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作品ID:609
こちらの作品は、「批評希望」で、ジャンルは「一般小説」です。
文字数約10196文字 読了時間約6分 原稿用紙約13枚
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人声
作品紹介
「他人が、自分の事をどう思っているのか」が聞こえるヘッドホン。そんなヘッドホンを着けた高校生の菊田。彼は、人からの「声」が聞こえるが故の苦悩があった。
教室という集団の場は、実に騒がしい。
クラスの連中の声が、ひっきりなしに俺の耳に入ってくる。授業の事で悩む「声」、授業に全く関係の無いことを考えている「声」、そんなどうでもいい「声」が、俺には聞こえてしまう。
「おい、菊田(きくた)。何だ、お前の授業を受ける態度は?何でお前だけ、授業中にヘッドホンなんか着けてるんだ!」
現在は数学の授業の最中である。その担当の教員、新村(にいむら)が俺の事を名指しで注意した。当然、皆の注目は俺に集まる。
『菊田の野郎、また新村のおっさんに注意されてるよ。』
『新村も毎回同じこと聞いてて、飽きのかな?』
『めんどくせえから、外せよ。お前のせいで授業が毎回中断すんだよ。』
『あいつ、何で毎日ヘッドホンしてんの?キモッ。』
五月蝿い。黙ってくれ。頼むから、いっぺんに喋らないでくれ。
「おい、菊田!聞こえてんのか?!聞こえてるなら、その首に下げてるヘッドホンを取れ!!」
偉そうに指示をするな。お前らは、何も分かっちゃいない。
俺は、クラスの全員に聞こえる声で反論する。
「先生、何度も言ってますがこれ、外れないんです。」
『始まったよ、菊田のわがまま。お洒落だと思ってんのか?ダセえんだよ!』
『何が外れねえだよ、あいつ本当馬鹿だよな。』
理不尽だ。頭だけが痛くなる。
クラスの連中の「声」は、俺に届くのに、俺の声は誰にも届かない。
「お前に時間を割いても、無駄のようだな。次は外してこいよ。」
そう言って、新村は授業を再開する。
連中の声は、飽きることなく俺の頭痛の種になる。
俺は、四六時中ヘッドホンを首から下げてる。勿論、お洒落とか目立とうとか、そういう意味をもってやっている訳ではない。正確に言ってしまうなら、“そうせざるを得ない”のだ。
未だに誰にも信じてもらえていないが、このヘッドホン、本当に外れないのだ。クビから離そうと、引っ張っても、頭の上から取ろうと持ち上げても取れないのだ。唯一、耳の所に当てることは出来るが、それ以外はびくともしない。最悪のヘッドホンだ。
その上、このヘッドホンには奇妙な機能が備わっている。形としてはシンプルな形をしているのだが、最新の物なのか、ワイヤレスのタイプになっている。それなのに、普通の音楽プレイヤーとの連動が出来ない。それだから、曲を聞くことが出来ないのだ。まさに無意味なヘッドホンである。
しかし、このヘッドホンから唯一聞ける音がある。それが人の「声」だ。それは、普段聞こえる人が話す声ではなく、“他人(ひと)が自分の事をどう思っているか”という声なのだ。当然、それは心の声とも言える。だから、俺は授業中に注目を浴びることが嫌なのだ。注目を浴びれば、必然的に他人は俺の事を考える。その「声」が、俺に聞こえてしまうのだ。はっきり言って、迷惑だ。
新村の数学の授業も終わり、今日の授業は全て終了した。
学校は俺にとって、最も耳障りな場だ。外と違って、クラスメートといういらない枠組みをもったせいか、赤の他人であっても、たまにクラスの誰かを見てその人の事を考えてしまう。俺にとってそれは、ただの頭痛の種でしかない。
「菊田、お前今日も新村に怒られたな。まあ気にすんなよ!」
友人を名乗る有川(ありかわ)が励ましに来てくれた。彼の口にする声だけを聞いているなら、俺達はもっと友好な関係を保てていたのだろう。けれど、俺には有川の「声」までもが聞こえてしまう。
『いい加減、こっちも迷惑だからさ、そろそろそのヘッドホン外してくんないかな?何が良いんだよ、そんなヘッドホンがよ。』
俺は有川の事を、このヘッドホンを着けてから友人と言ったことがない。
人間の関係は、実に脆いものなんだ。相手の顔色や、態度を取り繕って慎重に、慎重に関係を保っている。それを橋渡しする一つが、言葉だ。口が達者な奴は、友人と言える存在が多数存在しているように見える。俺に言わせれば、見えるだけだ。もしも、その友人とやらが自分をどう思っているのか、その「声」を聞いて尚友人でいられるなら、それは本当の友人だ。けれど、そんなこと無理だ。他人が自分の事をどう思っているのか知りたいという奴がいるが、俺に言わせれば自殺行為だ。何故、わざわざ知る必要のない所を知りたいと思うのか。知って傷付くのは自分だというのに。
俺は適当に有川に挨拶をして、教室を出た。
昇降口には部活が休みの連中、元より部活に所属していない連中がたむろしている。俺はヘッドホンを耳に当て、誰とも会話をせずに校舎を後にした。
耳に当てると、声が収まる。別に、聞こえなくなった訳ではない。寧ろ鮮明に聞こえる。
俺は目の前を歩く女の子に、目線を集中する。普通に考えれば危険な男子高校生かも知れない。けれど、こうすることで俺の頭痛は格段に和らぐのだ。
俺のヘッドホンは、首に下げてる時には、不特定多数の「声」が聞こえる。ただそれは、俺に向けられた「声」だけが聞こえる。だから、目立たず大人しくしていれば何の問題も生まれない。
一方で、耳に当てた時に聞こえる「声」は、特定の一人の「声」となる。だから、騒がしくなく、頭を抱える必要も無くなるのだ。しかし、その状態で聞こえる「声」は、その人が考えている事全てになってしまう。もし仮に、俺がヘッドホンを耳に当てた状態で、ある人に意識を集中している時、その人が余りにも独り言、考え事が多い人だと、首に下げてる状態よりも頭がおかしくなる。だから、どの人に意識を向けるかが、この時には重要になってくる。
