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作品ID:632
こちらの作品は、「お気軽感想希望」で、ジャンルは「ライトノベル」です。
文字数約28383文字 読了時間約15分 原稿用紙約36枚
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小説の属性:ライトノベル / 異世界ファンタジー / お気軽感想希望 / 中級者 / 年齢制限なし /
トライ・ウィズ・ユー
作品紹介
人と竜が共存する世界。
少女と竜は出会い、共に憧れた場所を目指して。
少女と竜は出会い、共に憧れた場所を目指して。
人が、宙を舞っていた。
煌びやかな装飾が施された美しい衣装に身を包んだ女性が、澄んだ青空で踊っている。
その足場となるのは、彼女と共に空を舞う竜だった。
青紫色の鱗に覆われ、三対の翼をしなやかに羽ばたかせながら、巨大な体で空を翔る。
女の体と同じぐらいの大きさの頭を持つ竜もまた、その体に美しい装飾品を身に着けていた。
誰にも邪魔されることのない晴れ渡った空を、一人と一匹だけが舞い踊る。
優雅に、華麗に、竜は宙を翔ける。
女はかの竜の背から時には宙に身を躍らせて、時には手を取り合って空へ舞い上がった。
柔らかな笑みを湛えたまま、女は竜と舞い続ける。
優しげな瞳を向けて、竜は女と踊り続ける。
その姿は幻想的で、神秘的で、華やかで、ただただ、美しかった。
「新しい奴が来るんだって!」
「ふーん、そうなんだ」
今日で何度目かの話題振りに、ユウリは少しうんざりした風に答えた。
ショートよりはやや長いが、セミロングという程には届かない赤い髪と、ぱっちりした大きな目に、薄い唇。健康そうな血色の良い肌を簡素なシャツとハーフパンツに包んでいる女の子だ。
「なんだよ、反応悪いな」
「だってその話ばっかりじゃん」
同い年ぐらいの坊主頭の男の子の言葉に、ユウリは唇を尖らせて答えた。
その日、ワイズアルド孤児院は朝から妙にざわついていた。どうやら、新しい孤児が今日やってくるらしい。
都市部からはだいぶ離れているが、辺境というほどではない、中途半端な田舎の孤児院では珍しい。ここ数年は新しく入ってくる者がいなかったから、孤児たちにとっては丁度良い話題の種だった。
「さすがに聞き飽きたって」
二、三日前に大人たちが話しているのを聞きつけた孤児たちが噂を広めたのだ。
「何だ、ユウリは興味ねーのか?」
二人の間に竜の頭が割って入って来た。
後ろから文字通り首を突っ込んできたのは、同じ孤児の竜の子だ。頭の大きさはユウリたちとほぼ同じぐらいで、ワニのようにせり出した口の分だけ前に長い。太く、人よりは長いが竜としては短めの首、前傾姿勢で太く強靭な両脚と全体のバランスを取るような太めの尻尾を持つ地竜の子だ。鱗の色は地竜に多い茶色をしている。
「プレーヤーになりたい竜の子だったら、ってとこかな」
「そりゃ中々難しい注文なんじゃねーの?」
黄色い目を細め、牙のある口を歪めるようにして地竜の子が苦笑した。
「何でよ、あんたたちだって凄い凄い言ってたじゃない」
「そりゃあ、なれるもんならなってみたいけどよ……」
むっとするユウリに気圧されたように、地竜の子が少しだけ首を引く。
「人気あるもんな」
坊主頭の男の子は腕を組んで頷いている。
プレーヤーというのは、人と竜が二人一組で行う各種競技に参加する選手を指す言葉だ。
人と竜が争っていたのは遥か古代の話で、今では種族の違いを乗り越えて共存できる社会を築くまでに至った。その信頼と親愛の証として、人と竜がチームを組んで行う様々な競技種目が作られた。プレーヤーとは、そういった競技に参加する者たちの総称である。
「現実的に考えて難しいじゃん?」
「夢がないわねぇ……」
地竜の子の言葉に、ユウリは渋い表情を返した。
ユウリはプレーヤーになりたいと思っている。だが、プレーヤーには必ず相方となる存在が必要だ。人なら竜、竜なら人の相棒が必要になる。
しかし、これまでワイズアルド孤児院においてプレーヤーになりたい竜の子はいなかったのだ。
実際、職業としてのプレーヤーは華やかで人気はあるが、かといって簡単になれるようなものではない。良い成績を残せなければ賞金は貰えず、何もせずとも収入が得られるわけではない。参加する競技それぞれに合わせて必要なものも違ってくるし、鍛錬も怠ることはできず、競技によっては一歩間違えれば死を招くものだってある。
「ま、相方なんてここで探さなくたっていいんだけどさ……」
これから先、孤児院を出た後で出会いなどいくらでもあるだろう。
ユウリはため息をついて、先生と共に新たに部屋に入ってきた影に目を向けた。
それは、青い鱗を持つ竜の子だった。
竜としてはまだ小柄で線の細い体付き。ユウリの直ぐ傍にいる地竜の子より一回り小さいぐらいの頭に、細く長い首と、同じぐらいの長さの尾を持っている。
見たことのない顔だったから、誰もがその竜の子が例の新入りだということは直ぐに分かった。
だが、それよりも部屋にいた皆の目を引いたのは、その背の翼だった。
翼竜が珍しい、というわけではない。その竜の子の背中には、翼が足りなかったのだ。
右に一枚、左に二枚、合わせて三枚の翼が目に映る。本来なら左右対称に生えているはずの翼が、一枚足りなかった。
「トライアリウス……です」
名前を告げる声は小さく、か細いものだった。
新しい場所に戸惑っているのとは違う。怯えているのとも違う。
ただ、覇気を感じられなかった。
なんとなく話しかけにくい、そう周りに思わせるのには十分だった。
トライアリウスは大人しく、物静かで、控え目な性格だった。何かを怖がっているかのように、過剰なまでに自分というものを引っ込めているようにさえ見えた。
ただ内向的というには、一人でいることに満足しているようにも見えなかった。
周りの子から遊ぶのに誘われても、やんわりと断る。
「ごめんね、ありがとう」
そう言って申し訳なさそうに、それでいてちゃんと嬉しさもあるのだと示すものだから、周りは困惑した。仲良くなろうとしてくれることは嬉しい、それでも、一緒にはしゃぐことができない。彼自身そのことを自覚していて、周りにもそれが伝わってしまう。
当然、突っかかる者も出てくる。
「何だよ! 言いたいことがあるならはっきり言えよ! 羽のこととか、こっちは気を遣ってんだぞ!」
耐え切れなくなって、癇癪を起こした竜の子がいた。人の子も、竜の子も、それに同調する者は他にもいた。
孤児としてやってきたからには事情がある。それが理解できる年齢の者は、自然と気を遣って接する。だが、そうは言ってもまだ子供だ。我慢できずにぶつかる者が出るのも当然のことだった。
「これ、は……」
孤児院に来てから初めて羽のことに触れられて、トライアリウスの表情が歪んだ。
だが、それは怒りではなかった。それでいて、悲哀とも何かが違う。
相手をも黙らせてしまうほど、その表情には複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。
「はいそこまで」
うんざりした表情で、ユウリはそこに割って入った。
「ここに来たからにはそれなりに事情はあるんだろうし、話したくないことだってあるだろうけど、それならそうと言わないと分かんないでしょ」
トライアリウスの方に向かって、ユウリは言った。
「そんなに寂しそうに、辛そうに、つまらなさそうにしていられたら、あたしたちだってやり辛いのよ」
「でも、僕は……」
トライアリウスは俯いて、言いよどんだ。
「あたしは親に捨てられてここに来た」
ユウリの言葉に、トライアリウスが顔を上げた。
驚きに見開かれた目が、真正面に立つ少女の姿を見上げている。
「要らないって、思ったんだろうね。生まれて直ぐ、路地裏に捨てられてたのを、ここの先生に拾われたんだ」
そう語るユウリの姿は堂々としていて、その話を聞いたことがある子供たちさえも圧倒していた。
「でも、ここにあたしを要らないって思う奴はいないんだ」
ユウリはそう言って、屈み込んで縮こまっているトライアリウスに目線の高さを合わせる。
「だから、話してみてよ。誰もあんたのことを悪く言うつもりなんてないんだから」
その頭を優しく撫でるように手を伸ばし、微笑んで囁く。
「……だけど」
