作品ID:30
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ローバス戦記
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 連載中
前書き・紹介
第十五話 東風静かに
前の話 | 目次 | 次の話 |
ローバス軍がアフワーズに総退却してから一週間後、トーラス軍は東北よりローバス領内に侵入した。
すぐさまそれは、国境警備隊によりアフワーズへ、そしてアリシアの元へ報告された。
トーラス、カーン・ラー両軍はオルガ荒野で合流。ローバス軍もアリシアの出撃から正確に三日後、オルガ荒野に到着した。
ローバス軍七万五千。
トーラス軍四万、カーン・ラー軍十二万、計十六万。
敵より多く兵力を整える。という兵法上の道理から言えば、トーラス、カーン・ラー両軍はすでに勝利を掴んでいた。しかし、カーン・ラーは二十万の兵力を擁していながら、寡兵のローバス軍に大敗北した苦い経験が残っていた。その為、両軍はすぐには動かず、にらみ合いの膠着状態になりつつあった。
「時間が無い。そうじゃなかったのか?」
本陣で不満を漏らしているのはホルスだ。グリュードも不満は述べていないが、早く戦いたいという思いはホルスと一緒のようで、本陣で無言のままずっと待機していた。
紅蓮騎士団はいつでも攻撃合図と共に敵陣に突撃できるよう準備しているのだが、その合図が来ない事に痺れを切らしていた。
「まあ、まて。ホルス。もうしばらく……」
シャルスは溜め息を吐きながらホルスをなだめた。
「しばらくって、何時までだよ?」
「とにかく、もうしばらく待て。今無理に攻撃を仕掛けた場合、膠着戦が続く事になる」
「ホルス、これは命令です。合図あるまで待機しなさい」
二人の間に割って入ったのはアリシアである。
ホルスも流石にアリシアの言葉には逆らう事はできず、黙ってシャルスを睨んでいた。
「貴様は戦う事しか知らないのか? まったく、リレイ殿と兄妹であることが不思議でしょうがないぞ」
ティアが呆れた声で言うと、ホルスは低い声で唸った。
「まあ、兄の足りない部分を妹が補っている。と、考えれば納得できるが……」
「悪かったな!」
「ああ、悪い。少しはリレイ殿を見習え」
もう、かれこれ何度目になるか分からない一触即発の雰囲気になった時、そっと一同の元にお茶が運ばれた。
「もう、お兄ちゃん! ティアさんにまた叱られて……今度は一体何をしたの!?」
「……俺が悪いのか?」
ホルスは呆れながら最愛の妹リレイを見つめた。
リレイはアフワーズ城に入城からしばらくしてアリシアの侍女となった。リレイ自身がそれなりに武術を習得している上、ホルスの世話をしていた経緯もあり、何の問題も無く、アリシアの身の回りの世話を見事にこなしていた。そして、この戦場にもアリシアの身の回りの世話の為に従軍していた。
無論、当初ホルスは大反対し、何とかリレイをアフワーズ城に留めようと努力したのだが、リレイの華麗な武術にホルスは陥落。リレイは己が実力で従軍を果たしていた。
ちなみに、リレイの華麗な武術だが…。
『左顎へ右フック、下顎へ左アッパー、溜めて鳩尾に右正拳突き、右こめかみに回転左肘鉄、頭を掴んで顔面に右膝蹴り、悶絶し前のめりに倒れたホルスの後頭部に踵落とし』
現場を見たアリシア、ティア、グリュード、シャルス、フィルガリア曰く、「ローバス史上最強の侍女」だそうだ。
「当たり前でしょ。何か問題を起こすのはお兄ちゃんでしょうが」
「俺の弁解。もしくは反論の許可を要請する」
「却下」
即答で答えられたホルスは、体操座りで何かブツブツ呟きながら床を指でなぞり始めた。その背中には「兄の威厳」は一片も無い。
「まったく。アリシア様、この兄が団長で、紅蓮騎士団の皆様は迷惑していないでしょうか?」
「え、え?と、さあ? どうでしょう?」
答えに困り、アリシアは笑いで誤魔化そうとした。
「…ホルスを辞めさせてリレイ殿を紅蓮騎士団の団長に据えようか?」
