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作品ID:2398
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レトロフューチャー

小説の属性:一般小説 / S・F / お気軽感想希望 / 上級者 / 年齢制限なし / 完結

前書き・紹介

 保住花音は自室で目を覚ます。いつもと同じ朝に思えたその日、彼女にはある変化が起こっていた。


終章 0週目「新・2070年2月14日」

前の話 目次

 繰り返した過去は、あんがい簡単に過ぎ去っていって。
 久しぶりに見る故郷は、当たり前だけど、普通の街だった。

   ・

 永い夢を見ていた。そんな感覚。
 意識が浮上すると同時に思ったのは、そんなこと。はっきりとした、「私」の思考。
 ぼんやりとした視界はやがてくっきりと、知らない場所を映し出す。
「――いたっ。」
 私が身じろぎしたせいで、枕の上に無造作に開かれていた情端が頭にぶつかる。
 そうだ。昨日はうとうとしていたら誰かから電話がかかってきて……その後の記憶がない。履歴を確認してもそれらしき着信は見当たらなかった。
「本当に寝ぼけてたのかも。」
 仕方ない。起きよう。
 「私」は、この場所を知らない。けれど、「いつものように」布団を蹴ってベッドから降りることができるし、足元にあるふわふわのスリッパをノールックで探し当てることができる。
 自然な動作でクローゼットを開けることも。
 ……や。
 やや乱暴に、今開けたばかりの扉を閉めた。
 なぜならば。ほとんど夏の服装とも言えそうなシャツワンピース一枚で寝ていたようで。
 自分がワンピースなどという「女らしい恰好」をしていることに鳥肌が止まらなかったから。
 ぞっとする。それと同時に、自分がまったく別人になっていたのだと実感する。
 クローゼットの中もスカートとブラウスだらけ。自分の趣味が信じられない。
 どうにか引き出しの中を漁って、あまり着ていないのであろう隅にあったスキニーを見つけた。ほっと息をつき、いそいそと履く。体のラインの出にくいダボっとしたカーディガンも発見した。ひとまずこれでいいだろう。
 ふわふわのスリッパも脱ぎたかったが、さすがに寒い。当たり前だ。今は二月。一番冷え込む時期なのだから。
 寝室を出ると、リビングとキッチンのある部屋に出た。廊下はなく、玄関と水回りにつながる扉が見えている。
 私はキッチン脇のテーブルに腰かけ、そのへんにあった紙とペンを手に取る。
 時計は二〇七〇年二月十四日、朝の七時を指している。
 さて、今の状況を整理しよう。

 私の名前は保住花音。親しい人は「カノン」と呼ぶ。
 年齢は……何といえばいいのだろう。
 覚えている最後の感覚では、まだ十代だったはずだ。
 けれど、着替えるときに見た自分の体は、より女性らしい形に変わっていた。そのことに対して震えが止まらない。こんな姿を父に見られたら。
『――あなたのお父さんは、あなたをかばって亡くなったのよ。』
 記憶の中で、母が言っていたことを思い出す。それを言われた当時の「私」はすべてを忘れていて、娘をかばうなんて優しい父親なんだ、なんて思っていたけれど。
 案の定、母は感情を押し殺した顔をしていた。
「……そうだった。」
 ああ。
「よかった。」
 心の底から親の死を喜べるだなんて。なんて不幸だろう。
 そんなことを考えていたら、いつの間にか、震えは治まっていた。

 人は、誰かのイメージの中に生きている。
 例えば私の父が、――亡くなった父の姉を、私に見たように。
 父の中で、お姉さんはまだ生きていた。
 自分が血のつながり以上に愛したその人を。
 ……昔、父に最悪なことをされたときに。
 押さえつけられ、のしかかられ、抵抗もできずに最低な行為をされて泣くことしかできなかったあの時。
 父はずっと、姉の名前を読んでいて。
 父の中のどこにも、「私」はいなかった。
 あの暗闇が。父の目が。いまだに夢に出る。
 何度夜中に飛び起きたかわからない。
 母親を呼ぶこともあったけれど。それさえもうしわけなくて声を殺して泣きながら。
 高等部の頃は、ずっと「彼」の名前を呼んでいた。