「いいんだよ、したいようにして。我慢なんてしなくていいんだよ」
そっと頭を抱き寄せて、ユウリは言い聞かせる。
ここにいる子供たちの中には、辛い目に遭ってきた者もいる。
トライアリウスはユウリの胸の中で少しの間震えていたが、やがて意を決したかのようにゆっくりと語り出した。
「この羽は……お父さんに千切り取られたんだ」
抱き締めるような形になったユウリには、彼の背中の傷痕が見えた。片翼の対になる羽があった場所の傷口自体は塞がっていて、血こそ出ていないものの、付け根から力任せに強引に捻じ切られたかのような傷痕はとても痛々しいものだった。その傷では、恐らく、新たに生えてくるということもないだろう。
空を飛ぶことができる翼竜の羽は、見た目以上に強靭に出来ているものだ。いくら身体がまだ発育し切っていない幼少期だからとはいえ、羽を引き千切るというのは容易に出来ることではない。明確な悪意と害意を持って、成熟し切った大人の竜の力であれば可能ではあるが。
彼の両親は、仲が良くなかったらしい。
トライアリウスが物心付いた頃には、どうしてくっついたのかすら分からないほど険悪だったようだ。もしかすると、彼が生まれたことで更に仲が悪くなったのかもしれない。
両親に疎まれ、日常的に暴力を振るわれていたらしく、良く見れば小さな傷痕がいくつもある。羽と違い、こちらの傷はそのうち消えるだろう。それでも、心が負った傷はそう簡単に癒えるものではない。
背中の翼を引き千切られたことで大騒ぎになり、近所の住民の連絡などからここに預けられる運びとなったということだった。
「何かやりたいことはないの? なりたいものとかは?」
ひとしきりトライアリウスの話を聞いてから、ユウリは優しく言った。
どれだけ疎まれていたとしても、血の繋がった両親のことはまだそう簡単には割り切れないだろう。保護されたばかりなのだから、折り合いをつけるには時間がかかる。
ただ、前を向くべきだ。顔を上げていいはずだ。これからは怯えて過ごす必要はない。
後ろや下を向いたままでは、辛いだけだということはここにいる者なら嫌というほど知っている。
「僕は……プレーヤーになりたい」
ゆっくりと顔を上げ、そう口にするトライアリウスの瞳には、確かな光があった。
周りにいた子供たちは目を丸くして顔を見合わせ、そしてユウリを見る。
「プレーヤーになって、ゼリアハルトに出たい……!」
そのトライアリウスの小さな声には、力があった。確かな自分の意思があった。
ゼリアハルト。それは、世界で最も大きな競技祭典だ。出場できるだけでも栄誉のあることで、そこで優勝を得ることは世界一のプレーヤーであると認められることだ。
絶対に出てやるんだ、自分なら出られるんだ、というほどの自信は感じられない。それでも、彼の胸の内には熱を発するだけの思いが秘められている。
鳥肌が立ったような感覚を、ユウリは抱いていた。
笑みが浮かぶ。
「いいじゃん……なろうよ、プレーヤーに!」
ユウリの瞳には、自分を見上げる竜の眼が映っていた。
その言葉の意味に、ユウリの思いに、気付いたトライアリウスの眼が、少しずつ大きく見開かれていく。
「あたしのパートナーになってよ……!」
それが、二人の始まりだった。
あの日を境に、トライアリウスは周りに心を開いていった。
自分に自信が持てないところはあまり変わらなかったけれど、誘われれば応えるようになった。笑顔も見せるようにもなった。
そして、孤児院を出てプレーヤーを目指すための勉強も始めた。
プレーヤーの競技種目は多岐に渡る。
ただ一つ、人と竜が二人一組のコンビで参加するという点は共通だ。パートナーがいなければプレーヤーにはなれない。同時に、どの競技に参加するかも決めておかなければならない。種目によって、求められる技能も、鍛えなければならない部分も違う。
「ユウリはどの競技のプレーヤーになりたいの?」
勉強をするようになってすぐ、トライアリウスはユウリにそう質問した。
パートナーになるのはいいが、二人の希望する競技種目が異なるものであれば組むことはできないかもしれない。
あらゆる種目に参加できるようなプレーヤーというのも理屈の上では不可能ではないが、あまり現実的とは言えない。
竜には大きく分けて三つの種族がある。翼を持ち空を飛ぶことができる翼竜、ヒレ状の手足を持ち水中でも呼吸ができ自在に泳ぐことのできる水竜、翼やヒレは持たないが高い筋力と強靭な肉体を持つ地竜だ。
競技種目もそれぞれに適したものや専門のものがあり、部門で分けられているものもある。例えば、水の中に入らなければならない競技に翼竜や地竜では仮に出場したとしてもとてつもない不利を背負うことになる。
「あたしは演舞かな。トライアは?」
演舞は人と竜による舞いを披露する競技だ。空で舞う翼竜部門、地上で舞う地竜部門、水場で舞う水竜部門の三つがあり、その華やかさから人気もあり、ゼリアハルトでも注目度の高い種目だ。
「僕も、演舞がいいなと思ってたんだ」
トライアリウスの答えに、ユウリは目を輝かせた。
「じゃあ――」
「だけど……」
嬉しそうな表情を見せるユウリとは対照的に、トライアリウスは浮かない顔で言いよどんだ。
自分の背中を振り返るような仕草で、トライアリウスが気にしていることを察するには十分だった。
翼竜たちにとって、翼は自身の象徴でもある。自分たちを最も特徴付けるものとして、翼に対する思いは周りが考える以上に強いものなのだ。
それを父親に引き千切られ、もがれた。この事実は、トライアリウスにとって自身の存在を、翼竜であることを否定されたに等しい行為なのだ。
同時に、その傷と事実は彼の尊厳を大きく傷付け、暗い影を落としている。トライアリウスにとって、翼が一つ足りないことはコンプレックスになるのだ。
他の竜たちからしても、その姿は奇異に映り、どうしても目を引いてしまうだろう。
過去にそのような体でゼリアハルトに出場した翼竜は存在しなかった。翼を失った翼竜は少なからずいる。事故や事件に巻き込まれ、欠損してしまう事例はある。だが、そうして翼を欠いた竜はえてしてプレーヤーにはなろうとしない。
プレーヤーだった翼竜が、訓練中や移動中の事故で翼を失い引退するケースもある。
事情を知れば同情はしてくれるだろう。
だが、華やかさも重要になってくる演舞において、翼が一つ欠けているというのはハンデになりうる。空中で舞わなければならない以上、普段の飛行よりも翼を酷使することになるため翼の欠損は危険性も増す。
これは竜本人だけでなく、パートナーにも圧し掛かる問題だ。それ故に、身体の欠損を理由にプレーヤーの道を断念する者は多い。
「……でも、なりたいんでしょ?」
「ユウリは……いいの?」
トライアリウスがプレーヤーを目指す上で、恐らく一番問題になるのは翼のことだろう。翼の欠けた竜がプレーヤーを目指すこと自体も前例のない困難な道であるのは想像に難くない。だが、それとは別に、翼の欠けた竜と組んでくれる人間がいるのかという問題も出てくる。
その翼で上手く舞うことができるのか、安全面でも、評価を左右する見栄えの面でも、リスクが大きい。
ユウリも、まともな竜と組みたいと思っているのではないだろうか。
「何が?」
「僕は、羽が……」
平然としているユウリに、トライアリウスは不安そうな表情を見せた。
世界最大の祭典ゼリアハルトへの出場を目指してプレーヤーになるのなら、トライアリウスはユウリにとって枷にしかならないのではないか。ユウリがパートナーになって欲しいと言ってくれたのは嬉しいことだが、それによってユウリの夢が遠ざかってしまうのではないか。
トライアリウスのせいでユウリが上へ行けなくなってしまうのではないかという危惧感が、彼を悩ませているのだ。
「あたしは、それが武器になると思ってる」
だが、ユウリは自信に満ちた表情でそう言い放った。
翼が欠けた竜が、演舞のプレーヤーの頂点を目指す。それ自体が前代未聞のことであり、今まで誰もが諦めてきたことだ。そこに挑戦するトライアリウスの存在は、注目を集めるだろう。それを逆手に取ろうというのか。
「ゼリアハルトで優勝したら、世界初の快挙だよ?」
悪戯っぽい笑みを見せるユウリの言葉に、トライアリウスは唖然とした。
現実的に考えて、それは茨の道だ。前例がないことに挑戦し、成し遂げればそれは確かに快挙に違いない。注目を集めるのも、良い意味だけでは決してない。悪い意味でも注目を集めることになるだろう。