シャルスがなかなか生真面目に言うと、反論の声は出なかった。
「さて、壊れたホルスは放っておくとして、問題はこの状況の打開だ」
グリュードの言葉に、アリシアはゆっくりと頷いた。
「グリュードの言葉通り。この状況を打開する必要がありますね。シャルスはどのように考えているの?」
「殿下。ご心配なのは分かりますが、まあ、ここは焦らず待ち構えましょう。どうせ敵は動きます。これには三つの理由がございます。一つ、敵の目的は侵略であり、防衛ではない。退けば権威が失墜するため攻勢に出るしかない。二つ、敵は大軍ゆえに食料の貯蔵に余裕がない。徴収するという手段があるが、大軍を養うだけの食料など徴収しきれるものではない。逆に兵力の分散を恐れる。三つ、トーラス軍は無傷。故に積極論が高まる。そうなれば連合が瓦解する可能性がある。カーン・ラー国王はそれを恐れる。以上三つの理由により、敵は必ず近い内に攻勢にでます。その時こそ、敵軍を撃滅する好機です。さらに、トーラス陣営を混乱させる為、トーラス本国に密書を送っています。カーン・ラー陣営にも密書を送っています。これで両軍は連携が取れなくなるでしょう。この際です。カーン・ラー王国とはこちらが優位な講和をし、トーラスは撃滅し、ローバス東部を三年は平穏にしてご覧にいれましょう」
シャルスは高らか宣言した。
シャルスの言葉通り、カーン・ラー、トーラスの両陣営では口論になっていた。
「敵の倍以上の兵力を擁しているに何故、攻勢にでない?」
「我々は侵略の為に来たのだ。侵略軍が攻勢にでず、どうして領土を拡張できよう」
そう言ったのはトーラス軍総司令官であるクュインである。
今年三十五歳になるクュインは、トーラス随一の将軍として周辺各国にその名を知られる将である。
そして、もう一人。エレナが続く。このエリナこそ、トーラスの若き英雄。女性ながら勇猛果敢に戦う将軍としてカーン・ラーに何度も煮え湯を飲ませた人物である。
まだ、この時二十二歳である。
「まあ、落ち着かれよ。貴殿達の言い分もわかる。しかし、敵は予想以上に強い。下手に動くより、綿密に計画を立ててから行動するのがよいだろう。事実、我がトーラスは一度敗北を味わっている。同じ愚は犯したくない」
ドムはなだめつつも内側では、トーラスを焦らせて囮に使いたい考えがあった。一斉攻撃するならトーラスを先頭に立たせたい。
「なればこそ、我らトーラスが側面より、カーン・ラーが正面から挑む。こちらは大軍。断続的な攻撃を続ければ良い」
トーラス軍総司令官クュインの言い分は正論で、理に適っていた。しかし、ドムはローバス軍が油断ならない敵だという事が骨身に染みるほど味わったのである。それに、トーラスが側面から……。と、言うのが気になって仕方が無かった。それは、トーラス軍がその気になればローバスと手を組み、自分達の側面を襲う可能性がある。と言う事だ。
しかし、このままローバスに居座り続けるつもりも無い。永続的に占領し続ける為には、早急にローバス軍と決着をつける必要があるのもまた事実だった。
「我らカーン・ラーは正面から挑む。トーラスは側面より。間違いありませんな?」
ドムは鋭い目つきでトーラスの将軍二人を睨み付けた。
「我らを疑うのか?」
「疑ってはおらんよ。確認だ」
「……約定は守る」
クュインの言葉にドムはゆっくりと頷き、立ち上がった。
「明日、本国より援軍が来る。よって、四日後、総攻撃を仕掛けよう。この一戦で全ての決着をつける」
「ほう、援軍。兵力は?」
「百騎だ」
ドムは苦笑しながら答えた。クュインは意味が分からず首をかしげた。たかが百ほど騎兵が増えたところで戦局に影響を与えるはずが無い。
ちょうどその時、カーン・ラーの兵士が一人、陣幕の中に入ってきた。
「報告いたします。ノード将軍、ベルド将軍が到着されました」
「ほう、一日速かったな。どうやら援軍が来たようだ」
クュインは緊張の糸を張り始めた。
