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作品ID:1612
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人魚姫のお伽話

小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 完結

前書き・紹介


「青い鳥」  ――ボクを彩る羽根

前の話 目次 次の話

「正登!!こっち、こっち!!」

 大声で叫ばれた自分の名に。武原(たけはら)正登(まさと)は苦笑した。久しぶりに顔を合わせるはずの友人は、相も変わらずの性格らしい。


「店で大声出さないでくれよ。相変わらずの性格してるな、丹実」
 
 正登の言葉に、村蕗(むらふき)丹実(たみ)は顔を膨らませて抗議する。小学生時代からの長い付き合いだが、その表情がちょっと可愛いと思わせてしまう辺り。それがこの友人の怖さである。

 正登は、高校卒業まで、幼稚舎から大学までのエスカレーター式の私立校に通っていた。名門校でその名前を轟かせる、正登の高校時代までの学び舎は、男子校である。

 ……大事なことなので繰り返すが、れっきとした名門であり、れっきとした男子校である。生徒は当然男子生徒で構成される。

 正登が学生時代を共に過ごした友人、村蕗丹実は男子である。というか、ぶっちゃけ男子という呼称より男性と言われて然るべき年齢のはずで……。



 今年で二十八歳を迎えるはずの正登の友人は、小さなころから正登の周りにいたどの『女の子』よりも可愛かった。小学生を卒業する頃合いまで。面白がった両親、しいては祖父母に。『ひらひらワンピース』を着せられていたような少年だった。

 丹実自身も特段想うところもなかったらしく……。学校の制服を脱いだ瞬間、ピンクとフリルとお花模様の散りばめられたワンピースに、レースのカチューシャという出で立ちで現れて……。それも、嬉々として感想を求めて来るものだから、正登はその度げんなりさせられた記憶がある。

 中学に進学する頃には、流石の丹実もなにやら思うところを持ったらしい。ワンピースもレースのカチューシャも封印された。

 だが、いきなり封印を宣言し、残念がって理由を尋ねた周囲に。丹実が放った言葉を正登はしっかり覚えている。


 ――――もうしない。だって、身体大きくなってきたし、声も変わるし……。美しくないのはオレの美学に反するもん。

 周囲は残念そうに溜め息を吐くだけだったが、正直、殴ってやろうかコイツと思ったことは、正登の記憶に新しい。

 とにもかくにも、よくもわるくも、『マイペース』な少年。それが、村蕗丹実という少年だった。だから……。正登が両親の意向を無視して外部進学を密かに決めたときも丹実は一言訊いただけだった。



 ――――なんかやりたいことでもあんの?
 ――――何か言いたいことあんのかよ!

 ――――オレ、まだ何も言ってないじゃん。正登んとこの親父さん、めちゃめちゃ厳しいじゃん。許してくれないんじゃねぇのかなって。
 ――――るせぇよ。親父は親父で、俺は俺の人生なのに、なんで決められたコース行かないと許されないのか解んなくなった。

 ――――ふぅん。『院長の跡継ぎ息子さん』って呼ばれる跡取りコースが嫌になったってこと?
 ――――煩い!! 俺は俺の意思で俺の将来を選ぶ!! 文句あんのかよっ!? 


 掴みかかりそうな剣幕で怒鳴った正登に。食らわせられたのは、随分と力のこめられていないデコピン。呆気にとられた正登に、友人はにこりと笑った。



 ――――勝手な解釈するなよな! オレはお前の友人のつもりだけど? 応援してやるよ。必要なら協力してやる。
 オレはお前の友人であって、お前の親父さんの味方じゃねぇよ。頭良いくせに大事なとこぬけてんじゃねーよ!