前例がないことは、それだけ困難だということだ。誰もが諦めるほど、険しい道のりということだ。
それでもユウリはトライアリウスをパートナーにしてゼリアハルトを目指そうというのか。
「分かった……でも、僕でダメだと思った時はいつでもパートナーを解消していいからね」
トライアリウスの言葉に、ユウリはむっとした表情を返したが、それ以上何も言わなかった。
ユウリにもトライアリウスの考えは読めたし、そう簡単に思い直させることもできないだろうというのも理解できた。
彼にとって、翼が一つ欠けているというのは、人間であるユウリが思う以上に深刻なことなのだ。今、この場でユウリが何を言ったところで、トライアリウスの自己評価の低さを改めさせることはできない。
ただ、身体的な理由があれば誰もが諦めてしまうプレーヤーへの道を諦めきれないトライアリウスに、ユウリは他の竜たちとは違う何かを感じているのもまた事実だった。
そうして、勉強と訓練を重ねて、二人がプレーヤーとして初めて競技会に参加することになったその日が、大きな転機となった。
競技会自体は各地方で行われる最も小さな規模のものだった。
それでも、一流のプレーヤーを目指す者たちにとってはここでの成績が最初の一歩となる、決して疎かにはできなものだ。
競技会が始まり、参加者たちが集まった時から、トライアリウスは目を引いていた。周りにいるプレーヤーの多くが、トライアリウスの背中を見てぎょっとし、その空気が伝播していく。
採点者や審判員たちの中にも、表情を強張らせる者が多かった。近くでトライアリウスを見たプレーヤーや、観客席から彼に気付いてざわめく者たちと違い、騒いではいないものの、あからさまに動揺を押し殺した表情をしていた。
取材に来ていた報道関係者らにも気付かれ、注目されることになるのに時間はかからなかった。
開会式が終わり、プレーヤーたちが各競技へ参加するために散り始める。だが、ほとんどの者はトライアリウスがどの競技に参加するのかを密かに注目しているようだった。
ユウリは隣に立つトライアリウスを見上げた。出会った頃に比べると、トライアリウスも少し大きくなった。背を伸ばして立つと、首を曲げて襟首辺りに頭を持ってくる姿勢にしていても、その顔を見るにはユウリが見上げる形になる。
欠けた翼は、やはり新しく生えてくる兆しはなく、トライアリウスはこれから一生三枚の翼で生きていくことになるのだろう。
注目されるだろうというのは事前に想定できていたことだ。恐らく、もう少しすれば今度はトライアリウスと組んでいるパートナーであるユウリに目が行くようになるだろう。欠けた翼を持つ竜とペアを組んでいるプレーヤーがどんな人間なのか、直ぐに気になり出すはずだ。
ユウリの視線に気付いたトライアリウスは、周りに気付かれない程度に自重気味に口の端を歪めた。
出来るだけユウリに意識を向けさせないためのトライアリウスなりの気遣いだというのは直ぐに分かった。
「行こう、トライア」
ユウリの声は、いつも通りのはっきりしたものだった。
トライアリウスが目を丸くする。
周りがざわめく。ユウリに視線が集まる。
トライアリウスが何かを口にする前に、ユウリは歩き出した。
一瞬、反応が遅れて、はっとしたようにトライアリウスがユウリの後を追う。彼女の横顔を見たトライアリウスは、何も言えずに隣を歩くことしかできなかった。いや、何を言えばいいのか、言うべきなのか、そもそも何が言いたいのかさえ、トライアリウスには判然としなかったのだ。
周りの視線が二人に向かっても、ユウリは表情を変えなかった。
演舞の会場はさほど離れてはいない距離にあった。
広場の中央には、円形の舞台がある。土を盛り固めたその円周の縁には、舞台の範囲を明確にするための簡易な装飾が施されている。
今回の競技会は比較的内陸部に存在する地域で行われることもあり、地竜部門と翼竜部門しか行われない。
水場を必要とする水竜部門は、小さな競技会では水辺の地域に限定される。大会規模が大きくなれば大型の水槽を用意するなどもできるが、参加者も少なく、実績のない者たちが多い小さな競技会ではコストがかかり過ぎてしまうのだ。
ユウリはトライアリウスを連れたまま、躊躇うことなく翼竜部門の参加者列に並んだ。
二人が近付くと、周りがどよめいた。
ひそひそと、二人について何かしらの話をしているのが聞こえてくる。二人の位置から聞き取れるほどの声ではないにしろ、あまり良い印象を持たれていないのは視線からも伝わってくる。
一番は信じられないようなものを見る目、というやつだろうか。
「な、なぁ……」
ユウリとトライアリウスの真後ろに並んだプレーヤーの一人が、恐る恐るといった風に声をかけてきた。
振り返れば、声をかけてきたのは人間の方らしい。隣に立つ翼竜の方は、トライアリウスの欠けた翼の根元を見て絶句している。
「あんたら、本当に出場する気なのか?」
ユウリと同い年か、少し上ぐらいの年齢に見える少年が問う。
それは、この場にいてトライアリウスを見た者の多くが抱いている思いだっただろう。
「ええ、そうよ?」
ユウリはさも当然と言わんばかりに即答した。
何の気負いもない、ただ普通に当たり前のことのように答える。
むしろ隣に立つトライアリウスの方がユウリの態度に驚いているぐらいだった。
「じゃなきゃここにいないでしょ?」
勝気な笑みで返すユウリに、少年は唖然としていた。
「その一つ欠けた三枚の翼で、か……?」
少年の隣で絶句していた翼竜が口を開いた。トライアリウスの失くした翼の付け根の傷を凝視して、眉間に皺を寄せている。
その声に侮辱の意思はない。ただただ、信じられないものを見ているという驚きが滲み出ているだけだ。嫌味が感じられないのは、反感を抱くほどの余裕がまだないだけだろう。
トライアリウスが返す言葉もなく、目を逸らした時だった。
「違うわ」
ユウリの声が響いた。
強い口調というわけでもない。怒りや、悲しみが含まれているわけでもない。ただ、ごく普通に否定するだけの声音だった。それが、周囲の者にはやけに良く響いて聞こえた。
「四引く一じゃない。二足す一なんだ」
ユウリの言葉に、トライアリウスは目を見開いた。
そんな考え方をする者は、今まで誰もいなかった。
翼竜にも複数の翼を持つ種族はいるが、そのどれもが対になるよう偶数枚の翼を持って生まれる。極稀に奇数枚の翼を持つ者も生まれるが、それは正常ではない。人間と同じで、先天的な疾患という扱いになる。
「トライアは翼が一枚多い……これは武器になる」
ユウリは口の端を吊り上げて、挑戦的な笑みを浮かべていた。
トライアリウスが思い返してみれば、確かにユウリの言う通りだった。
翼を一枚失ってからというもの、三枚になった翼を上手く使おうと意識すればするほど、それは二枚の翼を主軸に、一枚を補助に使うというやり方になっていった。
ユウリは、それに気付いていたのだろうか。
「そしてこの武器は今トライアにしかない」
そう言って、トライアリウスを見上げてくる少女の表情には自信が満ち溢れていた。
「ユウリ――」
思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込んで、トライアリウスは前を向いた。
「――行こう、そろそろ始まる」
彼女は感謝の言葉なんて望んでいない。ましてや謝罪の言葉も。
翼竜部門の競技が始まり、参加者が順番に演舞を披露していく。最小規模の競技会だけあって、目を見張るほどの選手は多くない。これからの可能性に期待できそうなプレーヤーがどれだけいるか、というのがこの規模の競技会で多くの者が注目するポイントだろう。
それでも、ここがプレーヤーとして初めて公の場で競技をするという者は多い。もっと大きな競技会を目指す者も、これからプロのプレーヤーになろうと思う者もいるはずだ。だからこそ、規模が小さくとも、この競技会で注目を浴び、優秀な成績をおさめることには価値や意味がある。
二人の順番が迫ってくる。
控えの席から見上げれば、空で舞うプレーヤーの姿が映る。
二枚の翼を大きく広げ、宙を舞う竜と、振り落とされないように気をつけながら精一杯のアピールをする少女。練習はしてきたのだろうが、表情には緊張の色が濃く残っている。どこかぎこちなさもあり、見ていてたどたどしいとさえ感じられる。
