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作品ID:448
こちらの作品は、「感想希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約4757文字 読了時間約3分 原稿用紙約6枚
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Everything In Its Right Place
作品紹介
真夜中、自殺願望、居場所、不透明さ、『僕』と『彼女』 原曲・RadioHead
梟の溜息すら聞こえてきそうな静寂。でも、いくら耳を澄ましたって何も聞こえない。音を立てるものなんて、ここには存在しないはずなのだ。僕の内側と同じように。
真夜中にふと目が醒めると、僕はいつも不安定な気持ちになる。どうしようもなく静かなはずなのに、耳に当てたヘッドホンから爆音の音楽が鳴っている感じ。聞こえないその騒音が、僕の頭を滅茶苦茶に引っ掻き回すのだ。耳鳴りではない。もっと、深い場所から響いてくる。
あぁ、どうしようもなく死にたい。
これまで幾度となく抱いてきた感情。
悲観的でもなく、興奮しているわけでもない、いたってクリアな感情。
否、感情すらない。そんな濁ったものではない。たとえば、「お腹がすいた」と呟くような、純粋な欲求だ。
どうして、目覚めてしまったのだろう。
いつまでも眠っていればいいものを。
どうして、自ら覚醒してしまうのだろう。
肉体、意識、どちらもままならないものだ。それだけは自分の物なのに。
可笑しい……。
しばらく毛布の中でじっとしていたけれど、纏わりついてくる温もりが鬱陶しくて抜け出す。ふらつくような足取りで、リビングまで歩いた。部屋の中はどこまでも無音。それが故に騒がしい。
グラスに残っていたワインを一口に飲み干し、重力に任せてソファに腰を下ろす。胃に落ちたアルコールがだんだんと熱を帯びていく感触。目許を覆う前髪を掻き上げて額に触れると、じっとりと汗ばんでいた。何をそんなに生きようとしているのだろう? 醜く発汗までして……。
茫洋と暗い天井を眺める。何もかもが闇に包まれている。僕の尻には革製のソファ、背後には食卓の長テーブル、右手にはカーテンの引かれた窓に、左手には書棚。正面には硝子のテーブルと電話があるはず。さらに奥にはテレビもあるだろう。見ずとも、その位置がわかる。
全て、あるべき場所に落ち着いているのだ。
僕と違って……。
そう、僕だけが迷子だ。
僕だけが、居場所を見つけられないでいるのだ。
どうすればいいのだろう。
やっぱり、死ぬしかないのだろうか。
そうだ、生きている限り、どうしたって最後には死ぬ必要があるのだ。結局はそこへ辿り着くしかないのだ。早いか遅いか、自然か人為的かの違い。それに左右されている人達を僕は心底軽蔑する。
生きている者達が、どうしてこんなに落ち着いていないのか。
それは、いるべき場所にいないから。
その証拠に、無機質な物は全て、落ち着いている。
定着して。
一切の疑念もなく。
受け入れている。
美しくすらある。
生きているから、不安定なのだ。
だって、死んだ者達は皆、安らかではないか。
安らかに、眠っているではないか。
僕は、寝間着のポケットから、錠剤を取り出す。それは大金を叩いて買った希望。何時死んでもいいように、肌身離さず持っていた。見つかれば没収されるのは目に見えていたから、一番安全なポケットに常時収めているのである。
僕はワインをもう一杯注ぐ。それは真っ赤な液体のはず。人間の血よりも透き通っているに違いない。
しばらくの間、錠剤を掌に乗せて夜目を利かして見つめていると、突然、『彼女』と会話したくなった。
