 目頭が熱くなってくる。なぜか少し笑った。 「俺が奴の代わりに英雄になったんだ……、あいつが……」

「彼が、わたし達とは違う人種だったから」 彼女がその先を言った。

「そう」 俺は頷いた。 「あいつが、敵対国の人種と同じ色の肌だったから……」

 だから。

 そんな、ミジンコのようにちっぽけな理由で、彼は永遠に影の中へ追いやられて。

 俺が代わりに日向の中に引きずり出された。

 俺は、この国の英雄に仕立て上げられた。中身の伴わない称賛に包まれた日々。虚栄に彩られた生活。譲られた肩書。

 彼の名はこの国の歴史に刻まれなかった。そして、永久に彼の伝説は語られないことだろう。存在しなかったも同じ。俺が憧れていた彼の軌道は、砂のお城の如く、風に吹かれて消え去った。

 もうずいぶん昔のこと……。

「ある時、あいつは任務をしくじった。いつもなら完璧に遂行できる任務を」 醒めかけたアルコールの勢いに任せて、俺の頭脳は過去を引っ張り出す。徐々に目の前にあの時の光景が浮かんでくる。 「予想外に強いのが出てきたんだ。あいつは敵機に追われて、墜とされた」

 蘇る記憶。

 コクピットに収まる俺の身体。飛び交う無線。幾筋もの黒煙と、それを喰らうような巨大な雲。

 遥か前方で小さな機影が二つ。

 一方は彼で、もう一方は敵のエースだった。

 何度もすれ違うようにして舞っている。

 鋼鉄の翼を時折光らせて。

 俺は出力を全開に押し上げて、そちらへ向かう。

 二機は熾烈な空戦を繰り広げる。

 何度も機銃の閃光が迸り。

 エンジンの轟音が層を為して重なり。

 翼が風を斬るかの如く翻り。

 そして。

 彼の機体が、先に火を噴いた。

 その一瞬の後に、俺は敵のエースを撃墜した。彼が囮になったから出来た隙だった。俺の撃った弾道が敵の機体を貫通したのが今でも鮮烈だ。

「あいつはそこで死んだことにされた。軍の記録にもそう残ってる」

 彼女の表情に変化はない。青い瞳の中には俺が映っている。そういえば、この目は空と同じ色だと、ふと思った。

「でも、あいつは生きてた。墜ちて爆発する前に脱出してたんだ。それからしばらく何をやっていたかは知らない。でも、その数ヵ月後に、俺を訪ねにあいつは基地に戻ってきた」

 今でも、一点の曇りなく思い出せる。

 彼は棒切れのように、ボロボロの風体で立ち尽くしていた。目の焦点は散漫気味に移ろい、鈍い光を湛えていて、まるで正常ではなかった。幽霊かとも思った。その光景は静かなる衝撃を俺に与えた。

 俺は彼を言葉無く見つめて、そして覚悟を決めた。

 軍を、そして空から去る覚悟を。

 彼は最期に滑走路が見たいと言った。俺はそれを了承して、他人に見られないよう彼をそこまで連れて行った。そうできる権威が、その時の俺には既にあったのだ。

 彼は滑走路の真ん中に立ち、どこか遠くを眺めて微笑んでいた。微笑みながら、涙を流していた。俺を優しく見つめて彼は言った。殺してくれ、と。



 君の銃で。

 僕を殺してくれ。

 いつか言っていた、君の最後の弾丸を。

 僕に譲ってくれないか?