二人で舞うというよりは、空を飛び回る竜に少女がくっついているといった印象のが強いだろう。演舞のプレーヤーを目指してまだ間もない者なのだろう。
当然のことではあるが、大舞台でプロが見せるものとはかけ離れている。理想的な動きを思い浮かべることはできても、実際に舞台の上でそれができる者はそう多くない。
そんな中で、トライアリウスは不思議と緊張していなかった。ユウリのおかげだろうか。今の心境に至るまでの方がよほど緊張していたようにさえ感じられた。
直前の順番の者たちの演舞が終わり、舞台から降りてくる。
初めての舞台を終えたらしい竜と少女とすれ違う。
乱れた呼吸と、全身に浮いた汗、そして疲弊した表情。他のプレーヤーを気にする余裕はないようだった。
ユウリとトライアリウスは舞台へと向かう。
「……いよいよだね」
舞台に上がる途中で、ユウリが呟いた。
その声音に緊張の色はない。むしろ、どこか楽しそうにさえ感じられる。
わくわくしているのだろう。うずうずしているのだろう。彼女はずっと、この時を待っていたのだから。
「やっぱり、君は凄いよ」
トライアリウスは苦笑気味に言った。
視線が集中するのが分かっても、トライアリウスはもう揺るがなかった。
ステージに立ち、開始の合図を待つ。
隣に立つユウリは、出会った頃の面影を残しつつも成長している。十四の年相応に身長は伸び、人間の女性らしい体付きになりつつある。まだ可愛らしさが勝るものの、いずれは美しいと言われるようになるだろう。演舞のプレーヤーになるために日々鍛えてきた体は程好く引き締まっている。もう少しで腰に届きそうなほどに伸ばされた鮮やかな赤い髪は、今は青色のリボンで頭の後ろと先端付近の二箇所で束ねられている。
演舞の最中に絡まったり、引っ掛かったりという危険性を伴うリスクもあるが、風や動きに合わせてなびく長い髪や衣装は上手く魅せられればポイントになる。
トライアリウスもまた、翼竜種として順当に成長していた。体はユウリと出会った頃より一回りほど大きくなっただろうか。最も成長したのは尻尾と翼だろう。三枚の翼で不自由なく飛べるように鍛えた甲斐もあって、翼の付け根は同年代の他の翼竜よりも一回り太く、筋肉の付き方も逞しい。翼自体も少し大きくなっているかもしれない。
尻尾の先端には簡素な装飾を施した赤い布を巻きつけ、翼の先にもなびかせるための布で着飾っている。
合図と共に、舞台に刻まれていた紋様が淡い光を放った。
意図せぬ落下による事故を防止するための、衝撃を吸収する魔法が発動する。
青鱗の竜と赤髪の少女が向かい合う。魔法陣が放つ光に照らされながら、二人は演舞を始めた。
ユウリの伸ばした両手を、トライアリウスがそっと握る。僅かに身を沈めながら翼を高く掲げるように伸ばし、大きく、力強く、それでいて穏やかに、羽ばたいた。
二人の体が宙へと浮き上がる。
勢いをゆっくりと落としながら、トライアリウスは体を仰向けになるように持ち上げる。慣性を殺しきらずに、両手を繋いだユウリを空へ送り出すようにして、手を離した。
髪が靡く。リボンが踊る。
ユウリの体がゆっくりと回る。全身で空と風を感じとろうとするかのように、大きく手足を広げる。
「わぁ……!」
感嘆の声が聞こえたのは、トライアリウスだけだろう。
空が広い。
地上にいる者たちが小さく見える。
練習で何度か空中で踊ったことはあったが、それでも、正式な競技会として張り詰めた空気が、そこに自分たちがいるということが、印象を変えている。
トライアリウスが翼をはためかせ、体を捻る。円を描くように旋回しながら、落下し始めたユウリをその背で受け止める。両足を竜の背に着き、左へ回るトライアリウスとは逆方向へ体を回す。ユウリは三度回ってから、トライアリウスの描く円の中央へとステップで踊り出る。
二つの翼で空を飛び、もう一つある翼のはためきで大きく動きに変化を与える。
落ちていくユウリの周りで螺旋を描くようにしながら追いかけ、その手を取って再び舞い上がる。
きっと、プロに比べたらまだまだ単純な舞いでしかない。それでも、人一倍練習を重ねてきた二人の演技は、周りの者を黙らせるのには十分だった。
その競技会の演舞種目において最高の成績を叩き出すほどに。
二人は、次の競技会への参加資格を手に入れ、好成績を叩き出していった。
自身の欠点を自覚し、それを補うように飛行技術を鍛えてきたトライアリウスの舞い方は、それまでの翼竜たちとは一線を画すものだった。
上手い下手以前に、トライアリウスの飛び方はそれまでの翼竜の舞い方とは根本的な部分で異なっている。
複翼種の翼竜たちにも、一対の翼で空を駆け、他の翼で動きに変化を与える飛び方をする者はいた。だが、その誰もが左右一対の翼をセットで動かしていたのだ。左右の翼を別々に動かすというのは、人で言えば左右の足を別々の方へ向けて踏み出すタイミングやテンポも変えているようなものだ。
尻尾や四肢の動かし方で慣性や重心を動かし、変化を付ける。左右の翼を巧みに使って空中を踊る。その点はトライアリウスも同じだ。しかし、トライアリウスにはもう一つ、動きに変化を与えられるものが備わっている。
翼が一枚余る形となり、それでもなおプレーヤーを目指したトライアリウスだけにしか出来ない舞が、その瞬間に確立したのだった。
同時に、前代未聞のプレーヤーとなったトライアリウスに合わせて踊ることが出来るパートナーの存在もまた注目を浴びた。
ユウリの舞は、いつしかトライアリウスの存在を前提としたものとなっていた。
三枚の翼で舞うトライアリウスは、他の竜とは異なるリズムを刻むことが出来る。そして、それ故に彼の独自性は競技会においても武器になりうる。当然、トライアリウスはその武器を存分に活かそうとする。
必然的に、ユウリは彼に合わせた舞い方を編み出し、それを自分だけのものに昇華させて行った。彼女自身がトライアリウスに言った、彼だけの武器を活かすためには、パートナーであるユウリも三枚の翼で舞う竜の力を引き出すような舞い方をする必要があったからだ。
当初こそ、物珍しさやその話題性によって注目されていた二人だったが、多くの競技会で優秀な成績を収め、その実力を認められて行った。
そして、二人は世界最大の競技祭典、ゼリアハルトへの出場資格を手に入れた。
二人が最初の競技会に参加してから三年後、ユウリは十七になっていた。
その年のゼリアハルトも盛り上がっていた。
開催都市でもあるセントリアは連日お祭り騒ぎの様相を呈しており、競技会に参加するプレーヤーたちだけでなく、観覧しようとする来場客たちで賑わっていた。
長距離レース種目などはコースが都市内にはおさまりきらないため、セントリア周辺の地域をも巻き込む形となっており、ゼリアハルトの開催期間は世界中が活気付く。
今回の開催国でもあるセンティリオンが大陸中央に位置する世界最大の国家であることもあって、競技者たちや会場の熱気はいつになく凄まじい。
辺境の地で生まれ育ったユウリとトライアリウスにとって、首都セントリアの様子は、ゼリアハルトの開催期間であることを差し引いても圧倒されるものだった。
「ようやく、ここまで来たんだね」
ゼリアハルトの演舞部門の競技会を明日に控え、参加者の寝泊りする高級宿泊施設の一室で、ユウリはしみじみと呟いた。
「本音を言えば、こんな早く来れるなんて思ってなかったよ」
竜用のベッドの上に寝転がりながら、トライアリウスも感慨深げに言った。
出世したもんだ、とつくづく思う。
ゼリアハルト自体、毎年開催されているわけではない。五年に一度行われる世界最大規模の祭典なのだ。出場できるだけでも、栄誉なことだ。
「でも、来れない、とは思ってなかったんだ?」
悪戯っぽくユウリが笑う。
「それを言ったらユウリこそ、ここがゴールなの?」
トライアリウスの強かなカウンターに、ユウリは目を丸くした。
お互い、ここに辿り着くのは容易ではなかったのは実感している。どれだけ努力したのかも、苦労したのかも、全部知り尽くしている。プレーヤーになってゼリアハルトに出たいと思っていたのは二人の夢であり、そのために頑張ってきた。プレーヤーになるからには、ゼリアハルトへの出場は絶対に諦めない。それは二人に共通する信念のようなものだった。
だが、ユウリはただゼリアハルトに出られさえすれば満足なのか。トライアリウスも、ゼリアハルトでの優勝が到達目標地点なのか。