カーン・ラーのノードと言えば堅実な戦いをする事で勇名を馳せており、度々、トーラスを危機に陥らせた人物である。さらに、もう一人。ベルドはカーン・ラー屈指の猛将だ。余りにも強すぎるので、国王であるドムが自分から遠ざけたと聞いていたが・・・。
クュインが二人の人物を思い出していると、その当事者がゆっくりと陣幕に入り、ドムに一礼した。
「ノード。お召しにより本国より参上致しました」
「ベルド。お召しにより本国より参上致しました」
「二人とも良く来た。ノード、また知恵を貸してくれ。ベルドよ。リンドラ、ワイズ、ジュルドの仇討ちが出来るのはお前だけだ。よろしく頼むぞ」
ドムが言った百騎とはこの二人と護衛の兵の事だったのだろう。確かに大した援軍だ。
「総攻撃はどうしますか? 三日後で宜しいか?」
クュインが言うとドムはゆっくりと頷いた。
「では、三日後で」
クュインはトーラス本陣に戻ると、水を一杯飲み干した。
「あの国王。腹黒いだけではなく、猜疑心の塊だ」
水を飲み干した後の第一声がそれであった。
「将軍、私も同じ思いです」
エレナも同じ考えを思い浮かべていた。
ノード、ベルドの二人はドムにとって切り札である。その二人を本国に残して遠征していた。それはつまり、隙あればトーラスすらも侵略の対象として見なしていたという意味だ。戦況が悪化し、トーラスの援軍を呼ぶ事態に陥った為に二人を呼び出したのだろう。
「だが、約定は守る。恩を売ってカーン・ラーから可能な限り金品を搾取してやる」
クュインはそう言ってもう一杯水を飲み干した。
「お二人とも、渋い顔でどうかなされましたか?」
そう言ったのは軍監として随行して来たバザラーである。
二人はますます渋い顔になった。クュインも、エレナもこのバザラーをまったく信頼していなかった。むしろ嫌いだった。賄賂で国王に対しての報告を変えるともっぱらの噂になっている人物だからである。
「貴殿には関係の無い事だ」
エレナはそう言うと、早々に陣幕を立ち去った。バザラーの爬虫類のような自分を見つめる目が生理的におぞましいからだ。
「……やれやれ、クュイン殿。少し、エレナ将軍を注意して頂けませんか? 私は仮にも軍監です。もう少し愛想よくして頂きたいものだ」
何故軍監に愛想良くせねばならない? その言葉をクュインは飲み込んだ。
「さて、乙女心は私には分かりかねます」
「……ほう、クュイン殿ならば分かると思いましたが? エレナ殿を評価し、将軍にまでしたのはクュイン殿が手助けをしたという話だったと記憶しておりましたが?」
「確かに私がエレナを評価した。正しくな。女性だから、若いから、そのような下らぬ理由で才能ある芽を摘むつもりは私には無い」
「……エレナ殿とは懇意の仲とか…」
バザラーの言葉にクュインは危険を感じた。一度、エレナが自分に体を許して今の地位を得たという下らぬ噂が流れた事がある。問題はその噂の出所がこの男からという話があるからだ。
「エレナは良き戦友だ」
「……戦友……ですか」
「そうだ。他に何か?」
「……いえ、何でもありません」
バザラーはそう言って陣幕を去ろうとした。
「ふと、こんな噂話を聞いた」
クュインはバザラーの背中に声をかけた。
「とある軍監が、国王にとりなしをするから体を許せ。と、とある女性仕官に迫った…。まったく下らぬ噂が流れるものだ。バルザー殿も軍監。国王に我らの戦果を報告する大切な役目の身。何かと良くない噂が流れても耐えられよ。もし、仮にそのような軍監がいればすぐに報告してくだされ。私自らその男を斬り刻み、男根を野良犬に喰わせてくれよう」
バザラーは何も言わず、立ち去った。ただ、少し動きが怯えたような動きだった。
「……エレナに手出しはさせんぞ」
クュインは小声で喋ると、水をさらにもう一杯飲み干した。
一方、話の中心になっていたエレナは自らの陣営に戻り休息していた。
最近、エレナには唯一頼りにできる部下ができた。今まで常に一人で行動し、部下にはほとんど補佐ばかり命令していた。
その男は黒装束を常に纏っており、腰には刀という珍しい武器を携えた流浪の戦士だ。