 かつての私は女らしい恰好をすることに拒否感があった。高等部では常にスラックスで過ごしていたし、体操服も体のラインがわからないよう常に長袖長ズボンだった。
 すべては「父に女として見られたくない」がために。
 小等部の頃、父が私を襲って、両親が離婚した。それからは父に見つかるたびに引越しを繰り返した。一番長くいたのは高等部を過ごした街だった。
 そこに、トーノがいた。
 遠野壇。彼は、私と知り合った時すでに天涯孤独だった。詳しいことは知らないけれど、実家すら手放す予定で国立大の植物系学部を目指していた。
 国立大の植物系学部は新自然保護法の下、学費免除、研究費の無償供与がある。そのまま研究機関に就職すれば暮らしも安泰だ。なんというか、頭がよくてお金がない学生がよく進む道ということでもある。
 そんなトーノが、世界に求められずに粛々と生きているその姿が、隠れながら生活している私になんだか似ている気がしていた。いや、むしろ平々凡々に過ごそうという彼が、私よりも下に見えていたのかもしれない。
 かわいそうなのに、自分でもそれに気がつかないくらい、愛に飢えているような。
 とにかく、私とトーノは友達というにはよそよそしく、他人というには距離の近い、「知り合い」として学生時代を過ごした。
 もう一人トーノにつきまとっている男がいたがそいつのことはまあいい。
 私の人生は、平々凡々に進んではくれなかった。高等部の五年生のとき、もうすぐ卒業というところで父に居場所がばれた。
 当時学校にいた生徒指導教諭に目をつけられていたせいか、校長先生にセクハラを告発したら恨みを持たれて、私の個人情報を抜き出して父親に連絡をしたらしい。
 母から、父に居場所がばれたと連絡が来てすぐ、私は園芸用の鋏を学校から持ち出した。父に会ったら刺してやるつもりだった
 でも、失敗した。
 父のほうが一枚上手で、私と一緒に車道に飛びこんだのだ。
 運がいいのか悪いのか、父に抱きしめられていたからか私は五体満足で済んだ。ただし、父は死んだ。
 それから、私は病院で入院することになって。――手術の後、朦朧とする意識の中で、医者から電話が来ていると情端を耳に当てられたところで、記憶は途切れている。