二人は顔を見合わせて、同時に笑った。
答えはもう、二人の中に同じものが出ていた。
「そういえば、ずっと聞きそびれてたんだけど、ユウリはどうしてプレーヤーになりたかったの?」
「んー、まぁ、理由はいくつかあるよ」
トライアリウスの問いに、ユウリはベッドに腰掛けるようにして向き直った。
「ほら、あたしって生まれて直ぐ捨てられてたって話、したじゃない? その時ね、名前だけは付けられてたの」
初耳だった。ユウリはこれまで、自分が生後間もなく捨てられていた孤児であることは隠すことはなかった。誰かに尋ねられれば平然と、さもそれが当たり前であるかのように答えていた。
プレーヤーとして名が売れ、来歴を調べられたり、メディアからの取材に対しても、ユウリはごく普通に応じていた。トライアリウスもワイズアルド孤児院で彼女と出会い、心を開く切欠になったのは彼女の語った自身の境遇であったし、パートナーとして身近にいて、彼女がそれ自体には折り合いをつけられていることは知っている。
だが、生後間もない状態で路地裏に捨てられていたという話から、名前は孤児院で付けられたものだろうと誰もが思っていたのだ。
「何があったのかはもう分からなくてもいい。この名前も、両親が付けたものとは限らない。でも、あたしを捨てたその人は、この名前を知っているはずなんだ」
彼女自身は、捨てられた事実を負い目には思っていない。どんな事情があったにせよ、結果的に彼女は孤児院に拾われて育ち、今に至る。事実として受け入れている。ワイズアルド孤児院は、決して悪くない環境だった。
「ゼリアハルトに出て、優勝すれば、あたしは世界一だ。あたしを捨てた人たちが、あたしをあの時の子だと気付いたら、捨てなければ良かったって思うかな、とか思ったりもするし、あたしはこんなに凄い奴になる子だったんだぞ、それを手放したんだぞやーい、って思うかなーって」
そう言ってユウリは小さく笑った。
何も思わないはずがない。事実として受け止め、受け入れ、平然と過ごせるようになってはいても、両親という存在に思うところはやはりあるのだ。
「見返したかった、ってこと?」
勿論、両親の下で育つことが出来た時に、プレーヤーを目指していたかは分からない。孤児になっていなかったら、プレーヤーにはならず、別の道を進んだ可能性は十分にある。そういう意味では、ユウリの今があるのはあの時捨てられたからと言えなくもない。
「ただ、それはそれとして」
トライアリウスの問いに、ユウリはそう言って間を置いた。
「単純に、憧れたんだよね」
そう言って頬をかくユウリの照れたような笑顔は、今日一番かわいいものだとトライアリウスは思った。
「アイリスとジルゼロアのゼリアハルトでの演舞を見て、ただただ憧れたんだ。凄い、綺麗、かっこいい、ああなりたい、ってさ」
アイリスとジルゼロア。ゼリアハルトで三回連続優勝を果たしている演舞プレーヤーのコンビだ。今大会で四度目の優勝を達成できるのか、注目を集めている。
「ああ、分かるな、それ……僕も同じだ」
十五年前、初の優勝を果たしたゼリアハルトでの演舞の様子を、二人は映像投影機で見ていた。ユウリはワイズアルド孤児院で。トライアリウスは、家で両親に隠れて。
十年前、二度目の優勝の時もそうだった。
五年前の三度目の優勝の時は、二人で並んで見ていた。
人間のプレーヤーとしての寿命は竜ほど長くない。連続で優勝するのは快挙だ。
「初めて見たのは三歳の時。その時のことはもうほとんど覚えてないけど、凄い、って憧れたのだけは覚えてる」
ユウリの言葉に、トライアリウスは無意識のうちに頷いていた。
映像は録画したものを、何度も繰り返し見た。
アイリスは十五歳でゼリアハルトに出場し、史上最年少での優勝という快挙を成し遂げた。今や、プレーヤーを目指す若者にとって、アイリスとジルゼロアはスターだ。
「僕は家庭環境が良くなかったから、大勢の人の前で堂々と、自由に舞う姿がとても眩しく見えたんだ」
トライアリウスにとっては、最初は半ば逃避のようなものだったかもしれない。両親の不和や、それに伴うトライアリウスへの暴力など、嫌なことを一時でも忘れることのできるものだった。
「プレーヤーになりたい、って言ったらこのザマだったけどね」
言って、トライアリウスは羽をすくめるようにして見せた。
熱心に演舞の映像を見ていたのが父親の癪に障ったのだろうか。トライアリウスが翼をもがれた切欠は、演舞のプレーヤーになりたいと口にしたことだった。
それでも、トライアリウスがプレーヤーや演舞に対し嫌悪感を抱ことはなかった。むしろ、より強くプレーヤーになりたいと思うようにさえなった。
抑圧されてきたからだろうか、彼にとってプレーヤーとは存在そのものを周りに認められる者の象徴に見えたのだ。己の身を武器として、競技に臨み、同じプレーヤーとしのぎを削り合う。相手を認識し、把握し、勝敗を競う。それはある種、存在の全肯定とも言える。
「でも、結果的には、この体が僕だけの武器になったし……ユウリと出会う切欠にもなった」
トライアリウスの境遇もまた、決して良いと言えるものではない。
だが、それが無かったら、翼を欠くことなくプレーヤーを目指していたかもしれない。ユウリとは出会っていなかったかもしれない。出会ったとしても、今のようにパートナーとなっていたかは分からない。
可能性の話をすればきりがない。
「そういう意味では、今は両親に感謝している部分もあるにはある」
困ったような笑みを浮かべて、トライアリウスは言った。
両親による仕打ちを許せるとは言えない。複雑な心境ではある。
それでも、今に至る道のりに、翼を一つ失うということは必要だったのだろうと思える。
過去は変えられず、だからこそ今がある。
悪いことばかりではなかったからといって、良いことばかりだったわけでもない。ただ、受け止められるようになった。その上で歩みを進めることができるようになった。
それは、二人に共通する思いでもあった。
もしかすると、ユウリとトライアリウスは似た者同士なのかもしれない。
「……優勝、したいね」
ベッドに仰向けに寝転んで、ユウリが呟いた。
「らしくないな」
トライアリウスは首を起こしてユウリの方へと目を向けた。
いつもトライアリウスを引っ張ってきたユウリにしては、弱気な言葉だ。
だが、気持ちが分からないわけではない。
今回のゼリアハルトで優勝するということは、憧れのプレーヤーであるアイリスとジルゼロアのペアを超えるということだ。その二人は、ユウリとトライアリウスにとってはプレーヤーを目指す切欠でもあり、伝説や神にも等しい存在とも言える。
「珍しく緊張してる?」
「そうかも」
はっきりしない返事に、トライアリウスは苦笑した。
ユウリはいつも、緊張よりも期待感や高揚感が勝るタイプだった。競技会で演舞が出来るということが、嬉しくて、楽しくて、わくわくして、気持ちが昂ぶってたまらない。その感情からか、彼女の演舞は生き生きとしていて、見る者を引き込み、楽しませる。
普段なら、演舞をするその瞬間が待ち遠しくて仕方がないといった雰囲気を漂わせているのだが、緊張の方が勝っているユウリは初めてだった。
「そう言うトライアはどうなの?」
「そりゃあ、僕だって緊張してるよ。でも……」
トライアリウスはユウリと目を合わせるように首を動かした。
「不思議と、不安とかはないんだ」
身の引き締まる思いはある。プレッシャーも感じる。
当然、ゼリアハルトに出場するのはアイリスとジルゼロアだけではない。他にも、そこに立つだけの実力を持ち、負けず劣らず思いを秘めた者たちが頂点の座を目指して競い合う。
それでも、不思議とトライアリウスの心は穏やかだった。
「多分、それは――」
言いかけて、トライアリウスは口を噤んだ。
「それは……何?」
ユウリが身を起こす。
「うん、まぁ、色々あったからさ、そう思えば今回だってあまり変わらないだろ?」
少しだけ考えて、トライアリウスはそう答えた。
初めの頃は、トライアリウスは緊張していて、楽しみで仕方ないといった様子のユウリがそんなトライアリウスの手を引いて、そうしてステージに引き上げてくれていたように思う。舞台に上がる一歩を踏み出すためのその一押しを、ユウリがしてくれていた。