ローバスへ出陣する三日前、いきなり仕官を求めて屋敷に訪れた時はエレナも相手にしなかったが、翌日、男が屋敷に殴りこんできた時には驚きを隠せなかった。しかも、五十人からの警備兵、増援として駆けつけた王都の警備兵二百人を一人も殺さず、峰打ちで叩き伏せて見せたのである。
その尋常ならぬ武勇をエレナは買った。男はラオ=チェインと名乗った。
色々尋ねると、このラオ、今は流浪の剣士だが、元は偉大なる絹の国で下士官を務めていたそうだ。何が原因で軍を辞めたのか尋ねるのは流石に控えたが、部隊の指揮を任せるに足る人物だった。
武勇もあり、指揮官としても優秀な男だったが、一つ、エレナは不満があった。
「もう少し、愛想良くしたらどうだ?」
エレナが言うと、ラオは無表情のまま首を傾げた。
「愛想良くして強くなれるのか?」
「…………お前の頭には強さ以外ないのか?」
「俺は武を極めたい。それだけだ」
いつも話しは武で終わる。軍人ではなく、生粋の武人だというのは分かるが、軍に身を置く以上、少しは考えてほしいものだ。
「そういえば、ラオ。お前はどうして私に仕官を?」
「トーラス軍に身を置けるなら誰でも構わん。一兵卒でも構わない」
「トーラスに恩義でも?」
「恩義など微塵も無い」
「では、ローバス、もしくはカーン・ラーに怨みが?」
「怨みでは無い。勝負を挑みたい男がいる」
「勝負?」
「ああ、俺と互角、いや、それ以上の武勇を持つ男がローバスに居る。その男と決着をつけたい」
エレナは驚きを隠せなかった。同時に興味が沸いた。二百五十の兵をたった一人で叩き伏せた男が勝負を挑もうとする互角以上の武勇を持つ敵がいる。それもローバスに。
「一人、心当たりがいる。ローバスの黒騎士として名高いグリュード卿か? その武勇は一人で千の騎兵に勝るとか」
「いや、違う。シール王国のガーグを討ち取り、今は紅蓮騎士団の団長であるホルス=レグナール」
「……話は聞いたことがある」
以前エレナはホルスについては部下に調査を命じた事があった。ローバス東北でのガーグ戦死の一報を素直には信じられなかったからだ。度々トーラスにも侵略してきた獰猛と言うべき将だった。それが無名の、たかが砦の守備隊長ごときが、周辺砦から騎兵をかき集め、統率も難しい混成軍を掌握し、八万の騎兵率いたガーグをたった五千騎で強襲、見事討ち取った。などと、殆ど酒場で良く流れる英雄譚だ。だが、それが事実と知ると、エレナは危険人物として注意を払っていた。
調べた限りでは、元はグリュード卿率いる部隊の一兵卒であり、グリュード卿の知己を得、常にグリュード卿率いる部隊で先陣を務めていた。そして、十騎長、百騎長へ昇進し、辺境ではあるが砦を任され、そして、ガーグを討ち取った。千騎長に昇進し、紅蓮騎士団なる真紅の鎧で統一された精鋭騎士団の団長に就任した……までは確認していたのだが……。
よくよく考えてみれば、ローバス軍は油断ならない陣容だ。グリュード卿もいるし、話に出たホルスとかいう男もいる。唯一救いなのは、あのフィルガリア。生きた城壁と讃えられた男がアフワーズで待機している事ぐらいか・・・。むしろ気になるのは緒戦においてカーン・ラーを打ち破った策を提案した策士だ。名前はまったく知られていない上に、どのような小細工をしてくるか…。十二分に注意すべきなのはそっちだ。
「お前はホルスという男を討ち取れるか?」
エレナが尋ねると、ラオを無表情で振り向いた。
「分からん」
「……ほう、軟弱な男だな。必ず討ち取るぐらいは言ったらどうだ」
「一度、俺は手合わせした。だから分かる。あいつは一人で万に兵に匹敵する」
「……では、お前も万の兵に匹敵する強さを持っていると?」
「昔、単騎で万の敵軍に特攻した事がある。味方を逃がせたが、戦は負けた」
「十分過ぎるほど強いと思うが」
「俺が欲しているは万の兵に匹敵する強さでは無い。神武の強さだ」
ラオは呆れるエレナを他所に愛刀を丹念に磨き始めた。