俺の前を歩く彼女は、俺の事に気付いていない。その為、聞こえるのは今日の今後の予定位だ。プライバシーに関する事も時々聞こえてしまうが、それは聞かなかった事にする。そういうことも、最近ではすっかり慣れてしまった。
俺と有川が友人だった頃、俺の人生は楽しかった。有川以外にも沢山の友人がいたし、色んな奴と馬鹿みたいな話題で盛り上がったり、色恋の話で男友達騒いだりもした。
けれど、そんな俺の普通の生活は、ある日突然終わりを迎えた。
ある日のこと、放課後用事があった俺は、皆を先に帰らしていた為一人で帰ることになった。誰もいない教室で帰りの支度をするのは、あの時は凄く寂しかった。
授業が終わってから随分時間が経っていた為、帰路に着く人は俺以外には見当たらない。聞こえてくるのは、部活動の声のみである。俺は只、無心でいつもの道を帰った。
俺の通学手段は、徒歩と電車である。電車を使うと言っても一時間も乗っているわけではなく、直ぐに着く距離である。ここら一帯は学校の数も多く、色んな制服の学生を見ることでも有名である。しかし、この日は学生にも街の人にもすれ違わなかった。
学校と駅の丁度中間地点、俺は毎日通る、寂れた店が並ぶ道を歩く。何も考えずに歩いていたのに、ふととある店に目が止まった。
「こんな所に、店なんかあったか?」
看板に、“骨董品店”とだけ書かれている。初めて見る店だ。そのまま素通りすれば、良かったのに何故か俺は、店の中に入っていった。
カランコロン…。
ドアベルが店内に響き渡る。店を軽く見渡すと、様々な商品らしきものが無造作に陳列してあった。
「いらっしゃい。」
照明の暗い店内の奥から、一人の背の高い男性が現れた。一目見てだけで、普通の人ではないと感じた。
長い金髪の髪を後ろで結わき、季節外れの黒のロングコートを羽織っている。しかも、しっかりと帽子までも被っている。見た目だけでも、かなりの強い印象が残っている。極めつけは、焔の様な真っ赤な瞳だ。その瞳に、恐怖心さえ抱いていた。
「どうぞ、御ゆっくり見ていって下さい。」
瞳とは対称に、とても冷たい声。気味が悪くて仕方がない。けれども、店内に並ぶ品物に興味を持ち始めていたことは、否めない。俺は、言われた通り、適当に店内を歩き回った。
骨董品店と看板を掲げているのだから、もっと宝石や民族的な品があるのかと思ったが、どちらかというと普段目にするような品が置かれていた。まるで、少し規模のあるフリーマーケットだ。
俺が気になった物を、手にしようとした時だった。
「それは、とても危険な刃物ですよ。」
いきなり背後から、先程の不気味な男が話し掛けてきたのだ。余りの驚きに、伸ばしていた手を引っ込めた。
「確か、昔々とある罪人が国を滅ぼす為に使った物ですよ。」
何でそんな危険な物があるんだ。昔々とは、いつの話だ。
気になることは、幾つかあったが、不思議と魅力的な刃物だ。刃物と言っても、ダガーの様な小刀である。鞘らしきものは、布で作られており、柄は植物の蔓のような装飾が施されている。手に取ってじっくりと見てみたいが、先程の説明で怖くなり迂闊に触れない。
他にも、様々な商品がある。瓶に入ったお酒の様なもの。真っ黒な傘。そして、フィルム式の一眼レフカメラまでこの店には並べられている。
俺は、店の奥のカウンターの前に立っていた。そこからは、カウンターの向こうの壁に飾られている、色も形も全て異なるお面が見えた。その真ん中だけ、丁度小さいお面が在ったであろう、面影が見える。不思議に思った俺は、男に尋ねた。
「あそこの真ん中、何かお面があったんですか?」
背後で黙って立っていた男は、相変わらず冷たい声で答えた。
「ああ、あそこですか。あそこにも、お面があったんですよ。丁度、的屋で売ってる“ヒーロー”物のお面です。」
そんな物まであったのか。素直に驚く自分がいた。
「何ヵ月か前に、ここに来た彼に渡したんですよ。恐らく、今でも使ってるんじゃないでしょうかね。」
子供にでも渡したのだろうか、そんな疑問が頭に浮かんだ。
自身の腕時計を見ると、そろそろ家に帰らねばならない時間になっていた。思っていたよりも、この店で油を売っていたことになる。
俺は慌てて店を出ようとした。しかし、扉を開こうとした時、
「お客さん、お土産にこれをどうぞ。」
そう言われて振り向くと、男はヘッドホンを俺に差し出していた。
「いや、悪いですよ。只店を見てただけなのに…。」
「いや、私の気持ちですから。是非受け取って下さい。」
そう言われ、仕方なくそれを受け取った。
「貴方の“聞きたい音”が、それから聞こえますよ。」
そう言われると、不思議とこのヘッドホンに、魅力を感じてしまっている自分がいた。俺の“聞きたい音”か。
俺は、男にお礼を言って店を出た。
駅のホームで電車を待っていた。電車の到着まで少し時間がある。俺は鞄から貰ったヘッドホンを取り出し、興味本意で耳に着けた。しかし、何も聞こえない。寧ろ、周りの音が一切聞こえなくなってしまった。
「何だよこれ…。壊れてんのか?」
そう思い、ヘッドホンを外そうとする。しかし、上に持ち上げてもびくともしない。
「はっ?何だよこれ!何で外れねえんだよ!!」
いくら力を出して、上に持ち上げても、やはり外れない。流石の俺も焦りを感じる。
「ふざけんな!外れろよ!!」
周りで電車を待ってる他人にも、俺の声は聞こえているのだろう、白い目で見られている。
俺は上に持ち上げるのを止めて、下に下ろしてみた。すると、さっきまで動かなかったヘッドホンが嘘のように首に掛かった。
「何だこれ…?」
しかし、ヘッドホンを首に下げた瞬間から凄まじい数の「声」が、耳に入ってきた。
『騒がしい高校生だな。大人しく出来ないのか?』
『何あいつ、ヘッドホンも外せないの?』
『この時間に駅にいるってことは、部活生か?』
こんなものではない、聞き取れない程の「声」が頭に響く。余りの騒がしさに、呻き声さえあげしまった。
「あっあっ…、あああ!!!」
耳を塞ぐ。それでも、「声」は鳴り止まない。寧ろ、声をあげたせいで、余計に注目を浴びてしまった。
『五月蝿いガキだな!静かに待てないのか?!』
『やだやだ、ああいう人苦手…。』
『随分顔色悪いけど、あの高校生大丈夫か?』
五月蝿い!五月蝿い!五月蝿い!!