何度か二人で舞ううちに、トライアリウスにも自信がついて、周りの見る目も変わり始め、その一押しは必要なくなった。それでも、トライアリウスの手を引いて、先へ先へと行こうとしている印象はあった。
もしかしたら、目指していた場所が目の前に迫って、その先もあるのだと理屈では分かっていても、目に入らなくなっているのかもしれない。小さな頃からずっと目指してきた場所なのだから、無理もない。
先へ先へ、急くように前を見て走り続けていたユウリだから、というのもあるだろう。
その姿を見ながらここまで来たトライアリウスだから、いつもより落ち着いていられるのかもしれない。
「さ、もう寝よう。良く眠れないかもしれないけど、明日に備えなくちゃ」
「うん、そうだね」
トライアリウスの言葉に、ユウリは頷いた。
そう、全ては明日だ。
ゼリアハルトへの出場を果たした時点で、プレーヤーとしてはトップクラスの実力者に名を連ねていることになる。上から数えた方が早いという存在になっていることになる。
その中で、頂点に至ったかどうか、というのは天と地ほどの差があるものだ。
観る側からすれば、誰がそこに至ってもおかしくはない、紙一重の世界かもしれない。
だが、競技をする者からすればその紙一重はとてつもなく大きな差だ。その紙一重を乗り越えるために、皆が鍛錬を重ねているのだから。
それでも、期日は迫り、結果も出る。
皆、この時のために出来る限りのことをやってきている。
その全てが、明日、決まるのだ。
緊張もある。高揚感もある。けれど、トライアリウスは不思議と落ち着いていた。ユウリはちゃんと眠れるだろうかと心配をする余裕さえあったほどだ。
そして翌日、ついにその時が来た。
ゼリアハルト、演舞の項、翼竜部門の競技会が始まる。
演舞自体、競技の中でもその華やかさから人気がある注目度の高い種目だ。地竜部門は二日前に、水竜部門は前日に、既に開催されて終了している。
三日続けて行われる演舞の日程の最後が翼竜部門だった。
プレーヤーが名を呼ばれ、一組ずつ入場していく。
「――前代未聞の四連続優勝を果たせるか! 注目のペア、紫銀、アイリス、ジルゼロア!」
会場に響く司会の声に、観客が沸き立つ。
紫銀、というのはアイリスとジルゼロアのペアを指すあだ名のようなものだ。
既に入場した者たちですら、その名を呼ばれた二人へと目を向ける。
美しい白銀の長髪を揺らしながら、女性は静かな足取りで会場に足を踏み入れる。長い睫毛に、穏やかながら確かな力強さを示す青色の瞳、整った鼻筋に程好い厚みの唇。鍛えられ、引き締まった体は細やかな金の刺繍が施された演舞用のドレスで飾られている。そのアイリスの横顔は穏やかながら凛としていて、とても三十歳の女性には見えない程に若々しい。銀の髪が揺れる度に、光が舞っているかのようだった。
一歩遅れて、青紫の鱗を持つ翼竜が現れた。
その頭一つで女性の身長ほどもある大柄な竜がジルゼロアだった。背中に三対、つまり六枚の翼を持つ竜はゆっくりと歩みを進める。その眼光は自信に満ちていながら、それでいて柔らかさのあるものだった。
会場の中央で並んで足を止め、アイリスはドレスの左右の裾を両手でつまむようにして一礼し、ジルゼロアはその大きく優雅な六枚の翼を大きく広げた。
それだけで歓声が巻き起こった。
「凄い……あれが、本物!」
通路の中で、その様子を見ていたユウリは呟いた。
堂々としていながら、驕りや慢心など微塵もない。他のプレーヤーたちと同じ、ゼリアハルトに挑戦する者たちでしかないと、そう感じさせる。
鳥肌が立っている。首筋から体の中心に痺れが走るかのような感覚さえあった。
「同じ舞台に立つんだね、僕ら」
トライアリウスの声にも、ユウリと同じものが乗っていた。
お互いに顔を見合わせると、同じ表情をしていた。
笑みを浮かべていた。それも、心底楽しそうな。
格が違うとか、凄まじさのようなものを感じていながら、わくわくしている。うずうずしている。あの二人に、いや、この日参加する全てのプレーヤーに挑戦するのが、楽しみで仕方がない。不思議と、臆する気持ちがまるでなかった。
「――そして前代未聞といえばこのペアもそう! 欠翼のトライスター、ユウリ、トライアリウス!」
名を呼ばれ、二人は入場する。憧れ、目指し続けた舞台へと。
三枚の翼でこの場まで辿り着いた二人は、いつしか三ツ星(トライスター)ペアと呼ばれるようになっていた。
腰まで届く鮮やかな赤い髪を後ろで束ね、背中の大きく開いた白い衣装に身を包んだユウリが前を歩く。肩から伸びた三枚の真紅の布が手首で結ばれたような形の袖に、薄く透き通るようなスカートの下には裾が閉じたパンツになっている。
ユウリの身長の三分の一程の大きさの頭に、同じぐらいの長さの首に銀色のフリンジを付け、青い鱗に三枚羽のトライアリウスが続く。
翼が足りないことをとやかく言う者は減ったが、いなくなったわけではない。根強く批判する者はいたし、嫌がらせも受けてきた。それでも、認めてくれる者、応援してくれる者も大勢増えた。
他の選手に倣って会場の中央に立つ。
ユウリは右手を高く掲げ、期待に満ちた笑みを浮かべてみせた。トライアリウスも翼を掲げるように広げた。
アイリスとジルゼロア程ではないものの、声援や歓声、拍手が起きる。
そうして参加者全員の紹介と入場が終わると、プレーヤーたちは会場外周の控え席へと移る。
会場全体に描かれた魔法陣に光が走り、いつもの事故防止のための衝撃吸収の魔法が発動する。それだけでなく、光は空へと勢いよく立ち昇り、雲を吹き散らす。競技会の間、天候を強制的に快晴に固定する魔法だ。
そして、競技会が始まった。
一組ずつ演舞を披露するのは他の競技会と変わらない。ただ、通常の競技会では課題と呼ばれるいくつかの技を演技の中に組み込む必要があるのだが、ゼリアハルトにはこの制限がない。与えられた時間内でどのような演技をするかはプレーヤーに委ねられている。
そして、採点方式も通常とは異なっている。ゼリアハルトにおける演舞は、明確な点数付けがされない。その場で点数を付けるのではなく、参加者全員の演技を見た上で、審判者の多数決で優勝者を決定する。
演舞のような、勝敗や順位がはっきりと目に見える形で判定できない競技はその性質上、採点者個人の趣向にも影響を受け易い。
そもそも、五年に一度というゼリアハルトに出場する時点で参加プレーヤーたちに明確な差は存在せず、順位付けの意味はないという考えからきているものでもある。ゼリアハルトにおいて優劣がつくのは、優勝者のみだ。
実際、ゼリアハルトで演舞を披露するプレーヤーたちの舞はどれも甲乙付けがたいものばかりだった。
アイリスとジルゼロアの順が巡り、演舞が始まると、会場は静まり返った。
誰もが、その舞に見惚れた。
いつ始まったのか、いつから見始めていたのか、分からなくなるほどにその立ち上がりは優雅だった。
銀の髪が光を反射して煌き、紫の竜が天に昇る。
しなやかでいて、力強さも感じられる。女は、まるでそこに足場があるかのように空で踊る。彼女が足を踏み出した場所に、気付けば竜の体がある。
紫の竜の翼は揺らめくように風を掴み、音もなく空を滑る。
二人が身に纏う装飾が揺れ、光を反射し、まるで燐光を散らしながら飛んでいるかのようだった。
澄み切った水面のような穏やかな表情で女は踊る。
柔らかな笑みを湛えた二人の舞は、幻想的で、神秘的で、華やかで、息を呑むほどに美しい。それは、ユウリとトライアリウスが憧れ、ずっと追い続けてきた二人さえも飛び越えていくようなものだった。
ジルゼロアが羽ばたき、体の向きを変える。
「あの動き……!」
ユウリは気付いた。
紫の竜の舞い方の中に、今までトライアリウスにしか出来なかった動きがあった。翼を一つだけ独立させて動かし、飛び方に変化を付ける。
「僕らのことも研究してきているんだ……!」
トライアリウスも気付いた。
ジルゼロアだけではない、アイリスの舞踏の中にも、ユウリがトライアリウスと舞うために昇華させてきた動きの型が含まれていた。
あまりにも自然にやってのけたそのことに、気付いた者はどれだけいるのだろうか。
これまで、トライアリウスにしか出来なかった舞い方を研究し、自分たちの舞の中に取り込んでいる。それは、トライアリウスだけの武器が失われたことを意味していた。
本来ならば絶望に愕然とすべきなのだろう。
だが、二人は全く逆の感情を抱き、体と心を奮わせていた。