カーン・ラー、トーラス両陣営も決戦の準備を整え始めた。ローバス東部を巡る攻防戦に決着を決める時間は刻一刻と迫っていた。
すぐさまそれは、国境警備隊によりアフワーズへ、そしてアリシアの元へ報告された。
トーラス、カーン・ラー両軍はオルガ荒野で合流。ローバス軍もアリシアの出撃から正確に三日後、オルガ荒野に到着した。
ローバス軍七万五千。
トーラス軍四万、カーン・ラー軍十二万、計十六万。
敵より多く兵力を整える。という兵法上の道理から言えば、トーラス、カーン・ラー両軍はすでに勝利を掴んでいた。しかし、カーン・ラーは二十万の兵力を擁していながら、寡兵のローバス軍に大敗北した苦い経験が残っていた。その為、両軍はすぐには動かず、にらみ合いの膠着状態になりつつあった。
「時間が無い。そうじゃなかったのか?」
本陣で不満を漏らしているのはホルスだ。グリュードも不満は述べていないが、早く戦いたいという思いはホルスと一緒のようで、本陣で無言のままずっと待機していた。
紅蓮騎士団はいつでも攻撃合図と共に敵陣に突撃できるよう準備しているのだが、その合図が来ない事に痺れを切らしていた。
「まあ、まて。ホルス。もうしばらく……」
シャルスは溜め息を吐きながらホルスをなだめた。
「しばらくって、何時までだよ?」
「とにかく、もうしばらく待て。今無理に攻撃を仕掛けた場合、膠着戦が続く事になる」
「ホルス、これは命令です。合図あるまで待機しなさい」
二人の間に割って入ったのはアリシアである。
ホルスも流石にアリシアの言葉には逆らう事はできず、黙ってシャルスを睨んでいた。
「貴様は戦う事しか知らないのか? まったく、リレイ殿と兄妹であることが不思議でしょうがないぞ」
ティアが呆れた声で言うと、ホルスは低い声で唸った。
「まあ、兄の足りない部分を妹が補っている。と、考えれば納得できるが……」
「悪かったな!」
「ああ、悪い。少しはリレイ殿を見習え」
もう、かれこれ何度目になるか分からない一触即発の雰囲気になった時、そっと一同の元にお茶が運ばれた。
「もう、お兄ちゃん! ティアさんにまた叱られて……今度は一体何をしたの!?」
「……俺が悪いのか?」
ホルスは呆れながら最愛の妹リレイを見つめた。
リレイはアフワーズ城に入城からしばらくしてアリシアの侍女となった。リレイ自身がそれなりに武術を習得している上、ホルスの世話をしていた経緯もあり、何の問題も無く、アリシアの身の回りの世話を見事にこなしていた。そして、この戦場にもアリシアの身の回りの世話の為に従軍していた。
無論、当初ホルスは大反対し、何とかリレイをアフワーズ城に留めようと努力したのだが、リレイの華麗な武術にホルスは陥落。リレイは己が実力で従軍を果たしていた。
ちなみに、リレイの華麗な武術だが…。
『左顎へ右フック、下顎へ左アッパー、溜めて鳩尾に右正拳突き、右こめかみに回転左肘鉄、頭を掴んで顔面に右膝蹴り、悶絶し前のめりに倒れたホルスの後頭部に踵落とし』
現場を見たアリシア、ティア、グリュード、シャルス、フィルガリア曰く、「ローバス史上最強の侍女」だそうだ。
「当たり前でしょ。何か問題を起こすのはお兄ちゃんでしょうが」
「俺の弁解。もしくは反論の許可を要請する」
「却下」
即答で答えられたホルスは、体操座りで何かブツブツ呟きながら床を指でなぞり始めた。その背中には「兄の威厳」は一片も無い。
「まったく。アリシア様、この兄が団長で、紅蓮騎士団の皆様は迷惑していないでしょうか?」
「え、え?と、さあ? どうでしょう?」
答えに困り、アリシアは笑いで誤魔化そうとした。
「…ホルスを辞めさせてリレイ殿を紅蓮騎士団の団長に据えようか?」
シャルスがなかなか生真面目に言うと、反論の声は出なかった。
「さて、壊れたホルスは放っておくとして、問題はこの状況の打開だ」
グリュードの言葉に、アリシアはゆっくりと頷いた。
「グリュードの言葉通り。この状況を打開する必要がありますね。シャルスはどのように考えているの?」