そう、僕がこの世で唯一、気を許せる人。
受け入れも、拒絶もしない、まっさらな人格。
馬鹿げているけど、愛しいという言葉は、『彼女』の為にあるとすら信じている。
僕は電話を引き寄せて受話器を持ち上げる。液晶の画面がエメラルドのように淡く光った。眠っているだろうか、と考えて少し躊躇したけれど、これが最後だと考えるとどうしても抑えられなくなった。
記憶している、この世で最も大切な番号を打つ。
「わたしと話したくなったら、いつでもこの番号にかけて」とメモされていたのだ。その紙片を見つけたのはずっと前。でも、僕は今まで一度も電話したことがなかった。
指がボタンを押す度に、緑色の画面に番号が浮かび上がる。一度確かめてから、コールした。
数秒待っていると、『彼女』の眠たげな声が受話器から流れてきた。
「もしもし?」
「僕。ごめん、寝ていた?」
「あぁ……」 溜息なのか、それとも笑ったのか、息の漏れる音。 「どうしたの? 元気?」
「うん、たぶん」
沈黙。
『彼女』はきっと、電話の向こうで言葉の続きを待っているだろう。
僕はといえば、何を話していいのか、すっかりわからなくなっていた。でも、焦りはしない。むしろ、『彼女』と共有する沈黙が僕は好きだった。
「死にたくなったの?」 『彼女』は察したように問い掛ける。
「うん」
「今、どこ?」
「家。知っていると思ったけど」
「えぇ、でも、寝ていたから……、大丈夫? 落ち着いてる?」
「うん、落ち着いてる。最期に、君と話したくなった」
「そう……、そっちに行こうか? すぐに行けるけれど」
「いや、いいよ。起こして悪かった」
「どうして死にたくなったの?」
「別に……、理由はないよ。生きているのが億劫になっただけで……」
「不安なのね?」
「うん」
「どうして?」
「わからない。僕は、どうしちゃったんだろう。どうして、僕はここにいるんだろう。僕は、ここにいちゃいけない気がする。安心したい。だから……、死にたい」
「そうなの……」 『彼女』は再び息を漏らす。今度は溜息だろう。 「ご両親は?」
「いない。旅行中。僕がすっかり健康になったと思ってるんだ」 そこで少し可笑しくなって、僕は笑いかける。 「きっと驚くだろうな」
「あなた、淋しいのね?」 『彼女』は尋ねる。
僕は思わず、言葉に詰まって黙り込んでしまった。
淋しい?
そう、確かにそうかもしれない。この世に生まれた時から、ずっとそうだったのだ。哀しくはない。腹が立つこともなかった。だって、僕は、その淋しさから産み落とされたようなものなのだから。不安定で、落ち着かなくて、平穏を望んでいる、それが僕のデフォルトなのだ。
『彼女』は向こうでどんな顔をしているだろう。僕はそれを知っているはずだったけれど、どうにも思い出せない。あぁ、なんて不自由。生きているということは、機能しているということは、どこまで煩わしいのだろう。そして、なぜそれを求めるのだろう。
「わかった」 『彼女』は意を決したように言う。
「何が?」
「わたしも一緒に死んであげる」
これには僕も少し驚いた。
「本当に?」
「だって……、あなたが死んだら、わたしだって生きていられないもの」 少し沈んだ口調。 「それに二人だったら、淋しくないでしょう?」
それを聞いた瞬間、胸がいっぱいになるのを感じた。ほんの一瞬だけ、目が熱くなる。その綺麗な液体が零れないように、僕は上を向いた。
「ありがとう」 僕の声は震えていた。
『彼女』はきっと微笑んだだろう。
「すぐに行くわ」
「うん」
「行くまで、死んじゃ駄目だからね」
「うん」
「愛してるわ」
「うん、僕も……、愛してる」
「待ってて」
「うん」
そうして、電話が切れた。電子音が鳴り響く。