 ちいさな紙に書いた文字と絵は、傍から見たらただの落書きにしか見えないくらいぐちゃぐちゃになった。覚えているのに自分の記憶ではない、というのがふわふわしていて落ち着かない。
 記憶喪失だったころのことはすべて覚えている。
 私の記憶が戻ってきた今、「彼女」が心の中にいるかと言われれば、それは違うと言える。だからここ数年の記憶は他人のものに近い。
 それにしても、「彼女」がトーノに依存していたことは明白で、「私」の羞恥心がひたすら刺激されている。なんなら今から屋上まで駆けあがって叫びだしたいくらいにはこっ恥ずかしい。
 代替案で髪の毛をくしゃくしゃとすることで落ち着こうと試みる。
 ……ずいぶん伸びたな、この髪も。
 いつもは肩まで届く前に切ってしまっていたのに、今は胸ぐらいまである。
 今すぐに切りたい。落ち着かない。
 はさみないかな、ときょろきょろあたりを見回す。寝るだけに帰ってきていたせいかあまり生活感のない部屋には物がほとんど見えない。
 ふいに、インターホンが鳴った。
「おーい、生きてるかー。」
 続いて鍵をがちゃがちゃ開ける音。構える間もなく、無遠慮に部屋のドアが開かれる。
 目が合う。
「……お、生きてた。」
 その人物を一目見て、ついつい、にらんでしまった。
 人生の中であまり会いたくない知り合いである。口を突いて出たのは昔のような罵詈雑言だ。
「なにやってんだ、お花畑野郎。」
 私の言葉に相手は扉を閉める手を止める。
「……は?」
 フリーズしたそいつ――高瀬藍は、ぽかんとした顔で、私を見て、ひとまずゆっくりと扉を閉めた。
 それから、玄関に棒立ちして眉間に皺を寄せている。
「なに。」
「……俺が知ってる保住花音、か?」
「頭おかしくなったの?」
 言いたいことはわかる。
 こいつは――高瀬藍は、記憶を失っていた「彼女」にとっておせっかいなトーノの友達。急に人が変わってびっくりするのもわかる。
「……マジか。」
 一転。
 藍は、大きくため息をついてからこちらをにらんできた。相変わらず女にしか見えない整った顔。華奢な体。私よりよっぽど女らしい。そういうところもむかつく。
 こいつだけは男の人が苦手だった私でも近くに居られたというのは、墓場まで持って行きたい話だ。
「やっと帰って来やがったかノッポ女。」
「あ?」
「こちとら何年待ったかわかんねーわ。」
「なんでお前が待つ必要が?」
「あいつに頼まれちまったから仕方ないだろ。」
 そんなの、聞かなくてもわかっていた。
 私を気にしてくれていたのは、お母さんとトーノくらいだったから。
 でも、とげとげしい態度になるのは仕方がない。だってずっと、そういう接し方しかしてこなかった。
 藍は気が抜けたのか、靴を脱いで机の向かいにどかっと腰を下ろした。
「トーノは?」
「記憶ないのか?」
「なんか、昔の記憶と今の記憶がごっちゃで……よく覚えてない。」
「ふーん。そういうもんか。」
 藍は手に持っていたビニール袋を差し出してきた。
「なんも食ってないだろ。食いながら話そう。――ていうか腹減った。」
「自分が食べたいだけじゃん……。」
「うるせえ。」
 テーブルに乗せられたのは近くのパン屋さんの袋。「彼女」の時によく見てた。
 中身をちらりとのぞく。
 高等部のとき、私がよく飲んでいたグァバジュースと、藍がよく飲んでいたあんまり甘くないココアと、サンドイッチと、焼き立てのクロワッサン。
「これ渡すたび変な顔してたな、お前。」
 ジュースをにやにやと出す藍。私は受け取ったジュースを無言で一気飲みした。
「うん。変わってない。」
「安心しろよ、週に三回は飲んでるから。」
「相変わらず食事にココア合わすの幻滅するわ。」
「あ? そんなこと言うなら――。」
 藍がパンの袋を下げようとしたので、慌ててこっちに引き寄せた。
「いいよいいよ。もったいないから食べてやるって。」
「ほんっっっっっっと可愛くねえな。」
 はは、とつい笑う。
 いつもの会話。そうそう、こんな感じだった。でも、
「可愛いなんて――こっちから願い下げだよ。」
「ま、そうだろうな。」
 藍とサンドイッチを奪い合いながら、話をする。
