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作品ID:2302
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夕霧

小説の属性:一般小説 / 異世界ファンタジー / お気軽感想希望 / 中級者 / 年齢制限なし / 連載中

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弔う

目次 次の話

 細い山道の途上だった。
 響くのは、激しすぎて滝を幻視しそうな雨音だけ。
 後に残ったのは二人の人影だけで。他はすべて、道の左側に落ちこんでいる崖のはるかな闇に飲まれて、消えた。
「……。」
 呆然と立ち尽くしていた人影が、隣で座りこんでいる人物を見下ろした。
 みすぼらしい、ぼろぼろの衣服。いや、麻袋に穴を開けただけのなにか。物のような扱いにお似合いの太い鎖が足と手を繋いでいる。
「おい。」
 雨の中、大声で声をかける。
 奴隷はゆっくりと顔を上げた。顔にはりついた白髪の奥から、鈍く光る黒い目が隣にいる人物を見上げる。
 杖をついた人物。こちらはフードの奥から声をかけているから髪色はうかがえない。目線があっているのかすらわからない。男の声にも女の声にも聞こえる中性的な声と同じように、その細身の体つきからも性別はうかがい知れない。
「歩けるか。」
 雨の音に交じって、杖の人が言う。奴隷は黙って立ち上がった。
 人に逆らえばどうなるかはよく知っている。
「よし、行くぞ。」
 そう言うと杖の人は山道を下り始めた。奴隷もそれに倣って、重い鎖をずるずと引きずりながら続いた。

 その日は山の中腹で洞穴を見つけた。
 杖の人はランプを取り出して一番奥まで行って座りこむ。奴隷もそれを見て、入り口に近いほうに座った。野営中、獣が来たら主人を身を挺して守るのはいつも奴隷の仕事だったから。
 二人の間でランプが揺れる。
 外の雨は小雨になってきていた。はるか崖下にあった川が道を下っているうちに目前にまで近づいていたらしく、どこからか聞こえてくる濁流のほうが大きいくらいだ。
 杖の人は奴隷を見る。
「名前は。」
「……ないです。」
「奴隷になる前のでもいいんだぞ。」
「わたしは母親の腹の中にいるときに奴隷になったので、元々の名前もありません。」
 この国の奴隷は罪人だ。それぞれに刑期があり、それを終えるまで奴隷として生活するが、一生のうちに奴隷から解放される人は稀だ。残った刑期は、たいていは配偶者や子供に引き継がれる。
「母親は父親の罪を背負ったそうですが、わたしを生んですぐ死んだそうです。なのでわたしも自分がなんの罪で奴隷になったのかは知りません。」
「……そうか。」
 押し黙った
「なんだ。」
「あの。その。」
「いいよ。なんでも思ったことを言って。」
 いいのだろうか。奴隷は杖の人を見つめる。
 フードの奥にある顔から表情を読み取るのは不可能に近い。
 おそるおそる、口を開く。
「あまり奴隷は見慣れませんか。」
 奴隷は杖の人がこの国の人ではないと気がついていた。言葉はどこかたどたどしいし、なによりこの国の者なら路頭に迷った奴隷の面倒を見ようなんて考えない。
 杖の人はその指摘に憤慨するでもなく、「ああ、」と外套のフードを取った。雨粒が周囲に散る。
 ぶ厚い外套に守られていたその顔はやはり中性的。黒い髪が後ろでひとつに結ばれているのと、晴れ渡って白んだ青空に似た目が印象に残る。
「確かに俺は山向こうの集落の人間だよ。――俺はスナチ。巡礼の旅の途中だ。」
「巡礼?」
「俺たちの信仰する神に、十年に一度のあいさつをしに行くんだ。これからも村のことをお願いしますってな。今年は俺と、ムガチってやつが選ばれたんだが。」
 スナチの言葉に奴隷は思い返す。
 足場が悪く、車輪が道から脱落した衝撃で荷車の外に投げ出されて。崖に落ちそうな自分の手をつかんでくれたのがきっとムガチだったのだ。
 後からスナチも手伝って、なんとか道に引き上げられた。その時にはもう他の奴隷は崖の下だった。
 山側に寄って、よかったとムガチが言った途端。
 彼の立っていた崖の一部が崩れて落ちた。
 あとには、言葉もない杖の人と奴隷が残るだけだった。
「まったく。優しすぎるのも考え物だよな。」
「……ムガチさんには、感謝しかありません。」
 奴隷は静かに言う。スナチはちょっとびっくりしたように奴隷を見て、そうか、と顔を伏せた。
 相手の顔に、いつの間にか涙が伝っているのを見てしまったから。それにつられるのがなぜだか嫌だったから。