僕はぼんやりと宙を見つめたまま、受話器を置いて、『彼女』が現れるのを待った。錠剤とワインは暗闇の中、テーブルの上で出番を待ち侘びている。僕はその間、ずっと静寂の音色を聞いていた。
もうすぐこれともお別れ。
ようやくだ。
淋しくはない。だって、『彼女』と一緒なのだから……。
直感。
『彼女』が来た。
僕の手が、錠剤を掴み、口の中に放り込んだ。
間違いなく致死量。不要な確認だ。
それを含んだまま、手がワイングラスを持ち上げる。
傾いた赤い液体を。
僕の口が含み。
僕の喉が飲み干す。
僕の瞼は閉じられ。
僕の身体は重力を忘れる。
『彼女』の温もり。
これだけは、不快ではない。
愛しく。
温かく。
輝いている。
もう、騒音は聞こえない。
あれは、僕の鼓動だったのかもしれない。
「やっとだね」 『彼女』の声がする。
「うん」 僕は頷いた。けれど、頭が動いたかどうかはわからない。
そんなはずはないのに、まるで光に包まれたかのような、安心感。
隣に、『彼女』の感触。
あぁ、やっと……。
この瞬間がやってきたのだ。
苦しくはない。
すべては、あるべき場所へ。
すべては、帰るべき場所へ。
随分と永い間、僕達は居場所を間違えていた。
それがはっきりと、死が近づくにつれてわかる。
僕は微笑みを浮かべていただろう。
だって、『彼女』がそれを浮かべていたのだから。
◇
少女の遺体が発見されたのは、彼女の両親が旅行から帰ってきた朝のこと、マンションのリビングである。薬物による自殺とみられ、鑑識による死亡推定時刻は発見から五時間程前であると発表された。少女が座っていたソファの前のテーブルにはワインのボトルとグラス、薬の残り、それと電話が置かれていたらしい。
「まだ若いってのに、どうしてこんな……」 現場を担当した刑事は舌打ち混じりにそう呟いた。
両親の証言によると、少女には以前、精神病を患っていた経緯があったらしい。しかし、それはとうの昔にリハビリによって改善されていたはずだし、今までの生活でも自殺に走る兆候は見られなかったという。少し内気だったものの、学校にもちゃんと通っていた。いじめられていたという話も聞こえてこない。
不可解な自殺を遂げる者の数は決して少なくない。むしろ、予測できた自殺者のほうが圧倒的に少ないのだ。それが多ければ、それこそ社会問題になるだろうが。
死んだ理由なんか、結局、他人には理解できないだろう。それが肉親や近しい者ならば尚更だ。
刑事は手帳にペンを走らせながら、そう考えた。
しかし、少なくとも、周囲の者達を納得させるような理由だけは必要である。それを確認してやらないと死者が浮かばれない、と思っている人間すらいるのだから。社会全体がそのような傾向にあるといっても過言ではない。刑事である自分の仕事はつまり、その推測のストーリーをできる限り大衆向けにでっち上げることにある。
現場状況で一つだけ、不審な点があった。
電話の履歴に残されていた不可解な番号である。
市外局番も何もない、出鱈目な数字の列。
自殺した少女は、死の直前にこの番号をコールしたのである。
念の為、刑事がこの番号に掛けてみても、もちろん繋がらなかった。無機質な電子音が鳴り響くだけである。
「どこに掛けようとしたんでしょうかね?」 鑑識の一人が首を捻って言った。
それも今となってはもはやわからないだろう。死んだ当事者にだけ意味があったこと。誰と話をしたかったのか、と考えてみれば、あるいはわかるかもしれないが……。
刑事はふと、今回の自殺した少女の顔を思い出した。現場に踏み込み、少女の遺体を目にした時、彼は思わずその死顔に魅入ってしまったのだ。
少女は、微笑みながら死んでいた。
寝顔と形容してもよかっただろう。
まるで、何かから解放されたようなその安らかな笑みは、時々、他の自殺者の顔にも見かける表情であった。
恐らく、世間はそれを認めないだろう。
その感情を。