 ハッとさせられた。抵抗することに頭を使い過ぎて、友人の存在を忘れるな、と。暗に言われた気がした。あの日から十年近く過ぎた今でも、言葉はリアルに正登の心に残っている……。




「正登! まーさーと!! なに自分の世界にトリップしてんだよ!? てめ、それが久しぶりに会う友人の前での態度かよ!!」

 丹実の言葉で。正登は現在の時間に意識を戻す。机の上に行儀悪く頬杖を付きながら、丹実はこちらを睨んでいる。


「……悪い。ちょっと昔を思い出してた」
「あぁ? 友人と昔話しかしないような年にはまだ早ぇえよ!!」

 毒づく丹実に正登は呆れ顔を向けるのを止められない。コイツは、黙って立たせておけば、可憐な人形のような容姿をしているのに、相反して結構複雑な性質の性格をしている。

 フリルとリボンを嫌がる理由を訊かれて、『美しくないのは自分の美学に反するから』と答えるようなとこからしてそうだ。尤も、普段は、そつのない『外用』の特大の『猫かぶり』を披露する丹実なので、丹実が本音を吐露したり毒舌を吐くと言うのは、気の置けない一部の友人と家族の前に限定されているのだけれども……。

 と、その『気の置けない友人』の一人の最近の様子を思い出して……。正登は自分でも気付かぬうちに笑ってしまっていたらしい。丹実が不審そうな眼を向けている。


「今度は何だよ? いきなり笑い出すんじゃねぇよ。はっきし言って不気味なんだよ!!」
「わーるい、わるい!! うちの病院の小児科ドクター思い出したんだよ……」

 正登の言葉に。丹実はキョトンとした。


「は? タカ? タカがどうしたって?  そういや、あいつも最近会ってないな~」
「そりゃ、そうだろな。けど、お前が見たら指差して笑うのが容易に想像出来るほど、面白いことになってる」

「……まぁ~だ、馬鹿正直にからかわれてんのか、アイツ」
「みんながみんな、お前みたいに器用じゃないんだよ。でも、俺が言った『面白い』の意味は、お前の思ってるのとは、ちょっと意味違うけど……」




 丹実が『タカ』と呼ぶ正登の勤務先の小児科ドクターは、元を辿れば丹実の大学の同期生である。丹実は、大学で『彼』と知り合った。同じ学部、同じ学年。 所属するサークルも重なった。けれど、特別仲が良い友人というわけでもなく。ただの知人、それぐらいの認識だった。

 整った顔立ちではあるのだが、優しげな面立ち……はっきし言ってしまえば童顔と呼ばれる部類に入る彼は、大学時代、事あるごとに先輩方のからかいのネタにされていたそうな……。


 若干、種類は違えど。可憐なお人形さんの容姿を持つ丹実だって、境遇としては同じようなものだったはずなのだけれど……。対応には、性格の差がハッキリ出た。

 揶揄られようがどうしようが、にっこり微笑んでポーカーフェイスを保ち、可愛いマスコットとして己の位置を定着させた丹実に対し、彼は一々むきになって反応を返し、先輩方の遊び道具と定着した。


 ――――要領わりぃヤツ……。

 丹実からの印象は、最初の内はそれだけだった。けれど、一回生も終わりの頃に何気なく交わした会話がきっかけで、丹実は『彼』に興味を持った。にこにこと特大の猫をかぶった丹実が、何気なく掛けた言葉、それがきっかけだった。




 ――――タカ君!! これ、先輩からだよ。「成人式の参考にしろって言ってやれ」って渡されて来ちゃった。

 にこにこと笑いながら話しかけた丹実の手にあるのは、一冊の衣装カタログ。可愛らしい丸文字でプリントされたタイトルは、『男の子の七五三』……。伝言とカタログに、彼は顔を引き攣らせて拳を握りしめた……。


 ――――……~っ!! あの人達は~っ!!! 人で遊ぶのもいい加減にしろっ!!

 カタログを引ったくり手近のゴミ箱に投げ捨てて……。肩で息を吐く姿に丹実は首を傾げてみせる。


 ――――えぇ~? タカ君なんかまだいい方だと思うけどなぁ……。ぼくなんか、渡されちゃったのコレだよ?
 
 丹実が鞄から出したのは、やはりカタログ雑誌。衣装カタログというところも同じ。但し、鮮やかに配色され印刷されたタイトルは、「晴れの日を飾る、二十歳の振袖」というシロモノ……。丹実が鞄から取り出したそれを見て、相手はげんなりとしたように溜め息を吐いた。



 ――――後輩からかって遊ぶほかにすることないのかっ!? あの先輩らはっ!!