どうしようもない。直接聞こえる「声」の嵐は、俺の頭を酷く痛め付けた。
「痛い…、痛い…。頼むから、黙ってくれ…。」
声をあげる気力が失せた為か、耳を塞いでうずくまり、小さく嘆くことしか出来なかった。
「一番線に〇〇線、普通電車△△行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側まで御下がり下さい。」
列車到着のお知らせが、聞こえる。
電車の中だ。中に入れば、この声は収まる。
そう考えていた。どんなに塞いでも聞こえてくる「声」に、理性を失いかけていた。
しかし、それよりも強く大きな声が俺を狂わした。
電車が左手から、速度を緩めてホームに入ってくる。いつも最後尾の車両に乗る為、俺の前を電車が過ぎる速度は、それなりにある。その為だろうか、俺の前に立っていたOLさんが靴を脱ぎ出した。手荷物の鞄は、靴の隣に置かれている。
俺は即座に勘付いた。しかし、俺が何かをする暇も無く、彼女はホームに下に身を投げ出した。それに気付く周囲の他人(ひと)。「声」にも勝る悲鳴が飛び交う。
電車は、つんざくブレーキを出しながら、彼女との距離をゼロにした。
『やっと死ねるんだ…。皆さん、御迷惑をかけてすいません…。』
か細い「声」が聞こえる。次の瞬間。
『痛い!痛い!!嫌だ!痛い!!!誰か、助けて!!!!』
張り裂ける音量の「声」が、俺を貫いた。
彼女の最後の悲鳴を聞いた人間は、俺だけだ。その悲鳴の苦しさに、俺はその場で意識を失った。
今日の時間割りには、数学が無い。という事は、俺が注目を浴びる事が無いのだ。
未だに俺のヘッドホンを注意するのは、数学の教員新村くらいだ。他の先生は、既に諦めている。
授業中はヘッドホンを耳にしている。その為、聞きたくもない「声」は、自然とは入って来ない。寧ろこの状態は、一人の女子に意識を向けている。その人物は、右斜めに座っている、白井(しらい)という女子だ。不思議なことに、彼女からは今まで一度も「声」を聞いたことが無い。以前不思議に思い、
「白井、普段お前って、何考えてる?」
と、訳の分からない質問を投げ掛けた事がある。そんな質問に、彼女はしっかりと答えてくれた。
「何も。何も考えてないよ?」
その言葉に、自身が困惑してしまった。白井の「声」が聞こえない謎を探求しようとしたのに、余計に謎が増えてしまった。
すると、突然白井の方から俺に質問をしてきた。
「菊田君てさ、何かを考えて生活してるの?例えば誰かの事とかさ?」
質問の意図が見えない。何故なら、答えが決まっているからだ。
「普通の人は、そうなんじゃないのか…?白井は違うのか?」
キョトンとした顔で質問に答え、その顔のまま質問をする。
「何で私が人の事を、考えなくちゃいけないの?」
その答えに、彼女の本性が見えた気がした。
「クラスメートって言っても、所詮は他人の集まりでしょ?そんな人達の事を考えてる必要なんて、どこにも無いと思わない?」
そうか、彼女は、
「私はね、自分が生きられればそれでいいの。それ以外に不必要な事は考えてないだけだよ?それがどうかしたの?」
まるで人の事を考えてはないのだ。だから、俺が意識を白井に向けても「声」が一切聞こえないのだ。
それは、俺にとって最高の逃げ場となるが、冷静に考えれば余りにも、人に無関心過ぎる。
「聞きたいことは、それだけ?無いなら私は帰るね、じゃあね。」
彼女と話したのは、その時が初めてだった。
本当なら、学校には来たくない。勉強なら家で出来る。人との関係なんて、今の俺には必要無い。寧ろ、御免だ。
それでも、行かなければならないから、毎日が憂鬱だ。こんなことなら、高校に進学しなければ良かったとさえ思えてしまう。
俺は、いつも一番にクラスに到着する。変に人がいる時にクラスに入ると、目線がこちらを向き、「声」が聞こえてしまうからだ。
自分の席に座ろうと、他の奴の机の間を通り抜ける。そこで、気になるものを見付けた。米田さんの机だ。椅子が無い。普通に考えれば不自然でしかない。けれども、米田さんのところにだけ、椅子が無くなっているのだ。昨日はあったはずだ。ちゃんと登校もしていたし、授業も受けていた。
少し考えれば、分かる話だ。誰かが米田さんの椅子を取り除いたのだ。恐らくは、皆が帰った放課後だろう。はっきり言って下らない。そんな事をして、何が楽しいのだろうか。俺には理解出来ない。
クラスを見渡しても、米田さんの椅子は見当たらない。そんな事をしていると、他の奴が続々と登校してきた。俺は仕方なく、黙って席に着いて大人しくしていた。
朝のホームルームにて、米田さんは担任に椅子が無いことを告げた。
今日は数学がある日である。友人を名乗る有川は、
「何、気にするな!」
『今日もかよ、めんどくせえな…。』
と、声と「声」をわさわざ聞かせてくれた。
頼むから、俺の前から失せてくれ。
数学の授業中、この前と同じ事が行われる。俺も同じ事を言う。そうするとやはり、「声」が聞こえる。
しかし、今日に限っては少し少なく思えた。勿論、有川の「声」はしっかりと俺に届いている。
頼むから、友人を名乗るのだけは止めてくれ。
いつも聞こえる奴の「声」が聞こえない。不思議に思った俺は、注意されたその場でヘッドホンを耳に当てた。
当然、新村は再び俺に指導を始める。
残念だが、お前に意識は向けていない。
俺が意識を向けたのは、常に香水の臭いを振り撒く一人の女だ。俺が見ても分かるが、あいつはクラスの女子の派閥の頭だと自負している。あいつを本当に頭だと思っているのかは、他の女子の「声」を聞けば直ぐに分かる。