 翌日の昼、二人は打ち上げられた無数の人を見た。
 奴隷も奴隷商も荷車を曳いていた動物もいっしょくたになって川辺に寝転がっていた。そのどれもが、もう息をしてはいなかった。荷車は崩れて至る所に散らばっていた。
 もう少し水が引いたら獣たちが寄ってくるだろう。奴隷は辺りを見回してスナチを探す。
 スナチは一番上流に近いところにいた。川に浸かっていた何かを引き上げたところらしい。
「スナチ――。」
 声をかけて、そのまま止まる。
 それは、スナチと同じ、刺繍が施された外套を着ていた。しかし、その中に包まれたなにかは人の形をしていなかった。
 軟体動物のようにくねる手足。胴の真ん中は本来曲がるはずのない方向へ直角に曲がっている。
 それがなにか、しばらく気がつけなかった。
 スナチは「それ」から荷物袋を外し、外套をはぎ取る。そしてまた川にもぐると、しばらくして自分が持っているのと同じような杖を見つけてきた。
 奴隷はそれが外套の傍らに置かれて、思い出す。
 杖の先にはめられた澄んだ色の石は、確かに自分を助けてくれたムガチが持っていたもので。
 柔らかくほほ笑んでいた、命の恩人の顔を思い出して。
「――うっ。」
 胃からなにかがせり上がってくるのを抑えられなかった。
 元々何も入っていなかったからか出てくるのは胃液だけ。それでも吐き続けて、やっと息ができるようになったとき、足元でがちゃり、と音がした。
「落ち着いたか?」
 見ればスナチが足枷を外している。
「――どうして。」
「あ? そこの奴隷商からもらってきた。」
 ぶ厚い鍵を目の前に垂らされる。奴隷商がこれ見よがしに腰から下げていた奴隷たちを繋ぐ鎖の鍵。
「いや。そうではなくて!」
 もう片方の足枷も外された。
 どうして。
「どうして、助けてくれるんですか。」
 スナチはその言葉に一瞬止まって、奴隷の腕輪を手に取る。
 右手が軽くなった。
 何かを考えるように押し黙ったまま、左手を握られる。最後の鍵穴に、太い棒が突き刺さる。
「……別に、特別な事じゃない。」
 がちゃん、という音は水音にかき消された。
 けれど奴隷は確かにその音が耳の奥に残るのを感じていた。
「俺が助けないと、お前、死にそうだったし。俺には人ひとりくらいなら助けられそうな気がしたし……まあ、この後の事はわからんが。」
「……。」
「それに。」
 スナチは奴隷から目をそむけた。
「ムガチなら、そうしてた。」
 奴隷は、スナチの視線の先を追う。
 いつの間にか、まともに人に見えるように置かれたムガチの遺体。目は閉じられて、穏やかでも苦痛に満ちているわけでもない、ただ眠っているだけに見える顔。
 奴隷を無視して死なせてしまえば、ムガチの死が何の意味もないものになってしまう。
 奴隷は人知れず震えた。
 ただの「物」であった自分の命。人より軽いそれが、今、確かな重みとなって自分にのしかかっている。
 自分とムガチ。二人分の重さになって。
 スナチは無用になった鎖を川に投げた。
「さあ、みんなを弔ってやろう。」
 立ち上がる。つられるように、操られるように、奴隷はスナチに追従した。
 何気ない言葉が奴隷にとって新しい鎖になったことに、二人はまだ気がついていない。