「殿下。ご心配なのは分かりますが、まあ、ここは焦らず待ち構えましょう。どうせ敵は動きます。これには三つの理由がございます。一つ、敵の目的は侵略であり、防衛ではない。退けば権威が失墜するため攻勢に出るしかない。二つ、敵は大軍ゆえに食料の貯蔵に余裕がない。徴収するという手段があるが、大軍を養うだけの食料など徴収しきれるものではない。逆に兵力の分散を恐れる。三つ、トーラス軍は無傷。故に積極論が高まる。そうなれば連合が瓦解する可能性がある。カーン・ラー国王はそれを恐れる。以上三つの理由により、敵は必ず近い内に攻勢にでます。その時こそ、敵軍を撃滅する好機です。さらに、トーラス陣営を混乱させる為、トーラス本国に密書を送っています。カーン・ラー陣営にも密書を送っています。これで両軍は連携が取れなくなるでしょう。この際です。カーン・ラー王国とはこちらが優位な講和をし、トーラスは撃滅し、ローバス東部を三年は平穏にしてご覧にいれましょう」
シャルスは高らか宣言した。
シャルスの言葉通り、カーン・ラー、トーラスの両陣営では口論になっていた。
「敵の倍以上の兵力を擁しているに何故、攻勢にでない?」
「我々は侵略の為に来たのだ。侵略軍が攻勢にでず、どうして領土を拡張できよう」
そう言ったのはトーラス軍総司令官であるクュインである。
今年三十五歳になるクュインは、トーラス随一の将軍として周辺各国にその名を知られる将である。
そして、もう一人。エレナが続く。このエリナこそ、トーラスの若き英雄。女性ながら勇猛果敢に戦う将軍としてカーン・ラーに何度も煮え湯を飲ませた人物である。
まだ、この時二十二歳である。
「まあ、落ち着かれよ。貴殿達の言い分もわかる。しかし、敵は予想以上に強い。下手に動くより、綿密に計画を立ててから行動するのがよいだろう。事実、我がトーラスは一度敗北を味わっている。同じ愚は犯したくない」
ドムはなだめつつも内側では、トーラスを焦らせて囮に使いたい考えがあった。一斉攻撃するならトーラスを先頭に立たせたい。
「なればこそ、我らトーラスが側面より、カーン・ラーが正面から挑む。こちらは大軍。断続的な攻撃を続ければ良い」
トーラス軍総司令官クュインの言い分は正論で、理に適っていた。しかし、ドムはローバス軍が油断ならない敵だという事が骨身に染みるほど味わったのである。それに、トーラスが側面から……。と、言うのが気になって仕方が無かった。それは、トーラス軍がその気になればローバスと手を組み、自分達の側面を襲う可能性がある。と言う事だ。
しかし、このままローバスに居座り続けるつもりも無い。永続的に占領し続ける為には、早急にローバス軍と決着をつける必要があるのもまた事実だった。
「我らカーン・ラーは正面から挑む。トーラスは側面より。間違いありませんな?」
ドムは鋭い目つきでトーラスの将軍二人を睨み付けた。
「我らを疑うのか?」
「疑ってはおらんよ。確認だ」
「……約定は守る」
クュインの言葉にドムはゆっくりと頷き、立ち上がった。
「明日、本国より援軍が来る。よって、四日後、総攻撃を仕掛けよう。この一戦で全ての決着をつける」
「ほう、援軍。兵力は?」
「百騎だ」
ドムは苦笑しながら答えた。クュインは意味が分からず首をかしげた。たかが百ほど騎兵が増えたところで戦局に影響を与えるはずが無い。
ちょうどその時、カーン・ラーの兵士が一人、陣幕の中に入ってきた。
「報告いたします。ノード将軍、ベルド将軍が到着されました」
「ほう、一日速かったな。どうやら援軍が来たようだ」
クュインは緊張の糸を張り始めた。
カーン・ラーのノードと言えば堅実な戦いをする事で勇名を馳せており、度々、トーラスを危機に陥らせた人物である。さらに、もう一人。ベルドはカーン・ラー屈指の猛将だ。余りにも強すぎるので、国王であるドムが自分から遠ざけたと聞いていたが・・・。
クュインが二人の人物を思い出していると、その当事者がゆっくりと陣幕に入り、ドムに一礼した。
「ノード。お召しにより本国より参上致しました」
「ベルド。お召しにより本国より参上致しました」