 その弾丸は俺が、偽りだらけの自分の人生に決着をつける為に取っておいた弾丸だった。彼を撃ってしまえば、もう弾丸が俺の手に入ることはない。そうわかっていた。

 しかし、俺は頷いた。

 彼は微笑みながら、ありがとう、と礼を言った。涙はもう流れていなかった。目は既に蒼々とした大空へと向いていた。まるで、これからそこへ帰るかのように。

 俺に撃たれる直前、彼は、約束して欲しいと言った。



 今日の事は、誰にも話さないでくれ。

 たとえ、僕の事を知ろうとする人間が君の前に現れても、決して。

 そうすれば、僕は、ずっと永遠だ。

 永遠に、誰の記憶にも残らず、空を漂っていられる。



 変な宗教だと思った。俺は笑った。彼には敵わない、と改めて認識したからだ。約束すると誓った。彼はにっこり微笑んで、また礼を述べた。

「じゃあな」

 銃口を向けて、別れの言葉は短く。

 俺は引金をひいた。

 同時に。

 俺も、そこで死んだのだと感じた。

 胸にあったのは、およそ生きている実感とは程遠い空虚。

 軍服を脱ぎ捨てた。それは、二度とここに戻らないという決意だった。



「やっぱり、俺は君が嫌いだ」 一通り話し終えた後、俺は彼女に言った。 「君の方が、彼にとって特別だったんだと思う。そんな気がするよ」

 彼女は顔を伏せるように微笑み、目を閉じた。溢れていた透明な雫が白い頬をゆっくり伝う。

 いったい、何がそんなに哀しいのだろうか。いや、嬉しいのだろうか?

 でも、感情を形容できるほど言葉が優れていない事はわかっていたので、尋ねなかった。

「わたしも、あなたが嫌い」 彼女は濡れた目許を拭って、少し微笑んで言った。彼女のそんな表情を見るのは初めてだ。初めて彼女を愛しく思った。 「あなたのほうが、彼にとって特別だったと思うから」

 俺は息を漏らして笑った。

 嫉妬。

 子供のように無垢で、可愛らしい憎悪じゃないか。

 彼はそれほど特別な存在だったのだ。ずっとわかっていた。

 ただ、彼女の前ではきっと、俺の知らない彼がいたのだろう。

 それと同様に、俺の知る彼も彼女の思い描いていたものと違ったのだろう。

 それが俺には嬉しかった。

 彼は、ちゃんと存在していた。

 そして、俺のついていた嘘を見抜いてくれる人がいてくれた。

 不明確な幸福感が胸に詰まって、俺の目からも久しく涙がこぼれていた。これで死ねたら、もう言うことはない。

「殺してくれるかい?」 俺は彼女に言った。

 あの時、自分は死んだのだと確信していた。空を去ったあの時から。肉体と僅かに残った思念の欠片だけが、リヴィング・デッドのように動いているだけだ。

「ごめんなさい」 彼女は言った。 「わたし、とっくに組織から離れたの」

 俺は呆れて、もう一度笑うしかなかった。この恥知らずの嘘つきを真正面から見据える。

「やっぱり、君のことが嫌いだ」

「ええ、わたしも」

 彼女は俺を抱きしめ、唇を重ねる。俺も彼女の身体を抱き寄せた。

 憎しみも、愛情も、すべて。

 ここで混ざっていく。

 それがルール。

 最後の空を回想しながら。

 俺は彼女の悪意と罠を回避する。

 飴細工のような銀糸を引いて、彼女の唇が離れた。

「じゃあな」 俺は言った。

 彼女は無言だった。

 俺はソファーから降りて、死に絶えた拳銃を拾い、部屋から出て行った。もう二度と戻らないつもりだった。

 去り際に後ろから何か言われた気がしたが、聞こえないふりをして外に出た。彼女はこれからどうやって生きていくのだろう、と最後に少しだけ気になったが、陽射しに包まれた時にはそんな下らない疑問もどこかに消え去った。

 軋む階段を下りきる。あの可愛い声がもう聞こえなくなるのだと思うと、僅かだが寂しい。でも、きっと奴も、死ぬ時くらいは独りがいいだろう。

 ストリートに出ると一度立ち止まって、煙草を取り出した。くわえて火をつける。煙が立って消える。一緒に俺も朝陽に消えよう。

 晴れた朝の空を見上げながら、道を歩く。気分はいたって良好だ。だが、脚は重い。

 歩く、という感覚に違和感を感じるのは、決まって骨折した時か、アルコールが入った時、それか、向かう先が自分でも把握できない時ぐらいだ。







後書き

未設定


作者 まっしぶ
投稿日:2011/04/07 00:01:35
更新日:2011/04/07 00:05:11
『Tell the King』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。
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