作品ID:757
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「Reptilia ?虫篭の少女達?」を読み始めました。
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Reptilia ?虫篭の少女達?
小説の属性:一般小説 / 未選択 / 感想希望 / 初級者 / 年齢制限なし / 休載中
前書き・紹介
プロローグ
目次 | 次の話 |
磨り硝子の向こう側には、いつも静かな喧騒がある。そいつらが我が物顔でこの部屋の秩序を荒らしていくのは、もう少し時間が経った後だ。
薄暗い部屋には相変わらず煙草と化粧粉の匂いが充満していて、ここで夜を過ごす度にこの世の底辺まで堕ちてきた気がする。きっと、その印象に間違いはない。
小さな照明をサイドテーブルに備えるダブルベッドで少女は眠っていた。起きている時とは正反対のその素直な寝顔を、同じベッドの上に腰かけて真澄は眺める。
ふと壁に掛かった時計に目をやると、もう四時半。朝陽の訪れは近い。少女を起こそうかとも思ったが、でもシーツに包まっている彼女はまるで子猫のように愛おしく、その姿が失われるのを惜しんでやめておいた。
かわりに、置いてあった煙草を取って火をつける。灰色の煙は天井へ昇る途中に雲散。しかし、それはこの世から消滅したわけではなく、ただ目に見えなくなっただけで、この部屋に沈殿する。空気の匂いと濃厚さがその存在の証拠。この部屋の現実を形作る重要なファクターである。
短くなった煙草を灰皿で揉み消した時には、少女は既に目を覚ましていた。煙で起こしてしまったかもしれない。シーツに包まって横になったまま、感情の無い瞳で真澄を見上げていた。
「起きてたの?」 真澄はくすっと笑って、少女の頬に触れる。
愛情を込めて撫でたのだが、彼女は無表情のまま頷いただけだった。
「よく眠れた」 少女は上体を起こして壁の時計を見上げ、次に磨り硝子の窓へと目を向ける。
真澄もそちらを見ると、いつの間にか外は薄く明るんでいた。
「寝過ぎたかも」 彼女は真面目な声で言う。
「早過ぎるくらいよ」 真澄は口許に手を添えて笑う。
「お金、払わないと……」
「いいの、いいの。いつも払ってないでしょ」
「でも、一晩費やしてるから立派に仕事だ」
「わたしはそう思ってないわ」
むしろこっちが払いたいくらい、と真澄は心の中で呟く。それだけの愛を彼女は受け取っているつもりでいた。こんなろくでもない女を、この目の前の少女は慕ってくれているのだ。
「お願い、払えるくらいには稼いでるから」
「いいのよ、それで美味しいものでも食べてきなさいな」
「じゃあ、今度一緒に行こう」
「え?」
「美味しいものを食べに」
少女の哀願するような響き。その小顔を真澄はじっと見つめる。愛に飢えた表情。何かが欠如していて、それを補おうと必死な表情。
少女が金を払おうとするのは、この二人の繋がりを決して切り離したくないからだ。その想いが痛切に伝わってくる。その度に、真澄は心が締め付けられるのだ。神を呪いたくなる気持ちでいっぱいになる。
「ね、それじゃ、ダメかな」
「ううん」 首を振って、真澄は微笑んだ。 「そうね、一緒に行きましょう。それでお金はチャラにする」
「よかった……」 不器用な少女は、心の底から安堵したように息をつく。
“サキは、お前さんに母親の幻想を見ているだけだ”。
いつか『先生』にそう言われたことがある。深入りしすぎるな、と忠告された。しかし、その手を決して離すなとも言われた。
離すつもりなんか毛頭ない。
真澄は少女のか細い手を握る。少女は不思議そうに見上げた。
彼女は、自分を支えにして生きてくれている。わたしもそうだ。彼女の愛を糧になんとか生き永らえている状態なのだ。この手を離してしまったら、少女もわたしもきっと空虚に生きていくことになるだろう。
「サキ、髪、伸びたわね」 真澄は少女の肩口に達しそうな黒髪に触れた。