『米田の野郎、担任に言いやがったな。あいつは椅子が無(ね)え位が、お似合いなんだよ!』
随分と口の悪い女だ。見た目通り過ぎて、笑えてくる。
しかし、米田さんも大変だな。女子同士のいざこざはめんどうだと聞くが、その標的が米田さんだとは。
俺は、聞かなくても良いこと聞いてしまったのだと、後悔した。
数日の間、俺は米田さんと女子のグループとの関係を傍観していた。どうやら、あまり友好的だとは言えない。
そんな風に女子を見ているものだから、
「どうした菊田?お前もクラスの女子の魅力に気付いたか?」
『誰が好みなんだよ?俺と被ってたら承知しねぞ!』
頼む、有川。俺はもう、お前を友人とは言えないんだ。
香水女の「声」や、それにつるむ女子の「声」を聞いたり、実際に見ていくなかで、米田さんが、実に酷いことをやられていることが分かった。靴を隠されるのは当然の如く。ノートや教科書、身の回りの物が毎日隠されているのだ。その事を、当然クラスの連中も知っている。俺が目で見て気付いた事もあるのだから。
下らなすぎる。
昼休み。俺は毎日一人で飯を食べる。その為、昼休みが始まると黙って教室を出ている。
しかし、その日はそれよりも先に、米田さんが教室を出ようとしていた。どこか急ぎ足でポーチを持って出ようとする。
それに気付いた香水女のグループが、たまたまか知らないが、教室の入り口にたむろっていた為、教室を出ようとした米田さんの足を自身の足を引っ掻けて転ばした。
米田さんは、漫画みたいな転び方をする。持っていたポーチは手から離れ、それを香水女が拾い上げる。
「やだー、米田ちゃんそんなに急いでどうしたの?」
わざとらしくポーチを開ける。
「あらっ!米田ちゃん今日生理なの?だから、さっきの時間変な臭いがしてたのか!」
そう言うと、香水女とそのグループが声で笑い出す。
それに釣られて、クラスの他の奴もざわめき出す。
その状況に耐えられなくなったのか、米田さんは顔を真っ赤にして小さく呟いた。
「死にたい…。」
『死にたい…。』
その声を聞いた瞬間に、俺は怒鳴り出していた。
「ふざけんじゃねぇ!!!!」
予想だにしない俺の発する爆音に、クラスの連中は驚いている。当然、米田さんも、香水女も。
そして、注目を浴びたからには、「声」の嵐が始まる。
『えっ?何?どうしたの菊田くん?』
『うるせえな、いきなり騒ぐんじゃねえよ!』
そんな連中の声を上書きするように、俺は叫んだ。
「そんな、簡単に死にたいとか、言うんじゃねぇ!!!」
自分の事を言われていることに気付き、米田さんははっとしている。
「いいか?!人ってのはな、簡単に死ねる生き物なんだよ!!それを分かって言ってんのか?!お前らは聞いたことあんのか?!人が死ぬときの声を!とてつもない悲鳴を!無ぇだろ!!そうだよな、聞こえねぇもんな!少しはな、その声が聞こえる、こっちの身にもなれよ!俺はな、二度とあんな苦しそうな声は聞きたくねぇんだよ!!!」
クラスの連中は、何を言っているのかさっぱりという顔をしている。当人の米田さんは、話が通じたのか涙を浮かべている。
「それとお前もだよ!香水女!!」
クラスの視線は、自然と香水女の方に向く。どうやら、連中もそう思っているようだ。
「彼女にこんな事を言わせた重大さが、分かってんのか!?お前は、一人の人間を死にたいと言わせたんだぞ?!その重大さが分かってんのか?!!」
視線を向けられてか、俺の叫び声に怯えてか分からないが、下を向いた。
「傍観者ぶってる、お前らもだよ!!」
その言葉に、クラスの連中はびくりと反応する。もう一度、視線は俺に向く。
「何故、彼女を助けなかった?!こんな事になってるのは、分かってたんだろ!!なぁ?!」
『だって、助けてって言ってなかったし…。』
「お前らは、助けてと言った人しか助けねぇのか?!助けてと言われて、助けられなかった人の気持ちが分からねぇのか?!!どう見ても、助けてくれのサインはあっただろ!!お前らは、確かに“聞くこと”は出来ないかもしれないけど、“見ること”くらいは出来てただろ!!!」
誰一人、口を開こうとしない。聞こえるのは、俺に向けられた「声」である罵声と野次。そして、米田さんの泣き声。
そんな最中、一人の女子がクラスを出ようとしていた。白井だ。こんな状況なのに、やはり彼女の声だけは聞こえない。
「白井、それでもお前は人を気にしないというのか…?」
彼女の答えは、簡単だった。
「誰が死のうが、私が死なないなら関係が無いもん。興味が無いわ。」
そう言って、クラスを出ていった。
暫くすると、何人かの先生がこの教室に集まり出した。隣のクラスの奴が職員室に言いに行ったらしい。
俺と、米田さん、そして香水女の三人は職員室に連れていかれた。
その翌日から、クラスの奴の俺への態度が急激に変わった。もはや俺は逃げ場を無くした、哀れな奴だ。
『正義のヒーロー気取りか?』
『菊田君っていつも険しい顔してるよね』
『あいつさえいなけりゃ、まともに授業受けられんのに』
『何であいつ学校来れるん?昨日の今日だぜ?』
『帰れよ』
『菊田君怖い』
『菊田も馬鹿だよな、何であんな事を、しかもあんなでかい声で叫んだんだよ。マジで訳わかんねぇ。』
うるさいうるさいうるさい。
鳴り止まない「声」たちが俺の頭を駆け巡る。
「頼むから、黙ってくれ。」
クラスの連中の声が、ひっきりなしに俺の耳に入ってくる。授業の事で悩む「声」、授業に全く関係の無いことを考えている「声」、そんなどうでもいい「声」が、俺には聞こえてしまう。
「おい、菊田(きくた)。何だ、お前の授業を受ける態度は?何でお前だけ、授業中にヘッドホンなんか着けてるんだ!」