「二人とも良く来た。ノード、また知恵を貸してくれ。ベルドよ。リンドラ、ワイズ、ジュルドの仇討ちが出来るのはお前だけだ。よろしく頼むぞ」
ドムが言った百騎とはこの二人と護衛の兵の事だったのだろう。確かに大した援軍だ。
「総攻撃はどうしますか? 三日後で宜しいか?」
クュインが言うとドムはゆっくりと頷いた。
「では、三日後で」
クュインはトーラス本陣に戻ると、水を一杯飲み干した。
「あの国王。腹黒いだけではなく、猜疑心の塊だ」
水を飲み干した後の第一声がそれであった。
「将軍、私も同じ思いです」
エレナも同じ考えを思い浮かべていた。
ノード、ベルドの二人はドムにとって切り札である。その二人を本国に残して遠征していた。それはつまり、隙あればトーラスすらも侵略の対象として見なしていたという意味だ。戦況が悪化し、トーラスの援軍を呼ぶ事態に陥った為に二人を呼び出したのだろう。
「だが、約定は守る。恩を売ってカーン・ラーから可能な限り金品を搾取してやる」
クュインはそう言ってもう一杯水を飲み干した。
「お二人とも、渋い顔でどうかなされましたか?」
そう言ったのは軍監として随行して来たバザラーである。
二人はますます渋い顔になった。クュインも、エレナもこのバザラーをまったく信頼していなかった。むしろ嫌いだった。賄賂で国王に対しての報告を変えるともっぱらの噂になっている人物だからである。
「貴殿には関係の無い事だ」
エレナはそう言うと、早々に陣幕を立ち去った。バザラーの爬虫類のような自分を見つめる目が生理的におぞましいからだ。
「……やれやれ、クュイン殿。少し、エレナ将軍を注意して頂けませんか? 私は仮にも軍監です。もう少し愛想よくして頂きたいものだ」
何故軍監に愛想良くせねばならない? その言葉をクュインは飲み込んだ。
「さて、乙女心は私には分かりかねます」
「……ほう、クュイン殿ならば分かると思いましたが? エレナ殿を評価し、将軍にまでしたのはクュイン殿が手助けをしたという話だったと記憶しておりましたが?」
「確かに私がエレナを評価した。正しくな。女性だから、若いから、そのような下らぬ理由で才能ある芽を摘むつもりは私には無い」
「……エレナ殿とは懇意の仲とか…」
バザラーの言葉にクュインは危険を感じた。一度、エレナが自分に体を許して今の地位を得たという下らぬ噂が流れた事がある。問題はその噂の出所がこの男からという話があるからだ。
「エレナは良き戦友だ」
「……戦友……ですか」
「そうだ。他に何か?」
「……いえ、何でもありません」
バザラーはそう言って陣幕を去ろうとした。
「ふと、こんな噂話を聞いた」
クュインはバザラーの背中に声をかけた。
「とある軍監が、国王にとりなしをするから体を許せ。と、とある女性仕官に迫った…。まったく下らぬ噂が流れるものだ。バルザー殿も軍監。国王に我らの戦果を報告する大切な役目の身。何かと良くない噂が流れても耐えられよ。もし、仮にそのような軍監がいればすぐに報告してくだされ。私自らその男を斬り刻み、男根を野良犬に喰わせてくれよう」
バザラーは何も言わず、立ち去った。ただ、少し動きが怯えたような動きだった。
「……エレナに手出しはさせんぞ」
クュインは小声で喋ると、水をさらにもう一杯飲み干した。
一方、話の中心になっていたエレナは自らの陣営に戻り休息していた。
最近、エレナには唯一頼りにできる部下ができた。今まで常に一人で行動し、部下にはほとんど補佐ばかり命令していた。
その男は黒装束を常に纏っており、腰には刀という珍しい武器を携えた流浪の戦士だ。
ローバスへ出陣する三日前、いきなり仕官を求めて屋敷に訪れた時はエレナも相手にしなかったが、翌日、男が屋敷に殴りこんできた時には驚きを隠せなかった。しかも、五十人からの警備兵、増援として駆けつけた王都の警備兵二百人を一人も殺さず、峰打ちで叩き伏せて見せたのである。
その尋常ならぬ武勇をエレナは買った。男はラオ=チェインと名乗った。
