が恋をしているのは明白な事実であった。
食満先輩のことが好きだという。酷い冗談だ、と笑い飛ばすと、鬼の様な形相をしたに逆に殴り飛ばされた。お陰様で左の頬が何時に無く大きく腫れた。かなり痛い。変装するのに支障が出る程の力で殴るとは、アイツは本当に女なのだろうかと疑いたくもなるものだ。あの拳には、微塵の優しさも込められていなかった。あったのは、ただ怒り。
が食満先輩を見る時、其の瞳は何時に無く輝いている。輝くのは食満先輩を視界に入れた時だけで、勿論俺に向けられる視線は幼い頃からずっと変わらず、絶対零度を保っている。冷め切った目。其れはの代名詞の役割も担っていた筈なのに。
別に私だけが冷たい目で見られている訳では無い。食満先輩以外の全ての人間に其れは当てはまる。だから其れは“普通”なのだ。で、食満先輩は“特別”。何も難しいことでは無い。羨ましくも無い。に好かれて、一体何を得するというのだ。何も得られない。
「三郎、最近ピリピリしてるね」
雷蔵が苦笑して、何時もの様に散々迷って漸く決めた今日のランチのやきそばを箸で突付いている。
ピリピリ? イマイチよく分からない。苛立っているつもりは無い。神経を尖らせなければいけない実習や試験はもう既に終わっている。
焼飯をもさもさと口の中に突っ込みながら、何故私は苛立っている様に見えるのかを考える。が、本当は理由なんて普通に分かっている。
正体は醜い嫉妬だ。
分かり切っていることだ。だが、私は自分が思っているよりも子供だったらしい。客観的に最近の自分を見詰めれば、酷く滑稽だったのを思い出すことが出来て、思わず気分が悪くなる。焼飯を水で押し流す。
に愛を囁くなんて真似は、やっぱり滑稽だ。私には出来ない。今更そんなことをしたところで、悪質な冗談と思われて流されるのが関の山だ。だが、ぐずぐずしていれば食満先輩とがくっ付くのも時間の問題だ。
だったら如何すれば良いかなんて、よく分かっている。しかしながら、行動を起こすのは億劫なのだ。
今更何を言えば良い? 好きだと言って、がまともな返答をするか? もしと恋仲になったとして、そうして如何する? 其の先に反吐が出る様な甘ったるい言葉を吐き捨てて、抱き締めでもして、接吻でもすれば良いのか?
全く想像出来なくて、考えることをやめた。
「三郎でも悩んだりするんだね」
雷蔵が眉尻を下げた。私は喉につっかえて食べ終えることが出来なかった焼飯の皿をちらりと眺めながら、鼻で笑う。
「……所詮、鉢屋三郎も人の子だったのさ」
そして私はへ向ける視線に熱が篭っていたことを自覚した。
大振りの刀を片手に食満先輩と鍛錬をしているは、私の存在には気付いていない。忍者失格じゃねーの、とも思うが、単に私が完全に気配を消せているだけだろう。
刃が宙を切って、食満先輩はクナイで其れを受け止める。力で勝負に出ることは避けたいが飛び上がって食満先輩と距離を置く。が額から流れ落ちる汗を手の甲で拭ってから、其れは其れは楽しそうに、食満先輩に向かっていく。
二人が夕刻になると一緒に鍛錬をしているということを知ったのはもう二月も前のことだ。
くのたまの中でも一番に体術の出来るだ、例え相手が六年の忍たまであろうと、全く引けを取らない。素早い身のこなしで相手の攻撃を交わし、逆に其の攻撃を利用して相手の急所を確実に狙う。
六年の実力派の食満先輩も、手加減をしている様には見えない。様々な忍具でを追い詰める。
二人の動きは教科書よりもずっと役に立つ。だが、如何やら私の精神には支障を来たす様だ。
笑みすら浮かべて食満先輩に斬りかかって行くは綺麗だと思うし、私には絶対に見せてくれない姿だから、出来る限り目に焼き付けておこうと思う。
────全く馬鹿げている! 何故私はこうも振り回されているのか!
たかが女一人、何故私はこんなにも執着しているのか。色恋に現を抜かしている場合では無い。そう思う割に私の身体は全く言うことを聞かない。さっさと自室に戻って明日の授業の予習でもしておこうと思うのに、ぴくりとも足が動かないのだ。まるで足に鉛が引っ付いているみたいだ。
腰掛けた枝がみしりと小さな音を立てた。勿論、私が今腰掛けている木は鬱蒼と葉が生い茂っていて、外から私の姿を確認することは出来ないので、誰も私の存在に気付く者はいない。油断して作った音に小さな舌打ちをして、わたしはを睨み付けた。
全く恐ろしい奴だ。若しこの感情がの房術によって作られたものであるならば、もうお手上げだ。降参だ。
だから、もう良いだろう。好い加減に許せ。天下の鉢屋三郎を此処まで落としたんだ、もう満足だろう。何、多くは望まない。お前が勝ったのだから、責任を負う位、お前には如何ってことないだろう?
眩し過ぎる太陽の所為にして目蓋を落とし、私は手で目許を覆う。
が食満先輩に向かってからからと笑う声が聞こえた。