 疲れたように頭を抱えた姿に、丹実は困ったように笑う。


 ――――ん~、悪ノリの大好きな人達だからねぇ……。タカ君もさ、もう受け入れちゃった方が楽だと思うんだけどなぁ、ぼく。


 ……タカ君、そうやって反応しちゃうから、却って面白がられるんだよ。『先輩方に可愛がってもらえる立場でありがたいなぁ』とか、そういう風に前向きに解釈しちゃえば?


 と、あまりにも要領の悪い同期に、何気なく発した言葉に。予想外の返事が返ってきて、丹実は目を見開く羽目になった。




 ――――生憎、村蕗みたいに、ニコニコ笑って人畜無害の顔を作りながら、内心で毒づいたり罵ってるのは、僕には難しいんだよ!!

 その言葉に……丹実は軽く目を瞠ったのだが、直ぐにニコニコと笑顔を向けた。



 ――――えぇっ!? タカ君、酷いよ! ぼく、そんな風に見えるの? 先輩方の厚意はありがたいなってホントに思ってるんだよ?

 ――――内心、『ぶっ飛ばしてやろうか、コイツ』とかいう感想を浮かべながら、笑い顔を作ってるヤツの言葉じゃないな……。ホントのところ、外見と全く裏腹な性格してるだろ、おまえ……。


 今度こそ、丹実は驚いた。それまで浮かべていた人畜無害で愛らしい笑顔を一気に引っ込めて……。愉しそうな視線を向ける。




 ――――……へぇ~ぇ? オレの外面見抜くなんて、結構やるじゃん。とろくさくて要領悪いだけのヤツでもねぇのな?

 ――――おまえ、本性出した途端、それか? というか、一人称まで変わんのかよ? とんでもないヤツ……。


 ――――オレの外見では「ぼく」の方が合ってるし、『可愛らしくって人懐っこい』キャラの後輩イメージも浮かべやすいじゃん。

 ――――……日常会話に高度にろくでもない計算交えるなよ…………。


 ぶつぶつとぼやく相手になどお構いなしで。丹実はにっこりと微笑んだという。それはもう、心の底から愉しそうな笑みで、丹実の本性を知らない者には『天使の微笑み』に。知ってしまった哀れな者には『悪魔の笑み』と呼ばれる類のシロモノを……。



 ――――気に入った!! 相手してて楽しかったヤツらが、軒並み揃って、他の学部と外部進学やら就職やらに走ったもんで退屈してたんだよな……。


 ――――待て。凄く不吉な予感がするんだけど?

 ――――「タカ」って呼ぶから、オレの方も好きに呼べよ。あ、オレが心ん中で『ぶっ飛ばす』宣言しないで良い呼び方ってのは常識だろ? これからが楽しみだな~。ちっとは学校生活楽しくなりそうじゃん!!


 ――――要は、ハナから人の話聞く気ないだろう? おまえ……。




 そんな会話から始まった二人。というより、丹実が一方的に始めた二人だが……。ぎゃいぎゃい騒いで嫌がる相手の抗議になど目もくれず、丹実が付きまとったというから……。


 ――――面白れぇヤツ見つけてさぁ……?


 久方ぶりに顔を合わせたとき、瞳を輝かせて話し出した友人に額を押さえたこと。友人に目を着けられてしまった被害者に、甚く同情したことを覚えている。




「……で?」
「は?」

 丹実の促しに。正登は思わず間の抜けた返答を返してしまった。


「また呆けてんのか。『は?』じゃねぇよ、『は?』じゃ……!! オレがわざわざ足運んで笑いに行ってやらなきゃいけねぇようなこと、何やらかしたんだよ? アイツ」
「あぁ、その話か……。待て!! 多分というか絶対的に、お前にわざわざ足運んで笑いに来て欲しいなんて望んでないと思うぞ……」

