※なまぬるく破廉恥
一日の最後の仕事である隊士の部屋に布団を敷き終えることに成功したわたしは、廊下でぐっと背伸びをしながら歩いていた。今日も肩ゴリゴリだあ。さっさとお風呂に入って疲れを取ろう。ゴールデンウィークなんてものは女中には関係無かったし。長期休暇って何、美味しいの? そんなことをぼやいていたらもう七月に入っていて、いやいや。六月に休んだ記憶が無いぞ。どーゆーことだ……気が付いたら七月も半分を過ぎている。本当にどーゆーことだ……
でもまあ職があるだけマシだなとは思う。失業率がぐんぐん上がってきているこのご時勢、女中という仕事に就けているのだから文句言うなってことか。仕方無い、納得しよう。と思っておく。
「おや、さん」
正面から歩いてきた沖田さんが終わりですかィ、と訊いた。肯定してから「今日もお疲れ様です」の一言を渡してすたすた廊下を歩く。背伸びしてたとこ見られただろうけど、別に恥ずかしくないので気にしない。思春期の女子じゃあるまいし。そんなことより兎に角わたしはお風呂に入りたい。
「まァまァ、ちょっと待ちなせェよさん」
「ご用件は?」
後ろから掴まれた腕を振り解くことが出来ないので、引っ張られるまま沖田さんに連行される。珍しく子供らしい無邪気な笑顔を浮かべながら、沖田さんの足取りは軽い。飛んで行きそうだなと思う。いっそこのまま地面から浮いて母国のサディスティック星にでも帰ってしまえば良いのに。其の前にわたしの腕を離して貰うけど。
用事を明らかにせず、沖田さんはるんるんと廊下を進んでいく。土方さんの部屋や山崎さんの部屋を通り越して、漸くぴたりと其の長い足が動きを止めた。
「入ってくだせェ」
お願いなのか命令なのかは知らないが、背中をぐいと押されて部屋に足を踏み入れる。言わずとも知れた沖田さんの部屋だ。先日わたしが掃除をしたからかなり綺麗だ。いや、そんなことはかなり如何でも良い。
沖田さんの部屋に強制入室させられるのはよくある話だ。任務資料をまとめろだの、夜食を作れだの、服の修繕をしろだの。よくもまあそんなに雑用を思い付くものだと逆に感心すらしてしまう。と言っても、面倒なだけで本当に辛い仕事を押し付けられたことは無いから、わたしも特別「ふざけんな自分でやりやがれチクショー」なんて暴言を吐いたことは無い。今日は何だろう。とりあえず掃除は無い。今までの経験からすると、夜食を作れというのが一番多いのだが。
体全部が部屋に入り切った途端、軽い音を立てて素早く障子が閉められた。同時に部屋の明かりが落とされる。真っ暗闇に目が吃驚して硬直する。
「沖田さん?」
「何ですかィ」
「いや、何なんですか」
沖田さんは答えなかった。空気が僅かに震えたから、きっと彼は喉の奥の方で押し殺しながら笑ったのだろう。其れきりわたしも沖田さんも一言も喋らない。わたしは沖田さんのこの謎の行動にどんな反応を示せば良いのか分からなかったし、反応を示したところで沖田さんが何らかのリアクションを起こしてくれる様な気は全くしなかった。
ノーリアクション程寂しいものは無いので、わたしは静かに一時停止である。
次第に闇に目が慣れて、色々と姿形が見える様になった。沖田さんはわたしの背後、丁度障子の所で突っ立ったままだ。勿論わたしも部屋に入った時と同じ体勢のままだ。障子の向こう側には薄っすらと月明かりが見える。今日の月は小さいらしい。そして細っこい。
お風呂入りたいんだけどなあ。思っても決して口には出さない。正直言って、沖田さんが何の為にわたしを此処に呼んだのか分かってしまったのだ。其れを口にする程馬鹿じゃない。自分で自分の首を絞めるなんて、相当の馬鹿がすることだ。
でもやっぱりお風呂には入りたいのですが。
敷布団のシーツを噛み締めて声を押し殺す。嗚呼、何でこんなことに。わたしは疲れているんだ、風呂に入りたいんだ! 何度抗議したって沖田さんはゴーイングマイウェイだ。一度たりともわたしの言い分に耳を貸してはくれなかった。
シーツを握ってわたしは唸る。喘ぐ? 勘弁して欲しい。甘ったるくて高い声なんか出ないし出したくない。与えられる衝撃を逃がす方法を考えていると、沖田さんの手がわたしの手に重なった。重ねたのか。行為とは裏腹に手だけが優しい。行為ももうちょい優しくならないか、と思ったけど無理そうだ。股の間の圧迫感に思わず息を零す。疲れた。腰痛い。
うつ伏せで耐えているわたしの体を引っ繰り返そうとする沖田さんに抵抗を示す。沖田さんが本気になれば呆気無く腹を見せることになるだろうが、何を考えているのか、彼は手加減をしながらわたしで遊んでいる。無駄な体力を消耗するだけだと分かっているのに、わたしは今すぐ此処から逃げ出したいと思っている。嗚呼わたしばか。
真っ暗闇に獣が二匹。わざとらしい比喩が脳裏に浮かんで思わず苦笑してしまうと、沖田さんが一瞬動くのを止めた。沖田さんの指先が、わたしの指の間を引っ掻く。痛いから止めて欲しい。
「何か可笑しいことでもありやしたか」
「や、別に、何でも」
「ちィと位可愛らしい声でも出して頂けませんかィ」
「や、別に、出す程のモンでも、無い、でしょうに」
沖田さんの指先はわたしの手を離れ、汗に濡れた額に触れた。大人しく目を閉じていると、嗚呼そういや、と沖田さんは何かを思い出した様に呟いた。何だ?今更この過ちにお気付きになられましたかコンチクショー。
「……順番を間違えやした」
ぽつりと沖田さんが呟きながら、そっとわたしの肩を掴んだ。もう駄目だ、わたしは仰向けに転がされる運命なんだ、あーわたしにもっとでかい乳が付いていたらなあ……まな板を見て何が楽しいんだ。
さらさらとした細い糸の様な髪が頬を撫でた。沖田さんの喉元が肩に当たる。わたしの体はまだ引っ繰り返されてはいない。汗でべとつく肌を何かで拭いたかったけれど、生憎そんな暇は無かった。沖田さんが急に爆弾を投下したからだ。
「アレです、アレ、……毎日味噌汁作ってくだせェ」
「何言ってんですか、作ってますよ、毎日」
「…………」
わたしは女中ですよ。けらけらと明らかにこの場にそぐわない笑い声を上げたら、沖田さんが猫みたいに頭をわたしの顎下に擦り付けた。気紛れな猫にそっくりだ。お陰様でわたしは緩みに緩み切ってでれでれの間抜け顔を晒す必要が無くなったので万々歳である。
きっと不機嫌丸出しの顔をしている沖田さんは苛立ちを誤魔化すかの様に肌に指先を這わせてきた。無い胸を無理矢理揉み始めた沖田さんの耳を軽く引っ張って、わたしも手榴弾を投げてやることにした。何時までもやられっ放しでは気に食わない。
「苗字が沖田になるのを楽しみにしてますよ」
だから胸揉むの止めてください、かなり痛いんですよ、無理矢理揉むから。真ん丸な目をした沖田さんを予想しながら、わたしは再び静かに目蓋を下ろした。