初めて出逢った時から、この少女は男の子がしているようなベリーショートの髪型にしていた。お洒落という概念は元から少女にはなく、ひたすら、この街を駆け抜けやすいスタイルを選んでいるだけだった。
「今日、切ってあげる」
そう言ったが、少女は神妙な顔つきで首を横に振った。
「ごめん、今日はちょっと無理なんだ」
「仕事?」
「ん……、そう、お金を集めなきゃいけない」 少女は頷く。
善悪の感覚が麻痺している彼女であるが、不思議と真澄の前では悔恨の表情をちらりと見せる時がある。今がそれだった。
きっと、その表情の変化は無意識の事だ。少女に罪の意識というものは存在しない。生きることに対する純真さだけが少女を動かす。それは誠実とも言える実直さだ。少女が今見せたのは、いじめっ子が母親の前ではいい顔をするような、そんな悪戯な本能。でも、それにすら真澄は幸福を感じる。
少女がベッドから降りる。安物のマットが軋んだ。窓を開けて冷たい空気を侵入させながら、彼女は真澄に背を向けて呟く。
「わたし、やっぱり悪い子なのかな」
いつもとは違うその言葉に、真澄は多少意外に思いながら少女の背中を見つめる。
「綺麗な子だわ」 そう囁くように言ってやる。
本心からの言葉だ。
彼女はこの薄汚れた街で、純粋に、美しく、気高く生きている。
それだけは絶対に錯覚ではない。
それだけは絶対に嘘ではない。
狂っているのは、少女以外の、この世界の全ての道徳。
「また、来てもいい?」 少女は振り返って尋ねる。
その質問はいつもの通り。「またね」と同義の、習慣的な問いかけ。
「もちろん」 真澄もまたいつも通り、微笑んで答える。
少女も一瞬だけ無邪気な笑みを見せた。そして、格子に脚を掛けて、四階の開いた窓から飛び降りる。
古びたビルとビルの間に浮かぶ、刹那の影。
それはこの閉ざされた街を横切る。
鳥よりも自由に。
神よりも横着に。
人間よりも気高く。
窓を閉めた。新鮮な空気とは言い難いが、それでも換気されて幾分か部屋の空気が軽くなった。あの重い濁った空気は真澄にとって、牢獄の中の錆びた鎖のようなもの。鼻先に突き付けられた現実だ。
ベッドに腰かけて、もう一本煙草を銜える。
きっと、良い子なんてどこにもいないだろう、と考えながら。
薄暗い部屋には相変わらず煙草と化粧粉の匂いが充満していて、ここで夜を過ごす度にこの世の底辺まで堕ちてきた気がする。きっと、その印象に間違いはない。
小さな照明をサイドテーブルに備えるダブルベッドで少女は眠っていた。起きている時とは正反対のその素直な寝顔を、同じベッドの上に腰かけて真澄は眺める。
ふと壁に掛かった時計に目をやると、もう四時半。朝陽の訪れは近い。少女を起こそうかとも思ったが、でもシーツに包まっている彼女はまるで子猫のように愛おしく、その姿が失われるのを惜しんでやめておいた。
かわりに、置いてあった煙草を取って火をつける。灰色の煙は天井へ昇る途中に雲散。しかし、それはこの世から消滅したわけではなく、ただ目に見えなくなっただけで、この部屋に沈殿する。空気の匂いと濃厚さがその存在の証拠。この部屋の現実を形作る重要なファクターである。
短くなった煙草を灰皿で揉み消した時には、少女は既に目を覚ましていた。煙で起こしてしまったかもしれない。シーツに包まって横になったまま、感情の無い瞳で真澄を見上げていた。
「起きてたの?」 真澄はくすっと笑って、少女の頬に触れる。
愛情を込めて撫でたのだが、彼女は無表情のまま頷いただけだった。
「よく眠れた」 少女は上体を起こして壁の時計を見上げ、次に磨り硝子の窓へと目を向ける。
真澄もそちらを見ると、いつの間にか外は薄く明るんでいた。
「寝過ぎたかも」 彼女は真面目な声で言う。
「早過ぎるくらいよ」 真澄は口許に手を添えて笑う。
「お金、払わないと……」
「いいの、いいの。いつも払ってないでしょ」
「でも、一晩費やしてるから立派に仕事だ」
「わたしはそう思ってないわ」
むしろこっちが払いたいくらい、と真澄は心の中で呟く。それだけの愛を彼女は受け取っているつもりでいた。こんなろくでもない女を、この目の前の少女は慕ってくれているのだ。