「細かいこと気にすんじゃねぇよ。で? タカが何したって?」

 相変わらず人の話を聞く方向性は持ち合わせてないらしい。正登は大きく溜め息を吐いた。


「まず、笑いには来るな。わざわざ来るな。てか、絶対に来るなよ? それと、俺から聞いたって話すなよ?」
「ハイハイ。で?」

 やっぱり人の話なんて聞いていない。丹実の瞳は既に面白そうな話の予感に輝かせられている……。


「うちのドクター、暫く前から春が来てて……。もう、可愛い可愛い年下の女の子を、構い倒したくって仕方ないって言うか、そんな雰囲気が溢れ出しちゃってるんだけど……。
 で、逆に空回りの感が否めないような事態を巻き起こしてるもんで、事情知ってる病棟スタッフの恰好のネタにされてる」

 正登の言葉に、丹実は眉を寄せた。


「……『可愛い可愛い年下の女の子』って……。そんな年離れてんの? ……って、まさか、受け持ちの十代とか言わないだろな? そりゃ、犯罪だかんな」

 それは誤解なので、正登は手を振った。


「違う違う。お前と違って、うちのドクターが馬鹿が付くほど不器用なの知ってるだろ? 年下って言ったって、四つかそこらで、俺らの年じゃ別に珍しくもない年齢差のはずなんだけどさ……。
 専門がそうさせるのか本人の性質なのか、天然なのか……。小児科の子ども相手と同じ扱いをうっかり披露するもんだから、結局相手を拗ねさせてるんだよな~」


 不器用さと要領の悪さも遺憾なく発揮してるもんで、こないだは危うく相手にとんでもない誤解されたまま逃げられそうになってたし……。

 続けた正登の言葉に。丹実は人を喰ったような笑みを浮かべた。あ、ヤバい。そう正登が判断したときには、既に遅かった。




「へぇ~ぇ? そりゃ、是非とも実際の現場を掴んで思いっきり笑ってやらなきゃ失礼だよな」
「……丹実、お前人の話聞いてたか? 『絶対来るな』って言ったよな?」


 友人の春なら盛大に祝ってやらないと悪いじゃん!! 大学時代のエピソードの数々なんか、是非とも披露してやらないと……。タカ、きっと涙流して喜んでくれるぜ?


 嬉々として語る丹実には、既に正登の言葉も何も届きはしないだろう……。正登は、心の中だけでこっそりと詫びた。

 ――――うっかり話題に出すには、とんでもないヤツを相手に選んでしまった……。頼むから、怨んでくれるなよ……。



 自分の迂闊さを反省しながらの心の中での懺悔は、逆に……職場に押し掛け訪問、もしくは、デートの最中に呼び出し。どっちにしろ、ろくなアクションには繋がらないだろう丹実の行動を予想させる。

 面白がった丹実の奇襲を受けて、額に青筋を浮かべながら噛みつくことになるだろう友人の姿を思い浮かべ……。容易に出来てしまった想像が、正登の頭をすこぶる痛めた。



「もう何をお前に言ったところで無駄だとは知ってるんだけど、一応言っとく。 うちのドクターが大事にしてるお姫さまは、ヤツを、『自分を救ってくれた優しい頼りになるお兄さん』と認識してるからな……? あんまり、無茶苦茶してやるなよ?」


 只でさえ、鋭いくせに呆れるほどの不器用さを発揮する友人と、痛い思い出の過去の呪縛から逃れられない女の子で……。
 友人の間の悪さや何やらかんやらも相まってしまって、友人には何も告げず、彼女は一人で身を引こうと思いつめるところまでこじれた話になっていた。

 これは流石に放っておけないだろう、と。向こうの看護師長と、その息子家族まで引っ張り出して一芝居打ち、ようやく纏めたところである。はっきし言って中々苦労しているのだ。

 が、丹実に正登やこちら側の事情など通用しない。というか、丹実は丹実の物差しでしか物事を測らないので……。



「へぇ? そりゃますます興味が沸いた。タカの『猫』をきっちし砕いて、相手の子にちゃんとタカのありのままを見せてやるのも友人の優しさだろ?
 その『優しくて頼りがいのあるお兄さん』のイメージ、どっからぶっ潰してやったら楽しいかな?」


 にっこりと微笑む丹実は、まさしく。『天使の笑顔をした悪魔』である。というか、それ以外の何物でもない!! 
 