その欲求を。
その表情を。
純粋すぎるものは、結局忌み嫌われる存在なのだ。
刑事は、搬入されていく少女の死顔をいつまでも眺めていた。いったい、何を見れば、何を悟れば、あんな安らかな笑みを浮かべられるのだろうか。
彼はぼんやりとそれを見送って、そして素早く気持ちを切り替え、自分の仕事に取り掛かった。
真夜中にふと目が醒めると、僕はいつも不安定な気持ちになる。どうしようもなく静かなはずなのに、耳に当てたヘッドホンから爆音の音楽が鳴っている感じ。聞こえないその騒音が、僕の頭を滅茶苦茶に引っ掻き回すのだ。耳鳴りではない。もっと、深い場所から響いてくる。
あぁ、どうしようもなく死にたい。
これまで幾度となく抱いてきた感情。
悲観的でもなく、興奮しているわけでもない、いたってクリアな感情。
否、感情すらない。そんな濁ったものではない。たとえば、「お腹がすいた」と呟くような、純粋な欲求だ。
どうして、目覚めてしまったのだろう。
いつまでも眠っていればいいものを。
どうして、自ら覚醒してしまうのだろう。
肉体、意識、どちらもままならないものだ。それだけは自分の物なのに。
可笑しい……。
しばらく毛布の中でじっとしていたけれど、纏わりついてくる温もりが鬱陶しくて抜け出す。ふらつくような足取りで、リビングまで歩いた。部屋の中はどこまでも無音。それが故に騒がしい。
グラスに残っていたワインを一口に飲み干し、重力に任せてソファに腰を下ろす。胃に落ちたアルコールがだんだんと熱を帯びていく感触。目許を覆う前髪を掻き上げて額に触れると、じっとりと汗ばんでいた。何をそんなに生きようとしているのだろう? 醜く発汗までして……。
茫洋と暗い天井を眺める。何もかもが闇に包まれている。僕の尻には革製のソファ、背後には食卓の長テーブル、右手にはカーテンの引かれた窓に、左手には書棚。正面には硝子のテーブルと電話があるはず。さらに奥にはテレビもあるだろう。見ずとも、その位置がわかる。
全て、あるべき場所に落ち着いているのだ。
僕と違って……。
そう、僕だけが迷子だ。
僕だけが、居場所を見つけられないでいるのだ。
どうすればいいのだろう。
やっぱり、死ぬしかないのだろうか。
そうだ、生きている限り、どうしたって最後には死ぬ必要があるのだ。結局はそこへ辿り着くしかないのだ。早いか遅いか、自然か人為的かの違い。それに左右されている人達を僕は心底軽蔑する。
生きている者達が、どうしてこんなに落ち着いていないのか。
それは、いるべき場所にいないから。
その証拠に、無機質な物は全て、落ち着いている。
定着して。
一切の疑念もなく。
受け入れている。
美しくすらある。
生きているから、不安定なのだ。
だって、死んだ者達は皆、安らかではないか。
安らかに、眠っているではないか。
僕は、寝間着のポケットから、錠剤を取り出す。それは大金を叩いて買った希望。何時死んでもいいように、肌身離さず持っていた。見つかれば没収されるのは目に見えていたから、一番安全なポケットに常時収めているのである。
僕はワインをもう一杯注ぐ。それは真っ赤な液体のはず。人間の血よりも透き通っているに違いない。
しばらくの間、錠剤を掌に乗せて夜目を利かして見つめていると、突然、『彼女』と会話したくなった。
そう、僕がこの世で唯一、気を許せる人。
受け入れも、拒絶もしない、まっさらな人格。
馬鹿げているけど、愛しいという言葉は、『彼女』の為にあるとすら信じている。
僕は電話を引き寄せて受話器を持ち上げる。液晶の画面がエメラルドのように淡く光った。眠っているだろうか、と考えて少し躊躇したけれど、これが最後だと考えるとどうしても抑えられなくなった。
記憶している、この世で最も大切な番号を打つ。
