※現パロ、転生設定
「過去に、あ、今からわたしが言うのは過去は過去でも前世って奴なんだけど、忍の猿飛佐助とは心中しちゃうのね」
猿飛は「うわコイツ何言ってんの、電波か、其れとも頭がイッちまってるのか」みたいな顔をしてわたしを見た。分かってるよそんなこと。わたしだって今の発言はかなり電波だと思うよ。でもわたしは決して天然お馬鹿さんでは無いし、別に頭がイッちゃってる訳でも無い(ただのお馬鹿さんであることは否定出来ないが)。
フルーツオレ(あんなクソ甘ったるいものよく飲めるなあと思う。わたしは女の子として何か終わってる気がする)の紙パックのストローを口に咥えたまま、猿飛は一時停止中。
「猿飛とわたしは真田幸村に仕えてて、あの有名な大坂夏の陣で散っちゃったんだ」
わたしはもそもそと卵パンを齧りながら猿飛の反応を窺ったが、猿飛は僅かな瞬きと呼吸をするだけで他の反応を示してはくれなかった。
「わたしもさあ、最初はただの夢だと思ってたんだけどね、嫌な位にリアリティ溢れる夢でさ、しかも頻繁に見るもんだから、簡単に夢って片付けちゃって良いのかなとか考えちゃって、もーどうしたら良いか分かんない! てな訳で猿飛に愚痴ってみた訳です」
食べ終えた卵パンの包装を丁寧に畳んで紐状にして、固く結ぶ。机の上に転がして、わたしはペットボトルからお茶を口に流した。お茶は渋い緑茶が好きだと言ったら、猿飛に変わらないなあって笑われたことを思い出す。高校に入って初めて出会った筈だから、其の時は言葉の意味が理解出来なかったけど、もしかして、という期待を今は抱えていたりするが、ややこしいので黙っておく。だって過去を確実に証明するものなんて存在していない。
教室内は昼休み真っ只中の為、非常に騒がしい。わたしと猿飛が電波な会話を繰り広げていても、誰の耳にも止まらない。いや、電波な話をしているのはわたしで、猿飛は其れを聞いているだけ、だが。猿飛の薄い反応を掴むことも出来ず、たらたらとわたしは馬鹿な話を続けた。
「人の肉に刃物を埋め込む感覚なんて、普通に生きてたら分かる訳無いじゃん。しかも返り血をシャワーみたいに浴びるなんて、そんな漫画みたいな話有り得ないし。でも忍者なわたしは其れが日常的なのね。当たり前の様に人を殺して、そんでもってこっそり泣くの」
机の薄い木目を眺めながら、わたしは一方的に喋り続ける。猿飛の反応なんてものはもう気にならない。きっとずっと変な顔をしてわたしを見ているだろう。冷たい視線で見られていないだけまだ良い。
わたしは自己満足でこんな鬱陶しい話を繰り広げている訳だけど、猿飛は今にも耳を塞ぎたいと思っているのかな。だとしたら本当に申し訳無い。今度お昼奢ろう。
「其の夢見ると背筋の震えが止まらないんだ。あっちこっち寒くてさあ」
はは、と小さく笑ったら、猿飛が行き成り席を立ち上がった。椅子の足が床を引っ掻いてガガガ、とあまり耳障りの良くない音を立てた。猿飛は俯いていて其の表情は窺えない。あんまり馬鹿な話をするわたしに漸く呆れて何処かへ行くんだろう、と思っていたら、猿飛がわたしの二の腕を引っ掴んで走り出した。当然わたしは机に腰骨をぶつけ、教室内のあちらこちらに散乱している椅子に脛をぶつけた。痛い、と声を上げることはままならなかった。猿飛は其れこそ風の様に駆けた。
猿飛は走るのが速い。体育祭でも走る競技には殆ど出ていたし、リレーなんかはアンカーで、真田や伊達と張り合ってた。身軽なんだなと思うと同時に“忍の猿飛佐助”が重なって見えていた。失礼だ。思えば其れが一番最初に見た過去だった。
見覚えがある、だけど今目に見えている人とは違う。わたしの勝手な思い違い? 成る程とても有り得る話だ。そう言って自己完結する方法なんて幾らでも転がっていたのだ。わたしはそうしなかった。するべきなのか、した方が良いのか、別にどっちでも構わないのか、わたしには判断が下せなかっただけだ。
教室を出て階段を下り、昇降口を突き破って体育館の横のプール更衣室の裏に辿り着いたところで、猿飛は漸く止まった。わたしの息は上がり切っていて喋ることすら儘ならない。昔はそうじゃなかったのにな、なんて思って、わたしは乾いた笑いが零れるのを自覚した。わたしは平成に生きる女子高生で、忍では無い。
猿飛は少しも息を乱していなかった。わたしはコンクリートの上にへたり込んで、苦しい胸元を手で押さえて小さな呼吸を繰り返した。息を宥めるのには浅くゆっくりと呼吸するのが一番だ。白いコンクリートを見つめながら、猿飛が何か言うのを待った。わたしは今如何頑張っても喋れそうにないから。何、この体力の差。男女の差?いいや、其れだけじゃ無い。