 正登と丹実の周囲の女の子達が、丹実の微笑みに、『わぁ、綺麗な男の子だよね』なんてどよめいているが、正登には、『地獄の帝王』が微笑んだようにしか思えない。


 あぁ、かくして地獄の扉は開かれたのか……。頼むから、これ以上話をややこしくしないでくれ!! 落ち込んだ小児科アイドルに、こっちの病院でどれだけの被害が出ると思ってんだ!!

 ここは取り合えず。話を変えよう。話題を代えよう。うん、そうするべし。それしかない……。話をすりかえるべく。正登は丹実の勤務先に話の矛先を向けた。



「こっちの話は、お前の知ってるヤツに関してはそれくらいだよ。んで、お前、どうしてんの? というか、勤務先聞いて結構驚いたぞ? お前の勤め先としては小児科の次くらいに有り得ないような気がしてたからな~。一彦先生の跡継ぐんじゃなかったのか?」

 正登の台詞で。丹実は顔を膨らませた。うん、だから、本性を知ってる俺の前でその顔すんな! はっきし言って空恐ろしい気分にさせられる……。


「ジジィに追い出し食らったんだよ! 『小僧の分際で、ワシの前で診療なんざ三百年早いわ!! 修行してこい! 修行を!! 二、三十年帰って来るでないわ!!』って!! 
 あのジジィ!! 還暦もとうに過ぎたジジィの言葉かっ!!? 二、三十年!? 三百年だぁっ!? そんときにゃ、あのジィさん幾つだよっ!!  ジジィは妖怪にでもなるつもりかっ!!」


 正登が『一彦先生』と呼び、丹実が『ジジィ』と罵るのは、地元で小さな個人診療所を営む、丹実の祖父。村蕗(むらふき)一彦(かずひこ)。

 言葉尻だけを取れば罵っているようにしか聞こえない言葉。けれど、正登は知っている。丹実が誰より祖父を尊敬していること。口の悪さは昔から。それだけの口を叩ける間柄だと言うだけの話だと言うこと。


 正直、丹実が医学部に進学する方が周囲には驚きで。そして、同じように。正登が進学を放棄したことも。正登や丹実の『一部分』しか見ていなかった周囲には驚きだったのだ。

 正登の実家は、地元ではそこそこ名前の知れた家である。代々受け継がれたという武原の家名は、曾祖父の代には既に医師という家業を定着させていた。曾祖父が興した病院は、今ではそこそこの規模の経営を誇る地元の大手総合病院である。

 正登の父親は当代当主で病院長、経営陣には親族が携わっている。正登はその武原の本家の長男。正登の両親も祖父母も親族も。当然のように正登に『跡継ぎ』の名前を与えてきた。

 名門私立校で、正登の成績は秀でた部類に入るものだった。みなが予測した医学部への進学は、だからこそ当たり前のことで。当然、正登が医学部の進学放棄を宣言するなど、誰も予想し得なかったことだったのである。

 ……正登本人だって、自分の進路を疑ったことなんて、高校生活も一年の中盤を過ぎる頃まで、ハッキリ言ってなかったぐらいで。


 高校一年の夏の学期末。正登は一つ、父親に持ちかけた。学期末で首位を取ることを条件に、正登が持ちかけた話は単純なもの。

 『アルバイトをしたい』

 本当に単純なものだったのだ。それが、正登の世界を変えるきっかけになるなんて、誰も思わなかったはずだ……。期末考査明け、見事に首位を飾った正登の名前に。武原の体裁を気にした両親がバイトの内容に括りをかけてきた。

 ――――武原総合病院での修行と将来の勤務病院の下積みを兼ねたアルバイト。


 勿論、正登は抵抗した。自由な内に、いろんな世界を見てみたいと。何気ない想いだったけれど、そう思ってバイトを申し出たのに、それでは意味がない。けれど、正登に決定権があるわけもなく……。