 流木、荷車の破片。かき集めたそれらを、きれいに並べた遺体の上に置いていく。
 棺の代わりにはならないけれど。獣に食われる最後よりはましだろう。
 当たり前のように火葬の準備をするスナチを、奴隷は複雑な目で見る。
 奴隷の国では土葬が一般的なのだ。
 それを教えるべきか、迷っている。
 スナチは異邦人だ。こちらの事情をおしつけるのも間違っているだろうし、彼の考えもわかる気がする。だから、このまますべて灰に帰るのも無駄な事ではないのだと思う。
「どうした?」
 黙りこくる奴隷を振り向き、スナチは問う。
 あとは火をつけるだけだ。奴隷にも手伝ってもらおうと思って荷物の中から火打ち石を取り出したのだが、そこで浮かない顔をしているのに気がついた。
「い、え。なんでもないです。」
 へらり、と奴隷が笑う。薄っぺらい笑いだった。
「……お前。」
「はい!」
「別に人の顔色をうかがわなくてもいいんだぞ。」
 もう奴隷ではないのだから。そう言いたいのはわかる。
 でも奴隷は知っている。奴隷を解放するには多額のお金を払うか、自分が刑期を肩代わりするしかないと。
 それ以外では鎖を外すことさえ許されていない。
 奴隷の鎖を外した時点で、スナチは罪を犯している。奴隷に落とされても文句は言えないような重罪だ。
 けれど、スナチはまだそのことを知らないのだろう。だからこんなに平気な顔をできるのだ。そうでなくては、理解できない。
 事実を伝えることでスナチに罪の意識を自覚させるよりは。
「……わたしたちは、こんなふうに遺体を燃やしたりはしないんです。」
 スナチはびっくりしたように目を丸くした。
「そうなのか。」
「はい。基本は土葬です。」
「それは悪いことをしたかな……。」
 木材の下に隠れた遺体を見下すスナチ。
「でも、このまま放っておいても獣に食われてしまいますし。――弔いには違いないでしょう?」
 奴隷は気遣う。
 せめて、なるべく軽い罪悪感で終わってほしい。
「……そうか。」
 納得したのかは、あまり表情の変化のないスナチからは読み取れなかったけれど。
 手に持った火打石をうたうように打ち合わせる。火の粉が散って、木材の上に置いた着火剤が静かに燃え始めた。
 ゆっくりと、木々が燃えていく。たなびく煙が千切れ雲に紛れて消えていく。
 獣が近づいてくる気配もない。二人は少し離れた風上でその光景を目に焼き付けた。
 太陽が頂点を過ぎたころ、スナチは奴隷を呼んで、ムガチから回収した荷物と外套を渡した。
「持ってろ。布はまだ濡れてるけど。他の物はほとんど無事だったから。」
「いいんですか?」
「ああ。持っていてくれ。」
 旅に便利なものも、思い出の品も。丈夫な鞄は濡れそぼっただけで決して口を開くことはなかったようだ。
 口の固かった友人に似ている。
 そんなことを思って、唇をかみしめた。
 今その友人は、火の下にいる。
 隣を見る。奴隷は燃え盛る炎から目を離せずに、ぼう、と立っている。スナチはもう一つの荷物を持ち上げて、奴隷の目の前にかざした。
「これも持ってろ。」
「――これは。」
 嵌めこまれた石はどこか夕焼けをおもわせる色合い。しかし根本的な意匠はスナチと同じそれ。
 スナチと同じ杖だった。
「一番大事なものだ。ムガチがいなくなったとしてもそれだけは連れて行ってやらないと。」
「巡礼の旅に、ですか。」
「そうだ。」
 そのとき、積んでいた木が崩れた。
 火の粉が舞い上がる。音につられて、奴隷がそちらを見る。
 それを見て、スナチはため息をついた。
 奴隷の足はここから動きそうにない。しかしそろそろ出発しなければ、またあの洞穴で夜を越さなくてはいけない。
 なるべく川の近くから離れたかった。大雨の影響は後からやって来る。いつ鉄砲水や土砂崩れでこの河川敷がなくなるかもわからない。
 どうしたものか。
 おい、と声をかけようとして、ふと思いつく。
「……ニリ。」
 奴隷はスナチのつぶやきに、煌々と燃える火から目を離す。
「これからはニリを名乗れ。」 
 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。
「ニリ?」
「ああ。」
「それは?」
「名前だ。」
「わたしの、名前ですか?」
 スナチはもう一度うなずく。
 ニリ。その音が奴隷の中に深く沁みていく。
 今まで持ったことのない、音。自分だけの響き。何度か呟く。
 ニリ。
 感じたことのない、高揚感。
「気に食わなかったか?」
 スナチは心配そうに奴隷を見る。奴隷はぶんぶんと首を横に振った。
「すみません! 自分だけの物っていうのは、その、初めてで。」
「……そっか。」
 こそばゆい、とはこういうことだろうか。火照った頬を手で包む。ひんやりとした手が今ほどうれしかったことはない。
 幸福そうに笑う奴隷から、スナチはすっと目を離した。
「よかった。」
 その表情は暗闇に溶けこんでいて、奴隷にはスナチがどんな顔をしていたのかわからなかった。

後書き

次話投稿は未定。
話の展開は結末まで決めていますが、どう書くかはこれからです。


作者:水沢妃
投稿日:2021/02/15 23:22
更新日:2021/02/15 23:22
『夕霧』の著作権は、すべて作者 水沢妃様に属します。

目次 次の話

作品ID:2302
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