現在は数学の授業の最中である。その担当の教員、新村(にいむら)が俺の事を名指しで注意した。当然、皆の注目は俺に集まる。
『菊田の野郎、また新村のおっさんに注意されてるよ。』
『新村も毎回同じこと聞いてて、飽きのかな?』
『めんどくせえから、外せよ。お前のせいで授業が毎回中断すんだよ。』
『あいつ、何で毎日ヘッドホンしてんの?キモッ。』
五月蝿い。黙ってくれ。頼むから、いっぺんに喋らないでくれ。
「おい、菊田!聞こえてんのか?!聞こえてるなら、その首に下げてるヘッドホンを取れ!!」
偉そうに指示をするな。お前らは、何も分かっちゃいない。
俺は、クラスの全員に聞こえる声で反論する。
「先生、何度も言ってますがこれ、外れないんです。」
『始まったよ、菊田のわがまま。お洒落だと思ってんのか?ダセえんだよ!』
『何が外れねえだよ、あいつ本当馬鹿だよな。』
理不尽だ。頭だけが痛くなる。
クラスの連中の「声」は、俺に届くのに、俺の声は誰にも届かない。
「お前に時間を割いても、無駄のようだな。次は外してこいよ。」
そう言って、新村は授業を再開する。
連中の声は、飽きることなく俺の頭痛の種になる。
俺は、四六時中ヘッドホンを首から下げてる。勿論、お洒落とか目立とうとか、そういう意味をもってやっている訳ではない。正確に言ってしまうなら、“そうせざるを得ない”のだ。
未だに誰にも信じてもらえていないが、このヘッドホン、本当に外れないのだ。クビから離そうと、引っ張っても、頭の上から取ろうと持ち上げても取れないのだ。唯一、耳の所に当てることは出来るが、それ以外はびくともしない。最悪のヘッドホンだ。
その上、このヘッドホンには奇妙な機能が備わっている。形としてはシンプルな形をしているのだが、最新の物なのか、ワイヤレスのタイプになっている。それなのに、普通の音楽プレイヤーとの連動が出来ない。それだから、曲を聞くことが出来ないのだ。まさに無意味なヘッドホンである。
しかし、このヘッドホンから唯一聞ける音がある。それが人の「声」だ。それは、普段聞こえる人が話す声ではなく、“他人(ひと)が自分の事をどう思っているか”という声なのだ。当然、それは心の声とも言える。だから、俺は授業中に注目を浴びることが嫌なのだ。注目を浴びれば、必然的に他人は俺の事を考える。その「声」が、俺に聞こえてしまうのだ。はっきり言って、迷惑だ。
新村の数学の授業も終わり、今日の授業は全て終了した。
学校は俺にとって、最も耳障りな場だ。外と違って、クラスメートといういらない枠組みをもったせいか、赤の他人であっても、たまにクラスの誰かを見てその人の事を考えてしまう。俺にとってそれは、ただの頭痛の種でしかない。
「菊田、お前今日も新村に怒られたな。まあ気にすんなよ!」
友人を名乗る有川(ありかわ)が励ましに来てくれた。彼の口にする声だけを聞いているなら、俺達はもっと友好な関係を保てていたのだろう。けれど、俺には有川の「声」までもが聞こえてしまう。
『いい加減、こっちも迷惑だからさ、そろそろそのヘッドホン外してくんないかな?何が良いんだよ、そんなヘッドホンがよ。』
俺は有川の事を、このヘッドホンを着けてから友人と言ったことがない。
人間の関係は、実に脆いものなんだ。相手の顔色や、態度を取り繕って慎重に、慎重に関係を保っている。それを橋渡しする一つが、言葉だ。口が達者な奴は、友人と言える存在が多数存在しているように見える。俺に言わせれば、見えるだけだ。もしも、その友人とやらが自分をどう思っているのか、その「声」を聞いて尚友人でいられるなら、それは本当の友人だ。けれど、そんなこと無理だ。他人が自分の事をどう思っているのか知りたいという奴がいるが、俺に言わせれば自殺行為だ。何故、わざわざ知る必要のない所を知りたいと思うのか。知って傷付くのは自分だというのに。
俺は適当に有川に挨拶をして、教室を出た。
昇降口には部活が休みの連中、元より部活に所属していない連中がたむろしている。俺はヘッドホンを耳に当て、誰とも会話をせずに校舎を後にした。
耳に当てると、声が収まる。別に、聞こえなくなった訳ではない。寧ろ鮮明に聞こえる。
俺は目の前を歩く女の子に、目線を集中する。普通に考えれば危険な男子高校生かも知れない。けれど、こうすることで俺の頭痛は格段に和らぐのだ。
俺のヘッドホンは、首に下げてる時には、不特定多数の「声」が聞こえる。ただそれは、俺に向けられた「声」だけが聞こえる。だから、目立たず大人しくしていれば何の問題も生まれない。
一方で、耳に当てた時に聞こえる「声」は、特定の一人の「声」となる。だから、騒がしくなく、頭を抱える必要も無くなるのだ。しかし、その状態で聞こえる「声」は、その人が考えている事全てになってしまう。もし仮に、俺がヘッドホンを耳に当てた状態で、ある人に意識を集中している時、その人が余りにも独り言、考え事が多い人だと、首に下げてる状態よりも頭がおかしくなる。だから、どの人に意識を向けるかが、この時には重要になってくる。
俺の前を歩く彼女は、俺の事に気付いていない。その為、聞こえるのは今日の今後の予定位だ。プライバシーに関する事も時々聞こえてしまうが、それは聞かなかった事にする。そういうことも、最近ではすっかり慣れてしまった。
俺と有川が友人だった頃、俺の人生は楽しかった。有川以外にも沢山の友人がいたし、色んな奴と馬鹿みたいな話題で盛り上がったり、色恋の話で男友達騒いだりもした。
けれど、そんな俺の普通の生活は、ある日突然終わりを迎えた。
ある日のこと、放課後用事があった俺は、皆を先に帰らしていた為一人で帰ることになった。誰もいない教室で帰りの支度をするのは、あの時は凄く寂しかった。