色々尋ねると、このラオ、今は流浪の剣士だが、元は偉大なる絹の国で下士官を務めていたそうだ。何が原因で軍を辞めたのか尋ねるのは流石に控えたが、部隊の指揮を任せるに足る人物だった。
武勇もあり、指揮官としても優秀な男だったが、一つ、エレナは不満があった。
「もう少し、愛想良くしたらどうだ?」
エレナが言うと、ラオは無表情のまま首を傾げた。
「愛想良くして強くなれるのか?」
「…………お前の頭には強さ以外ないのか?」
「俺は武を極めたい。それだけだ」
いつも話しは武で終わる。軍人ではなく、生粋の武人だというのは分かるが、軍に身を置く以上、少しは考えてほしいものだ。
「そういえば、ラオ。お前はどうして私に仕官を?」
「トーラス軍に身を置けるなら誰でも構わん。一兵卒でも構わない」
「トーラスに恩義でも?」
「恩義など微塵も無い」
「では、ローバス、もしくはカーン・ラーに怨みが?」
「怨みでは無い。勝負を挑みたい男がいる」
「勝負?」
「ああ、俺と互角、いや、それ以上の武勇を持つ男がローバスに居る。その男と決着をつけたい」
エレナは驚きを隠せなかった。同時に興味が沸いた。二百五十の兵をたった一人で叩き伏せた男が勝負を挑もうとする互角以上の武勇を持つ敵がいる。それもローバスに。
「一人、心当たりがいる。ローバスの黒騎士として名高いグリュード卿か? その武勇は一人で千の騎兵に勝るとか」
「いや、違う。シール王国のガーグを討ち取り、今は紅蓮騎士団の団長であるホルス=レグナール」
「……話は聞いたことがある」
以前エレナはホルスについては部下に調査を命じた事があった。ローバス東北でのガーグ戦死の一報を素直には信じられなかったからだ。度々トーラスにも侵略してきた獰猛と言うべき将だった。それが無名の、たかが砦の守備隊長ごときが、周辺砦から騎兵をかき集め、統率も難しい混成軍を掌握し、八万の騎兵率いたガーグをたった五千騎で強襲、見事討ち取った。などと、殆ど酒場で良く流れる英雄譚だ。だが、それが事実と知ると、エレナは危険人物として注意を払っていた。
調べた限りでは、元はグリュード卿率いる部隊の一兵卒であり、グリュード卿の知己を得、常にグリュード卿率いる部隊で先陣を務めていた。そして、十騎長、百騎長へ昇進し、辺境ではあるが砦を任され、そして、ガーグを討ち取った。千騎長に昇進し、紅蓮騎士団なる真紅の鎧で統一された精鋭騎士団の団長に就任した……までは確認していたのだが……。
よくよく考えてみれば、ローバス軍は油断ならない陣容だ。グリュード卿もいるし、話に出たホルスとかいう男もいる。唯一救いなのは、あのフィルガリア。生きた城壁と讃えられた男がアフワーズで待機している事ぐらいか・・・。むしろ気になるのは緒戦においてカーン・ラーを打ち破った策を提案した策士だ。名前はまったく知られていない上に、どのような小細工をしてくるか…。十二分に注意すべきなのはそっちだ。
「お前はホルスという男を討ち取れるか?」
エレナが尋ねると、ラオを無表情で振り向いた。
「分からん」
「……ほう、軟弱な男だな。必ず討ち取るぐらいは言ったらどうだ」
「一度、俺は手合わせした。だから分かる。あいつは一人で万に兵に匹敵する」
「……では、お前も万の兵に匹敵する強さを持っていると?」
「昔、単騎で万の敵軍に特攻した事がある。味方を逃がせたが、戦は負けた」
「十分過ぎるほど強いと思うが」
「俺が欲しているは万の兵に匹敵する強さでは無い。神武の強さだ」
ラオは呆れるエレナを他所に愛刀を丹念に磨き始めた。
カーン・ラー、トーラス両陣営も決戦の準備を整え始めた。ローバス東部を巡る攻防戦に決着を決める時間は刻一刻と迫っていた。
後書き
作者:そえ |
投稿日:2009/12/06 21:21 更新日:2009/12/12 20:52 『ローバス戦記』の著作権は、すべて作者 そえ様に属します。 |
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