何故なら、アイリスとジルゼロアがユウリとトライアリウスを対等以上の実力者だと認めていることの証左でもあったからだ。トライアリウスの独特な飛び方、ユウリが練り上げた動き方を取り込むことで、紫銀の二人はまだ高みを目指せると信じたのだ。ユウリとトライアリウスがこれまでに歩んできた道を、培って来たものを、世界最高のプレーヤーが認め、肯定したのだから。
ジルゼロアの背で、アイリスが深々と一礼する。
非の打ち所のない、完璧とも言える演舞が終わったのだ。史上最高と呼ぶに相応しいものだった。
誰もが拍手することさえ忘れていた。
二人が静かに地へと降り立った時、控えの席から拍手の音が上がった。それを皮切りに、思い出したように拍手は伝播し、会場を埋め尽くす。
一番最初に拍手をしたのは、ユウリとトライアリウスだった。
それまでのプレーヤーたちの演舞も最高峰のものだったのは間違いない。だが、紫銀の二人はそれらをして別格だと思わせる演技を見せ付けた。
これ以上のものはない、と誰もが思うほどに。
そして、それはユウリとトライアリウスの二人も例外ではなかった。
「あたし達の番、だね」
上回れるなどとは微塵も思えない。
「ああ、やろう」
だというのに。
嬉しくてたまらない。
ユウリとトライアリウスの二人のやり方で、世界の頂点を目指せるのだと、今、目の前で証明がなされたのだ。挑戦する価値はある。いや、挑戦したくて仕方がない。
名を呼ばれ、舞台へと続く道を進む。
舞台を降りるアイリスたちとすれ違う。遠目からでは分からない、乱れた呼吸と浮き出て滲んだ汗、疲労を押し殺した表情をしていた。二人は、舞台に向かうユウリとトライアリウスの目を見て、僅かに驚いた後、穏やかな笑みを浮かべた。それは決して挑発的なものではなく、優しく、それでいて力強く背中を押すようなものだった。
余韻が残る会場の目は、この後に演技する全ての選手達を憐れむかのようなものでさえあった。
そして、魔法陣に光が灯り、二人のプレーが始まった。
トライアリウスがユウリの両手を取り、空へと打ち上げ、自分自身も舞い上がる。幾度となく繰り返してきたいつもと同じ出だし。
静まり返る会場の視線が集中する。直前の演舞との比較は避けられない。
ユウリは笑顔を浮かべていた。
心の底から楽しそうに。
思い切り、両手を広げて、装飾を揺らし、煌かせ、踊る。
時にその足場となり、トライアリウスは共に空を舞う。
三枚の翼が閃き、ユウリの鮮やかな赤い髪が軌跡を描く。羽ばたく度に銀のフリンジが小気味の良い音を奏で、白い衣装の袖がたなびく。
太陽のような眩しい笑顔で激しく踊るユウリと、嵐のような力強さで宙を翔けるトライアリウスが青空で交錯する。弾けるような歓喜の表情で舞う少女と、三つの翼を巧みに動かして大胆でありながらも繊細に飛翔する翼竜。二人の瞳は活気に満ち溢れていて 会場は圧倒された。
それは、静かで美しく吸い込まれるようにどこまでも優雅なアイリスたちの演舞とは対照的な舞だった。
激しく、情熱的で、楽しさを感じさせる。見ている側をも巻き込んで、一緒に舞台の上で踊っているかのような気分にさせる。
「――ねぇ、トライア」
目を合わせるだけで、互いの思いが分かった。
「ダメだと思ったら、いつでもペアを解消してもいい……今もそう思ってる?」
ユウリの目が問う。
自分に自身が持てなかった頃は、ユウリが目指す場所へ向かう足手纏いになるのが嫌だった。足手纏いになるかもしれないという思いが強かった。
けれど、今はもう違う。
「君以外のパートナーなんて考えられない。もう僕には君じゃなきゃダメだ」
トライアも視線で答えを返す。
ユウリ以外の誰かと舞う姿が想像できない。彼女でなければ、これほどまでに気持ち良く踊れるとは思えなくなっていた。
「でも、ユウリはどうして僕を選び続けてくれたの?」
くるくると回りながら落ちていくユウリを急降下して拾い上げ、宙へと打ち上げる。
「三枚の翼で、それでもなりたいって言った思いの強さが、力になるって思ったんだ」
それがどれだけ困難で、前代未聞なことなのかを理解していながら、それでも諦めたくないと口にした。ユウリにとって、その芯の強さは夢へと進もうとする自分の背中を押してくれるものだと思えたのだ。
ここに来るまでに挫折が無かったわけではない。壁にぶつからなかったはずがない。翼が欠けているという理由だけで理不尽な評価や態度、扱いを受けたことだってある。
欠けた翼を持ちながら、プレーヤーを夢見た者は多いだろう。いなかったはずがない。けれど、皆、途中で諦めた。諦めずにここまで辿り着いたのはトライアリウスが初めてだった。
自分に自信が持てず、卑下し、パートナーの足手纏いになることを恐れながら、それでもトライアリウスは諦めようとはしなかった。手を離されることを仕方ないと思いながら、手を握っていてくれる限り応え続けた。
「それは、ユウリが背中を押してくれたから……」
あの日、孤児院でユウリが諦めなくてもいいのだと教えてくれたのだとトライアリウスは思っている。
「あたしはずっと、トライアとならどこまでも行けるって思ってたよ」
心の奥底で諦めたくないと叫び続けていたトライアリウスとなら、誰も見たことのない場所へ行けるのではないかとユウリには感じられた。
宙を舞うユウリの足にそっと背中を添わせる。
「僕の四つ目の翼は、ユウリだ」
あの時飲み込んだ言葉も、今なら伝えられる。
「――ユウリと一緒なら、僕は何でも出来る気がするんだ」
トライアリウスにとって、もはやユウリは無くてはならない存在になっていた。
足りない翼を補うのではない。体の一部、半身のようにさえ思える。
三枚の翼でも飛べるようになった。けれど、ユウリとなら、どこまでも行ける気がする。どれだけ時間がかかろうとも、ずっと先へ進み続けることができる。
嵐のような拍手を浴びながら、魔法陣の上に降り立った二人が一礼する。
乱れた呼吸も、流れる汗も、隠そうとはしなかった。
間違いなく今持てる全てを出し切った。余力など残っていない。それでも、ユウリは満面の笑みを浮かべていた。トライアリウスも晴れやかな表情になっていた。
舞台を降りるユウリの足は小さく震えていたが、疲れよりも勝る感情が溢れ出ている。
次の番となるペアにもそれは伝播したようで、アイリスとジルゼロアの演舞を見た後には見られなかった光が瞳に宿っていた。
「素晴らしい演舞だったわ」
控えの席に戻ったユウリたちを出迎えたのは、アイリスとジルゼロアだった。
「あ、えっと、ありがとうございます……!」
一つ前の順番だった二組の席は隣り合ってはいたが、まさかこのタイミングで声をかけられるとは思わなかった。
あわよくば言葉を交わせたらと思ってはいたが、大会終了後に声をかけることができたら、という程度だったのだ。憧れのプレーヤーその人に称賛され、ユウリは目を丸くして照れていた。
「舞う楽しさというのを思い出させられた気分だ」
ジルゼロアの視線と言葉に、今度はトライアリウスが固まる番だった。
「本当に楽しそうに踊っていたわね……」
技量という点に関して言えば、紫銀ペアの方が上だろう。だが、技を突き詰め、演舞の優美さを究めようとした二人の中に、楽しい、という感情はどれだけあったのだろう。
「……実を言うと、お二人の演技が凄過ぎて、プログラムが吹き飛んじゃったんですよね」
ユウリは頬を掻きながら、小さないたずらがバレた子供のような顔でそう口にした。
「あれが全部アドリブだったっていうの?」
アイリスが目を丸くする。いつも優美で落ち着いている彼女が驚いた表情を見せるのは珍しい。隣にいるジルゼロアすら驚いているようだった。
ユウリとトライアリウスの演技は、当初予定していた演舞のプログラムとは全く違うものになっていた。二人で打ち合わせをして、練習してきたはずのプログラムは、直前に見たアイリスたちの演舞によって白紙となった。
直前に示し合わせたわけでもなく、ユウリもトライアリウスも、お互いの目を見るまでもなく、頭から綺麗に抜け落ちてしまった。
それは、直感的に当初のプログラム通りの演舞では紫銀の二人には勝てないだろうと悟ったからでもある。
トライアリウスは舞台に向かう前のユウリの言葉を聞いて、ユウリはトライアリウスの返事を聞いて、互いにプログラムが頭にないことを察したのだった。