「わたしと話したくなったら、いつでもこの番号にかけて」とメモされていたのだ。その紙片を見つけたのはずっと前。でも、僕は今まで一度も電話したことがなかった。
指がボタンを押す度に、緑色の画面に番号が浮かび上がる。一度確かめてから、コールした。
数秒待っていると、『彼女』の眠たげな声が受話器から流れてきた。
「もしもし?」
「僕。ごめん、寝ていた?」
「あぁ……」 溜息なのか、それとも笑ったのか、息の漏れる音。 「どうしたの? 元気?」
「うん、たぶん」
沈黙。
『彼女』はきっと、電話の向こうで言葉の続きを待っているだろう。
僕はといえば、何を話していいのか、すっかりわからなくなっていた。でも、焦りはしない。むしろ、『彼女』と共有する沈黙が僕は好きだった。
「死にたくなったの?」 『彼女』は察したように問い掛ける。
「うん」
「今、どこ?」
「家。知っていると思ったけど」
「えぇ、でも、寝ていたから……、大丈夫? 落ち着いてる?」
「うん、落ち着いてる。最期に、君と話したくなった」
「そう……、そっちに行こうか? すぐに行けるけれど」
「いや、いいよ。起こして悪かった」
「どうして死にたくなったの?」
「別に……、理由はないよ。生きているのが億劫になっただけで……」
「不安なのね?」
「うん」
「どうして?」
「わからない。僕は、どうしちゃったんだろう。どうして、僕はここにいるんだろう。僕は、ここにいちゃいけない気がする。安心したい。だから……、死にたい」
「そうなの……」 『彼女』は再び息を漏らす。今度は溜息だろう。 「ご両親は?」
「いない。旅行中。僕がすっかり健康になったと思ってるんだ」 そこで少し可笑しくなって、僕は笑いかける。 「きっと驚くだろうな」
「あなた、淋しいのね?」 『彼女』は尋ねる。
僕は思わず、言葉に詰まって黙り込んでしまった。
淋しい?
そう、確かにそうかもしれない。この世に生まれた時から、ずっとそうだったのだ。哀しくはない。腹が立つこともなかった。だって、僕は、その淋しさから産み落とされたようなものなのだから。不安定で、落ち着かなくて、平穏を望んでいる、それが僕のデフォルトなのだ。
『彼女』は向こうでどんな顔をしているだろう。僕はそれを知っているはずだったけれど、どうにも思い出せない。あぁ、なんて不自由。生きているということは、機能しているということは、どこまで煩わしいのだろう。そして、なぜそれを求めるのだろう。
「わかった」 『彼女』は意を決したように言う。
「何が?」
「わたしも一緒に死んであげる」
これには僕も少し驚いた。
「本当に?」
「だって……、あなたが死んだら、わたしだって生きていられないもの」 少し沈んだ口調。 「それに二人だったら、淋しくないでしょう?」
それを聞いた瞬間、胸がいっぱいになるのを感じた。ほんの一瞬だけ、目が熱くなる。その綺麗な液体が零れないように、僕は上を向いた。
「ありがとう」 僕の声は震えていた。
『彼女』はきっと微笑んだだろう。
「すぐに行くわ」
「うん」
「行くまで、死んじゃ駄目だからね」
「うん」
「愛してるわ」
「うん、僕も……、愛してる」
「待ってて」
「うん」
そうして、電話が切れた。電子音が鳴り響く。
僕はぼんやりと宙を見つめたまま、受話器を置いて、『彼女』が現れるのを待った。錠剤とワインは暗闇の中、テーブルの上で出番を待ち侘びている。僕はその間、ずっと静寂の音色を聞いていた。
もうすぐこれともお別れ。
ようやくだ。
淋しくはない。だって、『彼女』と一緒なのだから……。
直感。
『彼女』が来た。
僕の手が、錠剤を掴み、口の中に放り込んだ。
間違いなく致死量。不要な確認だ。
それを含んだまま、手がワイングラスを持ち上げる。
傾いた赤い液体を。
僕の口が含み。
僕の喉が飲み干す。