 経緯を知った一彦先生が申し出てくれるまで、正登には歯噛みすることしか出来なかった。きちんと提示できるだけの結果は示した。なのに、何故。両親は何に拘っているのかも解らないままに……。


 『正登坊のアルバイトですがな、武原総合病院と併せて、村蕗診療所にも週一程度でお手伝いを願えませんかな? 聞けば、正登坊は世界を見てみたいそうでして。

 ご存知の通り、武原さんのお宅と違ってワシが経営するのは小さな個人診療所です。大きな総合病院と個人経営の小さな診療所。正登坊にとっては、それだけでも何かの価値や発見が見出せるでしょう。

 勿論、正登坊は責任を持ってワシがお預かりします。うちの丹実が仲良くさせて頂いておりますし、これもご縁かと思いましてな……。
 どうです? ご両親の目も行き届く範囲ですし、正登坊の希望にもある程度応えれます。ここらで両者引き分けにしませんかな?』


 正登の両親は、丹実の正体を知らない。ニコニコと笑う、礼儀正しい、お人形さんのような可憐な男の子しか……。個人経営の村蕗診療所は、御町内での評判はそこそこに得ている。

 一彦先生の『提案』という名の『仲裁』によって。正登も、両親も。それぞれが、それぞれの折れどころを、ようやく見つけた。頃は既に初秋に入る頃だった……。

 正登が疑問を持つには十分だったのだ。己の人生に、何故、両親や祖父母がそこまで括りを掛けてくるのか。何故、そうされて黙っていなければならないのか、と。


 武原総合病院でのアルバイトと村蕗診療所でのアルバイト。それが、正登の心を固めた。武原総合病院でのバイトでは、正登は、『武原正登』ではなく、『武原病院長の跡継ぎの坊っちゃん』でしかなかった。

 村蕗診療所でのバイト中、正登は『武原の坊っちゃん』ではなく、『武原正登』だった。……正登にすれば、それが答えだった。


 武原総合病院、武原の家、縛られる限り、正登が医師として武原病院に入れば、それは『武原総合病院の若先生』という代物にしかならない。このままでは、その名前しか自分には付かない、と。

 正登が医学部への進学放棄を決意した折、季節は新たな春を迎えようとしていた。言えば阻止されるのは火を見るよりも明らかな中で、正登が誰かにそれを悟らせるはずもなく。

 けれど、この友人と友人の祖父は気付いていたようで。気付いていて、言わない正登の意思を尊重して黙ってくれていた。



 高等部二年の秋、丹実の祖父が倒れた。村蕗診療所は、丹実の祖父、一彦が一人で営む個人診療所である。村蕗一彦には二人の子どもと三人の孫がいる。丹実の父親である長男と叔母に当たる長女。だが、どちらも医療職ではない。

 丹実の父親は会社勤務のサラリーマン。母親は小学校教師。丹実の叔母は遠く海外に嫁いでいる。叔母の職業は、フリーライターだという。
 丹実は一人っ子。遠く海外には、年の離れた従姉妹姉妹。それが、村蕗の家の家族構成である。丹実の祖父は、特に誰かに診療所を無理強いすることを望んでいない。

 特別深刻な事態でもなかったのだが、一度倒れたことで弱気を起こしたのか。丹実が高校二年の秋、一彦は、村蕗診療所を畳むことを視野に入れ始めた。
憤ったのは、誰あろう、丹実だった。



 ――――……っざっけんじゃねぇっ!! ジジィっ!! 診療所畳むってのは、どういう意味だっ!!?
 