「今まで考えてきた最高じゃダメだって、思ってしまったんですよね」
トライアリウスは苦笑した。
今、この場で目にしたアイリスとジルゼロアの最高の演舞を超えるためには、事前に考えていた最良のものでは不可能だと感じた。
純粋な対戦系の競技ではないから対策というほどのことはないが、対抗するべくこれまでの大会での演舞の記録を見て研究はしてきた。本来披露するはずだったプログラムは、確かにユウリとトライアリウスが考え得る最高のものではあった。だが、それも言ってしまえば考えた時点でのもの、だ。
「即興であれだけの演舞をしたというのか、お前たちは」
ジルゼロアが唖然とした表情で言った。
即興での演舞が特別珍しいということはない。単なる興行や、採点とは関係のなく観客を楽しませるためのエキシビジョンとして即興の演舞をすることはある。
ただ、それを公式の競技会、それも世界一を決めるゼリアハルトで決行するというのは前代未聞だ。
ただでさえ演舞というのはプレーヤー同士の息が合わなければ難しいというのに、事前の打ち合わせなく踊るというのは危険性も上昇する。そのため、即興の演舞はペアの二人にとって慣れた動きや、打ち合わせがなくとも合わせ易い、言ってしまえば抑え目のものになる場合がほとんどだ。一歩間違えれば大惨事にもなりかねないからこそ、プログラムを決め、打ち合わせ、一つ一つの技を冴え渡らせる者が多い。
「出来そうな気が……いや、出来るって、思えたんです」
トライアリウスはユウリの声を聞いて、同じ思いであることに気付いた。ならば、ユウリもトライアリウスの思いを察していると確信が持てた。
ユウリなら自分の動きに合わせてくれる。自分ならユウリの舞に合わせられる。
目を合わせるだけで会話ができた。その感覚も、きっと嘘ではないと思えた。
そこに自分たちの全てを乗せて、ただ思うままに舞うことにした。
「大したものだ」
ジルゼロアは口元に笑みを浮かべ、呟いた。
彼の視線の先では、次のペアが舞い始めている。アイリスとジルゼロアの演舞を目の当たりにして、その凄まじさに愕然としていたプレーヤーたちの姿はそこにはなかった。勝ち目がないと諦めていたような瞳に、活力が溢れていた。
その後に控えるプレーヤーたちの表情も、ユウリとトライアリウスの演舞を見る前と後で別人のようだ。
「私が審査員なら、あなたたちに一票入れるわ」
アイリスはそう言って優しく微笑んだ。
その自然体な声音は、同情や謙遜、健闘をたたえるお世辞などではなく、紛れもなく本心からくる一言だと思わせるのに十分だった。
「以上を持ちまして全てのペアの演舞が終了致しました」
司会者のアナウンスが流れ、会場が静まり返る。
「審議の結果、得票が最も多かったのはアイリス、ジルゼロア――」
会場が沸こうとした瞬間だった。
それを押さえるかのような司会者の声が響いた。
「――そして、ユウリ、トライアリウス!」
刹那、誰もが言葉を失い、そして一泊の間を置いて、塞き止められていた水を押さえる蓋が決壊したかのように歓声が沸き上がった。
何が起きたのか、誰もが理解した。
得票が同率になることなど、これまで一度もなかった。理屈の上では在り得た事態だったが、事実として今までは誰か一人に票が集中したのだ。それが今回は二つに割れた。
驚きにユウリとトライアリウスが思わずアイリスたちを見れば、紫銀のペアは予想していたと言わんばかりの表情で視線を返してきていた。優しく、それでいて挑戦的な微笑を湛えて。
その表情に嫌味は一欠けらもなく、張り合える相手を見つけたとでも言うような嬉しささえ感じられるものだった。それはある種、今までユウリとトライアリウスがアイリスたちに向けていた瞳と同じものでさえある。
優勝が二組という前代未聞の結果であるにも関わらず、会場からも参加プレーヤーたちからも文句の一つも出てこない。
技術的にはアイリスとジルゼロアのペアが上だった。しかし、ユウリとトライアリウスの演舞にはそれを補って余りある熱があった。そう審査員の一人が評していた。
アイリスたちのペアに熱が篭っていなかったわけでは決してない。会場中の観客を魅了し、引き込むだけのものは紫銀のペアにもあった。ただ、それは極限まで研ぎ澄まされた静かな熱だ。
ユウリたちの演舞には、溢れ出すような熱があったと、審査員たちが語る。情熱に突き動かされているかのような演舞に、心が弾んだ、動かされたのだ、と。
嵐のような拍手に、当の本人たちはただただ唖然としていた。
優勝を目指してここまで来た。先の演舞も、ユウリとトライアリウスの持てるすべてをもって、直前のアイリスたちに挑んだものだ。優勝を諦めていたわけでもない。
ただ、それでもアイリスとジルゼロアの演技は圧倒的で、果たして並び立てる者がいるのか疑ってしまうほどの完成度に思えた。
その領域に手が届いていると、同じぐらいに素晴らしい舞だったと、周りが評価した。ただそれだけのことを、受け止めるのに時間がかかった。
「次を楽しみにしているわ」
表彰を終えて、会場を後にするアイリスにそう声をかけられた。
「おいおい、次も出るつもりか? 若作りも限界なんじゃないのか?」
隣でぎょっと目を見開くジルゼロアの足首に、アイリスは笑顔で蹴りを入れる。
「まぁ、気持ちは分からんでもないがな。競い合いたいと思える相手がいるというのは熱が入るものだ」
苦笑しつつも、ジルゼロアはそう言ってアイリスと共に去って行った。
「――ねぇ、ユウリ」
次の競技種目の準備をするために、演舞や表彰を行った会場広場の後片付けが始まっている。
「ん、何?」
会場広場を振り返っていたユウリがトライアリウスの方に顔を向ける。
「僕ら、どこまで行けるのかな?」
トライアリウスも会場広場に目を向けて、問う。その瞳は、終わったゼリアハルトではなく、その先に向けられているようだった。
「行けるところまで行ってみようよ」
柔らかい表情でそう口にしたユウリは、会場の空を見上げる。天候を変化させる魔法の効果はもう切れていて、快晴だった空には雲が戻りつつある。
彼女は、どこまでも行ける、とは言わなかった。どこかに限界があるとか、いつか誰かに追い抜かれるとか、そういった意味ではない。
「そうだね……僕も、君と行けるところまで行ってみたい」
憧れていた場所に辿り着けたのも、憧れていた人たちに手が届いたのも、彼女が一緒だったからだ。
どこまで行けるか分からない。ただ単純に、そう思っただけだ。否定的な意味ではなく、むしろ逆の、肯定的な意味で。
会場に背を向けて、歩き出す。
今までそうしてきたように、思うように進んでみよう。どこまで行けるかよりも、どんな景色が見られるのか。進んだ先に広がる景色を共に見たい。言わなくとも、二人はもうそちらの方が楽しみになっていた。
それから五年後のゼリアハルト、演舞の項、翼竜部門の競技会。名前を呼ばれて入場するプレーヤーたちの中に、二人はいた。
「前回のゼリアハルトから一躍トッププレーヤーとなり活躍目覚ましいトライスター! ユウリ、トライアリウス!」
司会の紹介に会場から声援と歓声が湧き起こる。
五年前よりも大人びたユウリと、一段と逞しくなったトライアリウスは目を合わせる。
情熱的で快活な彼女らしい笑顔がそこにある。微笑み返すトライアリウスに、自信のなさや臆病だった頃の面影はもうない。
「よし、行こうかトライア!」
「うん、行こうユウリ……一緒に!」
傍らに立つ彼女に応えて、竜は三枚の翼を広げた。
そうして、二人はまた一歩、前へ、次へと、踏み出していく。
後書き
昨年より自分のブログの定期更新時にちょっとずつちょっとずつ書き進める形で連載していたものを、完結を機に一つにまとめたものです。
その性質上、詳細なプロット等を用意せず毎回毎回の連載部分をその場のノリと勢いだけで書き進めていくという形をとった実験的な作品となりました。
人と竜の異種族コンビによる比較的平和な世界観での共存・協力系の物語、というのが当初のコンセプトでした。
その性質上、詳細なプロット等を用意せず毎回毎回の連載部分をその場のノリと勢いだけで書き進めていくという形をとった実験的な作品となりました。
人と竜の異種族コンビによる比較的平和な世界観での共存・協力系の物語、というのが当初のコンセプトでした。
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