「いやね、さよなら位言っておこうと思ってね」

 唖然として手にしていた巻物を零した。とん、と軽い音を立てて畳の上を転がっていく巻物は視界から消えていく。

「……何?」

 其れしか言葉が出て来なかった。
 身体中を泥と血で濡らし、ぽりぽりと頬を掻いてへらりと何時もの様に笑っている。ただ、其の笑みには力が入っていない。ふにゃふにゃと気の抜けた、頼りない笑い方をしていた。
 あちこちに塞がっていない傷が広がっている。未だ血が滲んで包帯を真っ赤にしているものすらある。濃い血の匂いに顔を歪め、俺は試しに包帯でぐるぐる巻きにされたの左腕を掴んで軽く引っ張ってみた。本当に軽く、だ。

「あだだだだだだだ! いっ、痛っ、痛いからぁああ! やめろ馬鹿あああ!」

 ほら見ろ、悲鳴を上げる程痛い癖に、よくも平気な振りが出来たものだな!
 手を離しても未だ涙目になったままのを無理矢理座らせる(動くだけで痛いらしく、また悲鳴が上がった)。ぎゃいぎゃい騒ぐを睨み付けて大人しくさせた。が、直ぐに騒音が再開された。

「ひ、酷いわネジ…! 傷口に塩を塗り込むつもりか馬鹿野郎!」
「お前の方が馬鹿野郎だ!」

 首を傾げるの頭を軽く殴って、消毒液とガーゼ、包帯、湿布、其の他諸々を準備する。もう手当てはしてあるよ、と苦笑するの頬を軽く抓って(本当に泣きそうな顔をしている)、俺は真っ赤に染まりつつある包帯を解く作業を開始した。
 ガーゼは既に血液を吸収する役割を無くしていた。そっと傷口からピンセットで其れを持ち上げると、ぽたぽたと血液が滴になって落ちていく。濃い鉄の匂いに思わず顔を歪めた。

「……一体何をしてきたんだ」

 消毒液をぶっ掛けながら尋ねると、は痛いもっと優しくしろ馬鹿と俺をなじりつつ、俺の手元をじっと見詰めながら、漸くぽつりと言った。

「わたしの小隊の子なんだけど、ターゲットと偶然恋人同士だったみたいでね」
「……運が悪かったな」
「本当そう思うよ。……其の子、全く攻撃出来なくてねえ。でもあちらさんはそうじゃない」

 は目蓋を落とし、溜息を吐き捨てた。

「……利用されてただけだったっぽくて」

 頬にあった爪で引っ掻かれた様な傷口にガーゼを貼り付けると、喋り難いとは文句を言って苦笑した。そんなもん知らん。怪我してくるお前が悪いんだ。

「ショックで動けなくなっちゃってね、其の子。仕方無いから庇いながら戦ってたら、何時の間にかこうなっててさ」
「……この頬の傷は、」
「まあ引っ掻かれたっていうか……当然かなあ、わたしが其の子の恋人殺しちゃったもんで」

 多分消えないね、痕になりそうだ、あはは、わたしってば悪いことしちゃったよ。馬鹿なことを言いながら、生気を感じない笑みをぼたぼたと血の様に漏らしている。怨みの念が篭った傷は癒えはしても決して消えないと、何かの本で読んだことがあった気がする。
 胴体以外の場所は全て傷だらけだったので、手当てには結構な時間が掛かった。

「……其の子は、もう駄目でねえ……精神崩壊って奴? ほら、拷問に掛けられた後みたいな感じあるでしょう。あんまり酷いもんだから、わたしが処分してさ」
「…………」
「……友達だったんだけどなあ……」

 ぼろりとは大粒の涙を落とした。ぐずぐずと洟を啜って、肩を震わせた。
 俺は静かに包帯を其の右腕に巻き付け、血に濡れ切った包帯とガーゼを纏めてゴミ袋の中に入れた。きつくゴミ袋の口を縛って、ゴミ捨て場に持って行った。明日は丁度可燃ゴミの日だったから、好都合だった。
 ゴミ捨て場から帰って来ると、泣き崩れたが丸まっていた。嗚咽が止まる気配は無く、俺は包帯の感触しかしない其の肩を、そっと抱き寄せた。

「……あの子、何も悪くない、のにさあ、」
「……忍とはそういうものだ」

 は強く首を横に振った。何度も何度も振った。俺の言葉に耳を貸すことを頑なに拒んだ。ぼろぼろと泣いて、無理だよと繰り返した。

「完璧な忍なんて、い、ないんだよ、」

 俺は何も答えられなかった。何も解決出来ていないが、とりあえずぐしゃぐしゃに泣き崩れているの首に腕を回した。

南天を手折る

100919