授業が終わってから随分時間が経っていた為、帰路に着く人は俺以外には見当たらない。聞こえてくるのは、部活動の声のみである。俺は只、無心でいつもの道を帰った。
俺の通学手段は、徒歩と電車である。電車を使うと言っても一時間も乗っているわけではなく、直ぐに着く距離である。ここら一帯は学校の数も多く、色んな制服の学生を見ることでも有名である。しかし、この日は学生にも街の人にもすれ違わなかった。
学校と駅の丁度中間地点、俺は毎日通る、寂れた店が並ぶ道を歩く。何も考えずに歩いていたのに、ふととある店に目が止まった。
「こんな所に、店なんかあったか?」
看板に、“骨董品店”とだけ書かれている。初めて見る店だ。そのまま素通りすれば、良かったのに何故か俺は、店の中に入っていった。
カランコロン…。
ドアベルが店内に響き渡る。店を軽く見渡すと、様々な商品らしきものが無造作に陳列してあった。
「いらっしゃい。」
照明の暗い店内の奥から、一人の背の高い男性が現れた。一目見てだけで、普通の人ではないと感じた。
長い金髪の髪を後ろで結わき、季節外れの黒のロングコートを羽織っている。しかも、しっかりと帽子までも被っている。見た目だけでも、かなりの強い印象が残っている。極めつけは、焔の様な真っ赤な瞳だ。その瞳に、恐怖心さえ抱いていた。
「どうぞ、御ゆっくり見ていって下さい。」
瞳とは対称に、とても冷たい声。気味が悪くて仕方がない。けれども、店内に並ぶ品物に興味を持ち始めていたことは、否めない。俺は、言われた通り、適当に店内を歩き回った。
骨董品店と看板を掲げているのだから、もっと宝石や民族的な品があるのかと思ったが、どちらかというと普段目にするような品が置かれていた。まるで、少し規模のあるフリーマーケットだ。
俺が気になった物を、手にしようとした時だった。
「それは、とても危険な刃物ですよ。」
いきなり背後から、先程の不気味な男が話し掛けてきたのだ。余りの驚きに、伸ばしていた手を引っ込めた。
「確か、昔々とある罪人が国を滅ぼす為に使った物ですよ。」
何でそんな危険な物があるんだ。昔々とは、いつの話だ。
気になることは、幾つかあったが、不思議と魅力的な刃物だ。刃物と言っても、ダガーの様な小刀である。鞘らしきものは、布で作られており、柄は植物の蔓のような装飾が施されている。手に取ってじっくりと見てみたいが、先程の説明で怖くなり迂闊に触れない。
他にも、様々な商品がある。瓶に入ったお酒の様なもの。真っ黒な傘。そして、フィルム式の一眼レフカメラまでこの店には並べられている。
俺は、店の奥のカウンターの前に立っていた。そこからは、カウンターの向こうの壁に飾られている、色も形も全て異なるお面が見えた。その真ん中だけ、丁度小さいお面が在ったであろう、面影が見える。不思議に思った俺は、男に尋ねた。
「あそこの真ん中、何かお面があったんですか?」
背後で黙って立っていた男は、相変わらず冷たい声で答えた。
「ああ、あそこですか。あそこにも、お面があったんですよ。丁度、的屋で売ってる“ヒーロー”物のお面です。」
そんな物まであったのか。素直に驚く自分がいた。
「何ヵ月か前に、ここに来た彼に渡したんですよ。恐らく、今でも使ってるんじゃないでしょうかね。」
子供にでも渡したのだろうか、そんな疑問が頭に浮かんだ。
自身の腕時計を見ると、そろそろ家に帰らねばならない時間になっていた。思っていたよりも、この店で油を売っていたことになる。
俺は慌てて店を出ようとした。しかし、扉を開こうとした時、
「お客さん、お土産にこれをどうぞ。」
そう言われて振り向くと、男はヘッドホンを俺に差し出していた。
「いや、悪いですよ。只店を見てただけなのに…。」
「いや、私の気持ちですから。是非受け取って下さい。」
そう言われ、仕方なくそれを受け取った。
「貴方の“聞きたい音”が、それから聞こえますよ。」
そう言われると、不思議とこのヘッドホンに、魅力を感じてしまっている自分がいた。俺の“聞きたい音”か。
俺は、男にお礼を言って店を出た。
駅のホームで電車を待っていた。電車の到着まで少し時間がある。俺は鞄から貰ったヘッドホンを取り出し、興味本意で耳に着けた。しかし、何も聞こえない。寧ろ、周りの音が一切聞こえなくなってしまった。
「何だよこれ…。壊れてんのか?」
そう思い、ヘッドホンを外そうとする。しかし、上に持ち上げてもびくともしない。
「はっ?何だよこれ!何で外れねえんだよ!!」
いくら力を出して、上に持ち上げても、やはり外れない。流石の俺も焦りを感じる。
「ふざけんな!外れろよ!!」
周りで電車を待ってる他人にも、俺の声は聞こえているのだろう、白い目で見られている。
俺は上に持ち上げるのを止めて、下に下ろしてみた。すると、さっきまで動かなかったヘッドホンが嘘のように首に掛かった。
「何だこれ…?」
しかし、ヘッドホンを首に下げた瞬間から凄まじい数の「声」が、耳に入ってきた。
『騒がしい高校生だな。大人しく出来ないのか?』
『何あいつ、ヘッドホンも外せないの?』
『この時間に駅にいるってことは、部活生か?』
こんなものではない、聞き取れない程の「声」が頭に響く。余りの騒がしさに、呻き声さえあげしまった。
「あっあっ…、あああ!!!」
耳を塞ぐ。それでも、「声」は鳴り止まない。寧ろ、声をあげたせいで、余計に注目を浴びてしまった。
『五月蝿いガキだな!静かに待てないのか?!』
『やだやだ、ああいう人苦手…。』
『随分顔色悪いけど、あの高校生大丈夫か?』
五月蝿い!五月蝿い!五月蝿い!!