少し息が楽になったので顔を上げた。ぎらぎらと眩しい夏の太陽はかなり攻撃的だ。日焼け止めを塗り忘れたことを思い出して、ちょっとぞっとする。此処は日陰だから叫びたくなる程に焼けることは無いのは分かっているけど、何だか居心地が悪くて身を縮めて体育座りをした。お尻に敷いたスカートは、きっとプリーツがぐしゃぐしゃになっているだろう。
猿飛の地毛とは思えない明るい髪が風に煽られている。何時も固そうだと思っていたけど、わたしは勝手に其れが柔らかい猫っ毛であることを知っている(過去のわたしはよく猿飛の髪に触れていたらしかった)。現在のわたしが知りえないことを知っているのは、やっぱり可笑しい。
プールから仄かに塩素の匂いがする。プール更衣室の裏はじとじとと湿気が酷く、蒸し暑い。掃除なんて行われていないから隅っこには蜘蛛の巣が大量発生している。
そう言えばわたしの右の二の腕はずっと掴まれたままで、何時離してくれるのかと期待の眼差しを向けてはみたものの、猿飛と視線がかち合うことは無かった。残念。むにむにの、筋肉の大して付いていない二の腕を鷲掴まれているのは、なかなかに羞恥心を湧き上がらすものだなあ。過去のわたしならもうちょっとマシな腕をしていたのに。無駄な肉は出来るだけ落として、必要な筋力を備えていたのに。忍を生業としていたのだから、そんなの当たり前なんだろうけど。嗚呼泣きたい。現代人って本当に楽し過ぎなんだよ、だからこんなにぷにぷにしてしまうんだ。
どーでも良いことをつらつらと考えているのは、よーするに現実逃避である。早く其の手を離せ恥ずかしい畜生。
「……猿飛、」
「何で思い出したの」
わたしが折角名を呼んで、手を離してくださいと言おうと思ったのを遮って、漸く喋ったと思ったら其の声はまるで怒っている様だった。や、本当に怒ってるのかな。好い加減にしろってことか。分からん。猿飛が苛立ちと共に吐き出した言葉の意味を考えて、イマイチ理解出来なかったので首を傾げた。
「……何で」
掠れた声で、猿飛がよろよろとしゃがみ込んだ。何時もの猿飛らしくない、弱弱しい姿に少しぎょっとしつつ、二の腕から大きな手が離れたので、安堵の溜め息を吐いてみた。プールがある所為で湿っぽい更衣室の裏では吐息が重く響く。
「……折角この時代は平和なのにさ、そんなの思い出さなくて良いのに」
「猿飛、わたしの言ってること嘘だと思わないの?」
「だって本当のことだったんだから、仕方無いだろ」
「…………うん」
猿飛は冗談は言う男だけれど、あまりにも現実離れした言動には呆れて溜め息を吐く奴だと思っていた(つまり馬鹿な振りをしている現実主義者だと思っていた)。わたしの戯言は傍から見れば「頭可笑しい」の一言で終わらせられるのに、猿飛は真剣に受け止めてくれた。嬉しいんだか気持ち悪いんだか、わたしは自分で言ったことではあるけどもやもやした。自分で言っておきながらどんな反応を示して欲しかったのか分からないなんて、ふざけてる。
何の証拠も無い。わたしがよく夢に見るだけだ。嘘みたいだけどわたしは本当だと思い込んでいる。如何し様も無い。そんなの分かってるんだけど、ああ上手くいかない。何て言えば良い。
猿飛に「何言ってんのお馬鹿さん」とあしらわれるのを期待していたのかもしれない。また変なことを言っているなと苦笑されるのを待っていたのかもしれない。スカートの裾を指先で弄くりながら、猿飛が口を開くのを待った。わたしは喋れることは全て喋ってしまったのだ。あーホント、お馬鹿さん(猿飛が言ってくれないから自分で言ってみた)。
「……うん、ホントにお馬鹿さんだよ、」
薄い涙の膜をぎりぎりに目玉に貼り付けたまま、わざとらしくにやりと猿飛が笑ってわたしの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。わたしの心情を全て読み透かした様な台詞に何故か安心する。縋り付きたい様な、そんな気分だ。いや、そんなことしないけど。
ぼろり。何かが零れた。正体は既に分かっているから別に明記しない。洟を啜ったら「も、女の子が汚い」と笑われた。そう言う猿飛だってずるずると鼻を鳴らしている癖に。お互いに綺麗とは言い難い効果音を共に、プール更衣室の裏の汚れた壁に背中を預けてへたり込んだ。制服が汚れようが今更なのだ。もうわたし達は顔面がぐしゃぐしゃである。
「……今度も面倒見てくれますかね、佐助」
昔みたいに名前で呼び合うことになるなんて思わなかったなあ。真っ赤に熟れた果物みたいな顔をして、返事を静かに待てないわたしは奴の制服のベストに塩水を擦り付ける攻撃の準備を始めた。