 掴みかかった丹実を、家族達が必死で止めた。


――――……まんまの意味じゃ。元々、個人経営の小さな診療所じゃ。診療所長のワシが倒れるような身体でこのまま続けていくわけにもいかんじゃろ。元よりワシの代で終わらす診療所じゃ……。

 入院先のベッドで淡々と話す一彦。その一彦の姿に、病室であることも弁えずに怒鳴った丹実の勢いは凄まじかった。


 ――――馬鹿は死んでから言いやがれっ!! てめぇ、一度倒れたぐらいで、らしくもなく分別弁えてんじゃねぇっ!! 気持ちわりぃんだよっ!! 
 てめぇのお孫さまの存在をシカトしてんじゃねぇっ!! 健気なお孫さまが何のためにあの堅苦しい学校で耐えてやってると思ってんだっ!!? 
 医学部進学資料なんざ、とうの昔に揃えちまってるんだよっ!!



 丹実の言葉に驚いたのは、一彦だっただろう。けれど、見舞いに付き合わされていた正登だって驚いた。丹実が学生鞄から取り出した様々な大学のパンフレットと赤本。

 その全て、『医学部』と明記されていたのだ……。驚いたように。困ったように。眉根を寄せた一彦に。けれど、丹実は何処まで行っても丹実だった。



 ――――勘違いすんなよっ!? ジジィの跡継ぎ先生になる為じゃねぇっ! オレはオレの意思で医学部を受験するし、オレの意思で村蕗診療所の医者になるって決めてんだ!! 
 ジジィに四の五の言わすつもりはないかんなっ!! わかったらさっさと戻ってきやがれ!! オレがどれだけ優秀でも、今てめぇにくたばられると、困るのはオレなんだよっ!!
 

 どうやったって、九年はかかるのは仕方ないだろうがっ!! それまで勝手にあの診療所を畳む話なんて進めやがったら、はったおすぞ!!




 当時、丹実と正登は高校二年。高校生活はあと一年と少し、そして、医学部は六年制。さらに言えば、学部卒業後には研修期間が控えている。

 呆気に取られていた一彦が笑い出すまで、時間は要らなかった。



 ――――……ほっ。生意気な坊主じゃのぅ。坊主にそこまで言われて、黙ってこのままくたばるわけにもいかんな。坊主がワシの診療所の扉を叩けるまで何年かかるか楽しみじゃ。

 ――――うるせぇっ!! 





 高校生活を終えた春。丹実は二年の秋の宣言通りに内部進学で医学部に進学した。正登は三年の春に丹実に進学放棄を伝えていた。
 高校生活を終えて、家を飛び出し、始めた新たな暮らし。体裁を重んじる正登の両親は、勝手にルートを変更した長男に烈火のごとく怒りをあらわにした。

 勘当を言い渡されたは同然だったが、世間体は気になるようで……。二十歳まで、成人までは、仕送りをしてやると言ってきた。それまで、考え直す猶予をやる、とも。反発して仕送りをつっ返そうとした正登を諌めたのは、一彦だった。


『正登坊、気持ちも解るが受けておきなさい。正登坊が今一番探しているのは、お前さんの人生じゃったはず。ならば、仕送りの金は、自分の人生を探すためのモノだと思えばいい。
 お前さんが今一番大事にしなければならないものは、自分の見栄ではないはずじゃ。そうでなければ、御両親を突っぱねて飛びだしたかいもなかろう?』


 一年、必死でいろいろなバイトを経験した。未知の世界に飛び込んだ影響で、正登自身が病院に世話になる機会も増えた。

 ……医療職に諦めのつかない自分を知るのには、他とない機会だった。


 飛び出したことを後悔はしない。正登があのまま医学部へ進学すれば、正登は正登を取り戻せなかった。『武原の息子さんの人生』ではなく、『武原正登』の人生を。
 
 ――――けれど、医療の世界に就きたいと願っていたのも事実だった。



 矛盾に悩む正登の視界に飛び込んだのは、白衣。医師の白衣ではない、『看護師』という職業選択。医療の世界で働きたかった。ならば、諦める必要がどこにある?