どうしようもない。直接聞こえる「声」の嵐は、俺の頭を酷く痛め付けた。
「痛い…、痛い…。頼むから、黙ってくれ…。」
声をあげる気力が失せた為か、耳を塞いでうずくまり、小さく嘆くことしか出来なかった。
「一番線に〇〇線、普通電車△△行きが参ります。危ないですから、黄色い線の内側まで御下がり下さい。」
列車到着のお知らせが、聞こえる。
電車の中だ。中に入れば、この声は収まる。
そう考えていた。どんなに塞いでも聞こえてくる「声」に、理性を失いかけていた。
しかし、それよりも強く大きな声が俺を狂わした。
電車が左手から、速度を緩めてホームに入ってくる。いつも最後尾の車両に乗る為、俺の前を電車が過ぎる速度は、それなりにある。その為だろうか、俺の前に立っていたOLさんが靴を脱ぎ出した。手荷物の鞄は、靴の隣に置かれている。
俺は即座に勘付いた。しかし、俺が何かをする暇も無く、彼女はホームに下に身を投げ出した。それに気付く周囲の他人(ひと)。「声」にも勝る悲鳴が飛び交う。
電車は、つんざくブレーキを出しながら、彼女との距離をゼロにした。
『やっと死ねるんだ…。皆さん、御迷惑をかけてすいません…。』
か細い「声」が聞こえる。次の瞬間。
『痛い!痛い!!嫌だ!痛い!!!誰か、助けて!!!!』
張り裂ける音量の「声」が、俺を貫いた。
彼女の最後の悲鳴を聞いた人間は、俺だけだ。その悲鳴の苦しさに、俺はその場で意識を失った。
今日の時間割りには、数学が無い。という事は、俺が注目を浴びる事が無いのだ。
未だに俺のヘッドホンを注意するのは、数学の教員新村くらいだ。他の先生は、既に諦めている。
授業中はヘッドホンを耳にしている。その為、聞きたくもない「声」は、自然とは入って来ない。寧ろこの状態は、一人の女子に意識を向けている。その人物は、右斜めに座っている、白井(しらい)という女子だ。不思議なことに、彼女からは今まで一度も「声」を聞いたことが無い。以前不思議に思い、
「白井、普段お前って、何考えてる?」
と、訳の分からない質問を投げ掛けた事がある。そんな質問に、彼女はしっかりと答えてくれた。
「何も。何も考えてないよ?」
その言葉に、自身が困惑してしまった。白井の「声」が聞こえない謎を探求しようとしたのに、余計に謎が増えてしまった。
すると、突然白井の方から俺に質問をしてきた。
「菊田君てさ、何かを考えて生活してるの?例えば誰かの事とかさ?」
質問の意図が見えない。何故なら、答えが決まっているからだ。
「普通の人は、そうなんじゃないのか…?白井は違うのか?」
キョトンとした顔で質問に答え、その顔のまま質問をする。
「何で私が人の事を、考えなくちゃいけないの?」
その答えに、彼女の本性が見えた気がした。
「クラスメートって言っても、所詮は他人の集まりでしょ?そんな人達の事を考えてる必要なんて、どこにも無いと思わない?」
そうか、彼女は、
「私はね、自分が生きられればそれでいいの。それ以外に不必要な事は考えてないだけだよ?それがどうかしたの?」
まるで人の事を考えてはないのだ。だから、俺が意識を白井に向けても「声」が一切聞こえないのだ。
それは、俺にとって最高の逃げ場となるが、冷静に考えれば余りにも、人に無関心過ぎる。
「聞きたいことは、それだけ?無いなら私は帰るね、じゃあね。」
彼女と話したのは、その時が初めてだった。
本当なら、学校には来たくない。勉強なら家で出来る。人との関係なんて、今の俺には必要無い。寧ろ、御免だ。
それでも、行かなければならないから、毎日が憂鬱だ。こんなことなら、高校に進学しなければ良かったとさえ思えてしまう。
俺は、いつも一番にクラスに到着する。変に人がいる時にクラスに入ると、目線がこちらを向き、「声」が聞こえてしまうからだ。
自分の席に座ろうと、他の奴の机の間を通り抜ける。そこで、気になるものを見付けた。米田さんの机だ。椅子が無い。普通に考えれば不自然でしかない。けれども、米田さんのところにだけ、椅子が無くなっているのだ。昨日はあったはずだ。ちゃんと登校もしていたし、授業も受けていた。
少し考えれば、分かる話だ。誰かが米田さんの椅子を取り除いたのだ。恐らくは、皆が帰った放課後だろう。はっきり言って下らない。そんな事をして、何が楽しいのだろうか。俺には理解出来ない。
クラスを見渡しても、米田さんの椅子は見当たらない。そんな事をしていると、他の奴が続々と登校してきた。俺は仕方なく、黙って席に着いて大人しくしていた。
朝のホームルームにて、米田さんは担任に椅子が無いことを告げた。
今日は数学がある日である。友人を名乗る有川は、
「何、気にするな!」
『今日もかよ、めんどくせえな…。』
と、声と「声」をわさわざ聞かせてくれた。
頼むから、俺の前から失せてくれ。
数学の授業中、この前と同じ事が行われる。俺も同じ事を言う。そうするとやはり、「声」が聞こえる。
しかし、今日に限っては少し少なく思えた。勿論、有川の「声」はしっかりと俺に届いている。
頼むから、友人を名乗るのだけは止めてくれ。
いつも聞こえる奴の「声」が聞こえない。不思議に思った俺は、注意されたその場でヘッドホンを耳に当てた。
当然、新村は再び俺に指導を始める。
残念だが、お前に意識は向けていない。
俺が意識を向けたのは、常に香水の臭いを振り撒く一人の女だ。俺が見ても分かるが、あいつはクラスの女子の派閥の頭だと自負している。あいつを本当に頭だと思っているのかは、他の女子の「声」を聞けば直ぐに分かる。