「え、たまごいちゃう?」
「お前はハムと野菜で我慢しろ。」
「まあ買ってきたのはそっちだし?」
「こいつ……。」
 その猫みたいな目を見て、私はふと瞬く。
「あんた、テーマパークシンドロームじゃなかった?」
 ヴァーチャルでしか生きられないビョウキ。こいつは常にヘルメットを被って自分で組み立てた世界に生きていたはずだ。それがいまは何もつけずに平気に喋っている。
「とっくの昔に完治したよそんなもん。」
「そんなに簡単に治るものなの?」
「どうにかしたの。――お前だってそうじゃん。」
「へ?」
「気がついてないだろうけど、今、自分のこと『私』って言ってたぞ。」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。ま、昨日までの名残かも知んないけど。」
 ――そうだった。
 かつては自分を女性と認めると不都合が多かったから、その言葉を避けていたのに。
 なにもかも忘れて、すべてがリセットされたみたいな。……いや、そんな都合のいいことはないか。
 でも確かに、過去の記憶は少しだけ、遠のいたような気もする。
「そんなことどうでもいいから。そろそろ今の話をしない?」
 唐突に、会話をぶった切る。藍も配慮のない私の一言に、まあそうかと足を組み換え、居住まいを正した。
「トーノ、どうしたの。」
「本当に憶えてないのか?」
「うん。」
「今はっきりしてるのは?」
「高等部のとき、事故に遭って入院したあたり?」
「ああ。そのとき記憶喪失になってたな。で、軽傷だったから一ヶ月ぐらいで退院して、受かってた大学に行ってた。ここまでは?」
 ああ、『彼女』の記憶だ。確かにそんな気がする。今どきめずらしい女子大で、なんでここを選んだんだろう、と思ってた。
「トーノは東峰大学だったよね。」
「俺もな。んで、お前がのほほんと四年間過ごしてる間に、あいつはなんか論文書いて学会に出て、インターンで通ってた研究室にスカウトされて、飛び級しまくって二年で大学辞めてた。」
「そうだっけ。写真とかないの?」
「お前こそ情端にありそうだけど。」
 首をひねって思い出そうとする。そうだったかもしれない。試しに情端を開いてみれば、確かにその頃の写真が出てきた。
 事故で前の情端を壊したからか、中にあるのは記憶を失くしていた間の写真ばかり。
「……これはトーノの就職祝いでご飯に行った時の。」
「これは? 海?」
「トーノの休みがとれてみんなで行ったろ」
「そう、かも。」
 ……や、確かにそうだった。
「死んだフグが浮いてたところ?」
「お前がカニにちょっかい出して足切られたりな。」
「あー、思い出してきた。」
 太陽の日差し。日焼けで熱くなった肌。冷たい海。
 波打ち際のあの音が、頭の中に残っている。
 そうだった。あれは大学三年生のとき。トーノは社会人一年目だった。
 植物の研究を専門にできるようになって、喜んでいたのを覚えている。
「トーノ、ずっと笑ってた。」
「高等部の頃より明るくなったよな。」
 私たちが大学に行っている間、トーノは社会人としてなにか会社の大きなプロジェクトに入ったとかでどんどん会えなくなっていった。でも、休みの時は必ず連絡をくれて、トーノの家に集まって。お互い社会人になってからは休みを合わせて会うようになった。
 一年ぐらい前までは。
「……トーノ、海外に行ったよね。」
「去年の冬な。空港行ったろ。」
「うん。」
 空港で三人で写っている写真。それを最後に、トーノの写真はない。日付は二〇六九年二月一四日。
 私はその日付にひっかかる。そしておもむろに立ち上がった。手に持った情端の端に、「二〇七〇年二月十四日」の表示が見えたから。
 思い出した。
 昨日の夜だ。トーノから国際電話がかかってきて、寝ぼけ眼で情端を見て、通話ボタンを押した。でも電波が悪くて変な音ばっかり聞こえてきて。かろうじて聞こえてきたのは、トーノの「明日帰るね」の声だけで。
「……今日って、トーノの帰国日?」
「よく思い出しました。」
 藍は白々しい拍手をしながら椅子から立ち上がる。その腕には上着がかけられていた。
「空港行くぞ。午後の便だから時間はあるけど。」