僕の瞼は閉じられ。
僕の身体は重力を忘れる。
『彼女』の温もり。
これだけは、不快ではない。
愛しく。
温かく。
輝いている。
もう、騒音は聞こえない。
あれは、僕の鼓動だったのかもしれない。
「やっとだね」 『彼女』の声がする。
「うん」 僕は頷いた。けれど、頭が動いたかどうかはわからない。
そんなはずはないのに、まるで光に包まれたかのような、安心感。
隣に、『彼女』の感触。
あぁ、やっと……。
この瞬間がやってきたのだ。
苦しくはない。
すべては、あるべき場所へ。
すべては、帰るべき場所へ。
随分と永い間、僕達は居場所を間違えていた。
それがはっきりと、死が近づくにつれてわかる。
僕は微笑みを浮かべていただろう。
だって、『彼女』がそれを浮かべていたのだから。
◇
少女の遺体が発見されたのは、彼女の両親が旅行から帰ってきた朝のこと、マンションのリビングである。薬物による自殺とみられ、鑑識による死亡推定時刻は発見から五時間程前であると発表された。少女が座っていたソファの前のテーブルにはワインのボトルとグラス、薬の残り、それと電話が置かれていたらしい。
「まだ若いってのに、どうしてこんな……」 現場を担当した刑事は舌打ち混じりにそう呟いた。
両親の証言によると、少女には以前、精神病を患っていた経緯があったらしい。しかし、それはとうの昔にリハビリによって改善されていたはずだし、今までの生活でも自殺に走る兆候は見られなかったという。少し内気だったものの、学校にもちゃんと通っていた。いじめられていたという話も聞こえてこない。
不可解な自殺を遂げる者の数は決して少なくない。むしろ、予測できた自殺者のほうが圧倒的に少ないのだ。それが多ければ、それこそ社会問題になるだろうが。
死んだ理由なんか、結局、他人には理解できないだろう。それが肉親や近しい者ならば尚更だ。
刑事は手帳にペンを走らせながら、そう考えた。
しかし、少なくとも、周囲の者達を納得させるような理由だけは必要である。それを確認してやらないと死者が浮かばれない、と思っている人間すらいるのだから。社会全体がそのような傾向にあるといっても過言ではない。刑事である自分の仕事はつまり、その推測のストーリーをできる限り大衆向けにでっち上げることにある。
現場状況で一つだけ、不審な点があった。
電話の履歴に残されていた不可解な番号である。
市外局番も何もない、出鱈目な数字の列。
自殺した少女は、死の直前にこの番号をコールしたのである。
念の為、刑事がこの番号に掛けてみても、もちろん繋がらなかった。無機質な電子音が鳴り響くだけである。
「どこに掛けようとしたんでしょうかね?」 鑑識の一人が首を捻って言った。
それも今となってはもはやわからないだろう。死んだ当事者にだけ意味があったこと。誰と話をしたかったのか、と考えてみれば、あるいはわかるかもしれないが……。
刑事はふと、今回の自殺した少女の顔を思い出した。現場に踏み込み、少女の遺体を目にした時、彼は思わずその死顔に魅入ってしまったのだ。
少女は、微笑みながら死んでいた。
寝顔と形容してもよかっただろう。
まるで、何かから解放されたようなその安らかな笑みは、時々、他の自殺者の顔にも見かける表情であった。
恐らく、世間はそれを認めないだろう。
その感情を。
その欲求を。
その表情を。
純粋すぎるものは、結局忌み嫌われる存在なのだ。
刑事は、搬入されていく少女の死顔をいつまでも眺めていた。いったい、何を見れば、何を悟れば、あんな安らかな笑みを浮かべられるのだろうか。
彼はぼんやりとそれを見送って、そして素早く気持ちを切り替え、自分の仕事に取り掛かった。
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