『米田の野郎、担任に言いやがったな。あいつは椅子が無(ね)え位が、お似合いなんだよ!』
随分と口の悪い女だ。見た目通り過ぎて、笑えてくる。
しかし、米田さんも大変だな。女子同士のいざこざはめんどうだと聞くが、その標的が米田さんだとは。
俺は、聞かなくても良いこと聞いてしまったのだと、後悔した。
数日の間、俺は米田さんと女子のグループとの関係を傍観していた。どうやら、あまり友好的だとは言えない。
そんな風に女子を見ているものだから、
「どうした菊田?お前もクラスの女子の魅力に気付いたか?」
『誰が好みなんだよ?俺と被ってたら承知しねぞ!』
頼む、有川。俺はもう、お前を友人とは言えないんだ。
香水女の「声」や、それにつるむ女子の「声」を聞いたり、実際に見ていくなかで、米田さんが、実に酷いことをやられていることが分かった。靴を隠されるのは当然の如く。ノートや教科書、身の回りの物が毎日隠されているのだ。その事を、当然クラスの連中も知っている。俺が目で見て気付いた事もあるのだから。
下らなすぎる。
昼休み。俺は毎日一人で飯を食べる。その為、昼休みが始まると黙って教室を出ている。
しかし、その日はそれよりも先に、米田さんが教室を出ようとしていた。どこか急ぎ足でポーチを持って出ようとする。
それに気付いた香水女のグループが、たまたまか知らないが、教室の入り口にたむろっていた為、教室を出ようとした米田さんの足を自身の足を引っ掻けて転ばした。
米田さんは、漫画みたいな転び方をする。持っていたポーチは手から離れ、それを香水女が拾い上げる。
「やだー、米田ちゃんそんなに急いでどうしたの?」
わざとらしくポーチを開ける。
「あらっ!米田ちゃん今日生理なの?だから、さっきの時間変な臭いがしてたのか!」
そう言うと、香水女とそのグループが声で笑い出す。
それに釣られて、クラスの他の奴もざわめき出す。
その状況に耐えられなくなったのか、米田さんは顔を真っ赤にして小さく呟いた。
「死にたい…。」
『死にたい…。』
その声を聞いた瞬間に、俺は怒鳴り出していた。
「ふざけんじゃねぇ!!!!」
予想だにしない俺の発する爆音に、クラスの連中は驚いている。当然、米田さんも、香水女も。
そして、注目を浴びたからには、「声」の嵐が始まる。
『えっ?何?どうしたの菊田くん?』
『うるせえな、いきなり騒ぐんじゃねえよ!』
そんな連中の声を上書きするように、俺は叫んだ。
「そんな、簡単に死にたいとか、言うんじゃねぇ!!!」
自分の事を言われていることに気付き、米田さんははっとしている。
「いいか?!人ってのはな、簡単に死ねる生き物なんだよ!!それを分かって言ってんのか?!お前らは聞いたことあんのか?!人が死ぬときの声を!とてつもない悲鳴を!無ぇだろ!!そうだよな、聞こえねぇもんな!少しはな、その声が聞こえる、こっちの身にもなれよ!俺はな、二度とあんな苦しそうな声は聞きたくねぇんだよ!!!」
クラスの連中は、何を言っているのかさっぱりという顔をしている。当人の米田さんは、話が通じたのか涙を浮かべている。
「それとお前もだよ!香水女!!」
クラスの視線は、自然と香水女の方に向く。どうやら、連中もそう思っているようだ。
「彼女にこんな事を言わせた重大さが、分かってんのか!?お前は、一人の人間を死にたいと言わせたんだぞ?!その重大さが分かってんのか?!!」
視線を向けられてか、俺の叫び声に怯えてか分からないが、下を向いた。
「傍観者ぶってる、お前らもだよ!!」
その言葉に、クラスの連中はびくりと反応する。もう一度、視線は俺に向く。
「何故、彼女を助けなかった?!こんな事になってるのは、分かってたんだろ!!なぁ?!」
『だって、助けてって言ってなかったし…。』
「お前らは、助けてと言った人しか助けねぇのか?!助けてと言われて、助けられなかった人の気持ちが分からねぇのか?!!どう見ても、助けてくれのサインはあっただろ!!お前らは、確かに“聞くこと”は出来ないかもしれないけど、“見ること”くらいは出来てただろ!!!」
誰一人、口を開こうとしない。聞こえるのは、俺に向けられた「声」である罵声と野次。そして、米田さんの泣き声。
そんな最中、一人の女子がクラスを出ようとしていた。白井だ。こんな状況なのに、やはり彼女の声だけは聞こえない。
「白井、それでもお前は人を気にしないというのか…?」
彼女の答えは、簡単だった。
「誰が死のうが、私が死なないなら関係が無いもん。興味が無いわ。」
そう言って、クラスを出ていった。
暫くすると、何人かの先生がこの教室に集まり出した。隣のクラスの奴が職員室に言いに行ったらしい。
俺と、米田さん、そして香水女の三人は職員室に連れていかれた。
その翌日から、クラスの奴の俺への態度が急激に変わった。もはや俺は逃げ場を無くした、哀れな奴だ。
『正義のヒーロー気取りか?』
『菊田君っていつも険しい顔してるよね』
『あいつさえいなけりゃ、まともに授業受けられんのに』
『何であいつ学校来れるん?昨日の今日だぜ?』
『帰れよ』
『菊田君怖い』
『菊田も馬鹿だよな、何であんな事を、しかもあんなでかい声で叫んだんだよ。マジで訳わかんねぇ。』
うるさいうるさいうるさい。
鳴り止まない「声」たちが俺の頭を駆け巡る。
「頼むから、黙ってくれ。」
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