 一年間で貯めた貯金と仕送りの貯金。節約生活は、丹実や丹実の家族が支援してくれた。高校卒業から遅れて一年。正登は看護大学の門を叩いた。





「……しつこいようだけどさぁ、目の前の友人放って自分の世界に浸るのやめようぜぇ?」

 尖り切った声で抗議されて。正登は時間を再び戻す。


「あ、わるい!!  つい、な」

 なんとはなしに感傷的だ。ついでの話、正登は実家とはいまだに絶縁中であるが、時折見合い写真が送られてくる。良家のお嬢様だったり、どこそこ病院勤務の医師だったり……。   
 母親は、正登を連れ戻すことを諦めたわけではないようだ。



「んで? 『医者もいろいろいるんだな』なんて書いてよこしたってことは、進路変更でもする気になったか?」
「そりゃないな。これで結構、看護師の職業も気に入ってるんでね。今、俺が医師になれば、『若先生』の道に戻るしか出来ない。いつか考えを変える日があるとしても今じゃないのは確かだ」

 正登の言葉に、丹実はあっさり頷いた。


「ふぅん」





 医者にもいろんな奴がいるもんだ。正登が感じたのは、自分の病院の小児科ドクターのことか…………。

 正登が勤務する病院に研修医として三年前に着任した、丹実の同期。偶々、勤務時間が重なり、世間話をしていた深夜。
 正登は一年遅れで看護大学を受験し就職した。医学部の卒業生である彼は、正登の一年後にやってきた。他愛もない世間話の中で、正登の友人と彼の『悪魔』が一致したとき。
 お互いに驚いて……。『天使の容貌を持つ悪魔』について大いに語り合ってしまったのは秘密である。


 不意なきっかけで打ち解け、正登は意外なことを知る。丹実の同期は母子家庭、十歳離れた弟がおり、弟がとても体の弱い子どもだったのだと。
 母親が働いているので、入院中の世話は彼が見た。彼の弟も彼に一番懐いていた。度々入院を繰り返す弟の見舞いに訪れる内、彼は気付いた。子ども達の眼が、どこか諦めているときがあることを……。

 それが、進路を決めたという。いくつも掛け持ちしたバイトの資金と奨学金で、彼は道を切り開いた。けれど、不思議なもので。彼の進路を決めた弟は、彼が大学に入ったころから調子を戻し、すっかり元気な子どもに戻った。今では、憎まれ口しか聞いてくれないと嘆いているのを知っている。




「まぁ、お前の世界にゃ『武原総合病院の医師』しかいなかったもんな~。ちょっと他所見りゃ、医者は幾らでもいるって気付かないあたりがお前だよな」
 
 ――――オレんとこのジジィだって、『村蕗一彦』っつう医者なのにさ?
 

 丹実の言葉には、正登は苦笑するしかない。

「言われればそうなんだよ。でも、今の俺やあのときの俺じゃ『武原正登』って医者にはなれなかったし、なれないんだよ。『武原総合病院の若先生』にしかさ……。
 お前は『村蕗丹実』って名前の医者になれるし、ウチの小児科ドクターだって、『仁科貴悠先生』なんだけどな」


 ……俺では。今の俺では。



「ま、今お前が医者の資格取ったら、実家に強制連行は確実だわな。泣き落としで簡単に落ちそうだもんよ、お前」
「うるさい、ほっとけ」

 丹実がクスクス笑う。正登もつられて吹き出した。


「……んじゃ、オレ行くかな~っ。交代時間入れられてんだよ。あ~、めんどくせぇ!! ……近い間にタカの間抜け面もおがみにいってやるからって言っとけ」
「……だから、来るなっつうの!! 纏めたところなんだから、ホントにややこしい事態起こさないでくれよ?」

 気分次第~? 応える丹実の声は、少しも悪びれない。  カランと音を立てて丹実が去った扉。自分の勤務先の小児科ドクター。二人とも、全く種類の違う奴ら。だけど……。



 ――――チルチルミチル 蒼い鳥  正登は未だに模索中。だけど、蒼い鳥は近くにいると昔話は教えている。だから……。


「……とりあえず…………。ウチのアイドルには教えとかないとまずいか?」

 幸福探して旅の途中。自分を探して旅の途中。

後書き


作者:未彩
投稿日:2015/12/22 19:33
更新日:2015/12/22 19:33
『人魚姫のお伽話』の著作権は、すべて作者 未彩様に属します。

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