 世界は昨日となんら変わっていない。
 見慣れた道路、見慣れた建物。見慣れた空。どれをとってもいつも通り。
 それなのに、私だけが変わってしまったみたいだ。
 空港に向かう電車の中。私は勢いで履いてみた黄色いパンプスを見下ろす。コートはさすがにシンプルで体のラインが出ないものを選んだけれど、なんとなく、今なら履ける気がして選んでみた。実際、なんの抵抗もなく履けた。
 当たり前だ。昨日まで普通に履いてた靴なんだから。
 でもそれが、私にとっては衝撃的だった。ヒールの靴を履こうなんて気に、この私がなれる、なんて。
 本当に、私だけが変わってしまったんだ。
 車窓からは完成間近の電波塔が見えた。街の中心地にあるその塔は、景色に溶けこむ鉄色で、途中、建設が大幅にストップした。確か二年前ぐらいだったと思う。その頃からトーノも忙しくなって、会える頻度がさらに下がった。
 それでも、休みのたびに会ってはいたけど。
 私の視線に気がついたのか、隣に座った藍がああ、と声を漏らす。
「びっくりだよな。トーノがあの大手『電信社』に入るなんて。」
「うん……詳しくは話せないって言ってたけど、絶対新電波関連のプロジェクトに関わってそうだったよね。」
「あー。隠すの下手すぎるんだよ。あいつは。」
 つられて笑う。トーノの考えていることは、慣れないと無口で表情に乏しい気がするけど、わりと仕草や微妙な変化でわかってしまう。周りにばれていないと思っているところがまたいい。
「海外出張だって、なんか問題が起きたからだろうし。」
「だろうな。」
 私は、景色を見ながら髪をもてあそぶ。
「ねえ、ハサミ持ってない?」
「持ってるわけないじゃん。あったとしてなにする気だよ。」
「髪切りたい。」
「自分でやるな。ヘアサロンに行け。」
 そんな軽口を叩いているうちに、空港に着いた。私たちの街から一時間ほどの国際空港はいつ見てももっさりとした緑の山のように植物が茂っていて、中はさながら温室で、今日もにぎわっている。
 私たちは屋上でトーノの乗っている飛行機を探すことにした。時おり離発着する飛行機の影響で突風が吹くたび、髪が巻き上げられる。
「何時に着く予定なの。」
「えー、午後とは聞いてたけど。詳しくは知らん。」
「なんだそれ。」
 電光掲示板を見ても、それらしき飛行機はない。
「本当に今日なのかも怪しいじゃん。」
「おかしいなあ。昨日メッセージ来てたのに。」
 藍が情端を開いて、メールを確認している。私は呆れて、周りをぐるっと見回した。
 そのとき、後ろのほうから誰かが近づいてくるのが見えた。
「……あれ、何してるの。」
 聞き慣れた声に藍も振り返って唖然としている。そこには大きなスーツケースを両手で持って転がしているトーノがいた。
「なにって……。迎えに来たんだけど。」
「そんな、わざわざ来なくてもよかったのに。」
「え、いつ着いたの?」
「三十分前ぐらい? 会社のプライベートジェットだったから電光掲示板に出てなかったでしょ。」
 そういう情報はもっと早くに欲しかった。
 私はトーノを見下ろした。記憶にある通りの背丈。子供っぽい顔。着古して袖がぼろぼろの上着。
 昔から何一つ変わってない。
「あ、ちょっと電話。」
 藍の胸元で通信機が音を立てている。折りたたみ式のそれを取り出してしばらくそっぽを向いたあと、藍は嫌そうな顔で振り向いた。
「ごめん。職場から連絡きちゃったや。」
「忙しいねえ、警察の人は。」
「新人がなんかやらかしたっぽい。ちょっと行ってくるわ。」
 足早に藍が去っていく。私と残されたトーノは「ぼくらも行こうか。」と歩き出そうとしたけれど、私はその襟をつかんで引き留めた。
「ねえ、トーノ。」
 借りられた猫みたいに、怪訝な顔を向けてくるトーノ。
「ねえ。私、今日起きたら記憶が戻ってたの。」
「――そう。」
「うん。」
 私は、続く言葉を飲みこんだ。
 昨日、トーノからの電話で、変な音を聞いた後に。
 今でも耳に残っている。モールス信号でSOSを求めるみたいな音。
 何も言わない私を見て、トーノは無言で視線を外した。屋上の柵に寄りかかって、飛行機を見上げる。
 私も隣に並んで、遠くの山並みを見た。
 見慣れた景色。変わらない友達。
 昔と変わらない。――でも、私の知っているトーノは、そもそも大企業なんかに進んで就職したりするだろうか?
「トーノ、昔、私が事故で運ばれたとき、夜中に病室に来てくれたよね。」