「お願い、払えるくらいには稼いでるから」
「いいのよ、それで美味しいものでも食べてきなさいな」
「じゃあ、今度一緒に行こう」
「え?」
「美味しいものを食べに」
少女の哀願するような響き。その小顔を真澄はじっと見つめる。愛に飢えた表情。何かが欠如していて、それを補おうと必死な表情。
少女が金を払おうとするのは、この二人の繋がりを決して切り離したくないからだ。その想いが痛切に伝わってくる。その度に、真澄は心が締め付けられるのだ。神を呪いたくなる気持ちでいっぱいになる。
「ね、それじゃ、ダメかな」
「ううん」 首を振って、真澄は微笑んだ。 「そうね、一緒に行きましょう。それでお金はチャラにする」
「よかった……」 不器用な少女は、心の底から安堵したように息をつく。
“サキは、お前さんに母親の幻想を見ているだけだ”。
いつか『先生』にそう言われたことがある。深入りしすぎるな、と忠告された。しかし、その手を決して離すなとも言われた。
離すつもりなんか毛頭ない。
真澄は少女のか細い手を握る。少女は不思議そうに見上げた。
彼女は、自分を支えにして生きてくれている。わたしもそうだ。彼女の愛を糧になんとか生き永らえている状態なのだ。この手を離してしまったら、少女もわたしもきっと空虚に生きていくことになるだろう。
「サキ、髪、伸びたわね」 真澄は少女の肩口に達しそうな黒髪に触れた。
初めて出逢った時から、この少女は男の子がしているようなベリーショートの髪型にしていた。お洒落という概念は元から少女にはなく、ひたすら、この街を駆け抜けやすいスタイルを選んでいるだけだった。
「今日、切ってあげる」
そう言ったが、少女は神妙な顔つきで首を横に振った。
「ごめん、今日はちょっと無理なんだ」
「仕事?」
「ん……、そう、お金を集めなきゃいけない」 少女は頷く。
善悪の感覚が麻痺している彼女であるが、不思議と真澄の前では悔恨の表情をちらりと見せる時がある。今がそれだった。
きっと、その表情の変化は無意識の事だ。少女に罪の意識というものは存在しない。生きることに対する純真さだけが少女を動かす。それは誠実とも言える実直さだ。少女が今見せたのは、いじめっ子が母親の前ではいい顔をするような、そんな悪戯な本能。でも、それにすら真澄は幸福を感じる。
少女がベッドから降りる。安物のマットが軋んだ。窓を開けて冷たい空気を侵入させながら、彼女は真澄に背を向けて呟く。
「わたし、やっぱり悪い子なのかな」
いつもとは違うその言葉に、真澄は多少意外に思いながら少女の背中を見つめる。
「綺麗な子だわ」 そう囁くように言ってやる。
本心からの言葉だ。
彼女はこの薄汚れた街で、純粋に、美しく、気高く生きている。
それだけは絶対に錯覚ではない。
それだけは絶対に嘘ではない。
狂っているのは、少女以外の、この世界の全ての道徳。
「また、来てもいい?」 少女は振り返って尋ねる。
その質問はいつもの通り。「またね」と同義の、習慣的な問いかけ。
「もちろん」 真澄もまたいつも通り、微笑んで答える。
少女も一瞬だけ無邪気な笑みを見せた。そして、格子に脚を掛けて、四階の開いた窓から飛び降りる。
古びたビルとビルの間に浮かぶ、刹那の影。
それはこの閉ざされた街を横切る。
鳥よりも自由に。
神よりも横着に。
人間よりも気高く。
窓を閉めた。新鮮な空気とは言い難いが、それでも換気されて幾分か部屋の空気が軽くなった。あの重い濁った空気は真澄にとって、牢獄の中の錆びた鎖のようなもの。鼻先に突き付けられた現実だ。
ベッドに腰かけて、もう一本煙草を銜える。
きっと、良い子なんてどこにもいないだろう、と考えながら。
後書き
作者:まっしぶ |
投稿日:2011/06/10 23:07 更新日:2011/06/10 23:12 『Reptilia ?虫篭の少女達?』の著作権は、すべて作者 まっしぶ様に属します。 |
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