 そうだ。家で藍と写真を見ていた時たしかに思い出した。面会謝絶のはずの病室に来たトーノと、あの不思議な音を。
 耳に当てられた端末から聞こえた、まるで学校のチャイムを幾重にも重ねたような不協和音。
 あの後私は記憶を失って、そして今日思い出した。信じられないことだけれど、こんなに正確に思い出すことができたのは、あの音のせいなんじゃ――。
 そんなことありえないとは思ってる。でも、トーノが意図的に私の記憶を奪ったとしか思えない。
「カノン。」
 名前を呼ばれてはっとする。見下ろせばいつもの角度にトーノの顔が見えて、昔みたいにうっすら笑う彼がいる。
 はは、とトーノは声を出して笑う。珍しい。やっぱり何か違う。
 でもそれはいい変化に見えた。私の記憶がないうちに、一体彼に何があったのだろう。
 そのとき、どこかで咳払いの音がした。トーノが視線をやった先にはサングラスをかけた黒服の男が二人待機している。みるからにトーノを監視している。
「なにあれ。」
「会社がつけてくれた護衛。ちょっと大きい仕事に関わってたから。」
「へえ。」
 それっきり口をつぐんだトーノはに、私はため息をこぼす。監視なんてされてれば、そりゃあ何も話せないか。
「ねえ、ハサミ持ってない?」
「あるけど。……ほら。」
 トーノは背負っていたリュックから道具箱を取り出して、ハサミを渡してくれた。園芸用のごついやつ。私はトーノが荷物をしまっている間に、自分の髪をひとまとめにして左手で持ち上げる。
 確か、いつもうなじのあたりで切ってもらってたな。
 束になった髪はなかなか切れないと思っていたけれど、トーノがいいハサミを使っているのかざっくり、子気味よく刃が入る。
「――え、」
 顔を上げたトーノが目を丸くして固まっている。切った髪を握った手を広げたら、ちょうど吹いてきた風が髪を舞いあげ、陽の光に溶けるように、どこかへと飛ばされていった。
「カノン?」
「ね。賭けの結果はどうするの。」
 トーノにハサミを差し出す。後ろで黒服の二人がじりじりとこちらに近づいてきているのが見えていた。
 トーノはハサミを凝視してから、すぐにそれを受け取った。
「もちろんぼくの勝ちだよ。――ていうか、勝ち負けが曖昧過ぎ。」
「そうかな。」
「何年気にしたと思ってるんだ。」
「そこはお相子でしょ。今のところ。」
「……そうとも言う。」
「なにそれ。へんなの。」
 私は髪をかき上げる。やっぱりがたついちゃったけど、でも満足だ。
 これで、すべて元の道に戻った気がする。
 勝手にトーノのスーツケースに手をかけて、ごろごろと転がす。ハサミをしまっていたトーノが慌てて追いかけてきて、小走りについてくる。圧倒的に歩幅があってない。
 面白くって、そのまま歩いた。
「ねえ、旅の話を聞かせてよ。」
「……長くなるよ。」
「いいよ。」
「とてつもない長さだよ。」
「いいよ。だってさ。」
 私は必死についてくるトーノを、こぼれてしまう笑みを隠しもせずに見る。
「これからずっと一緒にいてくれるんでしょ。」
 トーノはびっくりしたのか顔を赤くして、ぶっきらぼうに返してきた。
「これから何があってもね。」
「なにそれ、不穏。」
「カノンには関係のない話だよ。」
「えー、教えてよ。」
 きっといつかは過去になって忘れてしまいそうな、うすぼんやりとした会話。けれど、何回繰り返そうが、きっと飽きることなく続けるのだろう。
 そんな言葉を交わしながら、私たちは家路についた。



                                 終

後書き

 「レトロフューチャー」を読んでいただきありがとうございました。
 思いつきで書き始め、途中何年も放置してしまっていた作品ではありますが、なんとかここまで書き終わることができました。
 近年出版されている精密なSF作品に比べれば稚拙な出来かと思いますが、誰か一人でも楽しんで読んでいただけたならさいわいです。

 それでは、またいずれどこかで。


作者:水沢妃
投稿日:2025/08/27 14:07
更新日:2025/08/27 14:07
『レトロフューチャー』の著作権は、すべて作者 水沢妃様に属します。

前の話 目次

作品ID:2398
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